日毎の糧

聖書全巻を朝ごとに1章づつ通読し、学び、黙想しそこから与えられた霊想録である。

良い妻と、よい友を得よ

2009-05-31 | Weblog
 箴言18章

  1~9節は、利己的、愚か者、悪人(神に逆らう者)が述べられる。
 「離反する者は自分の欲望のみを追求する者。その事はどんなに巧みにやってもすぐ知れる」(1節)。ATD訳「人から離れて孤立する者は口実を求める。全力で決裂できるように」。自己中心的で周囲から離れる者、文句を言って自分の正当性を主張する。
「人の口の言葉は深い水。知恵の源から大河のように流れ出る」(4節)。これは愚か者ではなく、むしろ賢者の口から出る言葉の深遠さであろうか。
  5節 正しい審判について。不法な裁判が否定される(17章15節、レビ記19章15節)。
  「陰口は食べ物のように呑み込まれ 腹の隅々に下って行く」(8節)。口語訳「人のよしあしをいう者の言葉はおいしい食物のようで、腹の奥にしみこむ」。陰口が何時までも体に入って逃げ出さない。

  10~11節 富と栄誉
  「主の御名は力の塔。神に従う人はそこに走り寄り、高く上げられる」(10節)。口語訳「主の名は堅固なやぐらのようだ、正しい者はその中に走りこんで救を得る」
  「財産は金持ちの砦、自分の彫像のそびえる城壁」(11節)。ATD訳「富者の財は堅固な都市であり、彼の想いの中では高い城壁のよう」。

  12~15節 分別ある心
  12節 16章18節、15章33節参照。13節 性急な答に対する警告。「人の霊は病にも耐える力があるが沈みこんだ霊を誰が支えることができよう」(14節)。口語訳「人の心は病苦をも忍ぶ、しかし心の痛むときは、だれがそれに耐えようか」。新共同訳「人の霊」と「沈みこんだ霊」とは相違はないが、後者は一過性の神経衰弱(ノイローゼ)を指すのであろう。ATD訳「…打ちのめされた魂を誰が忍び得るか」。

  16~21節 人間関係が問われる
  「贈り物をすれば人の前途は開けえらい人の前に彼を導く」(16節)。賄賂は、既に17章23節に示されたが、その他19章6節、21章14節にもある。18節 籤引き サムエル記上14章41~42節、使徒言行録1章26節参照。
「一度背かれれば、兄弟は砦のようにいさかいをすれば、城のかんぬきのようになる」(19節)。口語訳「助けあう兄弟は堅固な城のようだ、しかし争いは、やぐらの貫の木のようだ」。新改訳「反抗する兄弟は堅固な城よりも近寄りにくい。敵意は宮殿のかんぬきのようだ」。裏切られた人は他人を寄せ付けない。

  22~24節 良い妻、よい友
  「妻を得るものは恵みを得る。主に喜び迎えられる」(22節)。口語訳「妻を得る者は、良き物を得る、かつ主から恵みを与えられる」新改訳「良い妻を見つける者はしあわせを見つけ、主からの恵みをいただく」。「妻を見つける」マーツァー;と「恵みをいただく」モーツェーと同一の言葉である。「友の振りをする友もあり 兄弟よりも愛し、親密になる人もある」(24節)。口語訳「世には友らしい見せかけの友がある、しかし兄弟よりもたのもしい友もある」。表面だけの友でなく、真の友人が求められる。19節にも言及している。


心の喜びは幸せにする治療

2009-05-30 | Weblog
 箴言17章  

  1~7節 比較のことば
  「乾いたパンの一片しかなくても平安があれば、いけにえの肉で…」(1節)。平和な家庭生活の祝福は主への信頼から来る。「いけにえの肉」口語訳「食物の豊かな」ATD訳「多くの犠牲の肉」。「成功をもたらす僕は…」(2節)。セーケルは「賢い」「思慮深い」とも訳せる。「…心を試すのは主」(3節)。詩17篇3節。139篇23節。「造り主をみくびる者」(5節)。14章31節「造り主を嘲る者」。他人の不幸や災難には、神への畏れをもって接しなければならない。これを喜ぶ者には罰が下る。「高尚な唇は神を知らぬ者にふさわしくない~」(7節)。ナーバールは「愚か者に~」(口語訳)。

  「賄賂は送り主にとって美しい宝石。…」(8節)。ATD訳「…魔法の石」。「賄賂」は魅惑的であるが23節、26節から否定されている。申命記16章19節参照。
「愛を求める人は罪を覆う。前言を翻す者は友情を裂く」(9節)。ATD訳「過失をおおう者は愛を求める。しかし言うことを止めない者は友を離れさせる」。「前言を翻す」とは、くどくどと繰り返すことか。
  「理解力ある人を一度叱責する方が…」(10節)。叱責の受け止め方で賢い人と愚かな人の相違が出る。

  11~13節には、罪人の三の悪態が描写される。11節「逆らうことのみ求める」、12節「愚か者の無知」、13節「悪をもって善に報いる」。それに対し11節「仮借のない使者が送られ」、12節「子を奪われた雌熊に遭う」、13節「災難は絶えない」である。「仮借のない使者」は政治的な意味と解釈すると合法的な処罰と言える。15節ATD訳「罪人を罪なしとし、正しき者を罪ありとする者…」。不正な裁判官。
  「知恵を買おうにも、心がないではないか」(16節)。「心」は「理解力」の意味。それは金では買えない。「どのようなときにも、友を愛すれば苦難のときの兄弟が生まれる」(17節)。災禍にあった時の真実な友情が称えられる。
「意志の弱い人は手を打って誓い…」(18節)。保証すること。12章15節参照。
「…戸口を高く開く者は破れを招く」(19節)。大きな高い門口を設ける「見栄張り」のこと。
  「喜びを抱く心はからだを養うが、霊が沈み込んでいると骨まで枯れる」(22節)。口語訳「心の楽しみは良い薬であるが、たましいの憂いは骨を枯らす」。ATD訳「朗らかな心はよい治癒となる、しかし打ちひしがれた心は骨を枯らす」。直訳「心の喜びは幸せにする治療、傷ついた心は骨を枯らす」。
  「分別のある人は顔を知恵に向け、愚か者は目を地の果てに向ける」(24節)。知恵と分別を眼前に見るよう明確に捉えることができるが問われる。愚か者は集中力を欠いている。
  「口数を制する人は知識をわきまえた人。冷静な人には英知がある」(27節)。自己を制し、控え目に語る。「雄弁は銀、沈黙は金」。

心の喜びは幸せにする治療

2009-05-30 | Weblog
 箴言17章  

  1~7節 比較のことば
  「乾いたパンの一片しかなくても平安があれば、いけにえの肉で…」(1節)。平和な家庭生活の祝福は主への信頼から来る。「いけにえの肉」口語訳「食物の豊かな」ATD訳「多くの犠牲の肉」。「成功をもたらす僕は…」(2節)。セーケルは「賢い」「思慮深い」とも訳せる。「…心を試すのは主」(3節)。詩17篇3節。139篇23節。「造り主をみくびる者」(5節)。14章31節「造り主を嘲る者」。他人の不幸や災難には、神への畏れをもって接しなければならない。これを喜ぶ者には罰が下る。「高尚な唇は神を知らぬ者にふさわしくない~」(7節)。ナーバールは「愚か者に~」(口語訳)。

  「賄賂は送り主にとって美しい宝石。…」(8節)。ATD訳「…魔法の石」。「賄賂」は魅惑的であるが23節、26節から否定されている。申命記16章19節参照。
「愛を求める人は罪を覆う。前言を翻す者は友情を裂く」(9節)。ATD訳「過失をおおう者は愛を求める。しかし言うことを止めない者は友を離れさせる」。「前言を翻す」とは、くどくどと繰り返すことか。
  「理解力ある人を一度叱責する方が…」(10節)。叱責の受け止め方で賢い人と愚かな人の相違が出る。

  11~13節には、罪人の三の悪態が描写される。11節「逆らうことのみ求める」、12節「愚か者の無知」、13節「悪をもって善に報いる」。それに対し11節「仮借のない使者が送られ」、12節「子を奪われた雌熊に遭う」、13節「災難は絶えない」である。「仮借のない使者」は政治的な意味と解釈すると合法的な処罰と言える。15節ATD訳「罪人を罪なしとし、正しき者を罪ありとする者…」。不正な裁判官。
  「知恵を買おうにも、心がないではないか」(16節)。「心」は「理解力」の意味。それは金では買えない。「どのようなときにも、友を愛すれば苦難のときの兄弟が生まれる」(17節)。災禍にあった時の真実な友情が称えられる。
「意志の弱い人は手を打って誓い…」(18節)。保証すること。12章15節参照。
「…戸口を高く開く者は破れを招く」(19節)。大きな高い門口を設ける「見栄張り」のこと。
  「喜びを抱く心はからだを養うが、霊が沈み込んでいると骨まで枯れる」(22節)。口語訳「心の楽しみは良い薬であるが、たましいの憂いは骨を枯らす」。ATD訳「朗らかな心はよい治癒となる、しかし打ちひしがれた心は骨を枯らす」。直訳「心の喜びは幸せにする治療、傷ついた心は骨を枯らす」。
  「分別のある人は顔を知恵に向け、愚か者は目を地の果てに向ける」(24節)。知恵と分別を眼前に見るよう明確に捉えることができるが問われる。愚か者は集中力を欠いている。
  「口数を制する人は知識をわきまえた人。冷静な人には英知がある」(27節)。自己を制し、控え目に語る。「雄弁は銀、沈黙は金」。

慈愛と真実は罰を覆う

2009-05-29 | Weblog
 箴言16章

 1~9節 主と人との関わり
 「人間は心構えをする。主が舌に答えるべきことを与えてくださる」(1節)。口語訳「心にはかることは人に属し、舌の答は主から出る」。人間が計画しても神が応えて下さらねば実現しない。「舌の答え」とは、人前で弁明する時、神から言葉を授けられる。「…主はその精神を調べられる」(2節)。TEV「but the Lord judges your motive」。
 「あなたの業を主にゆだねれば…」(3節)。直訳「あなたの働きを主に転がすと、計画は堅く据えられる」。詩37篇5節。「すべて高慢な心を主はいとわれる~」(5節)。口語訳「心に高ぶる者は主に憎まれる」。「慈しみとまことは罪を贖う。主を畏れれば悪を避けることができる」(6節)。直訳「慈愛(ヘセド)と真実(エメト)は罰を覆い、主を畏れると悪から離れる」。
 7節「主に喜ばれる道」を歩むなら主は「敵と和解させてくださる」という。「人間の心は自分の道を計画する。主が一歩一歩を備えてくださる」(9節)。人は自分の道を考え計るだけで、実際にそれ進めさせ導くのは神である。

 10~15節 王に関する箴言。旧約の賢人は王制を正しい体制と考えていた。そして王が正義に立ち、民に福祉をもたらす限り、国は堅く立ち王位は長く続くと考えていた。ここで王の正義が語られ、期待される。
 「王の唇には魔力がある。彼の口が裁きにおいて誤ることはない」(10節)。口語訳「王のくちびるには神の決定がある」。「魔力」が「神の決定」となっている。霊感を受けた王が神聖な判決を示されて決定すると、誤りがないという。
 「公正な天秤、公正な秤は主のもの。袋のおもり石も主の造られたもの」(11節)。神が定められたものを尊重してなすべきこと、王は勝手に造ることは許されない。
12節「…王座は堅く立つ」。13節「正しいことを語る唇…」良い進言者、忠告者をさす。14~15節 王の怒りと王の恵み。16節 知恵の尊さ。17節 正しい者の道。「悪をさける」ことが当然求められる。

 18~19節 高ぶりと誇り。18節「痛手に先立つのは驕り。つまずきに先立つのは高慢な霊」。滅びの前に驕りがあり、倒れの前に高慢な心があるいうこと。19節 高慢の反対の態度、謙遜に貧しい者、苦しむ者と共に重荷を負うことこそが尊い。

 20~24節 知恵の価値。「優しく語る唇は説得力を増す」(21節)。新改訳「その快いことばは理解を増し加える」。 知恵ある言葉(23節)は、やがて体にも魂にもよい結果をたらす。25節 目に正しいと見えても、終りが死への道がある。進む道の選択に慎重でなければならない。「労苦する者を労苦させるのは欲望だ。口が彼を駆り立てる」(26節)。飢えをみたすため働かざるを得ない。そこには倫理的判断は特に行なわれていない。

 28~29節「暴言をはく者」と「陰口」から、言葉のその不正を取りあげ、災いを述べる。「不法を行なう者」(29節)。暴虐な人で不道徳で乱暴で無軌道な人のこと。その影響は隣人に及び誘いこむ。
 「忍耐は力の強さにまさる。自制の力は町を占領するにまさる」(32節)。口語訳「怒りをおそくする者は勇士にまさり、自分の心を治める者は城を攻め取る者にまさる」。自己制御の讃美14章29節、25章28節。
 33節「くじは膝に投げる」。人間がくじで決める時に、そこで神に信頼し服従することを忘れてはならない。


Smiling faces make you happy  

2009-05-28 | Weblog
  箴言15章

  「柔らかな応答は憤りを静め、傷つける言葉は怒りをあおる」(1節)。優しい言葉と激しい言葉(口語訳)とが対比される。本章も賢人と愚者が言葉で対比される箇所が多く記される(2、4、7、14、23、26、28節)。
  「癒しをもたらす舌は命の木。よこしまな舌は気力を砕く」(4節)。11章30節、13章12節see。創造物語(創世記2~3章)が示される。
 5節 イスラエル社会は、人生の先達者、年配者の諭しを尊ぶべきこととしている。
 6節 神を畏れる義人は栄えるという具体的な表現である。愚者は煩いがつきまとい、決して良い所得とは言えない。
  「主は逆らう者のいけにえをいとい…」(8節)。口語訳「悪しき者の供え物は主に憎まれ、正しい者の祈は彼に喜ばれる」。「…従うことを求める人を愛される」(9節)。直訳「義(ツェデク)を求める人を愛される」。「道をすてる者は…」(10節)。ATD訳「その小道を捨てる者はひどい懲らしめに会い…」。「心に喜びを抱けば~」(13節)。ATD訳「陽気な心は顔を明るくする~」。15節と同じ。顔は心の窓である(マタイ6章22節)。

  16~17節 清貧と信仰。「青菜の食事で愛し合う」。口語訳「野菜を食ベる」。貧しい生活を示す。18節 怒りと争い(1節、14章29節)。20節 子の賢愚と両親。
  22節 計画者の数と計画の成否。「船頭多くして舟山に上る」と同じ。
  「…時宜にかなった言葉はいかに良いものか」(23節)。「~何とすばらしいことよ」。
  「目覚めている人には上への道があり~」(24節)。ATD訳「分別ある者はいのちに道へと上っていく…」。25節 権力を持ち、それをほしいままに自分のために行使して恥じない者、神を畏れず不道徳を行う者である。「やもめの地境」申命記19章14節、詩68篇5節。神が弱い者を保護される代表例としてあげられる。
  「悪意を主はいとい、親切な言葉を清いとされる」(26節)。口語訳「悪意を主はいとい、親切な言葉を清いとされる」。潔白な人、潔い人、正しい人である。
  「奪い取る者の家には煩いが多い。賄賂を憎む者は命を得る」(27節)。「煩いが多い」は家族を苦しめること、家庭の平安と繁栄の反対。原則は明確である。
28節 正しい者の答えと悪人の言葉。正しい人はよく考えて答え、悪人は無思慮にでたらめを言って恥じない。正しい人の慎重さと反対の姿をよく示す。

  29~33節 聞くことの重要さが示される。
  29節 神は正しい者の祈りを聞かれる。従って悪人の祈りは聞かれない。正しい人と悪人の祈りが対照的にとりあげられている。
  「目に光を与えるものは心をも喜ばせ、良い知らせは骨を潤す」(30節)。NEBでは「Smiling faces make you happy、and good news makes you feel better.」

  「命を与える懲らしめに聞き従う耳は…」(31節)。ATD訳「有益な叱責を聴く耳は、賢い者たちのもとに留まる」。知恵の教えを大切にすることこそ知恵の道である。
  「主を畏れることは諭しと知恵。名誉に先立つのは謙遜」(33節)。謙遜はその知恵に近づく時の最も大切な態度である。謙遜に聞き、謙遜に従うことなくては、栄誉は備えられないという。

正義は国を高め、罪は民を辱める 

2009-05-27 | Weblog
箴言14章

 「知恵ある女は家庭を築く。無知な女は自分の手でそれを壊す」(1節)。口語訳「知恵はその家を建て、愚かさは自分の手でそれをこわす」。知恵が擬人化(女性)されている。「主を畏れる人はまっすぐ歩む…」(2節)。誠実な生活こそ真の信仰に結びつく。
 「無知な者の口には傲慢の杖。知恵ある人の唇は自分を守る」(3節)。愚者の言葉は自分自身を苦しめる。「牛がいなければ飼い葉桶は清潔だが豊作をもたらすのは牛の力」(4節)。口語訳「牛がなければ穀物はない、牛の力によって農作物は多くなる」。このほうが判りやすい。牛が脱穀したり粉を挽いたりして働くので、穀物を備えること。「忠実な証人は欺かない。欺きの発言をするのはうそつきの証人」(5節)。口語訳「真実の証人…」。「不遜であれば…」(6節)。口語訳「あざける者は…」。 「思慮深い人は自分の知恵によって道を見分ける。愚か者の無知は欺く」(8節)。口語訳「さとき者の知恵は自分の道をわきまえることにあり、愚かな者の愚かは、欺くことにある」。
 「無知な者は不遜で互いをなじる…」(9節)。口語訳「神は悪しき者をあざけられる…」。新改訳「罪過のためのいけにえは愚か者をあざけり…」。難解で原文は「愚かな者の嘲りは、罪過のためのいけにえ~」となる。口語訳が意訳だが意味が判る。
 「魂の苦しみを知るのは自分の心。その喜びにも他人はあずからない」(10節)。人の心の苦楽は各人のもので、他人はあずからない。「人間の前途がまっすぐなようでも果ては死への道となることがある」(12節)。人が見て自ら正しいとする道でも、その終りはついに死に至る道となるものがある。「死への道」は複数である。危険な道は幾つもあることを警告する。

 14~25節 二種の人間の対照、色々の角度から比較対照される。
 「各人の業の実」(14節)、「思慮のある者、ない者」(15節)、「知者と愚者」(16節)、 「怒りと忍耐」(17節)、「思慮の有無と知識」(18節)、「悪人と善人」(19節)、「貧しい人と富める人」(20節)、「隣人愛」(21節)、「善を計る人と悪を計る者」(22節)、「勤労と利益」(23節)、「知者と愚者の冠」(24節)、「真の証人と偽りの証人」(25節)。

 26~27節 強い信頼と主を畏れること。「主を畏れれば頼るべき砦を得…」(26節)。口語訳「主を恐れることによって人は安心を得」。安全な場所に居ること。それだけでなく、「主を畏れることは命の源」(27節)。口語訳「命の泉である」命の水を絶えず汲むことになるのである。
 28~30節 王の繁栄と民の平和な生活
 「忍耐によって英知は加わる。短気な者はますます無知になる」(29節)。これは怒りや短気の愚かさを諭すもので、30節にも共通している。「穏やかな心は肉体を生かし、激情は骨を腐らせる」(30節)。口語訳「興奮は骨を腐らせる。」新改訳「激しい思いは骨をむしばむ。」TEVではPeace of mind makes the body healthy, but jealousy is like a cancer。Healthyか、癌(cancer)のようかが問われるのである。
 31節 神を愛することは具体的に兄弟を愛することである(Ⅰヨハネ4章20節)。
 「義人の救いと悪人の滅び」(32節)。「聡明さと愚かさ」(33節)。
 34節「慈善は国を高め、罪は民の恥となる」。口語訳「正義は国を高くし、罪は民をはずかしめる」。慈善より正義がよい。直訳「義は国を高め、罪は民を辱める」。「辱める」は「恥ずべき行為となる」ことである。

空しい財宝は減るが~

2009-05-26 | Weblog
   箴言13章

  「子は父の諭しによって知恵を得る~」(1節)。ATD訳「賢い子は訓育を愛する」。「不遜な者」は口語訳「あざける者」。
  「慈善は完全な道を歩む人を守り、神に逆らうことは罪ある者を滅ぼす」(6節)。口語訳「正義は道をまっすぐ歩む者を守り、罪は悪しき者を倒す」。ATD訳「正義は潔白なまま歩む者を守る。しかし悪しきことは罪人を滅ぼす」。「義しい人(ツェデク)」は神の避難所を得るのである。

  7~11節 経済的な事柄に関して。
  「…貧しい人は叱責を聞くことはない」(8節)。口語訳「しかし貧しい者にはあがなうべき富がない」。ATD訳「…しかし貧しい者は買戻しを知らない」。人命と引き替えに身代金を要求されるが、貧しい人は、そのような脅迫に遭わなくて済む。
  「神に従う人の光は…」(9節)「光」は生命を象徴する(ヨブ3章20節、詩36篇10節)。「財産は吐く息よりも速く減っていくが…」(11節)。口語訳「急いで得た富は減る、少しずつたくわえる者はそれを増すことができる」。直訳「空しい(ヘベル)財宝は減るが、手で集めると増える」。勤勉に働いて獲得した富は確実に増える。かつての「バブル経済」を思い出させる。

  12~20節 賢い者と愚かな者
  「…かなえられた望みは命の木」(12節)。口語訳「…願いがかなうときは、命の木を得たようだ」。3章18節。「~命の源」(14節)。14章27節。
  「~愚か者は無知をさらけ出す」(16節)。12章23節。
  「神に逆らう使者は災いに遭い、忠実な使いは癒す」(17節)。ATD訳「悪しき使者は災いの中で滅びる、しかし真実な使者は人を癒す」。遠隔地からの通信手段は極めて重要だった。
  「災難は罪人を追う。神に従う人には良い報いがある」(21節)。ATD訳「罪人は災いを追いかける、しかし正しい者は幸いを報いる」。
  「貧しい人の耕作地に多くの食糧が実っても正義が行われなければ奪われる」(23節)。口語訳「貧しい人の新田は多くの食糧を産する、しかし不正によれば押し流される。「新田」は開墾地のこと。
「…子を愛する人は熱心に諭を与える」(24節)。ATD訳「…しかし彼を愛する者は時に応じて彼を懲らしめる」。

平和を計る者に歓喜

2009-05-25 | Weblog
  箴言12章

  「諭を愛する人は知識を愛する。懲らしめを憎む者は愚かだ」(1節)。「愚かだ」(バアル)は「野卑」で、「獣のような者」(口語訳詩49篇11節)と訳している。「善人は主に喜び迎えられる。悪巧みをする者は罪ありとされる」(2節)。直訳「善を行う者は主から恵みを受け、たくらむ者は有罪とされる」。「有能な妻は夫の冠」(4節)。新改訳「しっかりした妻は夫の冠。恥をもたらす妻は、夫の骨の中の腐れのようだ」。

  「神に従う人」(義しい人ツェデク)と「神に逆らう者」(悪しき者ラーシャー)の対比 5~7節、10節、12~13節、21節、26節。
  「…神に従う人の家は耐える」(7節)。「立ち続ける、存続する」の意。10章25節、14章11節。マタイ7章24~27節。
  「軽蔑されていても僕を持っている方が~」(9節)。ATD訳「取るに足りない者と看做されて、彼自身の下僕たる方が、身分の高い者のように振舞うが、パンに不自由する者にまさっている」。
  「…神に逆らう者は同情すら残酷だ」(10節)。ATD訳「…しかし悪しき者の心は残忍だ」。新共同訳「同情」はラハミーム(「母胎」で感情の座を表わす)。
  「自分の土地を耕す人はパンに飽き足りる」(11節)。堅実な労働の代表としての畑仕事に言及する。この対照が「意志の弱い者は空を追う」のである。
「…神に逆らう貪欲は、悪人らを捕える網となる」(12節)。口語訳「…悪しき者の堅固なやぐらは崩壊する」

  13~23節は、人の言葉を主題とする格言。「唇」(13節)、「口の言葉」(14節)、「勧め」(15節)、「忠実な発言~」(17節)、「軽率な一言~」(18節)、「真実を語る唇」(19節)、「平和を勧める~」(20節)、「うそをつく唇~」(22節)、「…無知を言いふらす」(23節)。
  14節 人間の労働に関連して報酬が約束される。
  16節 自分が賢いと思っている愚者と、本物の賢者が区別される。ATD訳「愚者、彼は直ぐに怒りをあらわす。しかし辱めを包み込んでしまう者は賢い」。
  「悪を耕す者の心には裏切りがある。平和を勧める人の心には喜びがある」(20節)。口語訳「悪をたくらむ者の心には欺きがあり、善をはかる人には喜びがある」。直訳「心の中に悪を謀る者には欺きがあり、平和(シャローム)を計る者には歓喜がある」。

  24節 勤勉と怠惰の結果を対照的に描く。経済的自立は、知恵の生活の前提条件であった。
  「神に従う人は友よりも好運である。神に逆らう者の道は人を迷わす」(26節)。口語訳「正しい人は悪を離れ去る。しかし悪しき者は自ら道に迷う」新改訳「正しい者はその友を探り出し、悪者の道は彼らを迷わせる」。「…勤勉な人は人類の貴い財産だ」(27節)。口語訳「…勤め働く人は尊い宝を獲る」。

狡猾な者と義しい人

2009-05-24 | Weblog
 箴言11章 

 1~11節「対立的並行法」
  「偽りの天秤…、十全なおもり石~」(1節)。正しい度量衡制は律法に定められていた(申命記25章13~15節、レビ記19章35~36節)。「高慢には軽蔑が伴い、謙遜には知恵が伴い」(2節)。ATD訳「思い上がりが来れば、恥じもやって来る、然し謙遜な人のそばには知恵がある」。
  3~6節 正義の結果
  「無垢」(3節)は意訳。「潔白、誠実」(ツマーハ)がよい。「正しい人の誠実はその人を導く」(口語訳)。「無垢な人の慈善は…」(5節)。直訳「公平な者の義(ツェデカー)はま直ぐすすむ」「正しい人は善意によって…」(6節)。直訳「正直な者の義は救う…」。

  7~9節 悪しき者の道
  正と悪が対照的に綴られるが、ここでは後者に重点が置かれる。「神に逆らう者」(7節)は口語訳「不信心な者」 新改訳「邪悪な者」である。「神を無視する者」(9節)。意訳でハーネーフは「偽善の、不敬の、邪悪な」という意味。直訳「偽善の口は隣人を滅ぼす」。

  10~11節 義しい人と町
  正しい者の言葉に導かれて秩序と平和を実現すれば、神から祝福されることである。不遜な言葉は町に災いをもたらす。これは14節と結びつく。
  12~13節 口の戒め
  「英知ある人は沈黙を守る」(12節)。余計なことは言わない。言ってはならない事は言わない。知恵はその源を神の口に持つ(2章6節)。「…誠実な人」(13節)。口語訳「心の忠信なる者」。

 14節 良い指導者の必要性
 15節 保証について。16節 しとやかさと強暴。17節 慈しみと残忍。

  18~21節 義しい者と悪しき者の道 各々その報いと到達点が違う。一方で罰に至り、他方で救いを得る。潔癖さは神を喜ばせ(20節)、神から報いを受けるが(18節)、悪しき者のすべての行為は神を怒らせる(20節)。
  「慈善は命への確かな道」(19節)。口語訳「正義を堅く保つ者は命に至り」。「完全な道を歩む人を喜ばれる」(20節)。 口語訳「まっすぐに道を歩む者は彼に喜ばれる。」 22節 つつしみのない美女の姿が巧妙に描かれる。

  24~26節 気前良さと貪欲とが対照的に示される。旱魃や凶作に対して穀物を備蓄する知恵。飢饉などで不足した穀物の価格をつり上げる者が何時の時代にもいた。
  27~29節 富の使い方が問題。
  「家に煩いをもたらす者は風を嗣業とする者」(29節)。口語訳「自分の家族を苦しめる者は風を所有する」。風を持つとは徒労を表わす。

  30~31節 義しい人(ツェデク)と、悪しき者(狡猾な者ハーカム)との対比。口語訳「正しい者の結ぶ実は命の木である、不法な者は人の命をとる」(30節)が適訳である。

義しい人か、愚かな者か 

2009-05-23 | Weblog
  箴言10章 

  表題「ソロモンの格言集」は10章1節~22章16節。「対立的並行法」となっている

  「賢い子は父を喜ばせ、愚かな子は母を悲しませる」(1節)。親と子は、人間関係の根本であり、そこから出発する。「不義の宝は益なく、正義は人を救い出して、死を免れさせる」(2節口語訳)。新共同訳「慈善」は意訳。直訳「義」(ツェデカー)。不正な手段によって得た財宝は無益である。「主は正しい人を飢えさせず、悪しき者の欲望をくじかれる」(3節口語訳)。新共同訳「主に従う人」は意訳。直訳「義しい人」(ツェデク)。義しい人と悪しき者とが対照で示される。
  4~5節 勤勉と怠惰。「手のひらに欺きがあれば…」(4節)。新改訳「不精者の手は~」。「正しい者のこうべには祝福があり、悪しき者の口は暴虐を隠す」(6節)。
この後に「義しい者~」は7、11、16、20、21、24、25、28、31、32節にあり、対立する「悪しき者」(神に逆らう者=新共同訳)も同じ節にある。そして「口」、「唇」、「舌」などの人体の部位が取上げられる。
 10節以下を要約すると、
 10~14節 語る言葉の対比 
 15~16節 富は神から
 17~21節 唇、口、舌の制御
 22~23節 人の苦楽
 24~28節 人生に何を望みとするか?
 29~30節 確かな歩みは?
 31~32節 語る言葉の対比(Ⅱ)

 26節は口語訳が適訳。「なまけ者は、これをつかわす者にとっては、酢が歯をいため、煙が目を悩ますようなものだ」。28節も口語訳が判りやすい。「正しい者の望みは喜びに終り、悪しき者の望みは絶える」。29節口語訳「主は、まっすぐに歩む者には城であり、悪を行う者には滅びである」。新共同訳「無垢な人の力」では判らない。ATD訳「誠実に歩む者にとっての城壁とはヤハウェである、…」
 31節 新改訳が原意に近い「正しい者の口は知恵を実らせる。しかしねじれた舌は抜かれる」。ATD訳「正しき者の口は知恵を芽ぐませる、しかし偽りの舌は根絶される」。

 「義しい人」(新共同訳「主に従う人」)を信仰によって義と認められた人(ローマ3章の中心命題)として読むと、「いま、わたしにとって」神の言が届いてくる。

知恵と愚かさの対照 

2009-05-21 | Weblog
 箴言9章

  この章は第1箴言集(1~9章)の結論部分であり、知恵と愚かさが擬人化され対照になっている。

  1~6節 知恵の招き
  「知恵は家を建て、七本の柱を彫刻する」(1節)。知恵を教える学舎。「七本の柱」は大きな建物。宇宙的な神殿が想定される。「…食卓を整え」(2節)。饗宴を催す。3~5節 呼び掛けの言葉で、14~16節との対照句。「町の高い所に遣わし」(3節)。遊女の住む宿。8章2節see。「わたしが備えたパンを食べよ」(5節)と招く。
  「浅はかさを捨て…分別の道を進むがよい」(6節)。口語訳「思慮のないわざを捨てて命を得、悟りの道を歩め」。ATD訳「見さかいのない~」

  7~12節 知恵の勧め
  7節 悪党を戒めても無駄で、かえってひどい目にあうということ。それと対照的に8節 知恵ある者こそ、諌める甲斐があるというもの。これは箴言に多く出てくる(15章12節、10章8節、12章1節、18章2節)。
  「…説得力を増す」(9節)。新改訳「彼はますます知恵を得よう。正しい者を教えよ。彼は理解を深めよう」。知者は教訓を受けて進歩する。
  「主を畏れることは知恵の初め、聖なる方を知ることは分別の初め」(10節)。「初め」とは本質的に不可欠な条件を示す。本書の究極的な結論の言葉。
  12節 知恵の有無によって、その人を生かすか、害することになるか自己責任。

  13~18節 「愚かさ」という女の誘い
  13~16節 3~5節と対照的な呼び掛け。「愚かさ」が擬人化されている。
「門口に座り込んだり、…道行く人に呼び掛ける~」(14~15節)。売春宿から遊女が誘惑する有様を描いている。口語訳「道を急ぐ行き来の人を招いて~」。道を急ぐ人をも見のがさない。
  「浅はかな者…意志の弱い者」(16節)。ATD訳「世間知らずの者よ…分別の乏しい者よ」。口語訳「思慮のない者…知恵のない人~」。「立ち寄るがよい」口語訳「ここに来れ」 4節と同じ。「知恵」の招きと「愚かさ」の招きでは天地の差がある。
  「盗んだ水は甘く~」(17節)。通俗的格言で「禁断の実」、性的な罪・姦淫を意味した。みだらな女はいかにも言葉たくみに誘惑する。しかしそれは実に恐ろしい死と滅びへの道である。
  「死霊…」(18節)」。口語訳「死の陰」、新改訳「死者の霊」。陰府の世界。
  「彼女に招かれた者」口語訳「客」複数 その数の多いことを表わす。

  本章の結語は既に10~11節に示されている。

創造に参与する知恵 

2009-05-20 | Weblog
 箴言8章

  擬人化された知恵の呼び掛け。それは指導者として、また宣教者として全ての人々に向けられる。

  1~5節 知恵の招き
  「高い所に登り、道のほとり、四つ角に立ち」(2節)、「城門の傍ら、町の入り口、城門の通路」(3節)で呼ばわる。町の沿道に造られた小高い所。市民の集会所である。
  4節「人よ~」は上流層の人々、「人の子ら」は大衆、つまり全階層に呼びかける。

  6~11節 知恵の尊さ
  「聞け、わたしは指導者として語る…公平について述べ」(6節)。口語訳「聞け、わたしは高貴な事を語り…」。知恵の語るところは高尚な正しい教えである。
8節はそれを強調する。10~13節 知恵を求めることは人にとって最大の財宝である。知恵は真珠とも財宝とも比べられないほど尊い。

  12~21節 知恵の属性
  「わたしは知恵。熟慮と共に住まい、知識と慎重さを備えている」(12節)。悟りを持ち続けることを詩的に表現する。「わたしは勧告し、成功させる。わたしは見分ける力であり、威力をもつ」(14節)。口語訳「計りごとと確かな知恵とは、わたしにある。わたしには悟りがあり、わたしには力がある。」「見分ける力」と同じ特質(知恵、理解、助言、力)はイザヤ11章2節でメシヤとして示される。この中で力は神の特権。「わたしによって王は君臨し…」(15節)。古代近東一般に王は特別に知恵が授けられるとされていた。「わたしを捜し求める人はわたしを見いだす」(17節)。口語訳「わたしをせつに求める者は、わたしに出会う」。新改訳「わたしを熱心に捜す者は、わたしを見つける。」求める者は必ず見出す。18~21節 誉れと富みとは神に仕える者に与えられる。これは聖書の中心的テーマである。19節 11節と同じ。
 
  22~36節 知恵の天的起源
  神の天地創造の中から描き出す。知恵は知性intelligenceである。生ける神の属し創造に参与する。「その道の初めにわたしを造られた。いにしえの御業になお、先立って」(22節)。「造られた」(カーナーニ)は「獲得する」「買い取る」の意味であるが、創造の経過を表わす。「永遠の昔」(23節)。口語訳「いにしえ、地のなかった時、初めに」「わたしは生み出されていた、深淵も水のみなぎる源も、まだ存在しないとき」(24節)。原始の水があらゆるものに先立って存在した(創世記1章2節)。「わたしは生み出されていた」(25節)。口語訳「わたしはすでに生れた。」28~29節 古代の宇宙観。淵に源泉があり、大地に基礎があるとした。
  30節「御もとにあって、わたしは巧みな者となり~」口語訳「わたしは、そのかたわらにあって、名匠となり~」。新改訳「わたしは神のかたわらで、これを組み立てる者~」建築家の匠である。ヨハネ1章3節、コロサイ1章16節see。創造の業に参与する知恵(人格化したもの)である。
  34~35節 知恵の家に迎え入れられる幸い。

誘惑に負ける若者

2009-05-19 | Weblog
  箴言7章

   未熟な若者が性的な誘惑に負ける場面が続く(6章24~7章23節)。ここで登場する女性は、「遊女」「人妻」「異国の神殿娼婦」などが想定されている。

  1~5節 知恵と分別に守られよ
  「…わたしの教えを瞳のように守れ」(2節)。注意深く守られなければならないものの例(詩17篇8節see)。「~指に結び、心の中の板に書き記せ」(3節)。3章3節。
  「…よその女から、…異邦の女から」(5節)。ATD訳「他人の妻からあなたを守り、やさしく語る知らない婦人から~」。2章16節。

  6~23節 誘惑する女と惹かれていく若者
  「浅はかな者らが見えたが…、意志の弱そうな若者」(7節)。ATD訳「無知な者の間に子らの間に、無分別な若者…」経験の浅い未熟な若者ら。
「日暮れ時の薄闇の中…夜半の闇~」(9節)。ATD訳「…夜と闇の<あとずれ>とともに」。「新月の闇」を意味とする説がある。新月は太陽と月の合一の時であり、性交に適した時。
  「厚かましくも…」(13節)。直訳「彼女の顔をあらわに見せて…」。
  「和解の献げ物」(14節)。レビ記7章11節「酬恩祭」。家畜の肉の一部を神に献げた後で、残りの肉はともに食する。男を誘惑するための口実。
16~17節 外国からの贅沢な家具や香料が列挙されている。
18節 夜通し不義の愛欲に浸る。彼女の夫は遠隔地商人であろう(19~20節)。彼女は、魅力的な金持ちの商人の妻である。
  「満月になるまで帰らない」(20節)。旅の安全な満月に帰宅する。二週間後。
「足に輪を~」(22節)。意味不明。

  「異邦の女」(5節)とは神殿娼婦のことか。カナン宗教、バビロン神殿などの祭儀的な背景が考えられる。古代オリエントでは豊穣の女神を婚姻の祭に招いて祭儀が執り行われる。

  24~27節 締め括りの勧告。
  性的不道徳への警告である。
  「…わたしに聞き従い、わたしの口の言葉に耳を傾けよ」(24節)。5章1節。
  「…数多くの男を傷つけ倒し、殺された男の数はおびただしい」(25節)。新改訳  「…多くの者を切り倒し、殺された者は数えきれない」。滅びに至る道である。
「彼女の家は陰府への道、死の部屋へ下る」(27節)。5章5節、23節。  

教訓と格言集

2009-05-18 | Weblog
  箴言6章 

  1~5節 慎重さと保証人の責任
 「 …もし友人の保証人となって、他国の者に手を打って誓い…あなたの口の言葉によって…」(1~2節)。軽率な判断で保証人になることの警告である。「手を打って誓う」とは握手すること。「…行って足を踏みならし、友人を責め立てよ」(3節)。口語訳「急いで行って、隣人にひたすら求めよ」。ATD訳「~隣人に熱心に頼め」。うるさく、切実に求める。そして「…眠りを与えず、…自分を救え」(4~5節)。

  6~11節 怠惰への警告
  「蟻のところに行って見よ。その道を見て、知恵を得よ」(6節)。勤勉に働くことは神の創造の秩序である(創世記2章15節)。7~8節 30章25節。「蟻とキリギリス」の寓話がある。強制されず自発的に働くのである。「怠け者よ、いつまで横になっているのか…」(9~10節)。24章30~34節。怠惰の克服には、理性と意志強固さが求められる。「貧乏は盗賊のように、欠乏は盾を持つ者のように襲う」(11節)。新改訳「貧しさは浮浪者のように、あなたの乏しさは横着者のように」。貧しさは、歓迎されない客、不意に前触れもなく襲い、無防備で侵入を防ぐことが不可能。

  12~15節 破滅の原因
  「ならず者、悪を行う者、曲がったことを言い歩く者」(12節)。彼らは偽りの言葉をもって行きめぐる。「目くばせし、足で合図し、指さす者」(13節)。「足で合図し」足で踏み鳴らすこと。体全体が偽りに満たされている。心のねじれた状態は正しい人間関係ができない。「…絶えずいさかいを起こさせる者」(14節)。新改訳「争いをまき散らす者」。「このような者には、突然、災いが襲いかかり、たちまち痛手を負うが、彼を癒す者はない」(15節)。口語訳では文頭に「それゆえに」がつく。 いつも悪を謀るねじれた心のよこしまな者、不法の者、ねじれた心で恵みをたくらむ者には当然、突然災難が起こり、その結末は滅びである

  16~19節 七つの罪
 数え歌の形式。
 高慢、偽り、無実の者の血を流す、悪しき考え、同胞に対する悪意、偽りの証言、争いへの教唆。

  20~36節 姦淫の危険
  文脈からは5章23節につながり、内容は5章と共通する。
「父の戒めと母の教え~」(20節)。神を畏れるイスラエルの民の家訓。
「それをいつもあなたの心に結びつけ、首に巻きつけよ」(21節)。申命記6章6~7節。「戒めは灯、教えは光。懲らしめや諭しは命の道」(23節)。詩119篇105節。「そのまなざしのとりこになるな」(25節)。口語訳「そのまぶたに捕えられてはならない。」誘惑的な厚化粧のことである。
  「七倍の償いをし、家財の一切をそれにあてなければならない」(31節)。口語訳「その七倍を償い、その家の貨財をことごとく出さなければならない」。「どのような償いをも受け入れず、どれほど贈り物を積んでも受け取りはすまい」(35節)。姦淫は家庭を破壊する。

純潔の勧め 

2009-05-17 | Weblog
  箴言5章

  1~2節 導入 知恵に傾聴せよ
 「知恵に耳を傾けよ、…英知に耳を向けよ」(1節)。口語訳「知恵に心をとめ、わたしの悟りに耳をかたむけよ」。知恵に注意を払え。3章1節、4章1節と同じ。長老が若者に「わが息子よ」と呼び掛けて諭す。

  3~14節 異邦の異性を避けよ
 「見知らぬ者の唇は蜜をしたたらせ…」(3節ATD訳)「よその女」口語訳「遊女」。TEV another man's wife 家族に属さない人々。イスラエルにも売春婦がいた。ここでは見知らぬ女を指し、他国人に限定されない。これは石打ち刑となる(申命記22章21節)。蜜はやがて「苦よもぎ」のようになり(4節)、彼女の終わりは、死と陰府であり(5節)、彼は破滅に堕ちていることを知らない(6節)。若者への警告である。
 「…長寿を残酷なものに渡してはならない」(9節)。口語訳「…あなたの年を無慈悲な者にわたすに至る。」「残酷なもの」とは短命に終わるということか。
 「よその者」(10節)。 3節と同じ。「…肉も筋も消耗し、あなたは呻き~」(11節)。口語訳「あなたの終りが来て、あなたの身と、からだが滅びるとき、泣き悲しんで」性的不道徳は、後悔しても追いつかない。
12節 結婚の誓いを破り、相互の義務を果たさなかった結果、自己耽溺の中に陥没した。そこでは自己投影としての偶像礼拝者となった。
14節 共同体の一員として失格者となる。これは民衆の前に祭儀的な断罪とされることである。

 15~20節 健全な夫婦生活
 15~20節では清い結婚生活を言い表す。その夫婦関係を比喩的な表現で示している。
 「あなた自身の井戸から水を汲み、あなた自身の泉から湧く水を飲め」(15節)。「井戸」(水ため)から水を汲み、井戸(泉)から湧く水を飲むとは、優雅な夫婦の性生活を意味している(雅歌4章12、14節)。
 「その源は溢れ出て、広場に幾筋もの流れができるであろう。」(16節)。解釈困難な句で、口語訳「外にまきちらし、水の流れをちまたに流してよかろうか」と疑問形に訳している。「水」を男性の生殖力と解釈すると、「よその女」(3節)に精力を使うなという意味になる。「彼女は愛情深い雌鹿、優雅なかもしか…」(19節)。雅歌2章7節、7章4節。「異邦の女」(20節)。はATD訳「見知らぬ女」。

 21~23節 結語 主の前を歩む
 「人の歩む道は主の御目の前にある」(21節)。すべてを見抜かれる神の眼に注意が向けられる。「主に逆らう者は…諭しを受け入れることもなく、重なる愚行に狂ったまま、死ぬであろう」(22~23節)。ATD訳「彼は、彼の罪の縄目につながれる。彼は訓育の欠如によって死に、その大きな愚行によってよろめき歩くだろう」。

 キリスト者にとっては聖霊による鋭い判断力を与えられねばならない(フィリピ1章9節)。