歴代誌下10章
7節「彼らは答えた。『もしあなたがこの民に優しい態度を示し、好意を示し、優しい言葉をかけるなら、彼らはいつまでもあなたに仕えるはずです』」(新共同訳)
1節「すべてのイスラエル人が王を立てるためにシケムに集まって来るというので、レハブアムもシケムに行った」小見出し「王国の分裂」。本章の並行記事は列王記上12章1~19節である。しかし11章が省略されている。そこで問題となっている事情、分裂に至る経緯を知る必要があろう。その発端はソロモン在任中にあり、ヤロブアムはエジプトに逃亡していたのである(列王記上11章26~40節see)。ソロモンに代ってレハブアムが王に即位することになり、民がシケムに集まっていることを知ったヤロブアムも戻って来た(2節)。この時レハブアムはソロモンのように全イスラエルを掌握していなかった。この時、王は使いを送りヤロブアムを呼んでいる(3節)。
4節「あなたの父上はわたしたちに苛酷な軛を負わせました。今、あなたの父上がわたしたちに課した苛酷な労働、重い軛を軽くしてください。そうすれば、わたしたちはあなたにお仕えいたします」。王は三日後回答すると伝えた。先ずソロモンに仕えていた長老たちに相談した。彼らは民に優しい態度で好意を示し、優しい言葉をかけるなら彼らはいつまでも仕えると答えた(5~7節)。ところが王はこの勧めを捨て、自分と共に育って仕えている若者たちに相談し、長老たちは軛を軽くしろと言っていると語った(8~9節)。若者らの答えは、重い軛を負わせたのだから、更にそれを重くし、鞭で懲らしたのだから、さそりで懲らしめるというものであった(10~11節)。三日後王は、長老たちの勧めを捨て、若者らの勧めを回答したのである(12~14節)。口語訳では「荒々しく答えた」となっている。問題は彼が神に「知恵と識見」を求めなかったことだが、イスラエルの国政に熟達した長老たちの提言を退けたことにもある。ソロモン時代の過酷な労働とは20年にわたる神殿と王宮建設と、その後の諸事業(8章1~6節)を指すのか。実際の労働に服したのは、寄留者でイスラエル人ではなかった筈である(同9節see)。尤も列王記上5章27~29節の記述もある。むしろソロモンの晩年における失政であったとみるべきである(列王記上11章10~11節)。
15節「王は民の願いを聞き入れなかった。こうなったのは神の計らいによる。主は、かつてシロのアヒヤを通してネバトの子ヤロブアムに告げられた御言葉をこうして実現された」。預言者アヒヤを通して告げられた同じ並行記事は列王記上11章26節~36節にある。これはイスラエルが南北に分裂する引き金となった。ヤラブアムとイスラエルは、ダビデの町には共にする嗣業はないと言って自分の天幕に帰った。王が遣わした労役の監督ハドラムをイスラエルの民が石で打ち殺したのを知り、エルサレムに逃げ帰ったのである(16~19節)。
ここで、イエスの言葉が示される。「塩は良いものである。だが、塩に塩気がなくなれば、あなたがたは何によって塩に味を付けるのか。自分自身の内に塩を持ちなさい。そして、互いに平和に過ごしなさい」(マルコ9章50節)。
7節「彼らは答えた。『もしあなたがこの民に優しい態度を示し、好意を示し、優しい言葉をかけるなら、彼らはいつまでもあなたに仕えるはずです』」(新共同訳)
1節「すべてのイスラエル人が王を立てるためにシケムに集まって来るというので、レハブアムもシケムに行った」小見出し「王国の分裂」。本章の並行記事は列王記上12章1~19節である。しかし11章が省略されている。そこで問題となっている事情、分裂に至る経緯を知る必要があろう。その発端はソロモン在任中にあり、ヤロブアムはエジプトに逃亡していたのである(列王記上11章26~40節see)。ソロモンに代ってレハブアムが王に即位することになり、民がシケムに集まっていることを知ったヤロブアムも戻って来た(2節)。この時レハブアムはソロモンのように全イスラエルを掌握していなかった。この時、王は使いを送りヤロブアムを呼んでいる(3節)。
4節「あなたの父上はわたしたちに苛酷な軛を負わせました。今、あなたの父上がわたしたちに課した苛酷な労働、重い軛を軽くしてください。そうすれば、わたしたちはあなたにお仕えいたします」。王は三日後回答すると伝えた。先ずソロモンに仕えていた長老たちに相談した。彼らは民に優しい態度で好意を示し、優しい言葉をかけるなら彼らはいつまでも仕えると答えた(5~7節)。ところが王はこの勧めを捨て、自分と共に育って仕えている若者たちに相談し、長老たちは軛を軽くしろと言っていると語った(8~9節)。若者らの答えは、重い軛を負わせたのだから、更にそれを重くし、鞭で懲らしたのだから、さそりで懲らしめるというものであった(10~11節)。三日後王は、長老たちの勧めを捨て、若者らの勧めを回答したのである(12~14節)。口語訳では「荒々しく答えた」となっている。問題は彼が神に「知恵と識見」を求めなかったことだが、イスラエルの国政に熟達した長老たちの提言を退けたことにもある。ソロモン時代の過酷な労働とは20年にわたる神殿と王宮建設と、その後の諸事業(8章1~6節)を指すのか。実際の労働に服したのは、寄留者でイスラエル人ではなかった筈である(同9節see)。尤も列王記上5章27~29節の記述もある。むしろソロモンの晩年における失政であったとみるべきである(列王記上11章10~11節)。
15節「王は民の願いを聞き入れなかった。こうなったのは神の計らいによる。主は、かつてシロのアヒヤを通してネバトの子ヤロブアムに告げられた御言葉をこうして実現された」。預言者アヒヤを通して告げられた同じ並行記事は列王記上11章26節~36節にある。これはイスラエルが南北に分裂する引き金となった。ヤラブアムとイスラエルは、ダビデの町には共にする嗣業はないと言って自分の天幕に帰った。王が遣わした労役の監督ハドラムをイスラエルの民が石で打ち殺したのを知り、エルサレムに逃げ帰ったのである(16~19節)。
ここで、イエスの言葉が示される。「塩は良いものである。だが、塩に塩気がなくなれば、あなたがたは何によって塩に味を付けるのか。自分自身の内に塩を持ちなさい。そして、互いに平和に過ごしなさい」(マルコ9章50節)。