実は「さよならギャングたち」が出たときに買って読んでます。以来、気になる作家ではあったのですが、なかなか「次」を読む機会がありませんでした。
それで「官能小説家」。驚いた事に、朝日新聞の連載小説です。家では朝日新聞を取っているので、本当はリアルタイムで読めていたはずなのですが、文庫になって初めて読みました。どうも新聞の連載小説って、毎日地道に読めないんですよね。
それで「官能小説家」ですが、小説の冒頭部では、小説家タカハシが新聞の連載小説を引き受ける場面から始まる。そこで、タカハシが連載する小説の中には、明治の文豪、鴎外・漱石・一葉・半井桃水が登場するのだが、いつのまにか現実の世界にも明治の文豪が現代に現れて、文学関連の各賞を総なめにしてしまう。
一方、タカハシの連載は続き、一葉を巡って鴎外・漱石・桃水の人間関係が渦巻く・・・
やがて連載小説を書くタカハシの元には現代に現れた鴎外がやってきて、タカハシの小説のなかでは鴎外が漱石に依頼された朝日新聞の連載小説「官能小説家」を書く。
現代と明治がくんずほぐれつ入り乱れるこの小説のなかでタカハシは現代の作家に向かって「とにかく書け」といい続ける。現代において、文学は死んだも同然。だから明治の文豪が現れると、大ベストセラーが生まれてしまう。なにしろ相手は大文豪であり、文学史そのものである。一度死んでるとはいえ、歴史的な大家の書いた小説である。つまらないわけが無い。でも、タカハシは「書け」といい続ける。文学は歴史の中にあるのではなく、今という時代の中から生れる。だから、今書くべきものは、今の時代を生きる今の作家にしか書く事ができない。
ところで、なんといっても「官能小説家」である。一葉と桃水のプラトニックな愛が、そして一葉と鴎外の官能的な愛が描かれる。小説家は何故官能シーンを描くのか? この小説を読んで思ったのは、それが「言葉」という論理的な精神活動から、最も遠いところにあるからではなかろうか? ということ。
つまり、一番身体的な場面を、言葉で表さなくてはならない。しかも、言葉によって読者の(言葉から最も遠いところにある)本能に訴えかけなければならない。さらに、二人の人間を同時に描かなくてはならない。つまり、必ず「他者」を描く必要がある。そして、なんといっても小説として成り立たせなくてはならない。小説家としては、腕の見せ所である。高橋源一郎は、これだけ複雑な仕掛けの中で、易々と小説を成立させてしまっている。しかもそれを朝日新聞でやってしまうあたり、やはり天才というか、軽業師というか・・・
次は、宮沢賢治を料理しているので、一時期賢治ファンだった身としては、次もつきあわなくてはなるまい。
官能小説家/高橋源一郎 (朝日文庫)
それで「官能小説家」。驚いた事に、朝日新聞の連載小説です。家では朝日新聞を取っているので、本当はリアルタイムで読めていたはずなのですが、文庫になって初めて読みました。どうも新聞の連載小説って、毎日地道に読めないんですよね。
それで「官能小説家」ですが、小説の冒頭部では、小説家タカハシが新聞の連載小説を引き受ける場面から始まる。そこで、タカハシが連載する小説の中には、明治の文豪、鴎外・漱石・一葉・半井桃水が登場するのだが、いつのまにか現実の世界にも明治の文豪が現代に現れて、文学関連の各賞を総なめにしてしまう。
一方、タカハシの連載は続き、一葉を巡って鴎外・漱石・桃水の人間関係が渦巻く・・・
やがて連載小説を書くタカハシの元には現代に現れた鴎外がやってきて、タカハシの小説のなかでは鴎外が漱石に依頼された朝日新聞の連載小説「官能小説家」を書く。
現代と明治がくんずほぐれつ入り乱れるこの小説のなかでタカハシは現代の作家に向かって「とにかく書け」といい続ける。現代において、文学は死んだも同然。だから明治の文豪が現れると、大ベストセラーが生まれてしまう。なにしろ相手は大文豪であり、文学史そのものである。一度死んでるとはいえ、歴史的な大家の書いた小説である。つまらないわけが無い。でも、タカハシは「書け」といい続ける。文学は歴史の中にあるのではなく、今という時代の中から生れる。だから、今書くべきものは、今の時代を生きる今の作家にしか書く事ができない。
ところで、なんといっても「官能小説家」である。一葉と桃水のプラトニックな愛が、そして一葉と鴎外の官能的な愛が描かれる。小説家は何故官能シーンを描くのか? この小説を読んで思ったのは、それが「言葉」という論理的な精神活動から、最も遠いところにあるからではなかろうか? ということ。
つまり、一番身体的な場面を、言葉で表さなくてはならない。しかも、言葉によって読者の(言葉から最も遠いところにある)本能に訴えかけなければならない。さらに、二人の人間を同時に描かなくてはならない。つまり、必ず「他者」を描く必要がある。そして、なんといっても小説として成り立たせなくてはならない。小説家としては、腕の見せ所である。高橋源一郎は、これだけ複雑な仕掛けの中で、易々と小説を成立させてしまっている。しかもそれを朝日新聞でやってしまうあたり、やはり天才というか、軽業師というか・・・
次は、宮沢賢治を料理しているので、一時期賢治ファンだった身としては、次もつきあわなくてはなるまい。
官能小説家/高橋源一郎 (朝日文庫)
