「君民令和 美しい国日本の歴史」 ch10ご恩と奉公 本文
(10)ご恩と奉公
1 1192年鎌倉幕府成立。保元平治の乱、武士は自らの実力を自覚し政治の実権を握る。平氏は武士を家人に組織、太政大臣平清盛が政治を了導。平氏政権は院政と衝突、清盛は後白河法皇を幽閉、福原遷都を強行。承久の変後の上皇配流と幕府拠点鎌倉に対応。平氏政権は鎌倉幕府の先駆だが院の近臣という性格を脱しきれず源氏に敗れ亡ぶ。
2 源頼朝は本拠鎌倉で武士を組織。武士の所領を保証、地頭を置き荘園領主から管理費を取り武士の収入に。地頭は年貢納入を怠り、武士が実質的な領主に。鎌倉には政所侍所など独自の統治機構。頼朝死後北条氏が執権として武士を統制。後鳥羽上皇の北条氏討伐の試み承久の変は失敗、天皇廃位上皇配流、朝廷の権力低下、幕府は天皇即位にも干渉。
3 幕府と武士の契約。武士は将軍執権に武力を提供、見返りは領地所有の承認。所領安堵と武力提供の交換、ご恩と奉公の関係が成立。土地を媒介とする双務的関係、封建制度。世界史上封建制度が成立した地域は西欧と日本のみ。主君と臣下は一対一の双務的契約の当事者、契約の媒介は土地経済財。交換の媒体が経済財、当事者は財貨とは異なる人格を得る。武力と土地の交換、人格的な契約。西欧では封建契約を土台として民主制が出現。日本も同様だが、異民族との交渉がない為に輪郭は見えにくい。日本には西欧の民主主義に相当するものが早くからあり、実体においてはより優れていた。
4 封建制度は部族制を解体。部族制、擬似的血縁関係を基礎とする制度。封建契約は経済財を媒介とする一対一の関係、血縁関係が入る余地はない。部族制は明白な契約をもたない自生的な制度、権力は曖昧脆弱時として暴力的。現在でも欧米と日本を除いた他の地域は基本的には部族制ではないのか。
5 武士の始まり、10世紀前半の平将門。武士は本来農地の開発領主。公地公民制の崩壊変容、農地の私有化。私有田の所有者「名主(みょうしゅ)」は租税回避のため、土地を中央の貴族に寄進。貴族の顔と力による土地の擬似私有の保証。名主は武装し、国の役人の干渉を排し、名主仲間による横領を防ぐ。これが武士。彼らは都で貴族に武力を提供。軍事技術と武具生産が集積する都で武技が磨かれ武士が育つ。技術は地方に伝播。名主は武士の始り、武士は農民と同質。
最初の軍事貴族河内源氏は摂関家と結び、東北地方の兵乱を鎮圧、基盤を造る。次に台頭した伊勢平氏は西国の海賊を平定、院の近臣に。武力を持てば武力を使う。院政内部の権力闘争の処理に、1000人程度の武士が動員された戦闘が保元平治の乱。武士は自分達の実力に目覚める、平氏源氏北条氏が武士を組織して実権を掌握。鎌倉幕府。
武士は都の貴族に保護を仰ぐ非合法な土地所有者、保護は不安定。武士達の土地私有を保証する機構としての幕府。源頼朝は国や荘園領主から武士の領地を、武士を結集した強力な軍事力により保証。
6 鎌倉幕府は武士全員を組織できたのではない。幕府が掌握した武士は東国を中心とした一部の武士。彼らは幕府と契約を結ぶ、御家人。武士と農民の関係は連続的。農民が経済力をもち武装すれば武士。経済が発展し農民が富裕になり、下から武装した農民、武士が出現。階層は流動する、下克上の繰り返し。鎌倉幕府は新たな武士層をつかみきれず滅亡。室町幕府は下克上の動きに翻弄され弱体化、社会は戦乱の時代に突入、応仁の乱戦国時代、が鎌倉幕府から徳川幕府までの400年間に人口は倍増、日本的現象。
7 武士発生時の武技は騎射。武士は馬に乗る、鎧兜を着装。鎧は膠を煮詰め干し固めたサネに糸を通し繋いで作る精巧なもの。武士の主要武器は弓矢。二騎の武者が馬を御して駆け違い、後から矢を射てサネの間を射通す。正面から矢を射れば鎧の袖で防がれるからこの形の戦闘に。一騎打ち、馬を射てはダメ、これが古典的戦闘。武士は戦功表示のためサネを通す糸の色を派手に。騎射戦闘、個人戦、精巧な鎧と派手な衣装。騎射習熟には長年月が必要。武士は騎射の技術者、戦闘技術の披露も目的に。戦闘に際して発揮される精神、名誉雄雄しさ美しさも尊重。この精神性をもってご恩と奉公の関係を維持するための倫理が成長、武士道。
8 武士道の起源は何か。古代軍事氏族の長大伴家持は、海行かばみずくかばね、山行かばくさむすかばね、大王のへにこそ死なめ、かえりみはせじ、と君臣一体を歌い上げた。
戦闘は集団的行為。団結し生死を共にする戦士共同体。10世紀に出現した武士は実力に応じ縦横に連携し団体を作る。縦に連携すれば主従、横に連携すれば朋輩。緊密な主従朋輩関係をもって武士達は戦闘行為に従事。死を共にする共同体を支える精神は友情同性愛。武士道を構成する要因の一つが同性愛感情。武士の社会には同性愛が多い。武士が権力に接近する院政期ごろから同性愛が多発。
9 同性愛感情にご恩と奉公の関係が重なる。この関係は鎌倉幕府で始めて現れたのではない。幕府出現以前、武士が貴族に保護を仰いでいたころも同様。鎌倉幕府は関係を軍事力占有により強固で当然のものとした。ご恩と奉公の関係は明示的実利的。明示的とは関係が公開され周囲から認知される事、実利的とは契約が土地経済財により媒介される事。実利的明示的双務的契約は合理的で安定した契約。契約の当事者の人格は尊重される。
10 武士道の特質は実利性と人格の尊重、合理性主体性の尊重。実利を媒介とする平等な人格が連合したものが幕府。武士は衆議する、衆議性は武士武士道の特質の一つ。
武士は騎射を戦法とした技術を駆使。鎧兜をつけ、馬を御し、巧妙な射術を用いて一対一、対等である敵に敬意を表し自己を顕示、一定の作法に基づいて戦闘。武士は自らが技術者であることを強く意識。武士の技術は芸術的、殺人技術を芸術に昇華させる強い動機。技術性と美意識が武士道のもう一つの特質。
11 武士と天皇公卿の関係。前者は後者を乗り越えて出現。が武士は天皇公卿を抹殺できない。武士は天皇の権威を承認。天皇は天皇、関白は関白。幕府も摂関政治の延長。摂関政治が確立した権力と権威の分離による統治の安定を深化発展させ武家政治が出現。名主層の台頭により政治的発言者が増加、律令制や摂関政治では間に合わず幕府機構が作られる。武士には天皇の存在が必要、武士が一個の武士でありえ、武家政権が安定し独裁化暴力化しないために天皇の存在は絶対必要。足利義満の例、彼の皇位簒奪の企てに最も反対したのは義満の部下である大名達。頂上に天皇があるから将軍の統治は柔らかくなる。将軍も天皇の下にいる、神ではない世俗的存在、独裁者ではない。摂関政治により導入された安定した権力機構は武家政治も継承。武士と天皇は決して対立しない。武士層の台頭による幕府の出現は権力と権威の分離をより明確に、天皇と武家は相互補完的関係に。武家政治により万世一系の天皇制は保証され、天皇の存在があるから武家政治は700年続く。維新の時武士は自らの特権を自ら放棄して政治制度を作り変えた。世界史上稀有の例。武士と天皇の関係が柔軟だからできた。日本では治者と被治者の関係は柔軟で安定。人民の大量虐殺はない、全国的規模の農民反乱もない、大規模な飢餓も酷刑もない。
12 農民反乱も虐殺もない、武士と農民の連帯意識同族意識の証左。日本の農民の耕作権は保証される。イギリスの囲い込み運動など日本では決して起こらない。繰り返すが武士と農民の境界は連続的。後醍醐天皇の股肱、赤松楠名和という武家は水運や鉱山も経営。中江藤樹の父親は農民だが伯父は武家、藤樹は伯父の養子に。坂本竜馬の家は武家であり商人。吉田松陰の家の副業は農作。武士は民衆経済人。
13 武士の生き方の特徴は何か。武士は対等な個人として衆議を重視。衆議は「和」の精神。武芸を重んじ技能習得に励む、技芸を尊重。技術の尊重は武士を範例として敷衍。匠の国日本の原点。武士は技芸に精神性を求める。武芸は武道、実際的効果を離れても追求するに値する精神的価値、美。武士武士道の出現、日本的精神の骨格、和と技と美の精神。
14 ご恩と奉公という封建契約は、経済財を媒介とした双務的契約。契約の当事者武士の人格は尊重される。武士と農民のあり方は連続的、下克上により農民は常に武士層に上昇、だから武士は相互に平等、部族制は解体される。武士は戦闘技術者、技術としての戦闘法に美を見出す。生死をともにし常に死を意識するが故に強い同性愛感情、団結と衆議の基盤。契約遵守、技能者意識、衆議性を包括したところに武士道倫理が出現。幕府の存在により権威と権力の分離が確立。同時に天皇制と武家政治は相互補完的関係に。
(10)ご恩と奉公
1 1192年鎌倉幕府成立。保元平治の乱、武士は自らの実力を自覚し政治の実権を握る。平氏は武士を家人に組織、太政大臣平清盛が政治を了導。平氏政権は院政と衝突、清盛は後白河法皇を幽閉、福原遷都を強行。承久の変後の上皇配流と幕府拠点鎌倉に対応。平氏政権は鎌倉幕府の先駆だが院の近臣という性格を脱しきれず源氏に敗れ亡ぶ。
2 源頼朝は本拠鎌倉で武士を組織。武士の所領を保証、地頭を置き荘園領主から管理費を取り武士の収入に。地頭は年貢納入を怠り、武士が実質的な領主に。鎌倉には政所侍所など独自の統治機構。頼朝死後北条氏が執権として武士を統制。後鳥羽上皇の北条氏討伐の試み承久の変は失敗、天皇廃位上皇配流、朝廷の権力低下、幕府は天皇即位にも干渉。
3 幕府と武士の契約。武士は将軍執権に武力を提供、見返りは領地所有の承認。所領安堵と武力提供の交換、ご恩と奉公の関係が成立。土地を媒介とする双務的関係、封建制度。世界史上封建制度が成立した地域は西欧と日本のみ。主君と臣下は一対一の双務的契約の当事者、契約の媒介は土地経済財。交換の媒体が経済財、当事者は財貨とは異なる人格を得る。武力と土地の交換、人格的な契約。西欧では封建契約を土台として民主制が出現。日本も同様だが、異民族との交渉がない為に輪郭は見えにくい。日本には西欧の民主主義に相当するものが早くからあり、実体においてはより優れていた。
4 封建制度は部族制を解体。部族制、擬似的血縁関係を基礎とする制度。封建契約は経済財を媒介とする一対一の関係、血縁関係が入る余地はない。部族制は明白な契約をもたない自生的な制度、権力は曖昧脆弱時として暴力的。現在でも欧米と日本を除いた他の地域は基本的には部族制ではないのか。
5 武士の始まり、10世紀前半の平将門。武士は本来農地の開発領主。公地公民制の崩壊変容、農地の私有化。私有田の所有者「名主(みょうしゅ)」は租税回避のため、土地を中央の貴族に寄進。貴族の顔と力による土地の擬似私有の保証。名主は武装し、国の役人の干渉を排し、名主仲間による横領を防ぐ。これが武士。彼らは都で貴族に武力を提供。軍事技術と武具生産が集積する都で武技が磨かれ武士が育つ。技術は地方に伝播。名主は武士の始り、武士は農民と同質。
最初の軍事貴族河内源氏は摂関家と結び、東北地方の兵乱を鎮圧、基盤を造る。次に台頭した伊勢平氏は西国の海賊を平定、院の近臣に。武力を持てば武力を使う。院政内部の権力闘争の処理に、1000人程度の武士が動員された戦闘が保元平治の乱。武士は自分達の実力に目覚める、平氏源氏北条氏が武士を組織して実権を掌握。鎌倉幕府。
武士は都の貴族に保護を仰ぐ非合法な土地所有者、保護は不安定。武士達の土地私有を保証する機構としての幕府。源頼朝は国や荘園領主から武士の領地を、武士を結集した強力な軍事力により保証。
6 鎌倉幕府は武士全員を組織できたのではない。幕府が掌握した武士は東国を中心とした一部の武士。彼らは幕府と契約を結ぶ、御家人。武士と農民の関係は連続的。農民が経済力をもち武装すれば武士。経済が発展し農民が富裕になり、下から武装した農民、武士が出現。階層は流動する、下克上の繰り返し。鎌倉幕府は新たな武士層をつかみきれず滅亡。室町幕府は下克上の動きに翻弄され弱体化、社会は戦乱の時代に突入、応仁の乱戦国時代、が鎌倉幕府から徳川幕府までの400年間に人口は倍増、日本的現象。
7 武士発生時の武技は騎射。武士は馬に乗る、鎧兜を着装。鎧は膠を煮詰め干し固めたサネに糸を通し繋いで作る精巧なもの。武士の主要武器は弓矢。二騎の武者が馬を御して駆け違い、後から矢を射てサネの間を射通す。正面から矢を射れば鎧の袖で防がれるからこの形の戦闘に。一騎打ち、馬を射てはダメ、これが古典的戦闘。武士は戦功表示のためサネを通す糸の色を派手に。騎射戦闘、個人戦、精巧な鎧と派手な衣装。騎射習熟には長年月が必要。武士は騎射の技術者、戦闘技術の披露も目的に。戦闘に際して発揮される精神、名誉雄雄しさ美しさも尊重。この精神性をもってご恩と奉公の関係を維持するための倫理が成長、武士道。
8 武士道の起源は何か。古代軍事氏族の長大伴家持は、海行かばみずくかばね、山行かばくさむすかばね、大王のへにこそ死なめ、かえりみはせじ、と君臣一体を歌い上げた。
戦闘は集団的行為。団結し生死を共にする戦士共同体。10世紀に出現した武士は実力に応じ縦横に連携し団体を作る。縦に連携すれば主従、横に連携すれば朋輩。緊密な主従朋輩関係をもって武士達は戦闘行為に従事。死を共にする共同体を支える精神は友情同性愛。武士道を構成する要因の一つが同性愛感情。武士の社会には同性愛が多い。武士が権力に接近する院政期ごろから同性愛が多発。
9 同性愛感情にご恩と奉公の関係が重なる。この関係は鎌倉幕府で始めて現れたのではない。幕府出現以前、武士が貴族に保護を仰いでいたころも同様。鎌倉幕府は関係を軍事力占有により強固で当然のものとした。ご恩と奉公の関係は明示的実利的。明示的とは関係が公開され周囲から認知される事、実利的とは契約が土地経済財により媒介される事。実利的明示的双務的契約は合理的で安定した契約。契約の当事者の人格は尊重される。
10 武士道の特質は実利性と人格の尊重、合理性主体性の尊重。実利を媒介とする平等な人格が連合したものが幕府。武士は衆議する、衆議性は武士武士道の特質の一つ。
武士は騎射を戦法とした技術を駆使。鎧兜をつけ、馬を御し、巧妙な射術を用いて一対一、対等である敵に敬意を表し自己を顕示、一定の作法に基づいて戦闘。武士は自らが技術者であることを強く意識。武士の技術は芸術的、殺人技術を芸術に昇華させる強い動機。技術性と美意識が武士道のもう一つの特質。
11 武士と天皇公卿の関係。前者は後者を乗り越えて出現。が武士は天皇公卿を抹殺できない。武士は天皇の権威を承認。天皇は天皇、関白は関白。幕府も摂関政治の延長。摂関政治が確立した権力と権威の分離による統治の安定を深化発展させ武家政治が出現。名主層の台頭により政治的発言者が増加、律令制や摂関政治では間に合わず幕府機構が作られる。武士には天皇の存在が必要、武士が一個の武士でありえ、武家政権が安定し独裁化暴力化しないために天皇の存在は絶対必要。足利義満の例、彼の皇位簒奪の企てに最も反対したのは義満の部下である大名達。頂上に天皇があるから将軍の統治は柔らかくなる。将軍も天皇の下にいる、神ではない世俗的存在、独裁者ではない。摂関政治により導入された安定した権力機構は武家政治も継承。武士と天皇は決して対立しない。武士層の台頭による幕府の出現は権力と権威の分離をより明確に、天皇と武家は相互補完的関係に。武家政治により万世一系の天皇制は保証され、天皇の存在があるから武家政治は700年続く。維新の時武士は自らの特権を自ら放棄して政治制度を作り変えた。世界史上稀有の例。武士と天皇の関係が柔軟だからできた。日本では治者と被治者の関係は柔軟で安定。人民の大量虐殺はない、全国的規模の農民反乱もない、大規模な飢餓も酷刑もない。
12 農民反乱も虐殺もない、武士と農民の連帯意識同族意識の証左。日本の農民の耕作権は保証される。イギリスの囲い込み運動など日本では決して起こらない。繰り返すが武士と農民の境界は連続的。後醍醐天皇の股肱、赤松楠名和という武家は水運や鉱山も経営。中江藤樹の父親は農民だが伯父は武家、藤樹は伯父の養子に。坂本竜馬の家は武家であり商人。吉田松陰の家の副業は農作。武士は民衆経済人。
13 武士の生き方の特徴は何か。武士は対等な個人として衆議を重視。衆議は「和」の精神。武芸を重んじ技能習得に励む、技芸を尊重。技術の尊重は武士を範例として敷衍。匠の国日本の原点。武士は技芸に精神性を求める。武芸は武道、実際的効果を離れても追求するに値する精神的価値、美。武士武士道の出現、日本的精神の骨格、和と技と美の精神。
14 ご恩と奉公という封建契約は、経済財を媒介とした双務的契約。契約の当事者武士の人格は尊重される。武士と農民のあり方は連続的、下克上により農民は常に武士層に上昇、だから武士は相互に平等、部族制は解体される。武士は戦闘技術者、技術としての戦闘法に美を見出す。生死をともにし常に死を意識するが故に強い同性愛感情、団結と衆議の基盤。契約遵守、技能者意識、衆議性を包括したところに武士道倫理が出現。幕府の存在により権威と権力の分離が確立。同時に天皇制と武家政治は相互補完的関係に。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます