経済(学)あれこれ

経済現象および政策に関する意見・断想・批判。

「天皇制の擁護 第八章 パウロとアウグスティヌス」解説(1)

2009-02-07 03:07:04 | Weblog
   
初期キリスト教史を年表で示します。

BC4年頃      イエス生誕
AD6年      ユダヤ、ロ-マの直轄領になる
 26年      ピラト、ユダヤ総督になる 
 30-32    イエス十字架にて刑死   エルサレム教会成立
 33-34    パウロの回心 以後三回におよぶ伝道旅行
 59-60    パウロ、ロ-マに護送される
 64       皇帝ネロによるキリスト教迫害
 66       第一次ユダヤ戦争 エルサレム陥落
 70頃     「マルコによる福音書」成立
 80-85頃  「マタイによる福音書」「ルカによる福音書」成立
 90-100頃 「ヨハネによる福音書」「使徒行伝」成立 この間パウロの書          簡編纂
 132      第二次ユダヤ戦争 ユダヤ人はディアスポラに
 177      リヨンで迫害
 197      テルトウリアヌス「弁証論」を著す
 225頃     オリゲネス「原理論」を著す 
 250      全国的な大迫害 教皇ファビアヌス殉教 
255       ゴ-ト族の侵入始まる
 303      皇帝ディオクレティアヌスによる迫害  
 313      皇帝コンスタンティウス、キリスト教を公認(ミラノ勅令)
 325      ニカイア公会議、アリウス派を異端に
 330      帝国、首都をロ-マからビザンチンに遷都(コンスタノポリス)
 336      アタナシオスの第一回追放
 354      アウグスティヌス生まれる
 361      皇帝ユリアヌスの反キリスト教政策
 386      アウグスティヌスの回心
 392      皇帝テオドシウス、キリスト教を国教に
 395      ロ-マ帝国最終的に東西に分裂
 411-431  ペラギウス論争
 413-426  アウグスティヌス「神の国」を著す その前後「三位一体論」 
431       エペソ公会議、アリウス派を最終的に異端として追放
 476      西ロ-マ帝国滅亡
 496      フランク王クロヴィス、カトリックに改宗

(補注)
テルトウリアヌス
初期教会の教父、一切の妥協を排してキリストへの絶対的帰依を主張 「荒唐無稽なるゆえに、われ信ず」の格言あり 理性による煩瑣な思弁を拒否 後迫害に際しての離脱者への教会復帰を非難して、厳格な禁欲を主張するモンタノス派に接近
 
オリゲネス
キリスト教をギリシャ哲学で解釈した碩学 教父の一人

アタナシオス
アレキサンドリアの大司教 アリウス派に対する戦闘的批判者 ために三度追放される

アリウス派
キリストは人間の中の最良の者という立場をとり、キリストの神性従って三位一体論を否定 ミラノ勅令前後から約150年間は、キリストの神性をめぐって聖俗を巻き込む論争と騒乱が相継ぐ 三位一体論者が勝ってはじめてカトリック教会が成立したと見てもいい 

ペラギスス派
人間の善行は救済にとって意味があるのかないのか、というキリスト教のみならず宗教一般における永遠の主題において、この派は人間の善行の意義を強調 一般の常識からするとやや奇異に写るかもしれないが、善行の強調は信仰信心の否定に繋がる ペラギウス派はある意味でアリウス派と同じことを言っている 他の異端、モンタノス派、マルキオン派、さらに後年のカタリ派やワルド派、なども様は変えても同様の立場になる

三位一体論
 父なる神と子なる神キリストと聖霊は三にして一つ、三つの形をとるが本来同じと、いう主張 カトリック教会の根本的命題 ちなみに「カトリック」とは「普遍的に正しい」というくらいの意味らしい

  (典拠 キリスト教史 W・ウオ-カ- ヨルダン社)

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