本土各地では梅雨入りしたようですがこちらウチナー(沖縄)ではひと足先の5月初めに梅雨入りしており、まだ梅雨明け宣言は出ておりません。
梅雨明けは例年どおりであれば6月23日頃(慰霊の日)の予定です。
ウチナー(沖縄)ではハーリー鉦が鳴り響くと梅雨明けとなり本格的な夏の到来といわれております。
昨日はユッカヌヒー(旧暦5月4日)といってウチナー(沖縄)の各地の漁港ではハーリー(ハーレーともいう)が行われました。
↓ ↓ ↓
ハーリーについてはこちらをクリック
ハーリーとは爬龍船といわれるクリ舟(沖縄方言ではサバニという)にウミンチュ(漁師)たちが乗り込み、舟漕ぎ競争を行う行事です。
まあ、いって見ればボート競争みたいなものですネ。
ウミンチュ(漁師)の町ではこの日は豊漁と航海の安全を願ってこのハーリーを開催する訳なんですネ。
ハーリーのことを別名、海神祭ともいいます。
ところでハーリーの翌日はグソーハーリー(後生ハーリー)といって亡くなったあの世の人達が同じ海上でハーリーを行うそうです・・・・・・???
そういうことでウミンチュ(漁師)の町ではその日の漁はゆっくり休みハーリーの翌々日から漁を開始するそうです。
ところで、ユッカヌヒー(旧暦5月4日)とはそもそも男児の節句でありこの日に限ってこども達は好きなおもちゃを買い与えられたということです。 男の子のお祝いの日にハーリーも行うようになったようです。
いわゆる現在行われている5月5日の子どもの日の昔版といったところでしょうか???
ウチナー(沖縄)でハーリーが始まったのは15世紀初めの察度王時代だといわれております。
ところでハーリーの由来はなんだと思いますか?
なんとこれは中国から伝えられた歴史があったんです!
むかしむかし、中国の楚という国の宰相である屈原という人が当時の世の中を嘆いて投身したのを助けるために舟を出したのが始まりだそうです。
この話はウチナー(沖縄)の民話にもスグリ山田という優れた学者に置き換えられて語り継がれております。
つまりそのルーツは人を救うために一刻も早く舟を走らせないといけないということだったワケなんですネ~。
今でこそ舟漕ぎ競争という形をとっていますがその根底にあるのは人命救助だったということです。
いってみればあの当時のウチナーンチュ(沖縄人)は中国の人命救助の歴史をハーリーというウチナー(沖縄)独自の文化に変えて脈々と現在に伝えてきたワケですネ~。
あの当時の先人の想いを考えると、なんていうかスゴク感動的ですよネ~・・・・・・。。。。
ここに中国でもなく、かといって日本でもないウチナーンチュ(沖縄人)の独創性を見る思いがします。
トウンアラン、ヤマトゥーンアラン、イッペーイッペーウチナーフージールヤサ!
↓ ↓ ↓
中国でもなく、日本でもない、とてもとても(果てしなく)沖縄風である!
アンシェーヤ!(それでは!)
梅雨明けは例年どおりであれば6月23日頃(慰霊の日)の予定です。
ウチナー(沖縄)ではハーリー鉦が鳴り響くと梅雨明けとなり本格的な夏の到来といわれております。
昨日はユッカヌヒー(旧暦5月4日)といってウチナー(沖縄)の各地の漁港ではハーリー(ハーレーともいう)が行われました。
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ハーリーとは爬龍船といわれるクリ舟(沖縄方言ではサバニという)にウミンチュ(漁師)たちが乗り込み、舟漕ぎ競争を行う行事です。
まあ、いって見ればボート競争みたいなものですネ。
ウミンチュ(漁師)の町ではこの日は豊漁と航海の安全を願ってこのハーリーを開催する訳なんですネ。
ハーリーのことを別名、海神祭ともいいます。
ところでハーリーの翌日はグソーハーリー(後生ハーリー)といって亡くなったあの世の人達が同じ海上でハーリーを行うそうです・・・・・・???
そういうことでウミンチュ(漁師)の町ではその日の漁はゆっくり休みハーリーの翌々日から漁を開始するそうです。
ところで、ユッカヌヒー(旧暦5月4日)とはそもそも男児の節句でありこの日に限ってこども達は好きなおもちゃを買い与えられたということです。 男の子のお祝いの日にハーリーも行うようになったようです。
いわゆる現在行われている5月5日の子どもの日の昔版といったところでしょうか???
ウチナー(沖縄)でハーリーが始まったのは15世紀初めの察度王時代だといわれております。
ところでハーリーの由来はなんだと思いますか?
なんとこれは中国から伝えられた歴史があったんです!
むかしむかし、中国の楚という国の宰相である屈原という人が当時の世の中を嘆いて投身したのを助けるために舟を出したのが始まりだそうです。
この話はウチナー(沖縄)の民話にもスグリ山田という優れた学者に置き換えられて語り継がれております。
つまりそのルーツは人を救うために一刻も早く舟を走らせないといけないということだったワケなんですネ~。
今でこそ舟漕ぎ競争という形をとっていますがその根底にあるのは人命救助だったということです。
いってみればあの当時のウチナーンチュ(沖縄人)は中国の人命救助の歴史をハーリーというウチナー(沖縄)独自の文化に変えて脈々と現在に伝えてきたワケですネ~。
あの当時の先人の想いを考えると、なんていうかスゴク感動的ですよネ~・・・・・・。。。。
ここに中国でもなく、かといって日本でもないウチナーンチュ(沖縄人)の独創性を見る思いがします。
トウンアラン、ヤマトゥーンアラン、イッペーイッペーウチナーフージールヤサ!
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中国でもなく、日本でもない、とてもとても(果てしなく)沖縄風である!
アンシェーヤ!(それでは!)