日毎の糧

聖書全巻を朝ごとに1章づつ通読し、学び、黙想しそこから与えられた霊想録である。

 善にして善をなされる方

2009-03-31 | Weblog
  詩109篇65~80 

  65~72節 テト Tet
 「主よ、あなたの言葉通り、あなたの僕に善(トゥヴ)を行われました」(65節)。口語訳「僕を良くあしらわれました」。
  「判断と知識の善(トゥヴ) をわたしに教えてください。なぜならあなたの戒めをわたしは信じているからです」(66節)。岩波訳「理性の恩恵と知識を私に教えてください…。」 主の律法に対する正確な認識を持つことが、律法を厳守する前提となる。
  「わたしが答える前にわたしは迷っていた。しかし今はあなたの言葉を守ります」(67節直訳)。口語訳「わたしは苦しまない前は迷いました」。「答える」エエネーは  「取り掛かる、卑しめられる、苦しむ」と訳すことが出来る。新共同訳「卑しむ」。
  「あなたは善なる方、すべてを善とする(メティヴ方、あなたの掟を教えてください」(68節)。口語訳「善にして善を行われる方」岩波訳「善き方、そして善くする方」。神の最善を信じる信仰である。71節see
  「高慢な者はわたしの上に偽りを塗りつける。わたしは心のすべてであなたの命令を守ります」(69節)。
  「彼らの心は脂肪のように太っている。わたしはあなたの教えを楽しみます」(70節)。岩波訳「脂肪のように無感覚だ」。神への信頼が損なわれること。
  「卑しめられたことはわたしに良い(トゥヴ)ことであった。あなたの掟を学ぶようになりました」(71節)。口語訳「苦しみにあったことは~」。「苦しめられる」(卑しめられる)原因は、「迷い出る」(67節)ことにある。神との向き合う関係が損われる時、人々から苦しめられる。然し神の言葉で立ち直る時、「良いこと」主の最善が判るのである。

  73~80節 ヨッド Yod
  「御手がわたしを作り、わたしを固く立てた。あなたの戒めを悟らせ学ばせて下さい」(73節)。神の創造と、それに応答する信仰が伺われる。
  「主よ、わたしはあなたの裁き(ミシュパト)が義(ツァディク)であることを知っています。そしてわたしを苦しめたことは真実(エムナー)でした」(75節)。苦しみを真実と受け取る。「義の裁き」(正しい審判)は62節にもある。
  「あなたの言葉通り、あなたの僕にあなたの慈しみが、どうぞわたしの慰めとなりますように」(76節)。
  「あなたの憐れみがわたしに来ますと、わたしは生きます。なぜならあなたの律法はわたしの楽しみだから」(77節)。
  「わたしが恥じないために、あなたの掟によってわたしの心が完全であるようにしてください」(80節)。新共同訳「無垢でありますように」は岩波訳「完全になりますように」、口語訳「わたしの心を全くして…」

夜の間に祈る

2009-03-30 | Weblog
  詩109篇49~64

  49~56節 ザイン
  「あなたが僕のために待望するようにされた言葉を思い起こしてください」(49節)。
  「あなたの言葉がわたしを生かすので、わたしの苦悩の中の慰めです」(50節)。口語訳「悩みの時の慰めです」新共同訳「苦しみの中」とも訳せる。
  「高ぶる者らは激しくわたしを嘲笑するが、わたしはあなたの教え(トーラー)から逸(そ)れません」(51節)。
  「主よ、わたしはあなたの永遠の昔からの裁き(ミシュパト)を思い起こし、わたしは慰めを得ます」(52節)。
  「あなたの教え(トーラー)から離れる悪人たちに、わたしは激しい怒りに捕われる」(53節)。岩波訳「激怒が私を捕えます。あなたの律法を捨てる不法者らのゆえに」。
  「わたしの住む家の中で、あなたの掟はわたしの賛歌です」(54節)。仮の宿であっても神の言は慰めと賛美となる。
  「主よ、わたしは夜の間にあなたの名を唱え、あなたの教えを守ります」(55節)。「唱え」は口語訳「思い起こす」。これは黙想の時である。

 高慢な者の嘲りにあってもその怒り(53節)を神の前に告白し、昼夜を分かたず信頼する姿勢が示される。

  57~64節 ヘト
  「主はわたしの分け前、あなたの言葉を守るとわたしは言います」(57節)。「分け前」とは嗣業のこと。
  「あなたの言葉通りわたしを憐れんで下さい。心からあなたの顔(~の和らぐ)をわたしは願います」(58節)。口語訳「あなたの恵みを請い求めます」。神からの好意を求めること。
  「わたしは、わたしの道をよく考え、両足をあなたの証へと引き返します」(59節)。神の定められた道を踏み外し、逸れることがないよう<考え、心に留め、計る>のである。
  「わたしは急ぎ、ためらうことなく、あなたの戒めを守ります」(60節)。
  「悪人たちの縄がわたしを取り巻いても、あなたの教え(トーラー)をわたしは忘れませんでした」(61節)。
  「夜半にわたしは起きてあなたに感謝します。それはあなたの義の裁き(ミシュパト)についてです」(62節)。定められた祈りの時でなく特別な祈りを指す。神の義とその裁きについて夜半起きて祈るのである。
  「わたしは、あなたを畏れ、あなたの命令を守る者たちすべての友です」(63節)。岩波訳「わたしは同志だ、あなたを畏れる者みなと」主を畏れ、命令を守る人を友とする幸いが示される。
  「主よ、地はあなたの慈しみで満ちています。あなたの掟を教えてください」(64節)。

 神の恵みに楽観的になって応える。



常に永遠に、永遠にあなたの律法を

2009-03-29 | Weblog
 詩119篇33~48節 

 33~40節 ヘー
 「あなたの掟の道を教えてください。するとわたしは永遠にそれを守ります」(33節)。「あなたの教え(トーラー)を悟らせてください。そして守ります。心のすべてで守ります」(34節)。33節と34節は殆ど同じ意味になる。
 「あなたの戒めの小道にわたしを導いてください。なぜならそれをわたしは喜ぶのです」(35節)。喜んで戒めの狭き道を歩むこと。
 「あなたの戒めにわたしの心を傾け、そして不当な利益でなく」(36節)。口語訳  「不正な利得に傾けさせないでください」
 「わたしの両目を虚しいものを見ることから移して、あなたの道の中でわたしを生かしてください」(37節)。「虚しいもの」偶像礼拝、虚栄、儚い栄華、神から離れた野望である。
 「あなたへの畏れのため、あなたの僕のためにあなたの言葉を成就してください」(38節)。口語訳「…約束を堅くしてください」
 「見よ、わたしはあなたの命令を切望します。あなたの義(ツァディク)によって生かしてください」(40節)。「義」 新共同訳「恵みの御業」40節「恵みの御業によって命を得させてください」 新改訳「にあなたの義によってわたしを生かして下さい」

  41~48節 ヴウ
  「主よ、あなたの慈しみと救いが言葉の通りわたしに来るように。あなたの言葉に信頼するわたしが、嘲る者の言葉に答えるように」(41~42節)。
  「わたしの非常なまでの真実の言葉を、わたしの口から奪わないで下さい。なぜならあなたの裁きを待ち望むからです。そしてわたしはあなたの教え(トーラー)を常に、永遠に、永遠に守らせてください」(43~44節)。岩波訳「…常に、とこしえに、またとわに」
  NKJ「So shall I keep Your law continually,Forever and ever.」
  「あなたの命令を尋ね求め、わたしは広い所で歩き回らせてください」(45節)。岩波訳「私は歩き回ろう、広い所を、あなたの指図を私は求めるのです」自由に歩き回る(口語訳)のは、聖言に聞き従うためである。
  「王たちの前で、あなたの証を私は語り、そして恥じません」(46節)。
  「わたしが愛するあなたの戒めを、わたしは楽しみます」(47節)。
  「わたしが愛するあなたの戒めにわたしは両手を挙げ、そしてあなたの掟を深く思う」(48節直訳)。「掟を深く思います」(口語訳)、「おきてを歌います」(新共同訳)、  「おきてに思いを潜ませましょう」(新改訳)、「…思い耽ろう」(岩波訳)。
「手を高く挙げます」神の言葉に服し、祈るために両手を挙げること。

 現実を見ると内には悲しみ、辱め、侮りがあり、外には不当な利益や虚しいものに心を奪われる状況がある。しかし聖言に目を開かれ、神の戒め、定められた真実の道を只管歩み続けたいと願う。

 神の驚くべきみ業

2009-03-28 | Weblog
  詩119篇17~32節    

  17~24節 ギメル
  「わたしは生きてあなたの言葉を守ります。あなたの僕に報いてください」(17節直訳)。「報いてください」は口語訳「豊かにあしらって」、岩波訳「良くしてください」。自分を奴隷と位置づけている。
  「わたしの両目の覆いを払ってください。するとあなたの教え(トーラー)の中から不思議を見つめます」(18節)。神の啓示(律法)は人の目には不思議に思われ、正しく判断できない。霊の力によって正しい視点が与えられねばならない。
  「この地でわたしは寄留者。あなたの戒め(ミツヴァ)を隠さないで下さい」(19節)。捕囚の民の苦しみが感じられる(39篇13節)。
  「わたしの魂は失望して粉々に砕ける。あなたの裁き(ミシュパト)に向かってすべての時に」(20節)。「失望して粉々に砕ける」(ガレサー)を新共同訳「やつれ果てる」、口語訳「慕って、絶えいるばかり~」、岩波訳「絶え入るほどに待つ」としている。
  「あなたの証こそはわたしの楽しみ、わたしの助言の人々」(24節直訳)。新共同訳「良い考えを与えてくれます」、新改訳・岩波訳「わたしの相談相手です」口語訳「教えを諭すものです」70人訳を採用しているようだ。

  25~32節 ダレット
  「わたしの魂は塵にくっついています。あなたの言葉(ダバル)通り、わたしを生かしてください」(25節)。岩波訳「塵に張り付いた」。
  「わたしはわたしの道を語った。するとあなたはわたしに答えた。あなたの掟を教えてください」(26節)。自分の立場を明らかにし、迷いやすい誘惑に陥る道ではなく、神に定められた道を選びとること。
  「あなたの命令の道わたしに悟らせてください。あなたの不思議な業を語ります」(27節)。新共同訳「歌います」、岩波訳「思い耽ろう」、新改訳「思いを潜めることが出来るよう」。
  「わたしは真実(エムナー)の道を選んだ。あなたの裁き(ミシュパット)をわたしは置いた」(30節)。エムナーは「信仰の道」(新共同訳)とも訳せる。「偽りの道」(29節)と対照的
 「わたしはあなたの証にくっつきます。主よ、わたしを辱めないで下さい」(31節)。
  「あなたの戒めの道をわたしは走ります。なぜならわたしの心をあなたが広げるからです」(32節)。「心が広がる」苦難から救われる意味。
  

神の言葉を学ぶ

2009-03-27 | Weblog
 詩119編1-16     


  ヘブライ語アルファベット詩篇。22字×8節=176節から成っている。各段落8節はそれぞれ同じ文字で始め、各節に「律法」を意味する言葉が必ず出てくる形式。

  1~8節 アーレフ
「幸いだ! 完全な者たちは。主の諭しにより道を歩く者たちは」(1節)。「諭し」ベトラット(新共同訳=律法)。
  「幸いだ! 主の証を守る者たちは。心のすべてで主を尋ね求める彼らは」(2節)。「証」エダー(新共同訳=定め)。「また不正を行なわないで主の道を歩く者らは! 」(3節)。「道」デレフ。4節「命令」フィクドゥム。
  「どうか、わたしの道があなたの掟を守る為に確かなるように」(5節)。「掟」フケーハ(口語訳=さとし、新改訳=戒め)。6節「戒め」ミツヴァ。7節「裁き」ミシュパット。
  「あなたの掟をわたしは守りますから、決してわたしから離れないで下さい」(8節)。「掟」フケーハ。

  9~16節 ベス
  「若者は何によって主の道を清めるか。あなたの言葉に従って守ること」(9節)。「清める」は「純粋にする」という意味もある。「あなたの言葉」(キドゥヴァレーハ)=ダバル。
  「わたしの心のすべてであなたを尋ね求めます。あなたの戒めからわたしを迷わせないで下さい」(10節)。「戒め」ミツヴァ。
  「あなた言葉をわたしの心の中に隠します。あなたに対して罪を犯さないために」(11節)。「言葉」イムラテーハ=イムラ (新共同訳=仰せ)。12節「掟」フケーハ。
  「すべての財宝に優って、わたしはあなたの証の道を喜びます」(14節)。「証」エダー。宝のあるところに心もある。「証の道」を慕い求めて歩むこと。
  「あなたの定めを楽しみ、あなたの言葉をわたしは忘れない」(16節)。「定め=掟」フケーハ、「言葉」ダバル



 祝福あれ

2009-03-26 | Weblog
  詩118編
 
  ハレルヤ賛歌の最後の歌。

  1~4節 感謝の呼び掛け
「主に感謝せよ、なぜなら主は良き方。主の慈しみ(ヘセド)は永遠に。さあイスラエルは言え、主の慈しみは永遠に。さあアロンの家は言え、主の慈しみは永遠に。さあ主を畏れる者らは言え、主の慈しみは永遠に」(1~4節)。呼び掛けと応答の形式。136、148、150篇see

  5~21節 苦難からの救いの感謝(一人称)
「苦難の中(狭い所)からわたしは主を呼んだ。主は天(広い所)でわたしに答えた」(5節)。直訳 「広い所」を新共同訳「解き放たれた」と訳した。
6、7節「主はわたしの味方」とあるが、直訳は「主がわたしに」(アドナイ・リ-)で岩波訳「主がわたしのもの」、TEV「The Lord is with me」である。ヘブライ13章6節に引用されている。
  「人間に頼らず、主を避け所としよう」(8節)。直訳「人に信頼するよりも主の中に逃げ込むことが良い」。「…必ず彼らを滅ぼす」(10節)。直訳「…彼らを断ち切る」。11、12節も同じ。神が陣をしいて守られること(34篇8節)
「お前はわたしを倒すために押しに押したが、主はわたしを助けた。主はわたしの力と賛美、そしてわたしの救いとなった」(13~14節直訳)。
17節は「わたしは死なない。そして生き主の業を物語る」としている。そして18~21節で伝えている。「主の城門」は神の義(ツェデク)が明らかになる裁きの広場である。

  22~29節 内庭における詩篇
  「建てる者たちが蔑んだ石が、隅の頭となった」(22節・直訳)。「隅の頭」とは幕屋の四隅の基礎石のこと。無用だと捨てられたが、やがて重要な基礎石として採用される。つまり無価値であったものが、かけ甲斐のない大切なものとして用いられる神の慈愛を表わす。新約聖書に引用されている(マルコ12章10~11節、使徒言行録4章11節、1ペトロ2章7節)。
「ああ主よ、ホサナー、ああ主よ、成功させてください」(25節・直訳)。マタイ21章9節see
  26節「祝福あれ」(バルーフ ハバー=入る者は祝福されよ)は、来訪者を迎える挨拶の言葉。ルカ13章35節にメシヤを万民が認める時に成就する預言として引用。
「主なる神はわたしたちを照らした。祭りの生け贄を縛れ、祭壇の角まで綱で引いていけ」(27節・直訳)。意味不明であるが、祭りで神の御業をたたえることではないか。
  29節 本詩篇の結語(ハレルヤ賛歌111~118篇の結語でもある)。

 主の慈愛と真実

2009-03-25 | Weblog
  詩117編 
  最も短い詩編。ヘブライ語写本では116編の終結部分になる。

  「すべての国々よ、主を賛美せよ。すべての国民よ、彼をほめたたえよ」(1節)。「賛美せよ」はハレルー。「彼をほめたたえよ」はシャべフーフ」である。すべての国と民が神への礼拝へと招かれている。ローマ15章11節に引用。

  「なぜなら、主のいつくしみ(ヘセド)はわたし達の上に、より勝っている。そして主の真実は永遠である。ハレルヤ」(2節)。へブライ語ヘセド(慈愛)は約束に基づいて相手に忠実に向き合う関係で、熱意が要る。新共同訳「力強い」ヘブライ語ガバァルは;岩波訳「圧倒する」。優勢であるということ。「いつくしみと真実」115篇1節see

  神への賛美は、個人のみならず、民族の生活の意味と目的が満たされ、政治的、国民的な枠組みは消え失せるのである。そして神によって結ばれた人間の共同体には神の慈愛と真実の啓示にあずかることが許されている。


 救いの杯をあげる 

2009-03-24 | Weblog
  詩116編       
  個人的な詩。死の床から癒され救われた喜びを、感謝し賛美する。

  1~11節 感謝の理由
  「わたしは主を愛する。何故ならわたしの嘆願の声を聞かれるから。日々叫ぶ私の声に耳を傾けてくださるから」(1~2節)。シェマー(申命記6章4節)への応答である。 「日々(生涯)叫ぶわたし」基本的な信仰姿勢が伺える。
「死の綱がわたしを取り囲んだ。そして陰府の責め苦がわたしを見出し、苦しみと嘆きを私は見た」(3節)。瀕死の重病と思われる(8節参照)。「わたしは主の名を呼びます。主よ、どうかわたしの魂を逃れさせてください。…主は恵み深く義しい方、わたし達を憐れむ神」(4~5節)。
  「主は単純な者たちを守って下さる方…」(6節) 新共同訳「哀れな人」だがベタイームは「単純な者」口語訳「無学な者」岩波訳「未熟な者」若くて経験が浅い者、思慮の足りない者ということか。
「わたしの魂よ、お前の休息に帰れ」(7節直訳) ATD「わが魂よ、静まれ」神に近づくことは、魂の平安の源となることである。
「生ける者の地で、主の面前にわたしは歩き回る…『わたしは非常に悩んでいる』と言うときも、人がわたしは欺いてびっくりした時にもわたしは信じた」(9~11節)。口語訳「『わたしは大いに悩んだ』と言った時にもなお信じた。」この引用がⅡコリント4章13節(七十人訳)にある。徹底した信頼である。

  12~19節 詩人は誓いを果たす
  「わたしの上のすべての主の恵みにわたしは何を返すのか。救いの杯を上げて主の名を呼び、主にわたしの誓願を果たそう。さあ、すべての主の民の前で」(12~14節)。 新共同訳「満願の献げ物」口語訳「わが誓いを償います」レビ記7章11~18節。
  「聖徒たちの死は主の目に尊い」(15節)。「尊い」は重大な価が尊いという意味である。新共同訳「慈しみに生きる人」 ヘブライ語は「聖徒」(はスィダヴ)、神に愛される者、神を敬う者を指している。ATDは「救いの杯」(13節)を判定の献げ物と解釈し、15節「主の敬虔な者たちが空しく死ぬならば、それは主の目にあまりに重大である」としている。
  「まことにわたしはあなたの僕、わたしはあなたの僕、あなたのはしための子です。わたしの枷を解いて下さいました。わたしは感謝の犠牲をささげ、あなたの名を呼びます」(16~18節)。死からの解放である。
  「エルサレムよ、あなたの真中で、主の家の中で。ハレルヤ」(19節)。 城壁に囲まれた神殿の前にある祭壇を指す。65編5節see

  イエスの十字架による贖罪と救いの御業が予表として示される。


神の御名の栄光

2009-03-23 | Weblog
詩115編
   
 祭司と会衆との交唱によるハレル賛歌。

 1節 序
  「わたし達にではなく、主よ、わたし達になく、あなたの名に栄光を与えてください」
 2~8節 神への讃美と偶像への嘲り
  「なぜ国々は『彼らの神はどこにいる』というのか。しかし私たちの神は天にて、喜ぶところの事をすべて行われる」(2~3節)。異教徒たちには、見えない神の存在を認めることが出来ない。そして批判の対象となった(42編3、10節、79編10節)。「彼らの偶像は金銀で、人の両手の業で、口は彼らに話せない。両目は見えない。鼻は嗅げない。両手は触れない。両足は歩けない。喉で声を出せない。それらを造る者ら、それに信頼する者らは、それら(偶像)と同じになる」(4~8節)。偶像を作り、それに信頼する者は偽りであり、無力である。イスラエルは絶えずその誘惑に晒されてきた。真実な神礼拝が確立されたのは、バビロン捕囚期以降である(イザヤ44章see)。彼らを嘲笑することによって、神への讃美を高めている。

  9~11節 信仰の確認による讃美
「イスラエルよ、主に信頼せよ…」(9節)。「信頼せよ」ベタフは身を投げ出して相手に「ベタ」と依りかかり、もたれかかるイメージが描かれる。
「主を畏れよ、主を信頼せよ」(11節)。讃美は信頼への呼び掛け、信頼と祝福の宣言によってささげられる。呼び掛ける集団は、イスラエル、アロンの家(レビたち)、主を畏れる人(改宗した異邦人たち)である。

  12~16節 祭司の祝福による讃美
  「主よ、わたし達を覚えて祝福してください。イスラエルの家を、アロンの家を祝福してください。主を畏れる者たち、大きな者たちと共に小さな者たちも祝福してください」(12~13節)。イスラエル、アロンの家、主を畏れる人の三つの集団に対して祭司たちは、祝福を祈る(118編1~3、135編19~20節)。
「主があなた方を、そしてあなた方の息子らを増し加えてください」(14節)。岩波訳「あなたたちを殖やしますように」。「あなた方は天と地を造られた主に世って祝福されますように」(15節)。see121篇2、124篇8、134篇3、146篇6節)。「天の天は主のもの、そして地は人の子らに与えた」(16節)

   17~18節 献身による讃美
  「主を褒めたたえるのは死人たちではない。すべての沈黙に下る者たちではない。しかしわたし達は主を今から永遠にたたえよう。ハレルヤ」(17~18節)。「沈黙に下る者たち」死者の世界。偶像礼拝者と対比し、会衆は「わたし達こそ永遠に神をたたえよう」と決意している。


 主の面前でおののく

2009-03-22 | Weblog
  詩114篇 
  本詩は出エジプトの神、荒れ野の彷徨、シナイの契約、カナンの侵入に対するイスラエルの信仰を讃美で告白した詩。

  1~2節 民族の誕生
 「イスラエルがエジプトから、ヤコブの家が異なる言葉を語る民から出た時、ユダは主の聖なるもの、イスラエルは主が治める領域となった」(1~2節)。「ユダは神の聖なるもの」口語訳「ユダは主の聖所」聖所は神の顕現と臨在の場所であった。

  3~6節 途上における奇蹟
 「海は見て逃げ去った。ヨルダン川は後ろに向きを変え、山々は雄羊のように丘は羊の群の仔羊のように踊った」(3~4節)。紅海の渡渉(出エジプト14章21節と、ヨルダン川を渡った情景(ヨシュア3章9~17節)を描く。
「海よ、なぜ逃げ去るのか。ヨルダン川よ、(なぜ)後ろに向きを変えるのか。山々よ、雄羊のように、丘世羊の群の仔羊のように踊るのか」(5~6節)。3~4節への問いかけ。

  7~8節 イスラエルの救いをなされる方
 「地よ、主の面前で、ヤコブの神の面前でおののけ。岩を湖の水に、硬い岩を泉の水に変えるお方の面前に」(7~8節)。5~6節の間接的な応答である。歴史と被造物との主である神の前に、全地はおののくのである。「身もだえせよ」は、神の絶対支配を告白するものである。(出エジプト17章6~7節、民数記20章8~13節)。

  聖書の神は、決して自然を信仰の対象とはしない。天地を支配される主の前に謙虚でなければならない。技術開発の進んだ現代、自然を支配できる思い上がりから地球レベルで自然破壊が起きている。「上に向かって唾を吐く」愚かをしてはいないか。神の面前で自然との共生を図らねばならない。

高くいまし、また謙虚な主

2009-03-21 | Weblog
 詩113篇

 ハレルヤ賛歌。

1~3節 高められた主
「ハレルーヤハ。主の僕たちよ、ハレルヤ、主の名をハレルヤ。主の名が今から、永遠までも祝福されますように。太陽の昇るところから、沈むところまで主の名はほめたたえられますように」(1~3)。ここに主の名を讃える言葉が五回も繰り返されている。

4~9節 主の偉大さと謙虚さ
「主はすべての国々の上に高くいまし、主の栄光は天の上にある」(4節) ここから賛美の応答となる。主の栄光が今から永久に、全世界に顕れるという。
「誰か、わたし達の神、主のように高い座に着く者がいるだろうか。そして天と地を見るために身を屈める者がいるだろうか」(5~6節)。「低く下って」は口語訳「身を低くして」新改訳は「神は民の必要に応えるために身をかがめておられる」としている。イザヤ57章15節、フィリピ2章5~11節see

「主は乏しい者を塵から起こし、極貧の者を屑の中から高く上げ…気前の良い人達と共に座らせられる。不妊の女を家に座らせ、息子たちの母として喜ぶ」(直訳7~9節)。新共同訳「自由な人々」は口語訳「君たち」新改訳「君主」。高貴な人々、気前の良い人々という意味がある。サムエル記上2章8節と同じ。人間を「塵」「芥」としてとらえる謙虚さが伺える。
神の謙虚に人間も謙虚で応える。神はこの弱い人間を、栄光の座へと導かれるのである。

主を畏れる人

2009-03-20 | Weblog
  詩112編   
  111編と同じハレルヤ詩編。

  1節 主を畏れる者の幸い
  「ハレルヤ。主を畏れる人は何と幸いだろう。彼は主の戒めを非常に喜ぶ」(1節)。111編10節see

  2~9節 主を畏れる者の描写
  「彼の子孫はこの地で勇士になる。正しい者らの世代は祝福される。彼の家には財産と富があり、そして彼の義(ツァディク)は永遠に立つ」(直訳2~3節)。主を畏れる者の子孫の繁栄と祝福が約束されている。新共同訳「彼の善い業は永遠に堪える」口語訳「その義はとこしえに、失せることはない」富が貧しい者らに施しをすることか(9節)。
  「暗黒の中で正しい者達に輝き昇る。(その光は)恵み深く、そして憐れみ深く義しい」(4節)。善行が暗黒の社会に輝くことを示している。
  「憐れみをもって貸し与える人は何と良いことだろう。裁きの中で彼の言葉は支持される」(5節・岩波訳参照)。神を畏れる者は、憐れみ豊かで、物惜しみをしないのである。「まことに義(ツァディク)なる人は永遠に揺るぐことなく、永遠の記念になる」(6節)。
  「彼の心は主に信頼しているので、彼は悪評を恐れない。…その心は堅く支えられていて、敵たちを見おろすまで、彼は恐れない。」(7~8節)。新共同訳は「ついに彼は敵を支配する」とあるが、原文は「~まで ところの 彼が見る 彼の敵たちを」であり、悪に対して善意で報いることである。
  「貧しい人々に彼は散財し、彼の義(ツァディク)は永遠に立つ。彼の角は栄光の中で高く上げられ、悪人たちは怒り、歯軋りして溶け(力を失う)、悪人たちの欲望は滅びる」(9~10節)。 善意の行為に対抗する者が必ず起きる。光が輝く時に闇の勢力も増大して来るのと同じである。

  9節は、エルサレム救援募金協力の勧めの中で引用されている(第二コリント9章9節)。

奇しき御業を記念して

2009-03-19 | Weblog
  詩111編 
   
  アルファベットが各文頭に並んでいる詩編

  1節 主に対する感謝
  「ハレルヤ、わたしは心のすべてで、主に感謝する。真直ぐな者たちと会衆の集いで」(1節)

2~9節 主の御業
  「主の御業は大きい。それらを喜ぶ者らはすべて尋ね求められる。…彼の働きは尊厳と威光、そして彼の義(ツェデク)は永遠」(2~3節)。新共同訳は「義」を(恵みの業)と訳す。「御業」は、4、6、7節にも示されている。「栄え輝き」は尊厳(ホッド)と威光(ヴェハダル])、岩波訳「威光と栄誉」。
「主は不思議な御業を記念とされた。そし主は憐れみ深く、恵み深い方、主を畏れる者らに食べ物を与える。主は契約を永遠に覚えられる」(4~5節)。「糧を与え」はエジプト脱出後、荒れ野で民にマンナと鶉を与えて養われた出来事である(出エジプト16章1~8節)。「契約を永遠に覚えられる」はシナイでの律法の授受。
  「主は民に御業の力を示し、国々の嗣業を彼らにお与えになる」(6節)。カナン侵入の出来事を指す(ヨシュア記1章1~9節)。
  「主の両手の御業は信実(エメット)と裁き(ミシュパット)、主のすべての命令は真実(エムナー)…永遠に、永遠に支えられている。そして信実(エメット)をもって真直ぐに行われる」(直訳7~8節)。これを岩波訳では「彼の手の業は真実と公正、彼の指図はすべて信実で、とわに、とこしに支えられ、真実と誠実を持って行われる」。「エメット」も「エムナー」も同じ語源である。
  「主はご自分の民に贖いを送り、契約を永遠であると定め、御名は聖にして畏れるものとした」(9節)。バビロン捕囚からの解放を指しているものと思われる。「畏れ」とは神を神として崇め礼拝を献げることである。

  10節 主を畏れつつ
  「知恵の初めは主への畏れ。これらを行う人々はすべてに思慮が良い。主への賛美は永遠に存続する」(10節) 「知恵の初め~」箴言1章7節、ヨブ記28章28節。「思慮が良い」とは成功すること。

  歴史の主である神への礼拝と賛美が永遠に続くという結語になっている。

祭司なる王

2009-03-18 | Weblog
  詩110編    
  王の即位式の祝いとして歌われた詩編。

  1~3節 王の即位の日
  「主が、わたしの主(王)に、あなたの敵たちをあなたの両足の足台にわたしが置くまでわたしの右に座れと語られた」(1節)。「右の座」栄誉ある場所。「足台とする」全く服従すること。メシヤ預言としては神の御子に対して約束され聖句となる。マルコ12章36節。
  「主はシオンから力ある杖を伸ばす。あなたの敵たちの真ん中で支配せよ」(2節)。「力ある杖」力と権威の象徴。王自らが戦場に出て敵を征服することを保証している。
  「あなたの民は自発的に仕え、あなたの聖なる輝きの中で力が現れ、曙の胎からあなたに幼年時の露が降る」(直訳3節)。 「聖なる方の輝きを帯びて」 新改訳「聖なる飾り物を着けて」。「曙の胎からあなたに幼年時の露が降る」難解な句である。口語訳「あなたの若者は朝の胎から出る露のように、あなたに来るであろう」 イスラエルの軍隊が出陣の時、方々から若者たちが朝露のように集まってくる様を表現している。

  4~6節 祭司であり王である
「主は誓って思い返さない。『あなたは永遠に祭司、わたしの言葉に従ってメルキゼデク』」(4節)。「メルキゼデク」は「義なる王」という意味。創世記14章18~20節see アブラハムから献げ物を受けた祭司で、レビ族の祭司よりも優ることから「大祭司」「いと高き神の祭司」とも呼ばれた。これに対する解釈が、ヘブライ7章1~3節に記されている。祭政一致はイスラルの理想であった。
  「わが主(王)はあなたの右で、怒りの日に王達を撃つ。国々の間を裁き、広い地の上で頭を撃ち、死体で満ちる」(5~6節)。「広大な地」原語ラッバ=大きな・土地・~の上に アンモンの首都ラッバを指す。

  「彼は道で川から水を飲み、頭を高く上げる」(7節) 凱旋将軍が行進の途中、河から水を飲んでいるさっそうたる姿を想像している。「頭を高く上げる」 勝利の喜びを表わす。それは最後の勝利である。

 日本は過去も現在も、王制国家ではない。天皇は象徴で張子の虎に過ぎないのだが、この前近代的な思想はいつになれば無くなるだろうか。現憲法を堅持したいが、これだけは変えねばならない。
  

呪いの厳しさを歌う詩編。

2009-03-17 | Weblog
  詩109編 

  呪いの厳しさを歌う詩編。
 
   1~5節 助けを求める最初の訴え
  「わたしの讃美の神よ、黙しないでください。なぜなら悪者の口と偽りの口がわたしに向かって開き、嘘の舌が語るからです」(1~2節)。敵が法廷で憎しみの言葉を投げかける。「憎しみの言葉がわたしを取り囲み、理由なく戦った」(3節)。「わたしの愛の代りに彼らは敵対し、わたしは祈るが、わたしの上に善に代わって悪を置き、わたしの愛に代わって憎しみを置いた」(3~5節)。「敵対する」(イステヌーニ・新共同訳=敵意を返す)はサタンと同根の語で、告発すること。口語訳「非難する」としている。

  6~15節 詩人(わたし)に向けられる呪い
悪しき者らの不正な願い6~7節 「逆らう者を置き」(偽りの証言者)、敵対者が有利になり悪人として裁かれ、祈っても罪となるようにと訴えている。6節「敵対者」は原語「ヴェサタン」である。
  8~15節 悪しき者らの「呪いの言葉」
  8節以降は有罪判決が下ったあとの状況を呪いの言葉で書き記す。
「彼の日々は少なく、役目は取られ、息子たちは孤児に、妻は寡婦になり、放浪して物乞いをするがよい。…彼らの廃墟から債権者が彼の持物を破壊し、見知らぬ者らが略奪する。…慈しみ(ヘセド)は絶たれ、孤児を憐れむ者はいない。…子孫は絶たれ父祖の不義が記憶され、母の罪が消されない。地上から記憶されなくなるように」(8~15節)。「父祖の不義が記憶され、母の罪が消されない」とは因果応報を指す。

  16~19節 詩人(わたし)に対する神への祈り
「彼は慈しみ(ヘセド)を覚えなかった故に、そして貧しい者を極貧に追いやり、心の落胆した者を殺した故に、そして彼は呪いを愛したから、呪いが来るように」(16~17節)。呪いの言葉(8~15節)が、呪いの祈りとなる。この謂われのない告発こそ敵対者(6節=サタン)の策略である。
「呪いを衣のように着、水のように内臓に入り、骨の中に油となるように。それが彼にとって身を覆う衣のように、常に締める帯となるように」(18~19節)。自乗自縛を示す表現。
  20節「これがわたしに敵対する者(サタン)の主からの業」。「これ」とは6~19節を指す。岩波訳「主からの判決だ」。

 21~31節 再度神の助けを求める。
「しか しあなたはわが主、神…あなたの良い(トーブ)、慈しみ(ヘセド)によってわたしを救い出してください」(21節)。26節で繰り返す。「恵み深い主に感謝せよ。その慈しみはとこしえに」の短縮。讃美で締め括る(30節)。

  「乏しい人の右に立ち」(31節) 詩人(わたし)自身を指している(16節see)。