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『いいかよく聞け、五郎左よ!』 -もう一つの信長公記-

『信長公記』と『源平盛衰記』の関連は?信長の忠臣“丹羽五郎左衛門長秀”と京童代表“細川藤孝”の働きは?

小栗吉忠(をぐりよしただ)

2020-04-09 00:00:00 | 信長公記の蔵:人物篇
小栗吉忠(をぐりよしただ)

<現代仮名遣い>おぐりよしただ

※下線部は信長公記以外の記事によります。


二右衛門。松平宗家の末流で、はじめ松平氏を

称したが、母方の小栗姓を称するようになった。

吉忠は松平広忠に小姓として仕え、広忠の死後

は家康に仕えた。

1563年三河一向一揆の際、家康方として居館筒

針の砦を守る。

1569年には掛川城攻めの戦功により、四十人を

つけられ同心級八百二十四貫を与えられた。


1582年4月徳川家康の命により、小栗吉忠・浅井

    道忠・大橋の三名が奉行をつとめ、天竜

    川池田の宿のあたりに舟橋をかけた。

1590年9月駿河城で死去。


 ※小栗氏は松平宗家の出自であるという。

  もしかしたら小栗旬も・・



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