小栗吉忠(をぐりよしただ)
<現代仮名遣い>おぐりよしただ
※下線部は信長公記以外の記事によります。
二右衛門。松平宗家の末流で、はじめ松平氏を
称したが、母方の小栗姓を称するようになった。
吉忠は松平広忠に小姓として仕え、広忠の死後
は家康に仕えた。
1563年三河一向一揆の際、家康方として居館筒
針の砦を守る。
1569年には掛川城攻めの戦功により、四十人を
つけられ同心級八百二十四貫を与えられた。
1582年4月徳川家康の命により、小栗吉忠・浅井
道忠・大橋の三名が奉行をつとめ、天竜
川池田の宿のあたりに舟橋をかけた。
1590年9月駿河城で死去。
※小栗氏は松平宗家の出自であるという。
もしかしたら小栗旬も・・
<現代仮名遣い>おぐりよしただ
※下線部は信長公記以外の記事によります。
二右衛門。松平宗家の末流で、はじめ松平氏を
称したが、母方の小栗姓を称するようになった。
吉忠は松平広忠に小姓として仕え、広忠の死後
は家康に仕えた。
1563年三河一向一揆の際、家康方として居館筒
針の砦を守る。
1569年には掛川城攻めの戦功により、四十人を
つけられ同心級八百二十四貫を与えられた。
1582年4月徳川家康の命により、小栗吉忠・浅井
道忠・大橋の三名が奉行をつとめ、天竜
川池田の宿のあたりに舟橋をかけた。
1590年9月駿河城で死去。
※小栗氏は松平宗家の出自であるという。
もしかしたら小栗旬も・・