日毎の糧

聖書全巻を朝ごとに1章づつ通読し、学び、黙想しそこから与えられた霊想録である。

この民に優しい態度を示し好意を示し、優しい言葉をかける

2018-09-29 | Weblog
歴代誌下10章 
    
 7節「彼らは答えた。『もしあなたがこの民に優しい態度を示し、好意を示し、優しい言葉をかけるなら、彼らはいつまでもあなたに仕えるはずです』」(新共同訳)

 1節「すべてのイスラエル人が王を立てるためにシケムに集まって来るというので、レハブアムもシケムに行った」小見出し「王国の分裂」。本章の並行記事は列王記上12章1~19節である。しかし11章が省略されている。そこで問題となっている事情、分裂に至る経緯を知る必要があろう。その発端はソロモン在任中にあり、ヤロブアムはエジプトに逃亡していたのである(列王記上11章26~40節see)。ソロモンに代ってレハブアムが王に即位することになり、民がシケムに集まっていることを知ったヤロブアムも戻って来た(2節)。この時レハブアムはソロモンのように全イスラエルを掌握していなかった。この時、王は使いを送りヤロブアムを呼んでいる(3節)。
  4節「あなたの父上はわたしたちに苛酷な軛を負わせました。今、あなたの父上がわたしたちに課した苛酷な労働、重い軛を軽くしてください。そうすれば、わたしたちはあなたにお仕えいたします」。王は三日後回答すると伝えた。先ずソロモンに仕えていた長老たちに相談した。彼らは民に優しい態度で好意を示し、優しい言葉をかけるなら彼らはいつまでも仕えると答えた(5~7節)。ところが王はこの勧めを捨て、自分と共に育って仕えている若者たちに相談し、長老たちは軛を軽くしろと言っていると語った(8~9節)。若者らの答えは、重い軛を負わせたのだから、更にそれを重くし、鞭で懲らしたのだから、さそりで懲らしめるというものであった(10~11節)。三日後王は、長老たちの勧めを捨て、若者らの勧めを回答したのである(12~14節)。口語訳では「荒々しく答えた」となっている。問題は彼が神に「知恵と識見」を求めなかったことだが、イスラエルの国政に熟達した長老たちの提言を退けたことにもある。ソロモン時代の過酷な労働とは20年にわたる神殿と王宮建設と、その後の諸事業(8章1~6節)を指すのか。実際の労働に服したのは、寄留者でイスラエル人ではなかった筈である(同9節see)。尤も列王記上5章27~29節の記述もある。むしろソロモンの晩年における失政であったとみるべきである(列王記上11章10~11節)。
 15節「王は民の願いを聞き入れなかった。こうなったのは神の計らいによる。主は、かつてシロのアヒヤを通してネバトの子ヤロブアムに告げられた御言葉をこうして実現された」。預言者アヒヤを通して告げられた同じ並行記事は列王記上11章26節~36節にある。これはイスラエルが南北に分裂する引き金となった。ヤラブアムとイスラエルは、ダビデの町には共にする嗣業はないと言って自分の天幕に帰った。王が遣わした労役の監督ハドラムをイスラエルの民が石で打ち殺したのを知り、エルサレムに逃げ帰ったのである(16~19節)。
 ここで、イエスの言葉が示される。「塩は良いものである。だが、塩に塩気がなくなれば、あなたがたは何によって塩に味を付けるのか。自分自身の内に塩を持ちなさい。そして、互いに平和に過ごしなさい」(マルコ9章50節)。

あなたの神はイスラエルを愛して、とこしえに続くものとし 

2018-09-27 | Weblog
歴代誌下9章 

  8節「あなたを王位につけられたあなたの神、主のための王とすることをお望みになったあなたの神、主はたたえられますように。あなたの神はイスラエルを愛して、とこしえに続くものとし、あなたをその上に王として立て、公正と正義を行わせられるからです」(新共同訳)

  1節「シェバの女王はソロモンの名声を聞き、難問をもってソロモンを試そうと、極めて大勢の随員を伴い、香料、多くの金、宝石をらくだに積んでエルサレムに来た。ソロモンのところに来ると、彼女はあらかじめ考えておいたすべての質問を浴びせた」。小見出し「ソロモンの諸事業」。本章は、殆ど列王記上10章に並行記事として出ている。優れた知恵が与えられたのは、ソロモンが王位に就く時に主に願った応えであり(歴代誌下1章9~12節)、人々に誇示し名声を博するためではなかった。しかし実際は違っていた。シェバの女王の来訪は10章1~13節であるが、難問をもって彼を試そうとして来た。王が答えられい事は一つもなく、宮殿を目の当たりにして息も止まるような思いをした(2~4節)。
  5節「女王は王に言った。『わたしが国で、あなたの御事績とあなたのお知恵について聞いていたことは、本当のことでした』」。噂に聞いたことを遥かに超えた知恵で、それに接している家臣は幸せなことでしょう。主なる神が王として立てたのは、公正(ミシュパート)と正義(ツェデカー)を行わせられるからだと言った(6~8節)。これが正解である。知恵と見識は王の治世に必要なこととして自覚すべきである。シェバの女王の贈った金、香料、宝石はかつてなかった程のものだったが、これらを神殿と王宮の床材や楽器に使った。ソロモンも返礼に女王が願うものは望むままに土産物を与えた(9~12節)。王がソロモンに「公正と正義」とを行わせられるためとあるが、これは旧約の預言者が一貫して求めている政治理念である(イザヤ33章5節、56章6節、エレミヤ9章24節、22章3節、33章15節、エゼキエル18章5節、33章14節)。ソロモンの歳入は金六百六十六キカル、そのほかに隊商や商人の納める税金があり、アラビアのすべての王や地方総督もソロモン王に金銀を納めた(13~14節)。この並行記事は列王記上10章14~29節に出ている。「ソロモンの歳入」は口語訳=直訳「一年の間にソロモンの所にはいって来た金の目方」である。金への言及が際立っている(13回)。大盾と小盾(15~16節)、王座と踏み台、王座の両脇の二頭の獅子、六つの段の両脇に立つ十二頭の獅子(17~19節)、王の使うすべての杯これらすべてに金が使用されていた(20節)。
  22節「ソロモン王は世界中の王の中で最も大いなる富と知恵を有し」。彼の知恵を聞くために諸国の王が贈り物を携えて、拝謁を求めたとある(23~24節)。ソロモンの繁栄は、諸国に知れ渡ったが、同時にそれを支える膨大な軍事力(25~28節)が記されている。「諸国の王をすべて支配下においた」(26節)は列王記上には記されていない。馬の輸入(28節)は軍馬増強のことである。ソロモン治世の結びとして、参考資料(29節)、統治年数(30節)、死と埋葬、王位継承(31節)が記される。
 
  申命記17章15~17節には「王に対する規定」が出ているが、王は馬を増やすこと、大勢の妻を持つこと、金銀を大量に増やすことを否定している。これに注目しなければならない。


ソロモンは、一人も自分の工事のために奴隷としなかった

2018-09-26 | Weblog
 歴代誌下8章
  
 9節「しかしソロモンは、イスラエル人を一人も自分の工事のために奴隷としなかった。彼らは、戦士、精鋭部隊の長、戦車隊と騎兵隊の長であった」(新共同訳)

  1節「ソロモンは、二十年を費やして主の神殿と王宮を建て終わると」。小見出し「ソロモンの諸事業」。、本章は「ソロモンの工事はすべて、主の神殿の定礎の日から、完成の日まで無事に遂行され、主の神殿は完全なものとなった」(16節)と記述が重なっておりその期間での諸事業ということになる。並行記事は列王記上9章10~28節にある。フラムから贈られた町の再建であるが(2節)、列王記上を読むとソロモンは建築に協力したフラムに礼としてガリラヤ地方の二十の町を贈ったが、フラムは気に入らなかったので返したようになっている(9章11~13節)。新改訳は記述を受けて「フラムから返した町々」と訳している。つまり「突っ返された」という意味で、それなら辻褄があう。ソロモンはエルサレム、レバノン、彼の支配下にある全地域の町々に、城壁で囲まれた砦を築き上げ、補給基地の町、戦車隊の町、騎兵隊の町とした(3~6節)。これらの建設に従事したのは、ヘト人、アモリ人、ペリジ人、ヒビ人、エブス人の生き残りの民であった(7~8節)。
 9節「しかしソロモンは、イスラエル人を一人も自分の工事のために奴隷としなかった。彼らは、戦士、精鋭部隊の長、戦車隊と騎兵隊の長であった」。同じ並行記事が列王記上9章20~23節にある。イスラエル人は労役には服さないで、国の防備の働きに任じたのである(10節)。その監督の数は列王記と違っている。神殿と王宮の建設期間の20年も同じ体制であったことが2章16~17節から伺われる。しかしこれはいずれ10章での学びになるが、南北分裂の原因になった過酷な労働を強いられたイスラエルの民という記述とはつながらない。
  11節「ソロモンはファラオの娘をダビデの町から、彼女のために建てた宮殿に移した。『わたしの妻はイスラエルの王ダビデの宮殿に住んではならない。そこは主の箱を迎え入れた聖なる所だ』と考えたからである」。これは列王記上3章1~2節、7章8節のことを指している。列王記上9章の並行記事では、ファラオがカナンの町を攻略し、ソロモンに王の娘の贈物としたとなっている(16節)。政略結婚であったが、しかしこの時のソロモンはまだ問題のあることを知らなかった(列王記上11章1~3節)。
 12節「そのころソロモンは、前廊の前に築いた主の祭壇の上で、焼き尽くす献げ物(燔祭)を主にささげた」。彼はモーセが命じたように、安息日、新月祭、年に三度の祝祭日、除酵祭、七週祭、仮庵祭に関して献げ物をささげたのである(13節)。これは歴代誌上23~27章に神の人ダビデが命じていたことをソロモンが行ったのである。
 
 「宝物庫」についても同じでる(14~15節)。神の人は、何処までも神の言に忠実でなければならない。その姿勢は明確に示されている。「僕は聞きます。お話し下さい」(サムエル記上3章10節口語訳)



わたしは絶えずこれに目を向け、心を寄せる。

2018-09-25 | Weblog
 歴代誌下7章   

  10節「今後、わたしはこの神殿を選んで聖別し、そこにわたしの名をいつまでもとどめる。わたしは絶えずこれに目を向け、心を寄せる。」 (新共同訳)

  1節「ソロモンが祈り終えると、天から火が降って焼き尽くす献げ物といけにえをひとなめにし、主の栄光が神殿に満ちた」。ここは神殿奉献が完了し(5章)、ソロモンの宣言と神への祈り(6章)が捧げられた後の要約である。神殿に神の栄光が満ちたので祭司たちは神殿に入ることが出来なかった(2~3節)。15章13~14節と同じ。王はすべての民と共に、牛二万二千頭、羊十二万匹を神殿に奉献した(4~5節)。レビ人と祭司が立って楽器を奏し、賛美をささげる時、イスラエルの民も立ち、ソロモンは神殿の庭の中央にある祭壇に、燔祭と酬恩祭(口語訳)の脂肪を献げた。その数はあまりに多くて数えることが出来ない程であった(6~7節=5章6節see)。
 8節「そのときソロモンは、すべてのイスラエル人、レボ・ハマトからエジプトの川に至るまでの極めて大きな会衆と共に、七日間にわたって祭りを執り行った」。祭壇の奉献のため七日間祭りを行い、更に七日間続き、八日目は「聖なる集まり」 (口語訳「聖会」)を開いた。第七の月の七日から始めて二三日に民は自分の天幕に帰ることができたのである(9~10)。この並行記事は列王記上8章65~66節にある。
 11節「ソロモンは主の神殿と王宮を完成し、この神殿と王宮について、行おうと考えていたすべての事を成し遂げた」。小見出し「主の顕現」。主の神殿と王宮の完成に二十年を費やしたので、神殿建設から十三年経過したことになる(列王記上7章1節、9章10節see)。ここではソロモンの祈りに対する主の応答として、神の臨在が示される。並行記事は列王記上9章1~9節である。
  12節「その夜、主はソロモンに現れ、こう仰せになった。『わたしはあなたの祈りを聞き届け、この所を選び、いけにえのささげられるわたしの神殿とした。…』」。13~14節は、列王記上9章には無い。この内容はソロモンが6章で祈った22~39節の応答として読むことが出来る。要約すると次のようになる。
 ①大地に雨が降らず疫病が起きる時、民が跪いて祈り悪の道を離れるなら、大地を癒し祈りに応える(13~15節)。②今後神殿を聖別し掟と定めを守るなら、王座をいつまでも存続させる(15~18節)。③掟と定めを捨て、他の神々にひれ伏すなら、与えた土地から抜き取り、神殿を投げ捨て、諸国民の中で物笑いと嘲りの的となる(19~20節)。
21節「かつては壮大だったこの神殿に、そのそばを通る人は皆、驚き、『この地とこの神殿に、主はどうしてこのような仕打ちをされたのか』と問うであろう。」そのとき人々は、『それは彼らが自分たちの先祖をエジプトの地から導き出したその先祖の神、主を捨て、他の神々に付き従い、これにひれ伏し、仕えたからだ。それゆえ、主は彼らの上にこのすべての災いをもたらされたのだ』と答えるであろう。 
ソロモンはどこまでもダビデが歩んだように歩むことが求められる(17節)。列王記上9章4節では「無垢な心で正しくわたしの前を歩み」(口語訳「全き心をもって、正しく歩む」)となっている。そうでないなら、神殿は廃墟となり、物笑いと嘲りの的になると警告される。これはイスラエル存亡に関わることで、ソロモンは主にその心が試されている(22節)。

祈りに目を向け、耳を傾けてください

2018-09-24 | Weblog
 歴代誌下6章  
   
 40節「わが神よ、この所でささげる祈りに目を向け、耳を傾けてください」(新共同訳)

  1節「ソロモンはそのときこう言った。『主は、密雲の中にとどまる、と仰せになった~』」。神殿奉献の儀式は最高潮に達し、神殿は臨在の雲で覆われた。ソロモンは主がいつまでも臨在される荘厳な神殿を告げる。①神殿建設がエジプト脱出の時からの約束であった(5節)。②主はダビデを選んでエルサレムに神殿を建てる計画をされた(6~8節)。③今それをわたしが父に代わって行い、実現した(9~11節)。
 12節「彼は、イスラエルの全会衆の前で、主の祭壇の前に立ち、両手を伸ばした」。続いてソロモンは予め準備していた青銅の台座(高さ約2m)の上に跪いて両手を天に伸ばして祈った(13節)。14~42節が神殿奉献の祈りである。並行記事は列王記上8章22~50節である。
 14節「イスラエルの神、主よ、天にも地にもあなたに並ぶ神はありません。心を尽くして御前を歩むあなたの僕たちに対して契約を守り、慈しみ(ヘセド)を注がれる神よ」。新改訳では「…契約と愛とを守られる方」とある。「イスラエルの神、主よ、」と三回繰り返し呼びかけた(16、17節)。祈りを箇条書きすると
 ①ダビデに示された約束通り、律法を守り王朝が継続するように(15~17節)
 ②神殿は神の住いでなく、天も、天の天も納めることは出来ない。祈りを捧げる所で、ここに御目を留めて下さい(18~20節)。
 ③捧げる祈りに耳を傾け、罪を裁き、善き行いに報いてください(21~23節)。
 ④罪を犯し敵に打ち負かされた時には、立ち帰り憐みを乞うので、罪を赦し先祖の土地に帰らせてください(24~25節)
 ⑤旱魃の時(26~27節)、飢饉や疫病、農作物の病虫害、様々な災難、敵の襲来、難病などの災禍の時(28~29節)、手を伸ばして祈り罪を赦してください(30節)。
 ⑥異国人の祈り(32~33節)。
 ⑦戦地に赴くとき(34~35節)、
 36節「もし彼らがあなたに向かって罪を犯し、―罪を犯さない者は一人もいません―あなたが怒って彼らを敵の手に渡し、遠くあるいは近くの地に捕虜として引いて行かれたときに、ソロモンの祈りは、神殿の方に向いて祈り、罪を犯したことを言い表わし(37節)、心を尽くして立ち帰る時に赦してください(38~39節)。
 ソロモンの祈りで示されるのは、やがて起り来る敵に捕虜となる事態(36~37節=これはバビロン捕囚を示唆)にも捧げる祈りの内容が明確にされていることである。今ひとつはイスラエルの神、主に対して「異国人」も祈りを捧げるということである(32~33節)。
40節「わが神よ、この所でささげる祈りに目を向け、耳を傾けてください」。41~42節は、並行記事の列王記上8章51~53節が省略され、詩132篇8~10節が引用されている。
  ここから「わたしの家は、すべての民の祈りの家と呼ばれる」という預言者の言葉が示される(イザヤ56章7節)。これはマタイ福音書21章13節に引用されている。かつてホーリネス教会時代、中田重治監督は「教会」の名称を改めて「祈りの家」と呼んだ。“教会観”批判になったがホーリネス信仰の真骨頂が伺える。


箱の中には石の板二枚のほか何もなかった

2018-09-22 | Weblog
 歴代誌下5章 
 
  10節「箱の中には石の板二枚のほか何もなかった。この石の板は、主がエジプトから出たイスラエル人と契約を結ばれたとき、ホレブでモーセが納めたものである」(新共同訳)

  1節「ソロモン王は、主の神殿のために行われてきた仕事がすべて完了すると、父ダビデが聖別した物、銀、金、その他あらゆる祭具を運び入れ、神殿の宝物庫に納めた」。神殿建設に伴い、必要な宝物庫、貯蔵室、貯蔵庫などの建築はダビデから設計図が渡されていたので(28章11~12節)、様々の祭具を収納し、その工事も終了したことを記す。並行記事は列王記上7章51節にある。建築期間は7年間を要している(列王記上6章38節)。
  2節「ソロモンは、そこでイスラエルの長老、すべての部族長、イスラエル人諸家系の首長をエルサレムに召集した。『ダビデの町』シオンから主の契約の箱を担ぎ上るためであった」。小見出し「契約の箱の安置とソロモンの祈り」。この並行記事は列王記上8章1~11節にある。歴代誌上15~16章の記事では、神の箱はギブオンの高台に置かれている。第七の月の十五日から二二日の八日間行われる「仮庵祭」(レビ記23章で通常1週間)を契約の箱の前で執り行うため全イスラエルの民が王のもとに集まった(3節)。そこに召集されていたイスラエルの長老、すべての部族長、イスラエル人諸家系の首長が到着すると、レビ人は契約の箱と、幕屋及び祭具をすべて担ぎ、祭司も共に担ぎ上った(4~5節)。王は民とともに契約の箱の前で羊牛を犠牲として献げたが、その数は余りに多くて数えることができない程だった(6節)。
  7節「祭司たちは主の契約の箱を定められた場所、至聖所といわれる神殿の内陣に運び入れ、ケルビムの翼の下に安置した」。契約の箱の安置場所を「定められた場所」「至聖所」「神殿の内陣」「ケルビムの翼の下」と厳密に記している。箱の中はホレブ山でモーセが授かった律法を記した石の板二枚である。入っていた筈の「マナ」や「アロンの杖」は何故か省略される(出エジプト16:33、民数記17:25)。「石の板二枚しかなかった」と否定的な表現となっているのは神との契約を重視し、魔術的力や偶像を箱と結びつける異教的思想を斥けたものである(9~10節)。
11節「祭司たちが聖所から出ると―そこにいたすべての祭司たちは、組分けによる務めにかかわらず聖別されていた―」。並行記事の列王記上8章では11~13節は省略されている。レビ人の詠唱者全員は、麻布の衣をまとい、シンバル、竪琴、琴を持ち、ラッパ奏者の祭司百二十人たちと共に祭壇の東側に立ち、声を合わせて主を賛美し、ほめたたえた(12節)。それは歴代誌上15~16章で神の箱を運んだ時に賛美した詠唱者らである。ラッパ奏者が120人であったというのは、歴代誌上16章6、42節などから想像がつく。
 13節「ラッパ奏者と詠唱者は声を合わせて主を賛美し、ほめたたえた。そして、ラッパ、シンバルなどの楽器と共に声を張り上げ、『主は恵み深く、その慈しみはとこしえに』と主を賛美すると、雲が神殿、主の神殿に満ちた」。ラッパ奏者と詠唱者とは「声を合わせて」(新改訳「まるでひとりででもあるかのように一致して」)主を賛美し、ほめたたえたのである。主の栄光が雲のように神殿に満ち、祭司らは奉仕を続けることが出来ず、ただひれ伏すのみであった。
同じような光景は、ヨハネ黙示録11章15~17節に伺える。


ソロモンは青銅製の祭壇を造った

2018-09-20 | Weblog
 歴代誌下4章 
   
  1節「ソロモンは青銅製の祭壇を造ったが、その長さは二十アンマ、幅は二十アンマ、高さは十アンマであった」(新共同訳)

  1節「ソロモンは青銅製の祭壇を造ったが、その長さは二十アンマ、幅は二十アンマ、高さは十アンマであった」。三章に続いて神殿建設にともなう祭具が造られた。出エジプト27章1~2節(5×5×3アンマ)のモーセの祭壇の四倍になる。鋳物の「海」(水槽)は列王記上7章23~26節に並行記事があるが、ここでは二つの相違点がある。水槽の周囲に百頭の鋳造された牛が二列に並べられ(2~3節)、水槽は東西南北三頭づつ並んだ鋳造の牛の上に据えられていて、容量は三千バトである(4~5節)。列王記では牛ではなく「瓢箪」であり、容量は二千バトとなっている。何故変化しているか判らないが、ヘブライ語の牛(ベカーリーム)は瓢箪模様(ベカーイーム)と殆ど変わらないので、どちらとも取れる。容量は1バトが約23リットルだから、容積は不確定になるだろう。これは祭司が身を清める水である(出エジプト30章18~21節see)。
 6節「彼は清めのために洗盤を十作り、右と左に五つずつ置いた。その中でいけにえの用具が洗い清められ、「海」は祭司が身を清めるために用いられた」。いけにえの用具を洗うもの。金の燭台を十個作り外陣(神殿の外側)の左右に五個ずつ並べる(7節)。聖卓を10個造り外陣の左右に五個ずつ並べる(8節)。また金の水盤100個を作ったとあるが、列王記上7章59「純金の皿」のことである。「祭司の庭と大庭を作った」とあるが(9節)、これは列王記上7章9~12節に出てくる「内庭と大庭(外庭)」のことを指しているようだ。
  11節「フラムは壺、十能、水盤を作って、ソロモン王のために神殿でしようとした仕事を終えた」。アラムがソロモン王のために働いた仕事の内容が要約されている。これまで彼が作ったものは、二本の柱、柱の頂にある柱頭の玉二つ、玉を覆う格子模様の浮き彫り二つ(12節)、それに付けるざくろの実四百(13節)、台車を作り、それに乗せる洗盤、「海」一つ、それを支える十二の牛の像、壺、十能、肉刺しを作った(14~16節)。
  17節「王は、ヨルダンの低地、スコトとツェレダの間の粘土の豊かな所でこれらを鋳造した」。これらすべての祭具を作ったが、青銅の重さはあまりに多くて量ることができない程だったとある(18節)。神殿に置かれたあらゆる祭具が、純金であったこと列挙している。金の祭壇(19節)は香を焚く祭壇であり(歴代誌上28章18節)、1節の青銅の祭壇とは別である。列王記上6~7章の並行記事に祭壇を造った記事はないが、1節にソロモンがモーセに示された四倍もの大きさの祭壇を造った。ところが7章5~7節を読むと、牛二万二千頭と羊十二万匹という膨大な数を犠牲として献げたので、狭くて神殿の庭の中央部で、「燔祭と酬恩祭のあぶらをささげた」(口語訳)とある。
  キリスト者は、まことの祭壇が何であるかを問わねばならない。ローマ12章1節「こういうわけで、兄弟たち、神の憐れみによってあなたがたに勧めます。自分の体を神に喜ばれる聖なる生けるいけにえとして献げなさい。これこそ、あなたがたのなすべき礼拝です」


ソロモンはエルサレムのモリヤ山で、主の神殿の建築を始めた

2018-09-19 | Weblog
 歴代誌下3章 

 1節「ソロモンはエルサレムのモリヤ山で、主の神殿の建築を始めた。そこは、主が父ダビデに御自身を現され、ダビデがあらかじめ準備しておいた所で、かつてエブス人オルナンの麦打ち場があった」。新共同訳

1節「ソロモンはエルサレムのモリヤ山で、主の神殿の建築を始めた。そこは、主が父ダビデに御自身を現され、ダビデがあらかじめ準備しておいた所で、かつてエブス人オルナンの麦打ち場があった。」神殿工事の着工で、その場所を説明する。「モリヤの山」は創世記22章2節にアブラハムがイサクを連れて行き祭壇を築いてイサクを献げようとした処で、アブラハムはそこを「主の山」(14節)と呼んだ。ダビデがあらかじめ神殿を建てる場所として準備した「エブス人オルナンの麦打ち場」とは、歴代誌上21章15~26節、22章1節で明らかにされている。この場所が信仰の父アブラハムとイスラエル建国の王ダビデに由緒あるところになる。工事着工は治世第四年二月二日だが、並行記事の列王記上6章1節に「エジプトの地を出てから480年目、ソロモンがイスラエルの王になってから4年目」と説明が加えられている。出エジプトまで遡ることは、モーセが神殿の設計図を示された時から起算することになる。神殿の基礎について、その規模を述べる。奥行6アンマ間口20アンマ(3節)、前廊10アンマ高さ120アンマ(4節)、神殿の造作(5~7節)、至聖所奥行きと間口20アンマ(8節)、使用される金の釘50シュケル(9節)である。この並行記事の列王記上6章にあり、詳細な記述になっている比較してよむと、違いや、記述されていない処もある。たとえば前廊の高さ120アンマは列王記にはない。神殿の脇間は本章には記述されていない。神殿の建設に金製の釘が使われるが(9節)、柔らすぎるので、鉄で覆う必要があったことも読み取れる(歴代誌上22章3節see)。
 10節「彼は、至聖所の中に二体のケルビムを鋳物で造り、それを金で覆った」。
その二体のケルビムの翼は長さが合わせて20アンマで、一方のケルビムの翼の一つは5アンマで神殿の壁に触れ、もう一つの翼も5アンマで、もう一方のケルビムの翼に触れていた (11~12節)。二体のケルビムで列王記上6章23~28節が並行記事だが、この設計図は、歴代誌上28章18節ではダビデの手にあった。
14節「彼は、青の織物、深紅の織物、緋の織物、麻の織物で垂れ幕を作ったが、それにもケルビムの縫い取りを施した」。彼は神殿の前に二本の柱を作った。高さは35アンマ、頂の柱頭は5アンマであった。また内陣に網目模様の浮き彫りを造り、それを柱頭につけ百個のざくろを造り網目模様の浮き彫りにつけた(15~16節)。
17節「その柱を聖所の正面の右と左に一本ずつ立て、右の柱をヤキン、左の柱をボアズと名付けた。」。二本の柱で並行記事は列王記上7章15~22節である。ヤキンとボアズは固有名詞だが、詳細については諸説がある。
  本章で示されるのは、キリスト者自身が「神の神殿」であり(第一コリント3章16~17節)、神から頂いた聖霊が宿ってくださる神殿、もはや自分のものではないのだから、神の栄光を現わす者とされたのである(第一コリント6章19~20節)。

今わたしは聡明で熟練した者を送ります

2018-09-18 | Weblog
歴代誌下2章 
    
 12節「今わたしは、聡明で熟練した者、職人の頭フラムを送ります」(新共同訳)

 1節「ソロモンは荷役の労働者七万人、山中で石を切り出す労働者八万人、その監督三千六百人を動員した」。1章終わりの「小見出し」にある通り、神殿と王宮を建設するに際し、その工事に携わる労働者と監督の人数を挙げた。それは16~17節に再度記しているが、イスラエルの地にいる寄留者であった。寄留者とは、イスラエルの土地に生き残った子孫である(列王記上9章20~21節)。この建築工事にイスラエルの民が従事しなかった理由は、軍備のためで、彼らは戦士、精鋭部隊、戦車隊、騎兵隊を構成していたからである(8章9~10節、列王記上9章23節see)。但しソロモンが直接送った別の監督がいたことが伺える。神殿と宮殿の建築に20年の期間を要したことから、必要だったのだろう。築後も軍隊組織は保持されねばならなかった(歴代誌下27章)。
  2節「彼はまたティルスの王フラムに使節を遣わして、こう言わせた。『あなたは、父ダビデに協力を惜しまず、父の住まいとなる王宮の建築のためにレバノン杉を送ってくださいました~」。ソロダビデ治世の時、王宮建築に際してレバノン杉を送っていただいたことを告げ、今神々にまさる神の神殿を建てようとしているので、金、銀、青銅、鉄、深紅の織物、緋の織物、青の織物を扱う熟練した者で、種々の彫刻にたけた者を一人こちらに送ってくださいと使節を送って頼んだ(3~6節)。またレバノン杉、糸杉、百檀の木材を送って頂きたい、その伐採に際して熟練した家臣にイスラエルからも共に働く家臣と、作業に必要な糧食も届けるというものであった(7~9節)。
  10節「ティルスの王フラムは、ソロモンに次のような返書を送ってきた。『主は御自分の民を愛して、あなたをその王とされた~』」。フラムの返書は「天と地をお造りになったイスラエルの神なる主は称えられますように」と述べて、「主が賢明で聡明な洞察力のある子をダビデに与え、その子が主のために神殿を建てる」のであるから、わたしも聡明で熟練した者、職人の頭フラムを送ると伝えた。彼はダンの娘を母とし、どんな計画でも立てる能力を持っているといった(11~14節)。伐採したは木材はいかだを組んで海路でヤッファまで届け、エルサレムまで運ぶのはそちらで願いたいと記した(15節)。「職人の頭フラム」は王と同名で、口語訳「達人フラム」。70人訳では「フラム・アブ(頭)」と固有名詞になっている。「わたしの家臣をあなたの家臣と共に働かせ~」(7節)という要請に触れないで、拒否したことになっているが、列王記上5章15節以下の並行記事(27~32節)からすると、記述が省略されたことになる。ティルスから送られた人物は唯一人、ダン族の出身フラムで「金、銀、青銅、鉄、石材、木材、深紅の織物、青の織物、麻の織物、緋の織物を扱い、どんな彫刻も作り、ゆだねられればどんな計画でも立てる能力があり、そちらの熟練した者、かつてのわたしの盟主、あなたの父ダビデの熟練した者に力添えをすることができる」と告げ、神殿建設をイスラエル国外からの人的援助を受けないという主張である。ソロモンはどこまでも「神々にまさる大いなる方」(6、8節)の偉容を証しようとしたからである。
 詩95篇4~5節が示される。
 「大いなる主、大いに賛美される主、神々を超えて、最も畏るべき方。諸国の民の神々はすべてむなしい。」


今わたしに知恵と知識とを与えてください

2018-09-17 | Weblog
歴代誌下1章 
   
  10節「この民の前に出入りすることのできるように今わたしに知恵と知識とを与えてください。だれがこのような大いなるあなたの民をさばくことができましょうか」(口語訳)

  1節「ダビデの子ソロモンは自分の支配を固めた。彼の神、主が共にいて、彼を高め偉大な者とされた」。小見出し「ソロモンの知恵と富」。王ダビデの後継者としてソロモンが即位し、新しい治世が始まったことは歴代誌上29章で記されていたが、本章からソロモンによる王国が建設される。並行記事として列王記上に出てくる。「自分の支配を固めた」口語訳「自分の地位を確立した」。これは列王記上1~2章の王位継承に伴うアドニヤ、ヨアブ、アマサに対する粛清の出来事が前提になっている。本書ではその事は出て来ない。彼は王位即位に際し、主の祭壇に全イスラエルの為に全き燔祭を献げたが(歴代誌上29章21節)、改めて千人隊長、百人隊長、裁判官、イスラエルの指導者、家系の長らに呼び掛け、ギブオンにあるダビデが造った青銅の祭壇に千頭の雄牛を献げて主に尋ねた(2~6節)。
  7節「その夜、神はソロモンに現れて言われた。『何事でも願うがよい、あなたに与えよう』」。彼はここで、父ダビデに代わる王として立てられ、神の約束を今実現したことを知ることとなる(8~9節)。列王記上3章5~15節にこの並行記事がある。彼は、神に「知恵と識見」(口語訳「知恵と知識」)を授け、この民をよく導くことができるように求めた(10節)。これに応えて富も、財宝も、名誉も、宿敵の命も求めず、また長寿も求めず、王として立てた民を裁くために、「知恵と識見」を願ったので、それを授け、それに添えて富と財宝、名誉も与えると告げられている(11~12節)。ここで「知恵と識見」を三回繰り返して記し、重要さが強調されている。列王記上3章9節では「聞き分ける心」となっている。「知恵」(ホクマー)は、箴言1章2節に「諭し=教訓」(マーシャル)「分別」(ベーン)と並記される。ホクマーの語源は「舵を取る」から出ているといわれる。これは、利害得失に陥らない賢明な判断力ということか。指導者として最低の事柄だ。現代でも通用する。
  15節「王はエルサレムで銀と金を石のように、レバノン杉をシェフェラのいちじく桑のように大量に供給した」。この豊かな財宝は権勢を誇ることになるが、しかし神に求めた純なる動機が失わる時に、大きな誘惑の罠にはまってしまうことになる。富と財宝に心を傾注し過ぎた結果が、16~17節にある豊富な軍備力で国の安定をはかることとなった。この並行記事は列王記上10章26~29節にある。本章に書かれていない事柄が、今一つある。それは、エジプトの王ファラオと縁を結び、ファラオの娘をめとってダビデの町に連れてきたことである(列王記上3章1節)。
 18節「ソロモンは主の御名のために神殿を、自分のために王宮を建造するように命じた。」小見出し「神殿の建設」。ここで示されるのは、箴言16章32節「自分の心を治める者は城を攻め取る者にまさる」(口語訳)である。ソロモン王の建国は砂上の楼閣になる危険をもっていた。箴言のキーワードは1章7節である「主を畏れ
ることは知恵の初め」である。

わたしたちの神よ、輝かしい御名を賛美します

2018-09-16 | Weblog
 歴代誌上29章 

  13節「わたしたちの神よ、今こそわたしたちはあなたに感謝し、輝かしい御名を賛美します」(新共同訳)

 1節「ダビデ王は全会衆を前にして言った。「わが子ソロモンを神はただ一人お選びになったが、まだ若くて力弱く、この工事は大きい。この宮は人のためではなく神なる主のためのものだからである」。小見出し「神殿建築のための寄贈」。神殿建設の準備は最終段階を迎え、ダビデの最後の宣言と祈りがなされる。先ず全会衆の前で、ソロモンはまだ若くて力弱く、この工事は大きいと告げ、わたしは神殿のために力を尽くして準備してきたと語る。それは神殿に対する「あつい思い」(口語訳=熱心、新改訳=喜ぶあまり)からで、個人の財産であるこれらの金銀をすべて寄贈すると告げた(2~3節)。これらの準備した物品、財宝は22章2~4、14~16節に出ている。
  5節「金は金製品のため、銀は銀製品のためであり、職人の手によるすべての作業に用いられる。今日、自ら進んで手を満たし、主に差し出す者はいないか」。この問い掛けに応じて、家系の長、各部族の長、千人隊長、百人隊長、王の執務の高官たちが自ら進んで財宝を寄付した。民は彼らの自ら進んで主にささげたこと喜び、ダビデも大いに喜んだのである(6~9節)。
 10節「 ダビデは全会衆の前で主をたたえて言った。「わたしたちの父祖イスラエルの神、主よ、あなたは世々とこしえにほめたたえられますように」小見出し「ダビデの祈り」。10~13節、11~16節、17~19節と、内容を大きく三つに区分する。
 11節「偉大さ、力、光輝、威光、栄光は、主よ、あなたのもの、天と地にあるすべてのもの国あなたのものです。あなたに感謝し、輝かしい御名を賛美します」。16章23~34節で賛美されていた。輝かしい聖名を賛美するとある(13節)。
 14節「このような寄進ができるとしても、わたしなど果たして何者でしょう、わたしの民など何者でしょう。わたしたちは御手から受け取って、差し出したにすぎません…」。わたしたちは寄留民、移住者にすぎません。準備した大量の財宝はすべてあなたのものだと祈る(15~16節)。
17節「わたしはあなたが人の心を調べ、正しいものを喜ばれることを知っています。わたしは正しい心をもってこのすべてのものを寄進いたしました…」。これも28章9節に示されている。
 20節「…会衆は…主をほめたたえ、主の御前と王の前にひざまずいて拝した」。口語訳「伏して主を拝し、王に敬礼した。」のほうがよい。新改訳「ひざまずいて主と王とを礼拝した」は皇帝礼拝に陥ることになる。その翌日、燔祭として雄牛千、雄羊千、小羊千を灌祭と共に主にささげ、おびただしい犠牲をささげた(口語訳)。
  23節「ソロモンは主の王座につき、父ダビデに代わって王となった。彼は栄え、全イスラエルが彼に従った」。すべての将軍と勇士、すべての王子がソロモンに服従を誓って手を差し出した(24節)。
   ダビデは「高齢に達し、年も富も誉も満ち足りて死んだ」(口語訳)。理想的な死を表わしている。ここではダビデが神殿建築を目前に、10~17節から彼の謙虚な祈りに注目する。


主はすべての心を探り、すべての考えの奥底まで見抜かれる

2018-09-14 | Weblog
  歴代誌上28章 

  9節「わが子ソロモンよ、この父の神を認め、全き心と喜びの魂をもってその神に仕えよ。主はすべての心を探り、すべての考えの奥底まで見抜かれるからである。もし主を求めるなら…。もし主を捨てるならば…」(新共同訳)

  1節「ダビデはイスラエルの長たる者をすべてエルサレムに召集した。部族の長、王に仕える各組の将軍たち、千人隊の長、百人隊の長、王と王子たちの全財産と家畜を預かる長官と宦官、勇者、それにすべての勇士も共に召集した」。ダビデは立ちあがって、最後に神殿造営に召集された人々に対し宣言する(2節)。既にレビと祭司らは準備を整えて待っている(21節see)。それは自分ではない理由を語る(3節)。神殿造営を神が委託するのはソロモンであるという(4~6節)。このこともダビデが既に彼に告げている(22章7~10節)。
  7節「…もし彼が、今日のように、わたしの戒めと法をしっかりと行うなら、わたしは彼の王国をとこしえに堅く据えよう』と」。そしてイスラエルの民も、この場所で主のすべての戒めに留意し、それを求めよ。後に続く子孫に永久に受け継がせよと、神は告げられた(8節)。更に神はソロモンに繰り返し、「全き心と喜びの魂をもってその神に仕えよ。」と語り、すべての考えの奥底まで見抜かれる主を求めるならご自身を現わして下さるが、もし主を捨てるならば、主はあなたをとこしえに拒み続けられると警告した。そして「今、よく考えよ」と決断を促す(9~10節)。
  11節「ダビデはその息子ソロモンに、前廊、さまざまな建物、貯蔵室、階上の間、奥の部屋、贖罪所の設計図を手渡した」。新改訳「仕様書」をソロモンに手渡す。その原型は神からモーセによって示されていたもの(出エジプト25章)。設計図に示されていた内容が12以下に記される。特に「貯蔵室」(新改訳「宝物室」)が「神殿の宝物庫、性別された物の貯蔵庫」となっている(12節)。これらはレビ人と祭司が神殿で取り扱う祭具で、金の祭具の重量と銀の祭具の重量が示されている(13~14節)。続く祭具で、金の燭台とその火皿、銀の燭台とその火皿、供え物を乗せる金と銀の聖卓、純金の肉刺し、鉢、壺、杯、銀の杯、香を焚く金の祭壇すべての重量が示されていた(15~18節a)。翼を広げて主の契約の箱を覆う金のケルビムの車の設計図も示されていた(18節b)。
  19節「これらすべては、主の御手がわたしに臨んで記されたもので、計画された工事の全貌を理解させてくれる」。わが子ソロモンに手渡されたこの設計図(仕様書)は、実際は歴代誌下3~4章、列王記上6~7章から、その全貌を知ることが出来る。ここでソロモンに向かって「勇気を持って、雄々しく実行せよ。恐れてはならない。おじけてはならない」と告げ、主はともにいて職務を果たさせて下さると約束された(20節)。祭司とレビ人は、この召集に呼ばれていないが、すべてソロモンの命令に従おうとしているというのである(21節)。
  ダビデがソロモンに告げた言葉「主はすべての考えの奥底まで見抜かれる」(9~10節)が心に響く。その動機と決断を指す。私利私欲は厳しく退けられ、ただ神の聖なる名が崇められることである。ソロモンは、これを試されることになる(歴代誌下8~9章see)。
  ここで神の言葉の鋭さが示される「神の言葉は生きており、力を発揮し、どんな両刃の剣よりも鋭く、精神と霊、関節と骨髄とを切り離すほどに刺し通して、心の思いや考えを見分けることができるからです」(ヘブライ4章16節)

空の星のように数多くすると約束された

2018-09-13 | Weblog
 歴代誌上27章 

  23節「ダビデは二十歳以下の者を人口に加えなかったが、それは主がイスラエルを空の星のように数多くすると約束されたからである」(新共同訳)

 1節「イスラエルの子らの数は次のとおりである。家系の長、千人隊と百人隊の長、役人たちは、王に仕えて、一年中どの月も、月ごとに交替する各組のあらゆる事柄に当たった。一組に二万四千人いた」。小見出しに「軍隊の組織」とあるが、1月から12月各月に交替して二万四千人の軍隊がダビデ王朝を防備した。その12組の将軍名簿が出ている。①第一の月を担当するのはザブディエルの子ヤショブアムで、その組に二万四千人いた。彼はペレツの子らひとり(2~3節)。②第二の月を担当するのはアホアの人ドダイで指導者ミクロトも共にいた。組の数は同じ二万四千人(4~5節)。③第三の月を担当するのは祭司長ヨヤダの子ベナヤ。その組に二万四千人いたが、彼は三十人隊の勇士であり、その三十人隊と自分の組を率いた(6節)。アミザバはその息子。ベナヤについては11章22~24節に勇士としての活躍振りが出ている。④第四の月を担当するのはヨアブの兄弟アサエルとその後継ぎのゼバドヤで二万四千人(7~8節)。アサエルについてもサムエル下2章18~23節にり、彼は早まって戦死した。それを踏まえて「その跡を継いだ子ゼバドヤ」となっている。⑤第五の月はイズラ人将軍シャムフトで組の数は二万四千人(8節)。⑥第六の月はテコア人イケシュの子イラで二万四千人(9節)。⑦第七の月はエフライムの子らの一人ペロニ人ヘレツで二万四千人(10節)。⑧第八の月はゼラの一族のフシャ人シベカイで二万四千人(11節)。⑨第九の月はベニヤミンの一族のアナトト人アビエゼルで二万四千人(12節)。⑩第十の月はゼラの一族のネトファ人マフライ。その組に二万四千人(13節)。⑪第十一の月はエフライムの子らの一人ピルアトン人ベナヤで二万四千人(14節)。⑫最後は第十二の月で将軍はオトニエルの者ネトファ人ヘルダイ。その組に二万四千人いた(15節)。
  16~22節 イスラエルの各部族を率いた者の名簿であるがアシェル、ガド族が出ていない。
  23~24節 並行記事が21章1~6節になるが、読み比べると違った書き方になっている。ダビデは人口調査をヨアブに命じて実施し重い罪を犯したことを告白し、厳しい神の裁定を受けている。しかしここでは、ヨアブがレビ人とベニヤミンを数えなかったことが問われている(21章6節see)。彼が王の厳しい命令に従わなかったことが責められるのだろうか。
  25~31節 王室財産の管理の責任者12名のリスト。財産の内訳は畑、町、村、塔にある貯蔵庫、農耕作業の従事者、ぶどう、オリーブ、無花果桑の畑、ぶどう酒とオリーブ油の貯蔵、牛やロバの飼育などである。
  32~34節 王の側近で、顧問、書記官、養育係、友人のリスト。アヒトフェルは当時ダビデの顧問であった(サムエル記下15章12節see)。アブサロム反逆に組みした人物で、ダビデ殺害の提案が受け入れらなかった為に自殺した(同17章23節)。これに対してフシャイは「王の友」であったが(16章16節see)、一度はアブサロムの側についてアヒトフェルと異なる提案をし、その結果ダビデの命を救うことになった。
ここで良き友、よき弁護者となられたイエスを思う(ヨハネ15章15、26節)。



奉仕にふさわしい力を持つ勇者たちであった

2018-09-12 | Weblog
 歴代誌上26章 

  8節「彼らは皆オベド・エドムの子らで、彼らとその息子たち、兄弟たちと共に奉仕にふさわしい力を持つ勇者たちであった。オベド・エドムに属する者は六十二人であった」(新共同訳)

  1節「門衛の組分けについて。コラの一族ではアサフの子らの一人、コレの子メシェレムヤ」。小見出し「門衛」。23章5節で四千人がレビ人の中から数えられている。門の組分けはコラ一族とメラリ一族の二つに大きく分けられた。前者は2~9節、後者は10~11節である(6章1、7節see)。コラはレビのケハトの家系に属する。メシャレムヤに7人の息子がいた(2~3節)。オベド・エドムに8人の息子がいて、神の祝福を受け(4~5節)、長男シェマヤの息子たちと兄弟18人は有能でその家系の者らの主導権を握っていたとある(6、9節)。またその他オベド・エドムに属する者が62人で奉仕に相応しい力を持つ勇者だった(7~8節)。13章14節にあるが「神の箱」を三ヶ月守った事柄を想起させる。メラリ一族に名が挙げられ、息子と兄弟は皆で13人だった(10~11節)。
  12節「彼らによって門衛の組分けがなされた。この者たちの頭ごとに、その兄弟たちと同様に、主の神殿における務めが課せられた」。門衛の組分けは籤引で順次なされる。東門から始まり(14節)、北門、南門(15節)、西門、倉庫、西にあるシャレケト門。それぞれ分担に従って警備に当たることになる(16節)。東にはレビ人六人、北には毎日四人、南には毎日四人、倉庫には二人ずつ、西の廊には通路に四人、廊に二人であった(17~18節)。警戒の責任担当者は合計24人となる。彼らは年少者から年長者(50歳)までおり、ローテーションを組んで勤めたが(23章24節see)、その中には賢明な助言を与える人物もいたのである(14節)。口語訳では「思慮深い議仕」となっている。
  20節「レビ人の中でアヒヤが神殿の宝物庫の責任を負い、聖別された物の保管に当たった」。門衛の職務は、神殿宝物庫と聖別された保管物の管理との連携が必要となる。それは戦利品を神殿に搬入する場合が想定されるからで、シェロミトとその兄弟たちが全責任を負った(26節)。その聖別された戦利品に、先見者サムエル、キシュの子サウル、ネルの子アブネル、ツェルヤの子ヨアブなどの名前がでている(28節)。
 29節「イツハルに属する者ではケナンヤとその子らが、神殿以外のところでイスラエルのために働く役人や裁判官となった」。小見出し「他のレビ人の任務」。役人と裁判官の任務についても23章4節と並行記事である。勇者千七百人は「主に対するすべての務めと王に対する奉仕」がなされるようヨルダン以西のイスラエルを監視することとなった(30節)。
31「ヘブロンに属する者ではエリヤが頭であった。ダビデの治世第四十年にヘブロン一族の系図が調査され、彼らの中では、ヤゼル・ギレアドに勇士のいることが分かった。」。ヨルダン以東のルベン族、ガド族、マナセ半部族の上に任命したとある(32節)。これはダビデ王の最期に示された政治体制をさしている。門衛ということで示される聖書は、詩84篇11~12節である。
あなたの庭で過ごす一日は千日にまさる恵みです。主に逆らう者の天幕で長らえるよりは/わたしの神の家の門口に立っているのを選びます。主は太陽、盾。神は恵み、栄光。完全な道を歩く人に主は与え良いものを拒もうとはなさいません。」

熟練した者も初心者も区別なく、務めの順番を決めた

2018-09-10 | Weblog
 歴代誌上25章 
   
 8節「彼らは年少者も年長者も、熟練した者も初心者も区別なく、くじによって務めの順番を決めた」(新共同訳)

  1節「ダビデと将軍たちはアサフ、ヘマン、エドトンの子らを選び分けて、奉仕の務めに就かせた。彼らは竪琴、琴、シンバルを奏でながら預言した。この奉仕を職務とする者の数は次のとおりである」。小見出し「詠唱者」。23章3~5節にレビ人の任務を四つに区分し、第4番目に「楽器を奏で、主を賛美する者」四千人が挙げられていた。その中でヘマン=ケハトの子孫、アサフ=ゲルションの子孫、エドトン(彼らの兄弟)=メラリの子孫が選ばれたことが、6章18~32節から判る。また、神の箱をダビデの町に運び入れた時、全イスラエルが大歓迎をしたが、その時アサフはシンバルを奏で、それに従う者らは琴と竪琴を奏でた(16章5~6節)。ヘマンとエドトンもラッパとシンバルで演奏している(41~42節)。ここで三人の子らのリストが挙げられているが、彼らは皆父の指示に忠実な子らであった(2~4節)。楽器演奏は、幼児期より手を取って教えなければ熟練しないことは、昔も変わらなかっただろう。アサフに4人、ヘマンに6人、エドトンに14人で24人の息子たちが神殿で王と父達の指示に従って琴、竪琴を奏で歌って奉仕に従事した(5~6節)
  7節「主に向かって歌をうたうための訓練を受け、皆が熟練した者であったその兄弟たちも含め、彼らの数は二百八十八人であった」ここで選出される二百八十八人は、第一から第二四の籤を順番に引いてそれぞれ十二人の総計であり、籤引きの次第が9~31節に記されている。彼らは歌の訓練を受けた者たちであるが、年少者も年長者も、熟練した者も初心者も区別なく、くじによって務めの順番を決めたとある(8節)。口語訳では「教師も生徒も」、新改訳「達人も弟子も」とあり、演奏能力の相違を判断基準にしなかったということになる。また讃美の歌声を上げるのに何の区別も無い。これは極めて注目すべきことではないか。
   ここで詩66篇1~3節を賛美することにしたい。
  「全地よ、神に向かって喜びの叫びをあげよ。
  御名の栄光をほめ歌え。栄光に賛美を添えよ。
  神に向かって歌え」
  「御業はいかに恐るべきものでしょう。
  全地はあなたに向かってひれ伏し あなたをほめ歌い
  御名をほめ歌います」