経済(学)あれこれ

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「美しい国日本の歴史」本文(28)明治維新

2020-10-09 13:11:27 | Weblog
「美しい国日本の歴史」本文 (28)明治維新
                          
1 1867年十五代将軍徳川慶喜大政奉還。薩長藩閥政府が成し遂げた多くの事業。重要な事跡は七つ。五か条のご誓文、東京遷都、廃藩置県、秩禄処分、地租改正、紙幣発行、教育制度の確立。
2 五か条のご誓文、万機公論に決すべし、主権者天皇と衆議の場議会の、君主と国民の平等な結合の誓い公約。維新直後から議会設置の模索。しばらくは藩閥の有司専制、維新の功臣による衆議。国会開設運動は板垣退助の陳情から、有司専制各員も国会の必要性は認識。1887年維新後20年、国会開設。天皇の公約は実現。憲法も同時期に制定。
3 東京遷都、1868年戊辰戦争のただ中、江戸城接収とほぼ同時。大胆賢明な決断。前島密の献策か。東京遷都には三つの意義。前政権の根拠地への進駐、新政府の権威示威。次に治安維持。遷都は江戸か大阪か?大阪には経済力がある、放置しても大丈夫、江戸は失職した幕臣が盗賊化、治安は乱れる。治安の問題と関連して重要なことが第三の意義、江戸東京への公共投資。新政府は江戸の首都機能を引き継ぐ。官庁街を作り、官員を集める、大学小学校を建設、鉄道を敷く。外国の公使館も東京に設置、軍隊も東京中心に配備。民間投資が続く。三井物産、三井銀行、日本郵船、安田銀行、大成建設、明治生命、安田生命、東京芝浦などの発端は明治初期の10年間。東京遷都の資本は大阪と西国の租税が大部分、東京遷都の資金として新政府は大阪商人から1000万両を徴取、大阪から東京への資本移転。裕福な土地から貧寒な土地へ資本を移転投資して事業を起こすのは経済発展の定石。アメリカはイギリスの資本投下で繫栄。新政府は東京に徹底的に投資開発、日本経済発展の起点とし、同時に治安を保持。東京遷都で気分一新。薩長土肥のよそ者が欧米の文化技術の輸入習得の主役。新規な事業は新しい地新しい人材でやるのが効果的。東京遷都は大胆賢明な施策。勝者敗者の和解実践。
4 廃藩置県、大名領地の没収、新政府が土地人民を直接支配。新政府の財源は旧幕領からの収入だけ、全国の租税の1/3。財政が確立しない、何もできない、交通整備も学校建設も軍備充実もダメ。大名に領地給付を保証した将軍家の消滅、版籍奉還へ。新政府はすぐ廃藩置県に踏み切る。長州藩士2名の提言、長州閥の総帥木戸の承認、西郷の一諾、決行。1871年新政府は全藩主を一堂に集め、領地の中央政府直轄を宣言。廃藩置県はすんなり受け入れられる。藩財政の行き詰まり、外国からの債務も含めて肩代わりする新政府の提言は現実的。廃藩置県だけでは不充分、租税の政府掌握は不可。廃藩置県と並ぶ重要な案件が秩禄処分。
5 秩禄処分、武士への給付の全面的剥奪。武家制度は主君からの領地米穀金銭給付と軍事力提供の交換で成り立つ。幕藩の財政悪化、武士の窮乏化。武士は軍事力を提供できない、禄米頂戴は矛盾。新政府による大手術。秩禄を期間限定の金禄公債に、公債の利子を武士に。実際の禄米が規準、額を36%に圧縮。与えられた利子給付は下級武士で一日8銭。当時の肉体労働者の賃金が1日24銭。現在の価格に直して下級武士は月4万から5万円を給付。武士の家禄を召し上げ国家財政へ。秩禄処分は経済に大きな刺激を与える。武士は金禄公債を貯金、禄米は流動性の高い資本に化ける。企業家は預金を資本として利用。資産の流動化金融化、資本の集中。廃藩置県と秩禄処分は驚愕すべき世界史上稀有の事跡。封建支配者の収入支配権が無血の内に消滅、支配者である武士自らが率先して。武士達の生活はどうなったか、武士の商法で悲惨になったか、現実にはそれほどではない。軍人、警察、教師、官吏などの職は武士がほぼ独占。明治時代に起業した大きな企業の創始者の大部分は武士出身。企業の管理部門には武士の子弟が多かった。                    
6 地租改正には二つの意味。農民に土地の所有権を保障。土地はいつ売ってもいい。農地の生産力を査定、農地を自由販売に、農地土地に値段がつく。価格の3%が地租、増税になり一揆、政府は2.5%に下げる。土地の商品化。大規模に土地を集積し効率的に農業経営に専念する農家が出現、生産性は増大。土地は商品、換金可能。土地を担保にして金を借り手形を切る、貨幣流通量の飛躍的増加。秩禄処分と併せて地租改正は殖産興業に必要な資本を提供。土地が金融資本になる、銀行に預けられる、政府は金の流れを追いやすい、徴税機能の飛躍的効率化。
7 紙幣の発行。新政府は財政難に押され太政官札を発行。由利公正の発案を大隈重信が利用、どんどん発行。インフレ、農民は米が高く売れ成金に。紙幣が文明開化と産業創設の資金に。鉄道学校建設、大砲軍艦購入、官吏軍人の給料支払、銭が要る。明治維新の文明開化、殖産興業、技術輸入、インフラ設備は太政官札を用いて大胆効率的に行なわれる。つけはくる、インフレと金銀の海外流出。大隈拡張財政は松方緊縮財政に。松方財政で危機を乗り切った時日本はすでに産業革命へ離陸。
8 日本は世界で一番識字率の高い国。新政府は教育制度を整備。1874年小学校令、4年間の初等教育の義務化。初等教育の公教育化は日本が一番早い。欧米では身分格差が大、選良は個人教育、大衆は放置。大学に工学部設置。工部省に工部大学校を作る、帝国大学(東京大学1881年創立)へ移管、工学部。欧米先進国では工学は継子扱い。工学は下賎な職人の手技の手ほどきとされ正式の総合大学の中には入れてもらえない。選良が入る総合大学に工学部を設置したのは日本が初めて。日本では技術尊重、武士は職人、剣道も茶道も建築術も同じ範疇、日本では専門家は尊敬される。帝国大学の中に工学部設置、日本の教育の方が欧米より庶民的先進的、実践重視万民平等。医学部工学部、理系部門の設置、日本の針路にとって重大な意味。欧米の科学の誕生は17世紀中葉。当時の科学は一部の好事家のままごと、物理も化学も現実には役立たない。18世紀後半産業革命。産業革命は科学の発展とは無関係、職人の仕事。科学と産業の直結は19世紀後半の電気化学工業の発展、第三次産業革命から。日本はこの時点で欧米の科学と技術を取り入れ統合し公教育化して発展させる。欧米と出発点は同じかそれ以上。日本は科学技術を体系的に積極的に取得。基盤はすでにあった。
9 明治維新は世界史上稀有の現象。体制変革をこうも速やかに鮮やかに成し遂げた国は他にない。何よりの特徴が流血量の少なさ。戊辰戦争の戦死者は2000名を越えず、戦闘は小規模。敗者の処遇も寛大、政府軍と戦った旧幕臣も政府の要職に。大村益次郎により創設された靖国神社、両軍の戦死者が平等に祭られる。明治政府は敗者である幕府関係者に一切刑殺を行なっていない。維新早々新政府は、幕末維新にかけての政争の結果起こった殺害は水に流そう、政治の為の殺害は個人に対する行為ではないのだから、敵討ちなどしないように、と宣言。すべての当事者はこの声明に服す。
10 なぜ維新の大業は鮮やかに行なわれたのか。武士達の潔さ。なぜ潔い。武士は中産階級、本来独立自存の開拓農民。農民と武士の境界は連続的。武士は農民町人と平等意識を持つ、武士相互も平等。武士は戦士共同体の一員。死を共にする者同志の連帯感平等感。武士は戦闘技術者、実践を重んじ行動は機能的。技術を共有する者同志の仲間意識、共感性。日本人が持つ衆議性、集団帰属性、平等性を武士という階層はより色濃く持っていた。武士達は高度な共感性と集団帰属性を持ち、衆議し、潔く実践。藩士幕臣という固い結合を解体し処士となり自由に横議し、時期が来ると新しい維新政府に結集。攘夷から機を見て素早く開国に舵を切り替える、機動性、維新の大業の背景。だから武士の集団自決、秩禄処分廃藩置県が可能に。集団自決はもう一度行なわれる、薩摩城山。明治維新を評価するに際して銘記すべき事、江戸時代いやそれ以前から日本には商工業技術、経済行政、金融に関しての豊富な経験があり、治安はよく、資本は蓄積され、識字率に代表される知的インフラが整備されていた。日本は民度の高い豊かな国だった。
11 維新政府は、国会開設、東京遷都、農業の資本主義化、資産の金融化を始めとする諸種の近代化を極めて効率的に遂行した。武士は自ら率先して自らの階層の利益を放棄し、階層を解体した。東京遷都、靖国神社の創設は敗者との和解。事業はほぼ無血に行なわれる。


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