goo blog サービス終了のお知らせ 

『いいかよく聞け、五郎左よ!』 -もう一つの信長公記-

『信長公記』と『源平盛衰記』の関連は?信長の忠臣“丹羽五郎左衛門長秀”と京童代表“細川藤孝”の働きは?

宮部継潤(みやべけいじゅん)

2019-08-24 00:00:00 | 信長公記の蔵:人物篇
宮部継潤(みやべけいじゅん)

<現代仮名遣い>みやべけいじゅん

※下線部は信長公記以外の記事によります。


善祥坊。近江宮部の住人。

天文年間1532~1555年比叡山の僧となるが、のち

浅井長政に仕える。浅井氏の守将として織田信長に

対抗するが、1571年秀吉の誘いに応じ信長に降伏。

三千石を領した。


1572年信長浅井攻めの時、信長方として宮部の取

    手に入る。


1581年10月鳥取城を攻め落とした羽柴秀吉は、宮部

    継潤を城代としていれておく。

1587年九州征伐に従軍。日向高城で島津家久の率い

る大軍を撃退。また、のち豊後の太閤蔵入地の代官

をつとめる。

1594年伏見城の普請工事を分担。

1596年隠居して家督を子長熙に譲る。

晩年は秀吉の御咄衆の一人に加えられ、1599年3月死去。



↓ランキングに参加中。クリック応援よろしくお願いします!
にほんブログ村 歴史ブログ 戦国時代へ
にほんブログ村

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 宮西遊左衛門(みやにしゆざ... | トップ | 宮本兵大夫(みやもとへいた... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

信長公記の蔵:人物篇」カテゴリの最新記事