エレミヤ38章
16節「ゼデキヤ王はエレミヤにひそかに誓って言った。『我々の命を造られた主にかけて誓う。わたしはあなたを決して殺さない。またあなたの命をねらっている人々に引き渡したりはしない』」(新共同訳)。
1節「マタンの子シェファトヤ、パシュフルの子ゲダルヤ、シェレムヤの子ユカル、マルキヤの子パシュフルは、エレミヤがすべての民に次のように語っているのを聞いた」。小見出し「水溜めに投げ込まれる」。それは、この都にとどまる者は、剣、飢饉、疫病で死ぬが、しかし、出てカルデア軍に投降する者は、命だけは助かって生き残るというものである(2節)。反バビロンの立場をとる四人の高官たちはエレミヤのバビロン投降預言を確認し、ゼデキヤ王に上訴した。反国家的な災いを望んでいるという(3~4節)。
5節「ゼデキヤ王は答えた。『あの男のことはお前たちに任せる。王であっても、お前たちの意に反しては何もできないのだから』」。死刑を要求する側近たちに王は拒否できなかった。そのため彼は王子マルキヤの水溜めに綱で釣りおろされ、溜まっていた泥の中に沈んだ(6節)。宮廷にいたクシュ人の宦官エベド・メレクは、この出来事を王に伝え、このままなら死ぬと訴えた(7~9節)。王は彼に水溜から引き揚げさせた(10節)。王の首尾一貫しない曖昧な態度が伺える。
14節「ゼデキヤ王は使者を遣わして、預言者エレミヤを主の神殿の第三の入り口にいる自分のもとに連れて来させ、「あなたに尋ねたいことがある。何も隠さずに話してくれ」と言った」。王はエレミヤにひそかに誓い、我々の命を造られた主に対し、あなたを決して殺さない。またあなたの命をねらっている人々に引き渡したりはしないといった(16節)。王が「我々の命を造られた主」と言ったのは正しい。しかしこれは誰もが口にする誓いの常套句だ。本気で言ったとすれば預言者も王も等しく、この主なる神の手中にあることを悟るべきだ。エレミヤの警告は終始変わるものではなかった(17~18節)。
20節「そこで、エレミヤは言った。『いいえ、彼らに引き渡されることはありません。どうか、わたしが申し上げる主の声に聞き従ってください。必ず、首尾よくいき、あなたは生き長らえることができます』」。もし従わないなら、王や王妃や王子たちに悲惨な最期がまっていると答えた(22~23節)。
25節「役人たちは、わたしがあなたと話し合ったことを聞きつければ、きっと、あなたのもとに来て、『王に何を話したのか言え。隠さずに話せ。殺しはしないから。何を王がお前に話したかを言え』と言うだろう」。そこで、王はエレミヤに「助命嘆願だった」という口実をあたえる(26節)。エレミヤは監視の庭にもどされ、都が陥落するまで命を長らえることになった。
本章から示される聖句は「わたしが切実な思いで待ち望むことは、わたしが、どんなことがあっても恥じることなく、かえって、いつものように今も、大胆に語ることによって、生きるにも死ぬにも、わたしの身によってキリストがあがめられることである。」(フィリピ1章20節口語訳)
16節「ゼデキヤ王はエレミヤにひそかに誓って言った。『我々の命を造られた主にかけて誓う。わたしはあなたを決して殺さない。またあなたの命をねらっている人々に引き渡したりはしない』」(新共同訳)。
1節「マタンの子シェファトヤ、パシュフルの子ゲダルヤ、シェレムヤの子ユカル、マルキヤの子パシュフルは、エレミヤがすべての民に次のように語っているのを聞いた」。小見出し「水溜めに投げ込まれる」。それは、この都にとどまる者は、剣、飢饉、疫病で死ぬが、しかし、出てカルデア軍に投降する者は、命だけは助かって生き残るというものである(2節)。反バビロンの立場をとる四人の高官たちはエレミヤのバビロン投降預言を確認し、ゼデキヤ王に上訴した。反国家的な災いを望んでいるという(3~4節)。
5節「ゼデキヤ王は答えた。『あの男のことはお前たちに任せる。王であっても、お前たちの意に反しては何もできないのだから』」。死刑を要求する側近たちに王は拒否できなかった。そのため彼は王子マルキヤの水溜めに綱で釣りおろされ、溜まっていた泥の中に沈んだ(6節)。宮廷にいたクシュ人の宦官エベド・メレクは、この出来事を王に伝え、このままなら死ぬと訴えた(7~9節)。王は彼に水溜から引き揚げさせた(10節)。王の首尾一貫しない曖昧な態度が伺える。
14節「ゼデキヤ王は使者を遣わして、預言者エレミヤを主の神殿の第三の入り口にいる自分のもとに連れて来させ、「あなたに尋ねたいことがある。何も隠さずに話してくれ」と言った」。王はエレミヤにひそかに誓い、我々の命を造られた主に対し、あなたを決して殺さない。またあなたの命をねらっている人々に引き渡したりはしないといった(16節)。王が「我々の命を造られた主」と言ったのは正しい。しかしこれは誰もが口にする誓いの常套句だ。本気で言ったとすれば預言者も王も等しく、この主なる神の手中にあることを悟るべきだ。エレミヤの警告は終始変わるものではなかった(17~18節)。
20節「そこで、エレミヤは言った。『いいえ、彼らに引き渡されることはありません。どうか、わたしが申し上げる主の声に聞き従ってください。必ず、首尾よくいき、あなたは生き長らえることができます』」。もし従わないなら、王や王妃や王子たちに悲惨な最期がまっていると答えた(22~23節)。
25節「役人たちは、わたしがあなたと話し合ったことを聞きつければ、きっと、あなたのもとに来て、『王に何を話したのか言え。隠さずに話せ。殺しはしないから。何を王がお前に話したかを言え』と言うだろう」。そこで、王はエレミヤに「助命嘆願だった」という口実をあたえる(26節)。エレミヤは監視の庭にもどされ、都が陥落するまで命を長らえることになった。
本章から示される聖句は「わたしが切実な思いで待ち望むことは、わたしが、どんなことがあっても恥じることなく、かえって、いつものように今も、大胆に語ることによって、生きるにも死ぬにも、わたしの身によってキリストがあがめられることである。」(フィリピ1章20節口語訳)