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『いいかよく聞け、五郎左よ!』 -もう一つの信長公記-

『信長公記』と『源平盛衰記』の関連は?信長の忠臣“丹羽五郎左衛門長秀”と京童代表“細川藤孝”の働きは?

楠木正虎(くすのきまさとら)[1/2]

2017-01-03 00:00:00 | 信長公記の蔵:人物篇
楠木正虎(くすのきまさとら)[1/2]

〔現代かなづかい〕くすのきまさとら

 ※記事量多いので二回に分けての投稿です。

 ※下線部は信長公記以外の記事によります。

長安。河内守、入道して長諳、式部法印。

信長・秀吉の右筆。

書を飯尾常房に学び、世尊寺流の当代一流の

書家であった。始め大饗長左衛門といい、

楠木正義の子孫と称し、信長のとりなしで

正親町天皇に願って正成ら楠木氏の朝敵の

勅免を受け、正虎も楠木氏を称し従四位上・

河内守に任ぜられた。


1575年7月上京・下京の衆が信長のために

    妙顕寺で能を興行。そこで能を観る。

1580年8月信長は佐久間信盛・信栄父子に対し、

    大坂で十九条にわたる折檻状を書き

    上げ、楠木正虎・宮内卿法印・中野

    重吉を使いとして送り、国外退去を

    命ずる。始め高野山まで下るも許されず、

    熊野の奥に逐電する。


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