おいみず亭 Family & Friends

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Sigur Rosへの道(その3)

2007-08-25 18:14:15 | 最近聞いた音楽
シガー・ロスを何度か聞いていると、これは遅れてはじけたポップコーンだな、と思いました。

少し前・・・といっても10年ぐらい前だとおもうので、もう一昔前のことですね。そのころ、何故か現代思想の本を読みあさっていた事があります。
大げさに言えば、人間は世の中の物事をどのようにして理解しているのだろうか? ということに疑問を抱いて、哲学をひも解いていた、ということになります。
あくまでも、「大げさに言えば」なんですけど。。。

で、その時にソシュールと出会いました。
といっても「一般言語学講義」を読んだとか言えば格好がつけられるのですが、極く普通の解説本を読んだだけです。
でも、これで、目からウロコが何枚も落ちた様に思います。

ソシュールの「一般言語学講義」について、ネットで検索すればあちこちで見つかると思うので詳細はそちらに譲り、簡単に説明します。
まず、言葉はシニフィアン/能記とシニフィエ/所記で成り立つ記号であるという事。
そしてしシニフィアンとシニフィエの結びつきは恣意的なものであるという事。
つまり言葉は、意味とそれを指すための呼び名から成り立っていて、その結びつきは人それぞれで少しずつ違っている。
例えば、私が「いぬ」といったときに、私の「いぬ」という言葉が指している概念と、Aさんが言うところの「いぬ」という概念には、ビミョウなズレがある、ということです。
例えば、私が「ロック」といったときに、私の「ロック」という言葉が指している概念と、Aさんが言うところの「ロック」という概念には、ビミョウなズレがある、ということです。
例えば、私が「プログレ」といったときに、私の「プログレ」という言葉が指している概念と、Aさんが言うところの「プログレ」という概念には、ビミョウなズレがある、ということです。

で、そうか!! と気づきました。AさんとBさんが、同じ言葉を使って同じものを指していても、それは100%一致している訳ではないんだ。
ということは、もともと解釈のズレというか、誤解を前提に話をしていかないといけない、ということです。
突然仕事の話で恐縮ですが、我々ソフト屋がお客さんの要望をまとめて設計するとき、かならずこの「ズレ」が入り込むので、どこかで修正してやらないといけないんです。
そのズレが生じる理由が、これでハッキリしました。

でも、そのズレを前提にしても言葉が成り立っているのは、言語にはラングとパロールという2つの側面があるためです。
ラングというのは、言葉の体系。人の話した言葉、例えば日本語として発話された言葉を解釈するための言語的・文化的な背景みたいものだと思います。
パロールは、人が発話した言葉そのもののことです。
ここで、突然糸井重里氏の登場。
「糸井重里のイトイ式コトバ論序説」という本があります。ネットで調べたら廃刊になっているようです。
これは、テレビの深夜番組で糸井氏が講演を行ったときの模様を本にしたものです。
この中で、コピーライターの糸井氏は「詩の言葉」の説明にこのラングとパロールを使っていました。
「詩の言葉」というのは、CMで言えばキャッチコピーみたいに、人を惹きつけるような魅力的な一節、となるのでしょうか。それこそ詩のように人の心を動かす特別な言葉、です。
この「詩の言葉」がどうして生まれるのか、を説明していたのですが確か
 言葉の意味をずらす
というのがポイントだったと思います。
ただ、勝手にずらしただけでは、聞いた人が解釈できないので、聞いた人が解釈できる範囲でずらす。
このずらして作られた言葉が「詩の言葉」。つまりパロールです。
そして、その「詩の言葉」を解釈するための背景がラングとなります。
ところがこの「詩の言葉」には賞味期限があります。
最初誰かが気づいた「詩の言葉」を誰かがまねをしていくうちに、手あかにまみれて、いつの間にか「ただの言葉」になってしまいます。
言葉の意味をずらして、いままでのラングの体系から外れた新しく水々しい「詩の言葉」はいつの間にか、ラングの中にとりこまれて、ありふれた言葉になってしまいます。
ここが、「表現」というものの難しい点です。

と、いうことを読んでた当時は疑問符がいくつも飛び交っていたのですが、あるときこの「詩の言葉」というのは、フライパンの中のポップコーンだ、と思いました。
フライパンの中に、堅い皮に包まれたコーンを入れて火にかける。このときのフライパンの中身がラング。
あぶられると、ポンポンと弾けてポップコーンができ上がっていきます。
ポンポンはじける音がとても楽しげに聞こえてきます。
この「ポンポン」状態がパロール。「詩の言葉」ですね。
やがて、全てのポップコーンがポンポンはじけてしまうと、フライパンの中は落ち着いてしまいます。
もうそこからは新しい「詩の言葉」は生まれてきません。
その変りに、美味しいポップコーンができ上がり。
ポップコーンができ上がると、こんどは、そのポップコーンを食べるという事に興味が移ります。

ポップコーンの弾ける様子を楽しむのが、新しい表現を楽しむ事、今までの解釈をずらした新しい解釈を楽しむ事だとすると、ポップコーンを楽しむのは、様式として完成した表現を楽しむ様なものなのかな、と思います。

と、今日も長い前振りでしたが、ここで冒頭のシガー・ロスは遅れて弾けたポップコーン。
ニュー・ロック、アート・ロック、ハード・ロック、フォーク・ロック、サザン・ロック、ブログレッシブ・ロック、と様々な様式が出そろったロック界ですが、様々な音楽がうまれ、そしてそれぞれ様式化していき、もうそろそろ底も尽きたろうと思った頃に、遅れて弾けたのがシガー・ロス。

ロックって、もともとかなり騒音に近い音楽だったと思うのですが、ノイズを取り入れたり、クラシックに近づいたり、民族音楽に近づいたり、SFチックになったりといろんな事をして、その境界を広げようとし続けた音駄だと思います。
特にプログレというのは、ロックのルーツであるブルースまでをも切り捨てて新しい表現を模索してきたように思います。
シガー・ロス聞くと、そういう境界を易々と乗越えてしまった、そんな感じがします。

1曲目と2曲目を聞いたときは、このバンドはノイズを使った静かなエレクトリックサウンドなのかなと思いました。
3曲目からはストリングスが入って、もうここからはこのバンドの独壇場。
ある意味、プロデュースの勝利、ともいえるのですが・・・
でも、今までこんなサウンドは聴いた事がありません。(ZNRが斜にかまえた感じだけど、近いのかも・・・)
ゆったりとしたリズムとボーカルに身を任せていると、ダウン・トゥ・アースでもない、トランスでもない、ヒーリングでもない、でも居心地の良い場所にいる、そんな今まで感じた事のない気分になります。

「( )」はCCCDということで聞いていないのですが、
「Takk...」も似たような内容のアルバムでした。
どのアルバムが良いか、という事ではなくて、とにかくどれでも聞いてもらえれば、遅れてはぜたポップコーンの味を堪能できると思います。


文字化けしていたら、ゴメンナサイ



[ágætis byrjun]
1. intro
2. svefn-g-englar
3. starálfur
4. flugufrelsarinn
5. ný batterí
6. hjartað hamast (bamm bamm bamm)
7. viðrar vel til loftárása
8. olsen olsen
9. ágætis byrjun
10. avalon


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