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おいみず亭 Family & Friends

美味しい食べ物と知的好奇心、そして楽しい仲間!!

愛ノカタチ その2

2005-10-13 03:04:25 | 最近読んだ本
実は「さよならギャングたち」が出たときに買って読んでます。以来、気になる作家ではあったのですが、なかなか「次」を読む機会がありませんでした。

それで「官能小説家」。驚いた事に、朝日新聞の連載小説です。家では朝日新聞を取っているので、本当はリアルタイムで読めていたはずなのですが、文庫になって初めて読みました。どうも新聞の連載小説って、毎日地道に読めないんですよね。

それで「官能小説家」ですが、小説の冒頭部では、小説家タカハシが新聞の連載小説を引き受ける場面から始まる。そこで、タカハシが連載する小説の中には、明治の文豪、鴎外・漱石・一葉・半井桃水が登場するのだが、いつのまにか現実の世界にも明治の文豪が現代に現れて、文学関連の各賞を総なめにしてしまう。
一方、タカハシの連載は続き、一葉を巡って鴎外・漱石・桃水の人間関係が渦巻く・・・
やがて連載小説を書くタカハシの元には現代に現れた鴎外がやってきて、タカハシの小説のなかでは鴎外が漱石に依頼された朝日新聞の連載小説「官能小説家」を書く。

現代と明治がくんずほぐれつ入り乱れるこの小説のなかでタカハシは現代の作家に向かって「とにかく書け」といい続ける。現代において、文学は死んだも同然。だから明治の文豪が現れると、大ベストセラーが生まれてしまう。なにしろ相手は大文豪であり、文学史そのものである。一度死んでるとはいえ、歴史的な大家の書いた小説である。つまらないわけが無い。でも、タカハシは「書け」といい続ける。文学は歴史の中にあるのではなく、今という時代の中から生れる。だから、今書くべきものは、今の時代を生きる今の作家にしか書く事ができない。

ところで、なんといっても「官能小説家」である。一葉と桃水のプラトニックな愛が、そして一葉と鴎外の官能的な愛が描かれる。小説家は何故官能シーンを描くのか? この小説を読んで思ったのは、それが「言葉」という論理的な精神活動から、最も遠いところにあるからではなかろうか? ということ。
つまり、一番身体的な場面を、言葉で表さなくてはならない。しかも、言葉によって読者の(言葉から最も遠いところにある)本能に訴えかけなければならない。さらに、二人の人間を同時に描かなくてはならない。つまり、必ず「他者」を描く必要がある。そして、なんといっても小説として成り立たせなくてはならない。小説家としては、腕の見せ所である。高橋源一郎は、これだけ複雑な仕掛けの中で、易々と小説を成立させてしまっている。しかもそれを朝日新聞でやってしまうあたり、やはり天才というか、軽業師というか・・・
次は、宮沢賢治を料理しているので、一時期賢治ファンだった身としては、次もつきあわなくてはなるまい。

官能小説家/高橋源一郎 (朝日文庫)

まず憲法の事を考えよう

2005-10-01 17:16:44 | 最近読んだ本
ソフトウェアを生業としている関係で、いろいろなデータを「定義する」という機会がよくあります。
たとえば「家族の情報も管理したい」というとき、家族=同居人とぼんやり考えていると、同居していない親も家族であったり、同居していても結婚している子どもは家族でなかったり・・・遠くから眺めているとわかったようなつもりになっている「家族」という言葉に近づけば近づくほど、それが何であるのかがわからなくなる事があります。

それでは「憲法」とは?
自民党が党の成立50周年記念事業(?)として、憲法改正の草案を国会に提出するとかしないとか。50周年記念という事は、ここで改憲できなかったら、次の機会は100周年か? などと考え込んでしまいました。

「高校生からわかる 日本国憲法の論点」(伊藤真/トランスビュー)を読んでベル薔薇のフランス革命をはじめ様々な市民革命を通過して日本国憲法が生れたのだなぁ、と感じました。市民革命とか市民憲章とか、歴史の教科書の中で習ったただの知識に過ぎませんでした。しかし、この本を読むと、そこで作られた「憲法」がとても大切なものであると気付かされました。

憲法というと、法律の法律のようなものだと思っていました。でも、この本を読んで、実は市民革命で市民が戦い、血を流し命を失った末にやっと手に入れた「国」を、どのようなものにしていきたいのか、私たちの国とはどのようなものであってほしいのか、という理想の姿を描いた国民とり一人の「宣言」であると思いました。日本では、幸か不幸か、市民革命が起こりませんでした。そのため、市民による国造りが行われませんでしたが、日本国憲法を作るまでには、たくさんの血が流れています。第二次世界大戦で失われた命です。
この夏、鹿児島の知覧平和公園に行く機会がありました。そこで、特攻隊の出撃の話を聞いたのですが、隊員の一人一人が平和を願って出撃していったという話を聞きました。このような命と引き換えに手に入れたものが今の憲法なのだということを強く感じました。

今、改憲論が大きく取り上げられるようになっきましたが、改正案の内容を議論する前に、まず憲法の事をよく考えて欲しいと思います。そして、私たちが住みたい国(「未来」とか「将来」といっても良いかもしれません)とはどのような所なのか国民の一人一人がしっかりと思い描く事が必要だと思います。そもそも「憲法」とは、国や政党から押し付けられるものではなくて、国民一人一人が自分たちの理想の国家の姿を思い描きながら作っていくものだと思います。憲法についての議論とは、国会で行われるのではなく、国民一人一人の中から始められるべきではないかと思います。

最近、日本の国際的な地位の低下が問題にされています。この本を読んで思った事は、軍隊をもって海外に派兵する事が地位の向上につながるのではないということです。世界の中の日本を見つめて国家100年の計を語る政治家たちが活躍し、国民の一人一人が理想の国作りのために活動する、そのようなことが今必要なのではないかと思います。

この本によって、たくさんの人が憲法について考えている、と思うと、少し勇気と希望が湧いてきました。



沼地のある森を抜けて/梨木香歩

2005-09-24 03:59:49 | 最近読んだ本
この作家を知ったのは、子どもに読まそうと思って児童書を探していたときです。その時は、他にいろいろと買いたい本があったのでそのままにしていたのですが、いつの間にか家人が文庫になった梨木さんの本を買いあさっていました。勧められるままに、「ぐるりのこと」「りかさん」「からくりからくさ」「家守奇譚」と読み進め、この本で5冊目。以前から、一人の作家に嵌まると、そればかり読む癖があるのですが、最近こうやってどっぷりと嵌まったことはあまりありませんでした。

梨木さんの描く世界では、ごく日常の中にちょっとした謎(不思議というか、神秘というか)が生じて、お話がどんどん展開していきます。今回のカギは「ぬか床」。ぬか床を起点にして話が広がり、個とは? 他者とは? 境界とは? と話が広がっていきます。

「からくりからくさ」では染色における化学反応が、そして「沼地のある森を抜けて」では、酵母を始めとする菌類のことが取り上げられています。梨木さんはイギリスに留学して児童文学を学んだとのことですが、実は理科系的な背景をもっているのではないでしょうか? 日常と神秘から作り上げられている梨木ワールドは、理科系的な知識に裏打ちされる事により、独特な輝きを発揮します。「神秘」と「科学」に、こういう折り合いの付け方があったのか、と感心しつつ、まだしばらくこの輝きから目が離せそうもありません。