日毎の糧

聖書全巻を朝ごとに1章づつ通読し、学び、黙想しそこから与えられた霊想録である。

わたしは貧しく乏しい 

2009-02-04 | Weblog
   Psa70:1-6 
 
  1節(表題)の「記念」は38編にもあり、神の記憶に留めていただくため。祭司がささげ物をして神を賛美する礼拝賛歌。

  2節「神よ、速やかにわたしを救い出し~」岩波訳「私をたすけに急いでください」 ここでは救出と助けのためと二つの理由で、急いで下さいと祈る。

 3 ~4節 第一の目的は悪者からの救い
「いのちをねらう者と、災いに遭わせようと望む者が侮られて退き…」(3節)、そして「はやし立てる者が、逃げ去りますように」(4節)。35編4節「恥に落とされ、嘲りを受けますように」と似ている。「はやし立てる」は直訳「アハァ、アハァという」、口語訳はそのように訳している。「逃げ去りますように」は「破滅しますように」(40編15節)である。暴力と悪意と不親切というあらゆる社会的不正を除去して下さるようにという祈りである。神は無秩序の神ではなく、平和の神だからである(第1コリント14章32節)。

  5~6節 第二の目的は信仰者の救い
「あなたを慕い求める人がみな 喜び祝い、楽しみ…、神をあがめよといつも歌う」ために(5節)、「わたしは貧しく、身を屈めています」(6節)。何故なら「速やかに…遅れないで来るのを待っている」から(同)。「身を屈めています」は意訳。口語訳は「わたしは貧しく、かつ乏しい」である。極貧の状態ということ。これは自らを「極貧の者」と言い表したのである(マタイ5章3節cf)
 悪者からの救いだけでなく、神の前に貧しさの極みであると告白し、神の助けを求め、やがて喜びと讃美の生活を送りたいという切なる願いが込められている。
 
 「わたしの助け、わたしの逃れ場」 エズリー ・ウメファレティ (私の助け、また私を逃れさす者) 詩編に多く出てくる待望の祈りである(31編25節、33編18節、22節、69編4節、145編15節、146編5節)。