五摂家の復活を提案する
現在皇室に男児の方が非常に少なく、女性宮家を作る云々の話しが進行中です。日本は万世一系で男子の天皇が代々皇統を継がれるという伝統ですから、女性の天皇の出現は歓迎できません。例外的中継ぎの天皇としてなら、状況により仕方がないかも知れませんが。旧宮家復活も賛成です。ところで皆さんが忘れておられることがあります。華族制度です。華族は皇室の藩屏になっていました。戦後のマッカ-サ-による改革(?)でこの華族制度はなくなりました。皇室、それも直系の皇族方だけが取り残されました。天皇とは君主です。君主には君主のための特別なご教育が必要です。君主の教育を一般民衆のそれと同じ次元で考える方がおかしいのです。婚姻に関しても同様です。天皇制が存続するためには、かっての華族のような藩屏(取り巻き)が必要です。旧華族全部を復活させることはできないでしょうが、せめて堂上華族の一部は復活させるべきではないでしょうか。どこまで復活させるかという問題ですが、まず堂上華族の筆頭である五つの摂家、近衛、九条、二条、一条,鷹司の五家の復活は天皇制安定のために不可欠の条件になります。
五摂家とは摂政関白になりうる家柄です。紀元1000年前後、御堂関白藤原道長の時代、摂関家としてこの家系ができました。以後この家系は原則として天皇の正妃つまり皇后を出す家柄として特別の存在とみなされ、この家系は準皇族とみなされました。道長から6代後の忠通の時、平安末から鎌倉初期の時代、彼の子孫が分裂して五摂家ができ今日に至っています。武家の時代になっても摂家の権威は不動のもので、天皇の代替わりの時、その時に生じる皇位不在の短期間、時の関白が一時天皇代行をするほどの存在でした。
別に私は古いから、伝統があるから五摂家を復活させよといっているわけではありません。日本の天皇制は五摂家の先祖である摂関政治と深く結びついているのです。ここであまり詳しいことを述べる余地はありませんが、若干二三の結論のみを言います。まず日本の政治の原点は律令制に遡りますが、この律令制は皇室と藤原氏の共同により形成されました。特に律令制形成と不可分の関係にある、仏教の保護育成に皇室と藤原氏の果した役割は重大です。そして仏教が日本の政治と文化に果した役割もまた重大です。仏教の定着をもって日本人の衆議(意見の形成と伝達が)極めて円満かつ効率よくなされるようになりました。さらに藤原氏は摂関政治を確立することにおいて、自己を天皇(みかど)より一格下の共同統治者の地位に置くことに成功しました。この制度つまり摂関制度の意義はいくら評価してもしすぎということはありません。政権がこのような柔軟な二重構造をとることにより、政権交代は極めて円滑なものになりました。権威と権力の分割といってもよろしい。ともかく以後摂関政治が院政に変わり、さらに武家政治の時代になっても、この権力の二重構造は生きており、武家政治の主催者である各将軍も一格下の共同統治者という立場を形の上だけでもとり続けました。幕末ペリ-来航で統治能力を失った、徳川幕府があっというまに倒れて、そしてスム-スに政権交代ができたのも、天皇制という存在があったからです。私に言わせると日本人あるいは日本史学者には摂関政治の意味が解っていないようです。少なくとも1500年以上にわたって続く万世一系の天皇制とは世界中のどこの歴史にもありません。その天皇制に不可欠の補完装置が摂関制であったのです。天皇制を護持するためにも五摂家の復活は必要です。復活とは五摂家の特殊な地位を認めて、国家でもってその血統の存続を保証することです。繰り返しますが私は旧宮家の復活と同時に五摂家の復活を提案します。天皇制の意義についてはまた別の機会に申し述べます。
(付)堂上華族とは維新前に存在した公卿の家柄で明治時代に華族に指定された家柄です。江戸時代末期に約150家ありました。摂家、清華、大臣、羽林、名家、その他と約6つの階層に分かれていました。そのトップが摂家です。堂上華族の八割は藤原氏、残りの大分は村上源氏です。
(付)ヨーロッパの王室と日本の皇室を比べるとその伝統の古さと安定度において、正直比較になりません。月とすっぽんです。仏独露の三国は革命で君主制を排しました。その後のこれらの国の不安定ぶりは周知の通りです。欧州で一番安定しているといわれる英国王室にしても現在のウィンザ-朝の先祖は300年遡ればドイツ人です。オランダやベルギ-の王室そのものの歴史はたかだか200年です。日本の皇室が万世一系と言われて尊重される由縁は、簡単に言えば日本の歴史が平和であったからでもあります。日本の天皇の存在は平和の象徴なのです。戦後からではありませんよ。日本民族発生の時からです。
(付)天皇制に関してはまた詳説するつもりですが、ここでその主たる意味内容を断想風に書いておきます。
・権力の正統性の唯一の根拠は血統
・君主制は伝統、歴史、文化、そして美、護り育てるもの
・親族関係という生物学的次元を政治制度に結びつける存在
・君主には特権が必要、一夫多妻という特権が必要
・衆議と権力の接点に君主の存在がある、そして衆議と権力の相乗性
・君主制と宗教の相互補完性、ここから人格なるものが析出される
・君主は分配の支点
・君主制によってのみ性別分業は保証される
・君主制は家族道徳の原点
・君主制は血(血統)の保証、この保証下に経済という名の闘争過程は安定する
・自分に自分が暗示を与えてこそ権威(カリスマ性)は付与できる、この自己暗示を保証する装置が宗教、その内容は特権、一夫多妻、総じて
近親相姦の一部容認
現在皇室に男児の方が非常に少なく、女性宮家を作る云々の話しが進行中です。日本は万世一系で男子の天皇が代々皇統を継がれるという伝統ですから、女性の天皇の出現は歓迎できません。例外的中継ぎの天皇としてなら、状況により仕方がないかも知れませんが。旧宮家復活も賛成です。ところで皆さんが忘れておられることがあります。華族制度です。華族は皇室の藩屏になっていました。戦後のマッカ-サ-による改革(?)でこの華族制度はなくなりました。皇室、それも直系の皇族方だけが取り残されました。天皇とは君主です。君主には君主のための特別なご教育が必要です。君主の教育を一般民衆のそれと同じ次元で考える方がおかしいのです。婚姻に関しても同様です。天皇制が存続するためには、かっての華族のような藩屏(取り巻き)が必要です。旧華族全部を復活させることはできないでしょうが、せめて堂上華族の一部は復活させるべきではないでしょうか。どこまで復活させるかという問題ですが、まず堂上華族の筆頭である五つの摂家、近衛、九条、二条、一条,鷹司の五家の復活は天皇制安定のために不可欠の条件になります。
五摂家とは摂政関白になりうる家柄です。紀元1000年前後、御堂関白藤原道長の時代、摂関家としてこの家系ができました。以後この家系は原則として天皇の正妃つまり皇后を出す家柄として特別の存在とみなされ、この家系は準皇族とみなされました。道長から6代後の忠通の時、平安末から鎌倉初期の時代、彼の子孫が分裂して五摂家ができ今日に至っています。武家の時代になっても摂家の権威は不動のもので、天皇の代替わりの時、その時に生じる皇位不在の短期間、時の関白が一時天皇代行をするほどの存在でした。
別に私は古いから、伝統があるから五摂家を復活させよといっているわけではありません。日本の天皇制は五摂家の先祖である摂関政治と深く結びついているのです。ここであまり詳しいことを述べる余地はありませんが、若干二三の結論のみを言います。まず日本の政治の原点は律令制に遡りますが、この律令制は皇室と藤原氏の共同により形成されました。特に律令制形成と不可分の関係にある、仏教の保護育成に皇室と藤原氏の果した役割は重大です。そして仏教が日本の政治と文化に果した役割もまた重大です。仏教の定着をもって日本人の衆議(意見の形成と伝達が)極めて円満かつ効率よくなされるようになりました。さらに藤原氏は摂関政治を確立することにおいて、自己を天皇(みかど)より一格下の共同統治者の地位に置くことに成功しました。この制度つまり摂関制度の意義はいくら評価してもしすぎということはありません。政権がこのような柔軟な二重構造をとることにより、政権交代は極めて円滑なものになりました。権威と権力の分割といってもよろしい。ともかく以後摂関政治が院政に変わり、さらに武家政治の時代になっても、この権力の二重構造は生きており、武家政治の主催者である各将軍も一格下の共同統治者という立場を形の上だけでもとり続けました。幕末ペリ-来航で統治能力を失った、徳川幕府があっというまに倒れて、そしてスム-スに政権交代ができたのも、天皇制という存在があったからです。私に言わせると日本人あるいは日本史学者には摂関政治の意味が解っていないようです。少なくとも1500年以上にわたって続く万世一系の天皇制とは世界中のどこの歴史にもありません。その天皇制に不可欠の補完装置が摂関制であったのです。天皇制を護持するためにも五摂家の復活は必要です。復活とは五摂家の特殊な地位を認めて、国家でもってその血統の存続を保証することです。繰り返しますが私は旧宮家の復活と同時に五摂家の復活を提案します。天皇制の意義についてはまた別の機会に申し述べます。
(付)堂上華族とは維新前に存在した公卿の家柄で明治時代に華族に指定された家柄です。江戸時代末期に約150家ありました。摂家、清華、大臣、羽林、名家、その他と約6つの階層に分かれていました。そのトップが摂家です。堂上華族の八割は藤原氏、残りの大分は村上源氏です。
(付)ヨーロッパの王室と日本の皇室を比べるとその伝統の古さと安定度において、正直比較になりません。月とすっぽんです。仏独露の三国は革命で君主制を排しました。その後のこれらの国の不安定ぶりは周知の通りです。欧州で一番安定しているといわれる英国王室にしても現在のウィンザ-朝の先祖は300年遡ればドイツ人です。オランダやベルギ-の王室そのものの歴史はたかだか200年です。日本の皇室が万世一系と言われて尊重される由縁は、簡単に言えば日本の歴史が平和であったからでもあります。日本の天皇の存在は平和の象徴なのです。戦後からではありませんよ。日本民族発生の時からです。
(付)天皇制に関してはまた詳説するつもりですが、ここでその主たる意味内容を断想風に書いておきます。
・権力の正統性の唯一の根拠は血統
・君主制は伝統、歴史、文化、そして美、護り育てるもの
・親族関係という生物学的次元を政治制度に結びつける存在
・君主には特権が必要、一夫多妻という特権が必要
・衆議と権力の接点に君主の存在がある、そして衆議と権力の相乗性
・君主制と宗教の相互補完性、ここから人格なるものが析出される
・君主は分配の支点
・君主制によってのみ性別分業は保証される
・君主制は家族道徳の原点
・君主制は血(血統)の保証、この保証下に経済という名の闘争過程は安定する
・自分に自分が暗示を与えてこそ権威(カリスマ性)は付与できる、この自己暗示を保証する装置が宗教、その内容は特権、一夫多妻、総じて
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