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『いいかよく聞け、五郎左よ!』 -もう一つの信長公記-

『信長公記』と『源平盛衰記』の関連は?信長の忠臣“丹羽五郎左衛門長秀”と京童代表“細川藤孝”の働きは?

塚本小大膳(つかもとこたいぜん)

2018-03-13 00:00:00 | 信長公記の蔵:人物篇
塚本小大膳(つかもとこたいぜん)

〔現代仮名遣い〕つかもとこたいぜん


塚本氏は尾張国海部郡の豪族。信長の臣。

1569年8~10月の伊勢攻略戦に参加。

1570年6月の浅井攻めに参戦。

1570年8~9月の野田・福島の合戦に参戦し

    「川口」を守備。

1570年9~12月の叡山の浅井・朝倉攻めの時、

    穴太の在所を守備。

1571年5月長島攻めに参戦。

1573年8月信長江北攻めの時、陥落した大づく

    山を守備。

1574年7月信長父子の河内長嶋成敗に参戦し、

    信忠の軍勢として市江口を攻撃。

1575年11月岩村城からの敵勢の降参を信忠・

    信長に取り次ぐ。塙伝三郎を目付け

    として降参の次第を信忠・信長に通告。

1578年6月信忠から兵庫・高砂の路次警護の替

    番を命じられる。1582年2月木曾口で、

    木曾義昌・遠山久兵衛の軍勢に、織田

    長益・織田・織田孫十郎・稲葉貞通・

    梶原景久・塚本小大膳・水野忠分・簗田

    彦四郎・丹羽氏次が合流する。敵馬場昌

    房は深志の城に籠もり、鳥居峠の信長方

    に対陣する。

1582年3月織田信忠が高遠城を攻陥し上諏訪に

    進出すると、木曾口の木曾義昌・遠山久

    兵衛の軍勢に、織田長益・織田・織田孫

    十郎・稲葉貞通・梶原景久・塚本小大膳・

    水野忠分・簗田彦四郎・丹羽氏次たも深

    志城に軍勢をつめる。立てこもっていた

    馬場昌房は降参し織田長益に城を渡し退

    散する。

 
 ※有名ではない武将ですが、岩村城降参の取次

  ぎ役を務めている点から見て敵からも知られ

  信長方でも信頼感のあった人物のようです。


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