ママザウルスの行政書士への道

+むすめ(コザウルス)との のほほ~ん記

転んだ後と19日ぶりのシャワー

2018-02-14 | 日記~いろいろ編

↑昨日の新潟県長岡市。雪空の晴れ間となりました。

新潟県の人にとって、冬の間青空が続く関東の天気は贅沢だ、ということです。

さて、前回スキーで転んだときのことまで書きましたが、その後のことです。

数百メートル先の方で待っているコザウルス(娘小学6年生)に「ママ足の骨が折れた。動けない。」と大声で叫びました。

何度目かでやっと声が届き「どうすればいいの?」とコザウルス。

私「パトロールの人を呼んでー。」

コザウルス「どうやって呼ぶのー?」と、こちらに登って来ようとする姿が。

仕方なくコザウルスに頼むのは一旦あきらめました。

しかし、空いているコースを選んで来てしまったためか、人を呼ぼうにも誰もいません。

やっと通ったスノーボーダーを見過ごし、次に通りがかったボーダーへ意を決して「すみません!」と声をかけました。止まってくれました。

ボーダー「どうしたんですか?」

私「パトロールを呼んでいただけませんか?」

ボーダー「わかりました。」と言って、ボーダーの仲間に「危ないからその人の所に立っていて。」と頼んでくれました。

これで遭難しない、少しほっとしました。

コザウルスが私の所まで登って来て、寒さで震えだした頃、ようやく救助隊が到着しました。

住所、氏名、生年月日、転んだ状況等ひととおり話し、さらにタンカーを待つこと数分。

スノーモービルが来るかと思いましたが、到着したの一艇の手漕ぎボートのようなもの。

応急処置で足を固定され、そのボートに入れられ、雪が入るからと蓋をされました。

棺桶に入った気持ちでした。

「途中揺れるので健常な方の足で踏ん張ってください。」と言われて、踏ん張りましたが、約6km下方にある救助センターまでは揺れに揺れ、このときが一番と言ってもよいほど痛かった!

それでも、痛いのは生きている証拠と思って耐えました。

コザウルスも救助隊員が引っ張るボートを追いかけて一緒に降りて参りました。

そして救急車の中、搬送先がなかなか決まらず湯沢から80km北に位置する長岡へ。

救助を呼んでくれたボーダーの方を始め、救助隊、救助センターの看護士さん(小学5年生の娘さんがいると言っていた)、救急車の中でお世話になった方、病院スタッフの方、家族、沢山の人達のおかげで今があります。

どうか皆さんによいことが訪れますように…

そして、昨日は19日ぶりにシャワーを浴びることができました。

毎日自由にシャワーできていたときが贅沢にさえ感じます。


バレンタインデーでお昼ご飯にデザートがつきました

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