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『いいかよく聞け、五郎左よ!』 -もう一つの信長公記-

『信長公記』と『源平盛衰記』の関連は?信長の忠臣“丹羽五郎左衛門長秀”と京童代表“細川藤孝”の働きは?

高倉永孝(たかくらながたか)

2017-11-19 00:00:00 | 信長公記の蔵:人物篇
高倉永孝(たかくらながたか)

〔現代仮名遣い〕たかくらながたか

※下線部は信長公記以外の記事によります。


永孝殿・藤宰相御方永孝・高倉右衛門佐殿・

高倉藤右衛門佐殿。高倉永相の子。

1562年従五位下。

1574年右衛門佐。


1575年3月信長上洛時、今川氏真を接待する

    為の蹴鞠の会に父と共に参加。

1579年11月誠仁親王の二条御新造への移徙

    に同行。

1581年2月京都での馬揃えに、公家衆として

    参加。

1586年従三位。

1594年参議。

1598年正三位。

1606年権中納言。

1607年4月死去。


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