日毎の糧

聖書全巻を朝ごとに1章づつ通読し、学び、黙想しそこから与えられた霊想録である。

 わたしたちの神、主よ

2012-08-09 | Weblog
 歴代誌下14章

  10節「主よ、あなたは力のある者にも無力な者にも分け隔てなく助けを与えてくださいます。わたしたちの神、主よ、わたしたちを助けてください。わたしたちはあなたを頼みとし、あなたの御名によってこの大軍に向かってやって来ました。あなたはわたしたちの神、主であって、いかなる人間もあなたに対抗することができません。」
 
  1節「アサは、その神、主の目にかなう正しく善いことを行った」。アビヤに代って宗教改革者アサが王位を継承した。その治世について14~16章に記される。並行記事は列王記上15章9~24節で、極めて簡潔である。「アサの治世に国は十年の間、穏やかであった」とある(13章23節see)。彼は異国の祭壇と聖なる高台を取り除き、石柱を壊し、アシェラ像を砕き、ユダの人々に先祖の神、主を求め、律法と戒めを実行するように命じた(2~3節)。彼の統治の下で国は平穏であったとある(4節)。戦争が無くて平穏であったと繰り返している(5~6節)。実際の彼の治世は41年間であり、ダビデ、ソロモンとほぼ同じ年数である。平穏、安らぎ、という言葉が五回も出てくる(13章23節、14章4、5、6節、15章15節)。
   6節「彼はユダの人々に言った。『我々はこれらの町を築き、城壁を巡らし、塔を建て、城門を造り、かんぬきを付けよう。我々は、我々の神、主を求めたので、この地を保有することができる。主を求めたからこそ、主は周囲の者たちから我々を守って、安らぎを与えてくださったのだ』。そこで彼らは建設を始め、完成した」。この平穏な時代にアサ王が行ったのは、城壁を巡らし、塔を建て、盾と槍、弓を引くユダの兵三十万、ベニヤミンの兵二八万という軍備を固めたことである(8節)。クシュ人ゼラの百万の軍隊と戦車三百とマレシャ近くのツェファタの谷で、対戦して戦勝を挙げている(9~10節)。この時アサは主の名を呼んで「主よ、わたしたちを助けてください。…あなたはわたしたちの神、主であって、いかなる人間もあなたに対抗することができません」と祈っている。そして、主とその陣営の前で打ち砕かれて倒れ、生き残った者は一人もなかったとある(11節)。敗北したクシュ人の陣営から多くの戦利品を持ち帰った。またすべての町で略奪を欲しいままにし、家畜の群の天幕も打ち払い、多くの羊とらくだを捕獲してエルサレムに帰ったのである(12~14節)。

  ここで国の平穏が問われる。宗教改革者アサの功績は、軍備によるのではなく、偶像を廃棄し、神の律法を求め主に祈りをもって信頼することが先決であったことである。戦争に勝利して、略奪を欲しいままにし家畜まで拿捕して国に安定させたことは、戦争悪として繰り返され、南ユダ王朝の歴史には実現しなかった。このメッセージは、預言者ミカによって告げられている。「主は多くの民の争いを裁き はるか遠くまでも、強い国々を戒められる。彼らは剣を打ち直して鋤とし 槍を打ち直して鎌とする。国は国に向かって剣を上げず もはや戦うことを学ばない」(4章3節)
現代の国際社会では、これが希求されている

進軍のラッパを吹き鳴らす

2012-08-08 | Weblog
 歴代誌下13章  

   12節「見よ、神が頭として我々と共におられ、その祭司たちは、あなたたちに対する進軍のラッパを吹き鳴らそうとしている。イスラエルの人々よ、勝ち目はないのだから、あなたたちの先祖の神、主と戦ってはならない」(新共同訳)

   1節「ヤロブアム王の治世第十八年に、アビヤがユダの王となり」。レハブアムに続くアビヤの在位は三年であった。ヤロブアムとの戦闘状態は続いた(2~3節)。戦闘員はアヒヤ側40万人、ヤロブアム側80万人であった。アビヤはエフライム山地のツェマライム山上で、ヤロブアムとイスラエル軍に向かい、「耳を傾けよ」と言って、戦況を語っている(4~12節)。列王記上15章にはない。
  5節「イスラエルの神、主が塩の契約をもって…王権をとこしえにダビデとその子孫に授けられたことをあなた方は知らない筈はない」。「塩の契約」とは契約の永続性を示すために塩を用いたもので、レビ記2章13節に出ている。その語った内容は、レハブアムの時から、ソロモンに反旗を翻したヤロブアムとその軍隊に劣勢であるが、頼みとして造った金の子牛と、主の祭司ではない諸国の民と同じ祭司を立てて戦っているというのである(6~9節)。
  10節「しかし主が我々の神であり、我々は、その主を捨てはしない。主に仕える祭司はアロンの子孫とレビ人で、その使命を果たしている」。イスラエルの人々よ、勝ち目はないのだから、あなたたちの先祖の神、主と戦ってはならないと語っている。神が頭として我々と共におられ、祭司らはいま進軍ラッパを引き鳴らそうとしているのだから、先祖の神、主と戦ってはならないという(11~12節)。この時ヤロブアムは伏兵をユダの陣地の背後に回し、挟み撃ちに出たが、ユダの人々は「主に助けを求めて叫び」、祭司たちはラッパを吹き、鬨の声を挙げると、神がヤブアム軍を撃退され、ユダの人々の前から逃げ去り、大打撃を受けた。イスラエル軍は兵士五十万が剣にたおれた(13~17節)。
  18節「このとき、イスラエルの人々は屈し、ユダの人々は勝ち誇った。先祖の神、主を頼みとしたからである」。エリコの城壁を崩した時のことが想像される(ヨシュア記6章20節)。ヤラブアム軍は二度と勢力を回復することが出来ず、ヤロブアムは主に撃たれて死んだとある(20節)。

  アビヤは父レハブアムが選択を誤って南北に国が分裂した時のことを「若すぎて気も弱く、彼らに立ち向かうことが出来なかった」と批判しているが(7節)、彼もまた「父が犯したすべての罪を犯し、その心も父祖ダビデの心のようには、自分の神、主と一つではなかった」と列王記上15章3節にある。ここで、南ユダの王位継承に求められているものは何かが問われる。それは「父祖の神を、自分の神とする」ことである(10、18節)。彼はそれが不徹底であった。

  キリスト者にも信仰の継承が求められている(使徒言行録16章31節)。

心を定めて主を求める

2012-08-07 | Weblog
   歴代誌下12章 

  14節「彼は心を定めて主を求めることをせず、悪を行った」(新共同訳)

  1節「レハブアムは国が固まり、自らも力をつけると、すべてのイスラエル人と共に主の律法を捨てた」。レハブアムの高慢さが露呈する。律法を捨てることは治世の根幹を見失うことになる。治世第五年とは、「ダビデとソロモンの道」を歩まなくなって二年ということになるだろう(11章17節see)。レハブアムの背信については、列王記上14章22~24節にあるが、本章では書かれていない。エジプトの王シシャクが戦車千二百両、騎兵六万をもって、ユダを攻め上って来た。彼はリビア人、スキイム人、クシュ人の民を数えきれないほど率いて、ユダの町を次々と陥れ、エルサレムの攻撃にまで及んだ(2~4節)。
  5節「預言者シェマヤが、シシャクのことでエルサレムに集まっているレハブアムとユダの将軍たちのところに来て言った。「主はこう言われる。『あなたたちはわたしを捨てた。わたしもあなたたちを捨て、シシャクの手に渡す』」。預言者シェマヤは、レハブアムが諸国の偶像を築き、様々な習慣に従っていることを指摘し主を捨てたので、主もユダの民を捨てシシャクの手に渡すと伝えると、王と民は背信を認めて、へりくだった。再び主の言葉がシシャクに臨み、主の怒りは止み、滅びは免れるが、エルサレムはシシャクに支配されると告げた(6~8節)。
   9節「エジプトの王シシャクはエルサレムに攻め上り、主の神殿と王宮の宝物を奪い取った。彼はすべてを奪い、ソロモンが作った金の盾も奪い取った」。レハブアムは止むを得ず、青銅の盾を作って神殿の守備に当たらせることにした。へりくだる彼は主の憐れみで、滅ぼされることはなかった(10~12節)。その後の十年足らずの治政で国は勢力を増したが、心を定めて主を求めることをしなかった(口語訳「主を求めることに心を傾けない」)と記されている(13~14節)。1節、12節、14節とレハブアムは繰り返し判断ミスをして主に背いているのである。

  詩62篇9節「民よ、どのような時にも神に信頼し 御前に心を注ぎ出せ。神はわたしたちの避けどころ」。心を注ぎだすことをしない不徹底さ、曖昧さ、愚かさを示される。滅びざるは主の憐みによることを知るべきであった(ヨハネ福音書3章16節)。


主を求めようと心を定めた者たち

2012-08-06 | Weblog
 歴代誌下11章 

  16節「またレビ人に続いて、イスラエルのすべての部族の中から、イスラエルの神、主を求めようと心を定めた者たちが、エルサレムに出て来て、先祖の神、主にいけにえをささげた」(新共同訳)

   1節「レハブアムはエルサレムに帰ると、ユダとベニヤミンの家からえり抜きの戦士十八万を召集し、イスラエルに戦いを挑み、王国を奪還して自分のものにしようとした」。これは列王記上12章20節に出ている。預言者シェマヤは「こうなるよう計らったのはわたしだ~兄弟に戦いを挑むな」と主の言葉を伝え、レハブアムに王国奪還を断念させる。兵士らはそれぞれ自分の家に帰って行った。これは明らかに神の歴史支配を示す言葉である(2~4節)。そして防備のために15の砦の町を築いた(5~10節)。そして長官を置き、糧食を蓄え、盾と槍を備えて堅固なものにした(11~12節)。
  13節「イスラエル中の祭司とレビ人は、そのすべての領土からレハブアムのもとに集まって来た」。理由はヤロブアムがレビ人を遠ざけ主の祭司であることを止めさせたからである(14節)。更に彼は山羊の魔神、自ら作った子牛に仕える祭司を立てた。レビ人に続いて主を求めようと心に定めた者たちがエルサレムに移住してきたのである(15~16節)。彼らはエルサレムで主なる神に犠牲を献げ、三年間ユダの国を強くし、レハブアムを支援し、ダビデとソロモンの道を歩んだのである(17節)。「国を強くした」を新改訳では「王権を強固にした」となっている。
  18節「レハブアムは、ダビデの子エリモトの娘マハラトを妻として迎えた。彼女の母はエッサイの子エリアブの娘アビハイルである」。レハブアムは婚姻関係を拡大して大家族を構成している。十八人の妻と六十人の側女を持ち、二八人の息子戸六十人の娘をもうけたとある(19~21節)。その中でアブサロムの娘マアカの子アビアとその兄弟を指導者として立て、その他の多くの息子たちを全土の町々に配備して堅固な国造りをはかったのである(22~23節)。しかしレハブアムの国策は父ソロモンに続いて、主に対する甚だしい背反となっている。イスラエルの人々も彼に倣ったとある(12章1節)。

  レハブアムの長老達の提言を捨てた愚かさは、ヤラブアムに対抗する軍備を固めたこと、エルサレムに来たレビ人と祭司らによる信仰共同体を三年間で終わらせ、多くの妻と側女に子を産ませて国造をはかるという、王の資質を疑わせるものであったことを知ることが出来る。

 旧約の預言者が描くイスラエルの王はどのようなものかをここで引用したい。
 「…彼らが恐れるものを、恐れてはならない。その前におののいてはならない。万軍の主をのみ、聖なる方とせよ。あなたたちが畏るべき方は主。御前におののくべき方は主」(イザヤ8章12~13節)。




 優しい態度を示し、好意を示し

2012-08-04 | Weblog
   歴代誌下10章 

  7節「彼らは答えた。『もしあなたがこの民に優しい態度を示し、好意を示し、優しい言葉をかけるなら、彼らはいつまでもあなたに仕えるはずです』」(新共同訳)

   1節「すべてのイスラエル人が王を立てるためにシケムに集まって来るというので、レハブアムもシケムに行った」。小見出しに「王国の分裂」とあるが、本章の並行記事は列王記上12章1~19節である。しかし11章が省略されている。そこで問題となっている事情、分裂に至る経緯を知る必要があろう。その発端はソロモン在任中にあり、ヤロブアムはエジプトに逃亡していたのである(列王記上11章26~40節see)。ソロモンに代ってレハブアムが王に即位することになり、民がシケムに集まっていることを知ったヤロブアムも戻って来た(2節)。この時レハブアムはソロモンのように全イスラエルを掌握していなかった。この時王は使いを送りヤロブアムを呼んでいる(3節)。
  4節「あなたの父上はわたしたちに苛酷な軛を負わせました。今、あなたの父上がわたしたちに課した苛酷な労働、重い軛を軽くしてください。そうすれば、わたしたちはあなたにお仕えいたします」。王は三日後回答すると伝えた。先ずソロモンに仕えていた長老たちに相談した。彼らは民に優しい態度で好意を示し、優しい言葉をかけるなら彼らはいつまでも仕えると答えた(5~7節)。ところが王はこの勧めを捨て、自分と共に育って仕えている若者たちに相談し、長老たちは軛を軽くしろと言っていると語った(8~9節)。若者らの答えは、重い軛を負わせたのだから、更にそれを重くし、鞭で懲らしたのだから、さそりで懲らしめるというものであった(10~11節)。三日後王は、長老たちの勧めを捨て、若者らの勧めを回答したのである(12~14節)。口語訳では「荒々しく答えた」となっている。問題は彼が神に「知恵と識見」を求めなかったことだが、イスラエルの国政に熟達した長老たちの提言を退けたことにある。ソロモン時代の過酷な労働とは20年にわたる神殿と王宮建設と、その後の諸事業(8章1~6節)を指すのか。実際の労働に服したのは、寄留者でイスラエル人ではなかった筈である(同9節see)。尤も列王記上5章27~29節の記述もある。むしろソロモンの晩年における失政であったとみるべきである(列王記上11章10~11節)。
  15節「王は民の願いを聞き入れなかった。こうなったのは神の計らいによる。主は、かつてシロのアヒヤを通してネバトの子ヤロブアムに告げられた御言葉をこうして実現された」。預言者アヒヤを通して告げられた同じ並行記事は列王記上11章26節~36節にある。これはイスラエルが南北に分裂する引き金となった。ヤラブアムとイスラエルは、ダビデの町には共にする嗣業はないと言って自分の天幕に帰った。王が遣わした労役の監督ハドラムをイスラエルの民が石で打ち殺したのを知り、エルサレムに逃げ帰ったのである(16~19節)。

  ここで、イエスの言葉が示される。「塩は良いものである。だが、塩に塩気がなくなれば、あなたがたは何によって塩に味を付けるのか。自分自身の内に塩を持ちなさい。そして、互いに平和に過ごしなさい」(マルコ9章50節)。

公正と正義を行わせ

2012-08-03 | Weblog

  歴代誌下9章 

  8節「あなたを王位につけられたあなたの神、主のための王とすることをお望みになったあなたの神、主はたたえられますように。あなたの神はイスラエルを愛して、とこしえに続くものとし、あなたをその上に王として立て、公正と正義を行わせられるからです」(新共同訳)

  1節「シェバの女王はソロモンの名声を聞き、難問をもってソロモンを試そうと、極めて大勢の随員を伴い、香料、多くの金、宝石をらくだに積んでエルサレムに来た。ソロモンのところに来ると、彼女はあらかじめ考えておいたすべての質問を浴びせた」。本章は、殆ど列王記上10章に並行記事として出ている。優れた知恵が与えられたのは、ソロモンが王位に就く時に主に願った応えであり(歴代誌下1章9~12節)、人々に誇示し名声を博するためではなかった。しかし実際は違っていた。シェバの女王の来訪は10章1~13節であるが、難問をもって彼を試そうとして来た。王が答えられい事は一つもなく、宮殿を目の当たりにして息も止まるような思いをした(2~4節)。
  5節「女王は王に言った。『わたしが国で、あなたの御事績とあなたのお知恵について聞いていたことは、本当のことでした』」。噂に聞いたことを遥かに超えた知恵で、それに接している家臣は幸せなことでしょう。主なる神が王として立てたのは、公正(ミシュパート)と正義(ツェデカー)を行わせられるからだと言った(6~8節)。これが正解である。知恵と見識は王の治世に必要なこととして自覚すべきである。シェバの女王の贈った金、香料、宝石はかつてなかった程のものだったが、これらを神殿と王宮の床材や楽器に使った。ソロモンも返礼に女王が願うものは望むままに土産物を与えた(9~12節)。王がソロモンに「公正と正義」とを行わせられるためとあるが、これは旧約の預言者が一貫して求めている政治理念である(イザヤ33章5節、56章6節、エレミヤ9章24節、22章3節、33章15節、エゼキエル18章5節、33章14節)。
  13~14節「ソロモンの歳入は金六百六十六キカル、そのほかに隊商や商人の納める税金があり、アラビアのすべての王や地方総督もソロモン王に金銀を納めた」。この並行記事は列王記上10章14~29節に出ている。「ソロモンの歳入」は口語訳=直訳「一年の間にソロモンの所にはいって来た金の目方」である。金への言及が際立っている(13回)。大盾と小盾(15~16節)、王座と踏み台、王座の両脇の二頭の獅子、六つの段の両脇に立つ十二頭の獅子(17~19節)、王の使うすべての杯これらすべてに金が使用されていた(20節)。
  22節「ソロモン王は世界中の王の中で最も大いなる富と知恵を有し」。彼の知恵を聞くために諸国の王が贈り物を携えて、拝謁を求めたとある(23~24節)。ソロモンの繁栄は、諸国に知れ渡ったが、同時にそれを支える膨大な軍事力(25~28節)が記されている。「諸国の王をすべて支配下においた」(26節)は列王記上には記されていない。馬の輸入(28節)は軍馬増強のことである。ソロモン治世の結びとして、参考資料(29節)、統治年数(30節)、死と埋葬、王位継承(31節)が記される。
 
  申命記17章15~17節には「王に対する規定」が出ているが、王は馬を増やすこと、大勢の妻を持つこと、金銀を大量に増やすことを否定している。これに注目しなければならない。

自分の工事のために奴隷としなかった

2012-08-01 | Weblog
 歴代誌下8章 

  9節「しかしソロモンは、イスラエル人を一人も自分の工事のために奴隷としなかった。彼らは、戦士、精鋭部隊の長、戦車隊と騎兵隊の長であった」(新共同訳)

  1節「ソロモンは、二十年を費やして主の神殿と王宮を建て終わると」。16節「ソロモンの工事はすべて、主の神殿の定礎の日から、完成の日まで無事に遂行され、主の神殿は完全なものとなった」と記述が重なっており、本章はその期間での諸事業ということになる。並行記事は列王記上9章10~28節にある。フラムから贈られた町の再建であるが(2節)、列王記上を読むとソロモンは建築に協力したフラムに礼としてガリラヤ地方の二十の町を贈ったが、フラムは気に入らなかったので返したようになっている(9章11~13節)。新改訳は記述を受けて「フラムから返した町々」と訳している。つまり「突っ返された」という意味で、それなら辻褄があう。ソロモンはエルサレム、レバノン、彼の支配下にある全地域の町々に、城壁で囲まれた砦を築き上げ、補給基地の町、戦車隊の町、騎兵隊の町とした(3~6節)。これらの建設に従事したのは、ヘト人、アモリ人、ペリジ人、ヒビ人、エブス人の生き残りの民であった(7~8節)。
  9節「しかしソロモンは、イスラエル人を一人も自分の工事のために奴隷としなかった。彼らは、戦士、精鋭部隊の長、戦車隊と騎兵隊の長であった」。同じ並行記事が列王記上9章20~23節にある。イスラエル人は労役には服さないで、国の防備の働きに任じたのである(10節)。その監督の数は列王記と違っている。神殿と王宮の建設期間の20年も同じ体制であったことが2章16~17節から伺われる。しかしこれはいずれ10章での学びになるが、南北分裂の原因になった過酷な労働を強いられたイスラエルの民という記述とはつながらない。
  11節「ソロモンはファラオの娘をダビデの町から、彼女のために建てた宮殿に移した。『わたしの妻はイスラエルの王ダビデの宮殿に住んではならない。そこは主の箱を迎え入れた聖なる所だ』と考えたからである」。これは列王記上3章1~2節、7章8節のことを指している。列王記上9章の並行記事では、ファラオがカナンの町を攻略し、ソロモンに王の娘の贈物としたとなっている(16節)。政略結婚であったが、しかしこの時のソロモンはまだ問題のあることを知らなかった(列王記上11章1~3節)。
  12節「そのころソロモンは、前廊の前に築いた主の祭壇の上で、焼き尽くす献げ物(燔祭)を主にささげた」。彼はモーセが命じたように、安息日、新月祭、年に三度の祝祭日、除酵祭、七週祭、仮庵祭に関して献げ物をささげたのである(13節)。これは歴代誌上23~27章に神の人ダビデが命じていたことをソロモンが行ったのである。「宝物庫」についても同じでる(14~15節)。

 神の人は、何処までも神の言に忠実でなければならない。その姿勢は明確に示されている。「僕は聞きます。お話し下さい」(サムエル記上3章10節口語訳)