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おいみず亭 Family & Friends

美味しい食べ物と知的好奇心、そして楽しい仲間!!

自由訳イマジン / 新井満・訳

2006-10-18 04:25:52 | 最近読んだ本
Imagine there's no heaven
it's easy if you try
no hell below us
above up only sky
imagine all the people
living for today...

あまりにも有名なこの歌詞、改めて自分の言葉で訳そうとした新井さん、すごいものだと思います。



しばらく前に、この本を読んで、感想を書かなくては・・・とおもいつつ今に至っています。

新井満による「自由訳」イマジン。なるほどこういう方法もあるんですね。自由訳も読んでみたかったのですが、それより洋子さんとの対談に興味があって読みました。

対談の中で、新井満と洋子さんは、キップリングの詩を引用して、ジョンとヨーコの関係は西と東の出会いだと話していました。もともとジョンにはタオ的なところがあって、それがヨーコ=東洋と出会って、ジョンの作品や生き方がますます老荘思想的になっていったとか。

ま、一番身近な洋子さんがそう言うのですから、これは間違いの無いことでしょう。ジョン自身がタオイズムだということは気がつきませんでした。
面白かったのは、新井満が「大器晩成」について話したこと。老荘思想で言う「大器晩成」とは「完成するようじゃ大物じゃない」ということらしいです。つまりいつまでも未完成であり続けること、これが大器晩成だそうです。
ビートルズといまだ若い時期に功を成したジョン。そしてその後のソロ活動でも、数々のヒットを生み出しています。若くして大成したようなジョンですが、「ダブル・ファンタジー」で、それまでのわだかまりを捨てて、新しい姿を見せてくれたました。多くの成功を収めてきたようなジョンですが、これから新しいジョン・レノンとして活動しようとしたその時に、志し半ばでこの世を去ってしまいました。洋子さんが「大器晩成」型だといっていたジョン、生きていたらそれまでのわだかまりを捨てた、本当のジョン・レノンとして様々な作品を聞かせてくれていたことでしょう。

ところで、私はジョンとヨーコの関係、西と東の出会いというよりも、男性と女性の出会いではなかったかと思っています。どちらかというと女性的な感性のジョンと、男っぽい感性のヨーコさん。男性的・女性的という二元的な物ではなくて、男性的なものと女性的なものがうまく融合して、そしてでき上がったのが「イマジン」ではないでしょうか。
今の社会は、どちらかというと男性的な考え方に支配されていますが、「イマジン」のように、男性的なものと女性的なものが出会って、また違った考え方の社会になっていくと面白いんじゃないかなって思っています。

you may say I'm a dreamer
but I'm not the only one
I hope someday you'll join us
and the world will be as one

アタゴオル物語 1巻 / ますむらひろし

2006-10-11 04:59:02 | 最近読んだ本
あのヒデヨシがアニメになるというので、アタゴオル物語を引っ張り出して読んでみました。

頻繁に読むわけではないのですが、本棚の一番手前においてあります。「アタゴオル物語」がそこに並んでいるのを見るだけで、なんだか気持ちが和らぐような気がします。

久しぶりに会った、タクマ、テンプラ、ヤニパンツ、そしてヒデヨシ。最初の5話ぐらいまでは、同人誌から出てきましたといった感じの絵と、無理やり作ったファンタジーの世界といった感じでちょっと居心地がよくありません。第一話の発表が1976年。この時代特有の絵も、好みの分かれるところでしょう。でも、しばらく読んでいると突然力が抜けたのか、自然にファンタジックなアタゴオルの世界を描いています。

アタゴオルは猫の国です。そこになぜかタクマやテンプラのような人間も一緒にすんでいます。特にはらはらどきどきする事件が起こるわけでも無く(ほほ笑ましいちょっとした出来事は起こります)、手に汗握るようなアクションが繰り広げられるわけでもありません(ちょっとした冒険はあります)。
「力ではたどり着けないところ」そこがヨネザアドにあるアタゴオルの森です。

ますむらひろしというとアニメ映画「銀河鉄道の夜」がありますが、そこに出てくるネコ達のふるさとがこのアタゴオルにあると思います。先に書いたように絵を見ただけでは、好き嫌いがはっきりと分かれるかもしれませんが、この不思議な透明感のある世界はなぜか好きです。
主人公(?)のヒデヨシが、酒好きで時々ビートルズを口ずさむような音楽好きというのも惹かれるところです。

そのヒデヨシ君が突然アニメになってやって来ます。なぜ、今、突然? という気持ちもあります。うーん、映画館まで会いに行くかなぁ。。。アタゴオルを読みながら考えてみます。

アーシュラ・K・ル=グウィン

2006-09-20 02:21:59 | 最近読んだ本
ユリイカ8月臨時増刊号というのを買ってきました。一冊まるまるアーシュラ・K・ル=グウィン特集です。といっても8:2、うーん、7:3ぐらいでゲドの映画の話も出てきます。
内容はというと、
・グウィンの新作の詩が伊藤比呂見(ここに注目!!)の訳であります。
・短編が青木由紀子(これも注目かも!)の訳で載っています。
・河合隼雄が「ファンタジーと言葉」というタイトルでゲド(影との戦い)について書いています。
・2000年に行われた本人へのインタビューがあります。
・今年行われた宮崎吾朗へのインタビューがあります。
その他、読みでたっぷりですが、まだ全部は読んでません。

巻末にル=グウィンの年譜が載っていました。
ゲドの1冊目「影との戦い」は39歳の時に出版したようです。
以下、ゲド関連だと
「こわれた腕輪」41才
「さいはての島へ」43才
「帰還」61才
「アースシーの風」と「ゲド戦記外伝」72才

72才というで驚いていたら、最近翻訳が出た新しいシリーズ「西のさいはて年代記」の第一作「ギフト」は75才(2004年)。第二作の「ヴォイス」は2006年発行(77才)で、第三作「パワー」が来年出版予定だそうです。
年齢を感じさせない、精力的な活動。
というより、年齢を重ねるに従って、ますます視点が定まっていくような感じさえします。

「ギフト」を本屋で見つけたとき、買おうかどうしようか迷ったのですが、この年譜を見て、読んでみようと決めました。
今読んでいる何冊かが終わったら、「西のさいはて年代記」に取りかかってみたいと思います。



アーシュラ・K・ル=グウィン公式サイト
より。
 スタジオジブリのGedo Senkiについても書いてあります。



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愛のひだりがわ / 筒井康隆

2006-09-02 16:56:58 | 最近読んだ本
Wikipediaで筒井康隆の作品集を眺める。
「愛のひだりがわ」の前に読んだ作品はなんだったか・・・

「東海道戦争」「48億の妄想」「ベトナム観光旅行団」「アフリカの爆弾」初期の作品はほとんど知っている。こんなに読んでいたのか、と改めて驚きました。記憶をたどると、最初に読んだ筒井康隆は「心狸学・社怪学」とか「霊長類南へ」講談社文庫だったような気がします。

で、「愛のひだりがわ」の前に読んだ筒井康隆はなんだったか。
「文学部唯野教授」。勢い余って「文学部唯野教授のサブ・テキスト」なんてのも読んでたのを思い出しました。ちょうど「構造主義とは何ぞや?」なんて調べていた頃に、格好のテキストとして利用していました。

で、「愛のひだりがわ」です。
筒井龍ジュブナイルということで、筒井康隆の作品では「時をかける少女」や七瀬シリーズの延長線上の作品です。
しかし、筒井康隆といえば、断筆宣言までした作家です。その力強い意志で、荒廃した社会や人の心を徹底的に醜く描いています。主人公月岡愛の母親の金を巻き上げた愛の保護者の英知さん、愛をいじめの対象にする同級生、町のゴロツキ達や暴走族。その筆先は社会的な地位に関わらず、金持ちであっても付和雷同的に生きるもの、自分の立場を守ることだけを考えているもの、そういう人物像をとても醜く描き、悲しい結末を用意しています。その描き方は、昔のブラックでスラプスティックな作品にも通じるようなツツイワールドを描き出しています。

そのかわり、愛のひだりがわを守る人たちと犬たち、夢や希望を実現しようと生きている人たちには、徹底的に優しい眼差しを投げ掛けています。愛は、小さい頃に町の野良犬・グレートデンのダンによって左手を噛まれてしまいます。それ以来左手が不自由になってしまうのですが、その左側をダンとデンの夫婦のによって守られていました。母親が亡くなり、家族を捨てて家出した父親を探しに旅に出てからは、同級生のサトルやご隠居さんなど愛の左側を一緒に歩く人たちに見守られながら、心の成長を遂げていきます。

旅の終わりに、父親と再会した愛。そして、作者はもう一つの再会を用意していました。長いこと、離れ離れになって暮らしていた野良犬夫婦のダンとデン。二つの家族の再生と別れ。読後に、じんわりと心が動かされるような、愛の喪失と再生の物語です。



筒井康隆公式サイト

アーサー王物語

2006-07-16 02:12:10 | 最近読んだ本
歯医者へは電車で1時間弱。「夏休みには日ごろ読めない大作を読もう」というわけではないですが、ずっと放置していた「アーサー王物語」を引っ張り出してきました。

アーサー王と円卓の騎士の物語を最初に知ったのはリック・ウェイクマンの「アーサー王と円卓の騎士たち/Myths & Legends Of King Arthur & The Knights Of The Round Tabl」でした。

このアルバムはロックバンド+オーケストラ+コーラス隊という構成で、さらにライブではスケーター達による演技までパッケージされているという大仕掛けなもの。アルバムの作りも歌詞カードがブックレットになっているしポスターはついてくるしで、これまたおなかいっぱい状態。
このアルバムに登場するのはアーサー王、グゥイネヴィア王妃、魔術師マーリン、湖の騎士ラーンスロット卿、ガラハッド卿ぐらいでした。リックウェイクマンの曲は、これらの登場人物について物語を作っているのですが、「アーサー王物語」の全体としていったいどのようなお話なのか、とても気になっていました。が、良い本を見つけるができないでいました。

それから月日が経ち、LPの時代からCDの時代になってからだいぶ経ってから、やっとローズマリー・サトクリフのアーサー王物語3部作に巡り合うことができました。

サトクリフという作家、古典に基づいて物語を再構成するのがうまい作家で、この3部作も「サトクリフ版アーサー王伝説」という感じがします。

サトクリフの本を読んでびっくりしたのですが、騎士というのは自分の領地を守っている領主のような存在かと思っていたのですが、やたらと冒険に出かけるのでした。冒険に出て、名誉と乙女のために戦う戦う。騎士と出会うたびに戦いをして、時には殺し合いをします。そうやって国中を飛び回って、国王の名を知らしめていたのかなぁと思いましたが、実際のところどうだったんでしょうね。

さて、それで、いよいよ「アーサー王物語」。トマス・マロリーが執筆して1485年にキャクストンによって出版された「キャクストン版」と呼ばれるものの完全翻訳版。翻訳はケルト文学の紹介などで有名な井村君江。

本が大きくて重たいのと、訳が時々日本語として破綻しているのが気になるところですが、完全訳ということで目をつぶることにします。

今日読んだのは7章の半分程度。ガヘリス卿が赤い国の赤い騎士によって包囲された貴婦人を救いにいく話。作家のトマス・マロリーは、後世に読み継がれるような大ファンタジーを書いてやろうという気は無かったのではないでしょうか。とにかく騎士を主人公にした大活劇。騎士や貴族に受けるように書かれた、大娯楽作品だったのではないかと思います。
ということで読んでみると、なんだか南総里見八犬伝にちかいものがあるように思います。

メチルメタフィジーク/吾妻ひでお

2006-05-11 04:38:51 | 最近読んだ本
吾妻ひでおの「失踪日記」が手塚治虫文化賞を貰ったそうです。
めでたい話なので、読み返そう・・・と思ったらどこかにしまい込んで見つかりません。本棚の隅にあった「メチルメタフィジーク」読み返しました。星雲賞とったときの話とか、SF/ギャグ/不条理/オタク・・・やっぱり凄いですね。

「失踪日記」。このマンガが出版される少し前「あじましでおは何しているんだろう」と漠然と考えていました。そしたら本屋でこのマンガと遭遇。昔ながらの丸っこい人物に「ああ、元気だったんだ」と手に取って見たらびっくり。「全部実話です」。失踪2回にアル中で入院と、凄い生活していたんですね。でも、悲壮感はなくて、なんか吹っ切れて、すっきりしたような感じです。読み終えてなんだか「ああ、良かった」とホッとしました。

web探していたら、吾妻ひでお公式サイトを発見しました。

なんか、まとまりがありませんが、以上。

ゲド戦記外伝 / アーシュラ・K. ル=グウィン

2006-04-25 04:03:48 | 最近読んだ本
ジブリのおかげで、やっとゲド戦記外伝が物語コレクションになった。

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カレシンが国連に招かれて演説をするというので、休みをとってテレビで観る事にした。カレシンは人間の姿で黒塗りの車から降りてきた。

やがて、演説が始まった。あの誇り高い竜が人間の言葉で話し始めた。
「私たち竜の兄弟にして、魔法使いの子孫である人間の皆さん。今日はお招き頂いて感謝いたします。
「私たち竜と人間の関係はとても古い。私たち竜は、遠い昔人間にロゴスを教えた。ロゴスによって、人間達は物の本当の名前を知りえるようになった。そして、次第に本当の名前が物を縛って居ることに気付き、魔法の術を手に入れた。
「最初、人間達は魔法を頼りにした。しかし、魔法によって世界の均衡は次第に崩れ始めていた。それは、気がつかないぐらい少しずつの変化から始まり、しかし気がついたときには既に手遅れとなっていた。人間達は魔法を嫌うようになり、魔法使いを疎んじるようになった。しかし、自分たちの益のために、魔法を使い、魔法使いを頼りにするようになった。異変がおきた最初の頃、この異変の原因と魔法の間には、漠然とした関係があるように思われていたが、結局人間は自分たちのために魔法を使い、世界の均衡をどんどん崩していってしまった。
「しかし、魔法使い達のなかには、この異変の原因を突き止めて、もとの均衡の保たれた世界へ戻そうと試みる者たちもいた。そして、ロークの魔法学院を造り、魔法使い達をここに集めた。今まで勝手気ままに魔法を使っていた者たちは、ロークの魔法学院の規律に縛られる事になった。そして、均衡を崩すような魔法の使用は禁止され、やがて世界の均衡は再び保たれる様になっていった。そして、ゴントから来た大賢人と、ハブナーの若き国王によって、均衡のとれた世界が長く保たれる事になった。
「しかし、大賢人は去り、やがてハブナーの国王も退くとローク魔法学院の力も徐々に衰え始めていった。やがて、ロークのことは人々の記憶から消え去り、それとともに魔法使い達の事も忘れられていった。そして、魔法の術を記した本も失われ、人間達は魔法を使っていたことさえ忘れてしまった。
「それでも人間達が持っていた魔法使いとしての性質が消えたわけではなく、また、魔法を使いたいという欲望も失われていなかった。やがて、人間達は再び魔法の力を見つけ出す事に成功した。
「こうして再び人間達は魔法を使うようになった。しかし、それは嘗て竜から学んだロゴスによって見つけ出した魔法ではなかった。新しい魔法を手に入れた人間達は、魔法のもたらす益にばかりに目を向けて、魔法の本当の恐ろしさを知らなかった。世界の均衡は再び崩れ始めた。しかも今回は大賢人も居なければ、魔法使いを律する魔法学院も無い。人間達が世界の均衡を崩す事により、西の島では再び若い竜たちが暴れ始めた。やがて人間達を襲いに来る事になるだろう。
「そうならないように、そうならないうちに、再び人間達の魔法を律して世界の均衡を保たなければ成らない。かつて大賢人ゲドが行った事を、今度は私カレシンが背負わなければ成らない。その重荷の事を思うだけで、この竜の身が押しつぶされそうになる。しかし、今逃げ出すわけには行かない。かつて大賢人に若きアレンが力を貸したように、人間の皆さんにも力を貸していただきたい。」

事件が起きたのは、カレシンが建物を出て車に乗ろうとしたときの事だった。一本の矢がカレシン目掛けて飛んできた。木陰にいた男が、矢に向かって呪文を唱えると、矢は二つに折れて地面に落ちた。
その矢は、中世のドラゴンスレイヤー達が使っていた矢だった。
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ゲド戦記外伝 物語コレクション
アーシュラ・K. ル=グウィン 著
清水 真砂子 翻訳
岩波書店

意味がなくてはスイングはない / 村上春樹

2006-01-31 03:04:42 | 最近読んだ本
最初の出会いは、糸井重里との共作(競作?)「夢で会いましょう」でした。
当時、ちょっとばかりペンギニスト本読んでいて、糸井重里につられて読んだのですが「この村上春樹って鋭いなぁ」と思い、そこから初期3部作に浸りました。
(とはいえ、いきなり「羊」から入ったもので、「ねずみ」というのが何者か、なかなかわかりませんでした)
そこから一気に、短編集、「世界の終わり/ハードボイルドワンダーランド」「ノールウェイの森」と突き進み、「ダンス・ダンス・ダンス」を数ページ読んで突然村上春樹が読めなくなりました。長編も、短編も、エッセーも、翻訳物もとにかく村上春樹のいっさいを読む事ができなくなりました。過剰摂取によるアレルギーみたいなものだったのかもしれません。

読めなくなった、けど、気にはなるわけで、新刊が出ると、本屋で眺める事はしました。でも、買う事はありませんでした。
やっと、なぞの村上春樹アレルギーを、「読みたい」という意志が克服したのが「アフター・ダーク」。
ところが「東京奇譚集 」はこれまた、過剰反応で手に取らず、なぜか「意味がなくてはスイングはない 」なんて買ってしまいました。この本、村上春樹度が薄いのかもしれません。

こういうブログやっているので、音楽の紹介の方法に興味があったという事もあります。村上春樹が好きなミュージシャン/演奏家について、好きなように料理したこの本。じっくり時間かけて紹介するのって、いいなぁ、と思いつつもそんな余裕があるはずも無く。なにか一つ、ちゃんと文献とかあたってからブログ書いてみようかな。大変相だけど。

で、「意味がなくてはスイングはない」ですが、実のところ迷いました、買うかどうか。
なぜならば、紹介しているミュージシャンが、僕がカバーしていた範囲と全く違う。とうか知らない。かろうじて、ブルース・スプリングスティーン(でもアルバム通しで聞いた事ない)と「SMiLE」で気になっていたブライアン・ウィルソンぐらい。
もっとも、知っているミュージシャンだったら、わざわざ村上春樹に解説してもらうまでもないですよね。でも、自分でも知っているミュージシャンを村上春樹がどう料理するのかは、知りたいですよね。知らないミュージシャンであってもあの「夢で会いましょう」の村上春樹が、どう料理して紹介してくれるのかが楽しみですよね。
つまり、紹介しているミュージシャンを知っていても知らなくても、結論はおなじ、村上春樹がどのような魅力を伝えてくれるか、それが楽しみ。だったら、買ってみるしかない。なんとも自己正当化のための理論ではありますが・・・

12月25日のSMiLE / Brian Wilsonから読み始めているので(電車の中で眠りながら読んだとはいえ、1ヶ月というのは長いですね)それ以前のものと変化があったとすれば、この本の影響のはず。うーん、影響されていても、筆の力が全然及んでませんね。


タイムマシンをつくろう! / ポール・デイヴス

2006-01-29 06:03:44 | 最近読んだ本
著者のポール・デイヴスはオーストラリアのマッコリー大学の自然哲学の教授だそうです。自然哲学といっても物理学者。理論物理の先生のようで、一般向けの物理学書も何冊も書いているそうです。

本書では作ろうとしているタイムマシンは、ドラえもんのタイムマシンのように時間を自由に行き来できるものではなくて、宇宙の中に、たとえば「入り口出口で100年の時間差を持ったトンネル」を作るというものです。マシンというイメージではなくて、構造ですね。宇宙の土木工事。タイムマシンの作り方の説明でまるまる1章を使っています。地球規模の大金持ちのスポンサーがつけば、小さなタイムマシンを作る事もできるかもしれません(ほんとうか?)。

他の章では、時間とはなんぞや? 時間の中を移動するにはどうしたら良いか? 何故タイムマシンの研究を行うのか? ということを説明しています。タイムマシンについてのQ&Aのなから「なぜタイムトラベルを研究するのか?」という質問がありました。この質問の箇所を読んでいるのを、横から見ていた子どもが、そのまんま「なぜタイムトラベルなんて必要なの?」と聞いてきました。「アインシュタイン(のように、宇宙のなりたちを理論的に研究している人たちが居るでしょ。そういう人たちが、理論を重ねていって、タイムマシンを作る事ができるか? もしできるとしたら、今までの理論におかしな事が起きないかを調べなくては成らないし、もしできないとしたらできない理由をちゃんと考えなくては行けない。そうやって、今ある理論が正しいものかどうなのかを考える必要があるんだよ」と説明したら「あ、そうか」と納得していました。
つまり、そういう本です。

最初「パラドクス」と「自己矛盾」の区別がつかなかったのですが、論理的な矛盾が自己完結的なもの(つまり自己矛盾)であるのならば、理論全体としてはたいした問題ではない。タイムマシンの出現によって、逆説的な二つの結論のどちらもが正しいようなパラドクスを起こすようなことがあれば、理論上の危機となる。ホーキングが提唱している「時間順序保護仮説」というものがあるそうです。自然の中に存在する何らかの作用により、時間の順序は乱す事ができないとする仮説。パラドクスが起きない(起きていない)ことを考えると、この仮説に頼らざるを得ないのかもしれない。が、しかし、それで全てが説明されて「タイムトラベルはできない」と科学的に結論付けられるのもつまらないですね。つまらないけど、何によって時間の流れが保護されているのかも気になるところです。「時間順序保護仮説」については、多いに議論してもらいたいと思います。


村田エフェンディ滞土録/梨木香歩

2006-01-14 23:24:25 | 最近読んだ本
この話は、ムハンマドが鸚鵡と出会うところから始まる。
この鸚鵡、人の気持ちを知ってるかのように、辛辣な言葉をずばりと発言する。しかし、そこは鸚鵡が発した言葉、いちいち目くじら立てるわけにも行かず、見ているものは苦笑いするばかり。悪意を持たずに、人の笑いをさそう、いわば道化役のような登場人物(?)である。

梨木香歩の作品「家守綺譚」に名前だけ出てくる村田青年がトルコに留学したときの話である。時代は、「家守綺譚」同様明治後半、第一次世界大戦が始まる直前。トルコがヨーロッパ列強に対抗して近代化を図り、その一環としておこなっている遺跡発掘を行っている。

村田青年が宿泊したディクソン夫人の屋敷は、梨木さんがエッセイの中で述べている、ご本人がイギリスに留学したときの下宿がモデルのようだ。各国から遺跡発掘のために集まってた人々が一つ屋根の下に暮らしている。イギリス人のディクソン夫人、ドイツ人のオットー、ギリシャ人(自らビザンツの末裔という) ディミトリス、そして村田。ムハンマドはディクソン夫人の家の召使いである。

実はこの作品、他の梨木作品に比べてお話があまりにも日常的すぎて、途中で一度投げ出しました。投げ出して「アースダイバー」を読んで再びこの本に戻ってきたときに、やっと気がつきました。本来一神教であるイスラム圏で、イギリス人、ドイツ人、ギリシァ人それぞれ微妙に違うキリスト教国の人や、神道の日本人が暮らしている。「アースダイバー」に出てきそうな地霊・精霊が出てくるし、日本からイタリアに向かう木下が持ち込んだ「稲荷」が登場するや否や、そこは一気に多神教的な世界になって行きます。ここで、トルコという東西の交流点を舞台にした設定のうまさに、うなってしまいました。たとえ、一人一人が信じる神が違っていようとも、こうやって仲良く暮らしていく事ができる。ディミトリスが言うように人間として、他の人間に関わる事に関心を持っているからこそ、このように心を通じ合わせることができるのでしょう。

しかし、しだいに戦争の影が近づき、村田は日本に帰らざるを得なくなります。
帰国後、村田の転がり込んだ先が「家守綺譚」の高堂の家。家守の綿貫の居ない間にあがりこんだところに高堂が現れる。
ここからが、「家守綺譚」の続きの話となる。

やがて、村田の許にディクソン夫人から手紙と、少し遅れて鸚鵡が届く。
手紙には、懐かしい同居人の悲しい顛末がつづられている。
人間が人間として、他の人間に関心を持たなくなったときに、戦争のような悲劇が起こり、
そして二度と取り戻す事のできない大切なものを失ってしまう。
梨木さんの叫びが聞こえるようだ。




そうそう、「家守綺譚」で予告だけされている龍は村田が遥か土耳古から持ち帰る事になります。
この龍がいかなる役割を果たしているのかよくわかりませんでした。
「家守綺譚」をもう一度読み直してみよう・・・

アースダイバー/中沢新一

2006-01-10 02:15:07 | 最近読んだ本
曼荼羅というものがあります。
人間が、直感では理解できないほどの大きなものを理解するためには、特徴を抜き出してメモを作り、次に個々の特徴を寄せ集めて全体を理解しようとします。つまり、細分化された部分から、全体を再構成して、その時に全体を「わかった」と感じる事ができます。曼荼羅というのは、仏様の並びを表したものではなくて、宇宙を理解するための物だと聞いた事があります。宇宙(世界全体といっても良いかもしれませんが)という巨大なものを理解するために、細分化した部分に仏を置いていく。そうやって、宇宙全体を再構成したも、それが曼荼羅なのではないかと思います。

神話というもの。これは、古代から語り継がれてきたもので、そこには古代の人々がとらえた宇宙観が凝縮されています。神話の成り立ちを検証する事によって、我々の先祖がどのような精神活動を行っていたのか、その部分部分を知る事ができると思います。「アースダイバー」で中沢新一は、古代人の精神活動の部分を検証するために、縄文時代の地図を手がかりとして、神話のよりどころである遺跡を巡ります。そして不思議と、縄文時代の地形が、縄文人の精神活動と深く結びついていた事を発見します。

縄文時代から地形が変わるぐらい時が流れると、海が退いたあとに新しい土地が作られて、次第に現在の東京の姿ができ上がっていきます。古代からあった土地は高台として残り、その坂の下には新しい湿った土地が形作られていきました。新しくできた、湿った土地に住み着いた人々と、古代からある高台に住んでいる人々。この坂の上と下で、様々なドラマが生れ、そして新しい伝説が作られていきます。作られた時代の異る2つの大地と、そこに集まった人々の生活。それが不思議と現在の東京の姿と一致して見えます。

はたして、何千年も前の地形と、そこに住んだ人々の精神活動が、現在の東京にも影を落としているのか。それは、決して解決されない謎なのかもしれません。しかし、東京という街を縄文時代の地形に基づいてとらえ直すということは、ある種の知的ゲームとして楽しむ事ができると思います。

(写真は、「アースダイバー」のなかにも出てくる尾崎(お・さき)の丘に建つ母校です。)

クリスマスの猫/ロバート・ウェストール

2005-12-23 12:22:44 | 最近読んだ本
クリスマスの夜には、世界中の至るところで不思議な奇跡が起きます。
この本の舞台になっているのは1934年のロンドン。キャロラインは牧師のおじさんの家に預けられています。おじさんの家では家政婦が大きな顔をしておじさんでさえかなう事ができません。キャロラインは家政婦の言いつけで外に出る事を禁じられ、寒い部屋の中に閉じこめられて暮らしています。キャロラインの友達といえば、おじさんの家の馬屋をねぐらにする身重の猫と労働者階級の子どもボビー。力を合わせて猫を守ろうとするキャロラインとボビー。そして意地悪な家政婦と、クリスマス間近だというのにだれにも相手にされない牧師のおじさん。そんな人間界の出来事とはお構いなしに猫は母親になる準備を始めます。
そして、クリスマスの日、猫の出産により、人々の心の底に溜まっていた澱が解消されます。

1934年のロンドンの片隅で起きた、小さな小さな奇跡。子どもたち、孫たちに語り継げるような、心温まるお話。そんなお話を胸に秘めていられることはとても幸せな事かも知れません。


クリスマスの猫

四重人格/ピート・タウンゼンド

2005-12-13 02:01:15 | 最近読んだ本
時間があったので、会社の帰りに新宿のサザンテラスにある紀伊国屋に立ち寄った。
閉店時間が迫ってきたが、なんとなく物足りなかったので、三越にあるジュンク堂に行ってみた。
ジュンク堂に寄ったのは2度目だが、書棚の間を歩いていると、まるで図書館にいるような錯覚に陥ってしまう。
レイアウトも図書館的だし、書籍数も図書館並だ。これだけ本があると、ぶらぶらと本を探している場合ではない。気になった書架の前に立ち止まり本を眺め始めたら最後、半日ぐらい優に過ごせそうである。紀伊国屋にしても同じぐらいの本の数を取り扱っていると思うのだが、この店はなんだか落ち着いて、居着いてしまう、そんな雰囲気がある。
が、しかし、時計を見ると閉店まであと15分。少し急いで書架の間を歩いていると、ピート・タウンゼンドの「四重人格」を見つけた。ちょっと気になっていた本なので、閉店時間が迫っていた事もあり、ためらうまもなく購入。

原題は「Horse's Neck」といい、13編の短編が馬と関わりがある物語になっているそうだ。馬は、夢の中では母親のイメージだそうで、つまり各短編の中で、主人公と母親の関係が述べられている。

帰りの電車の中で、最初の数編を読んだが、小説というよりは(翻訳の影響もあるのだろうが)散文詩に近い。短い文章で、夢とも幻想とも付かない場面が次々と展開する。その各場面は、もがいても逃れられない悪夢のように非常に苦しいが、同時に懐かしく美しい。

「QUADROPHENIA」フーのアルバムの邦題は「四重人格」だが、それを原作とした映画「QUADROPHENIA」の邦題は「さらば青春の光」。この「Horse's Neck」も「さらば青春の光」としたほうがぴったりだったような気がするが、それではあまりにも内容を言い表しすぎて、つまらなくなってしまうか・・・

しはす

2005-12-01 03:44:38 | 最近読んだ本
いよいよ師走に入りました。世の中は、先生も走ってしまうほどの慌ただしさに包まれていきます。

我が家では、11月から1月まで毎月末の方に誕生日があるという、大忙しのシーズンになります。
11月末の誕生日が過ぎると、「いよいよ師走が来るぞ」という気分になります。町でいくらクリスマスの飾りができても、この誕生日を過ぎないと我が家にはクリスマスシーズンがやってきません。
そしていよいよクリスマスが終わるとすぐに2つ目の誕生日。こうなると、もう本当に年の瀬という感じになります。
やがて年が明けて1月末。一連の月末誕生日月間もこれで終わりとなります。ここまでいくと「ああ、もう今年も1ヶ月終わっちゃったなぁ」という気分になります。

さて、そろそろ誕生日月間が懐かしいな、と思ったころに、愛犬の誕生日がやってきて、それも終わりあーあ、誕生日月間が待ち遠しいなぁと思うよになった初夏も5月の月末近くにまた一つ誕生日があります。
これが終わると、誕生日は11月を待たないとやってきません。

こうやって2006年も終わっていくのでしょうか。
って、さすがにちょっと先走りすぎですね。

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最近読んだ本の紹介
「村田エフェンディ滞土録 」梨木香歩
  「家守奇譚」の姉妹編(?)です
「アースダイバー」中沢新一
  我家の近所から探索が始まっているので、つい買ってしまいました
(この2冊については、ちゃんと紹介したいです)

順番待ちの本
「アメリカの鱒釣り」リチャード・ブローティガン著 藤本和子 訳
「ロンメル進軍」リチャード・ブローティガン著 高橋源一郎 訳
  「西瓜糖の日々」はお勧め。是非読んでみてください。と、書かずに、これもちゃんと紹介しなくては。
「対称性人類学」中沢新一
  中断中です。
「北欧神話物語」キーヴィン クロスリイ・ホランド 著 山室静, 米原まり子 訳
  まだ解説の段階なのに、中断。本編読みたい。
「アーサー王物語 (2)」トマス・マロリー 著, 井村君江 訳
  通勤途中で読むには、重たいんですよね。。。
「西の魔女が死んだ」梨木香歩
  ここのところ続けざまに読んだので梨木香歩はちょっとお休み

読みたい本
「東京飄然」町田康
  この人何者なのか、とても気になります。
「意味がなければスイングはない」村上春樹
  「東京奇譚」では本に呼ばれなかったが、これはなんだか呼ばれている・・・
「言葉の流星群 」「切符をなくして」「風がページを・・・」池澤夏樹
  池澤夏樹もときどき猛烈に読みたくなります。
「風味絶佳 」「PAY DAY!!!」山田詠美
  実はまだ読んだ事の無い山田詠美。一度その文章を味わってみたいと思っています。