今回のブログは
去る15日、自身の別ブログに更新したものです。
こちらに載せることは正直
しないつもりでしたが
自分たちの仲間が、どんな想いで普段やっているのか
自分の意志が間違っていないという、信念が在る以上
名前も顔も正々堂々、公表して初めて
生きた言葉になると思っております。
(以下、本文そのまま)
昨日の雨とはうって変わり
朝から日差しが眩しい寄居町〓
12月も第3週
残り半月、しっかりと頑張ってゆきましょう〓
こんばんは マサでございます〓
今年もいろんなことがありました。
そろそろ、一年を振り返り
今年の反省や 来年への抱負
迎えるべく、2009年は
明るく『変化』した年に『帰れるよう』
常に前向きに力いっぱい、帆を広げていたいですょね。
『うさぎとカメ』
子供の頃、読んだ絵本の代表作として
みなさんもよくご存知かと思いますが〓
もし仮に、ウサギが手を抜くこと知らなかったり‥
カメが相変わらずノンビリ屋さんだったとしたら
あのお話は、如何様にも変わっていたかもしれません。
この一年を振り返りながら、また『マサ節』を一節(笑)
今年はなんと言っても、映画『ノン子36歳(家事手伝い)』
毎年のレギュラー行事をこなしながらのロケ〓
こちらではロケハン時より
主演の坂井真紀さんや、熊切監督はじめ
キャストさんや製作スタッフさん、各・関係者さんに
来年は5年目を迎える『乙姫ちゃん』表紙の『ヨリイスタイル』を配布
宿泊先や、ロケ弁・差し入れ等に限らず
撮休日には『ヨリイスタイル』片手にキャストさんたちが
掲載されたお店でお食事するなど
『乙姫ちゃん・プロジェクト』の狙いが、まさに発揮され
映画の中にも登場する『乙姫ちゃんボトル』はスタッフさんたちの定番土産に。
先の日記にも書きましたが
去る 13日に熊谷市で行われた
馬場俊英 LIVE TOUR 2008『熊谷凱旋・さくらめいと』
当日は午前中から、全国のヘッズさんたちが
熊谷市や寄居町を訪れてくれた。
なかには、寄居町や近隣に一泊
次の日も町中を『ヨリイスタイル』片手に歩いてくれた方々も。
寄居町は、山と川に囲まれた小さな町
都心へも関越自動車道や、東武東上線で1時間30分程度で行ける。
若い頃はマサも町から出たくて 親元から離れたくて
都心への憧れが強かった
やりたい仕事も他にも当然あったし。
町へ戻ると 大半は『余生は静かなところで。』という年代だが
若くても自然の在るところ・空気の良いところへと‥
新たな転居者も増える一方 進学・就職にと
若者の町離れは、仕方のないことだが
食い止めることはなかなか難しい。
後継ぎのいないお店も多く
たまたま後継者として残る羽目になったマサたち
シャッター通りに変わってゆく商店街のメイン・ストリート
何度も何度も、日記に書いた
『毎日が月曜日(商店街の休日)のような商店街に
子供たちが学校から帰ってくるような時代を作りたくない。』
すべてはそんな想いからだったんだ。
平成の大合併を境に、マサたち30~40歳代の『意識』が変わった
そう、マサたちは住んでいる地区や年齢・職業問わず
第一線で町で働く年代が中心となって考える町創り
寄居町・統一を選んだ。
同じ町に住んでいながら、意外と知らないことばかり
『乙姫ちゃん』は誰もが親しみを持ってくれるよう
町の中央を流れる『荒川』 そして、その昔
断崖絶壁に聳え立っていたであろう『鉢形城』
その共通の伝説からヒントを得たキャラクター。
はじめは いろんなことを言われた
散々、合併失敗のA級戦犯扱いもされた
しかし 『ピンチをチャンスに。』
その想いだけで走ってきた4年間があった。
ホンダが町にやってくる。
それは全く関係のないこと
手のひらを返し、浮かれた人たちを尻目に
自分たちは『ホンダ』が来るなら、余計にしっかりやること。
YFCをまぁーくんと立ち上げ
それも散々、酷評された
何も出来ない奴が、見えない所から攻撃してくる
しかし忙しい人間は、かまっている暇はない。
『結果を出し続けて黙らせる。』
そこに 今のメンバーのベースが在る。
馬場さんが昨年『紅白』へと初出場
マサたちも、いろんなところでメディアに登場
そしてまた、矢面に。
しかし、いつもメンバーとで話すのは
『俺たちは視ているところが違う。』
いろんな人たちがいて当然、いろんな考えがあって当然
マサたちは、自分たちが目立ちたい訳でもなく
馬場さんで町おこししている訳でも何でもない。
寄居の人間を、寄居の人間が応援するのは ごく当たり前のこと。
この2日間、全国から寄居町を『ヨリイスタイル』片手に
訪れてくれたヘッズのみなさん
これが事実であり、真実であり現実。
以前は、町のイベントもそう
土・日にお店を空けることに対して
家庭内でも事あるごとに、両親と対立
しかしそれは、これからの時代には
必要な時間でもある
闇雲に行っていた訳ではなく
自身がプロデュースしたものは全て『意味のあるもの』
いつも10~20年先を視てるから。
さすがにお祭りだからと言って
お店を空けることは、この先いつまでも出来るはずもない
でも両親がいるうちに、種まきは必要な時間なのだ。
『乙姫ちゃん』も『ノン子』も『馬場さん』も‥
マサのお店が繁盛するかと言えば 直結しない
だって、最初から商売とは切り離してやっているから。
例えば 『山崎屋』かんちゃんちなんか
売り上げには繋がり易い職種だょ確かに
でも、かんちゃんだってたまたま『山崎屋』なだけだもん笑
やつだってそんな気持ちはあるはずもない。
いろんな考え方や、想像でものを言ったり書いたり‥
世代によって、『今』大事なことが
自分が理解出来ないことによって無駄に見えたり。
大切なのは、遠方からいらしてくれたお客さんを持成す心。
仲間のところにお金が落ちて、寄居町で過ごしてくれること
そして、みなさんが『楽しかった。』と言ってくれることだけだ。
馬場さんのファンや、映画を見て寄居町を訪れてくれる人を
出来ることで楽しませてあげたい・楽しんでもらいたい。
そのための『ヨリイスタイル』であり『乙姫ちゃん・プロジェクト』
自分の金儲けなんて、とんでもない話
要は『ババ・プロ』も『YFC』も
そういった『お持て成しの心や、感性を磨く』そのためのソフト
商店街も、町も『運命共同体』
みんなが、それぞれの持ちやでしっかりと貢献し
お互いがお互いを支えあうべき
人が訪れるということは、それだけ『見られている』ということ
見られている『意識』があれば
もっともっと、いろんなことを吸収し
視野を広めることが重要になる。
この2日間で、全国から多くの馬場さんのファンが訪れてくれたこと
その中で、マサたちメンバーが教わったこと・気付かされたこと
そして
『俺たちは視ているところが違うんだょ。』
その言葉が間違いでなかったことを
また、再確認させてもらった。
ひとつが廻り始めると、いろんなものが廻り出し
それがやがて、大きなうねりとなる
商売もそう、全体で考えること
みんなが町を訪れてくれること・愛着を持ってくれること
それがもっともっと、町全体に広がるように
まだまだ走り続けないとね
誰かがやるんじゃない
自分たちに視えているなら、そこにブレずにやり抜くだけ。
『想い』が在る以上、帆を広げなきゃね〓
去る15日、自身の別ブログに更新したものです。
こちらに載せることは正直
しないつもりでしたが
自分たちの仲間が、どんな想いで普段やっているのか
自分の意志が間違っていないという、信念が在る以上
名前も顔も正々堂々、公表して初めて
生きた言葉になると思っております。
(以下、本文そのまま)
昨日の雨とはうって変わり
朝から日差しが眩しい寄居町〓
12月も第3週
残り半月、しっかりと頑張ってゆきましょう〓
こんばんは マサでございます〓
今年もいろんなことがありました。
そろそろ、一年を振り返り
今年の反省や 来年への抱負
迎えるべく、2009年は
明るく『変化』した年に『帰れるよう』
常に前向きに力いっぱい、帆を広げていたいですょね。
『うさぎとカメ』
子供の頃、読んだ絵本の代表作として
みなさんもよくご存知かと思いますが〓
もし仮に、ウサギが手を抜くこと知らなかったり‥
カメが相変わらずノンビリ屋さんだったとしたら
あのお話は、如何様にも変わっていたかもしれません。
この一年を振り返りながら、また『マサ節』を一節(笑)
今年はなんと言っても、映画『ノン子36歳(家事手伝い)』
毎年のレギュラー行事をこなしながらのロケ〓
こちらではロケハン時より
主演の坂井真紀さんや、熊切監督はじめ
キャストさんや製作スタッフさん、各・関係者さんに
来年は5年目を迎える『乙姫ちゃん』表紙の『ヨリイスタイル』を配布
宿泊先や、ロケ弁・差し入れ等に限らず
撮休日には『ヨリイスタイル』片手にキャストさんたちが
掲載されたお店でお食事するなど
『乙姫ちゃん・プロジェクト』の狙いが、まさに発揮され
映画の中にも登場する『乙姫ちゃんボトル』はスタッフさんたちの定番土産に。
先の日記にも書きましたが
去る 13日に熊谷市で行われた
馬場俊英 LIVE TOUR 2008『熊谷凱旋・さくらめいと』
当日は午前中から、全国のヘッズさんたちが
熊谷市や寄居町を訪れてくれた。
なかには、寄居町や近隣に一泊
次の日も町中を『ヨリイスタイル』片手に歩いてくれた方々も。
寄居町は、山と川に囲まれた小さな町
都心へも関越自動車道や、東武東上線で1時間30分程度で行ける。
若い頃はマサも町から出たくて 親元から離れたくて
都心への憧れが強かった
やりたい仕事も他にも当然あったし。
町へ戻ると 大半は『余生は静かなところで。』という年代だが
若くても自然の在るところ・空気の良いところへと‥
新たな転居者も増える一方 進学・就職にと
若者の町離れは、仕方のないことだが
食い止めることはなかなか難しい。
後継ぎのいないお店も多く
たまたま後継者として残る羽目になったマサたち
シャッター通りに変わってゆく商店街のメイン・ストリート
何度も何度も、日記に書いた
『毎日が月曜日(商店街の休日)のような商店街に
子供たちが学校から帰ってくるような時代を作りたくない。』
すべてはそんな想いからだったんだ。
平成の大合併を境に、マサたち30~40歳代の『意識』が変わった
そう、マサたちは住んでいる地区や年齢・職業問わず
第一線で町で働く年代が中心となって考える町創り
寄居町・統一を選んだ。
同じ町に住んでいながら、意外と知らないことばかり
『乙姫ちゃん』は誰もが親しみを持ってくれるよう
町の中央を流れる『荒川』 そして、その昔
断崖絶壁に聳え立っていたであろう『鉢形城』
その共通の伝説からヒントを得たキャラクター。
はじめは いろんなことを言われた
散々、合併失敗のA級戦犯扱いもされた
しかし 『ピンチをチャンスに。』
その想いだけで走ってきた4年間があった。
ホンダが町にやってくる。
それは全く関係のないこと
手のひらを返し、浮かれた人たちを尻目に
自分たちは『ホンダ』が来るなら、余計にしっかりやること。
YFCをまぁーくんと立ち上げ
それも散々、酷評された
何も出来ない奴が、見えない所から攻撃してくる
しかし忙しい人間は、かまっている暇はない。
『結果を出し続けて黙らせる。』
そこに 今のメンバーのベースが在る。
馬場さんが昨年『紅白』へと初出場
マサたちも、いろんなところでメディアに登場
そしてまた、矢面に。
しかし、いつもメンバーとで話すのは
『俺たちは視ているところが違う。』
いろんな人たちがいて当然、いろんな考えがあって当然
マサたちは、自分たちが目立ちたい訳でもなく
馬場さんで町おこししている訳でも何でもない。
寄居の人間を、寄居の人間が応援するのは ごく当たり前のこと。
この2日間、全国から寄居町を『ヨリイスタイル』片手に
訪れてくれたヘッズのみなさん
これが事実であり、真実であり現実。
以前は、町のイベントもそう
土・日にお店を空けることに対して
家庭内でも事あるごとに、両親と対立
しかしそれは、これからの時代には
必要な時間でもある
闇雲に行っていた訳ではなく
自身がプロデュースしたものは全て『意味のあるもの』
いつも10~20年先を視てるから。
さすがにお祭りだからと言って
お店を空けることは、この先いつまでも出来るはずもない
でも両親がいるうちに、種まきは必要な時間なのだ。
『乙姫ちゃん』も『ノン子』も『馬場さん』も‥
マサのお店が繁盛するかと言えば 直結しない
だって、最初から商売とは切り離してやっているから。
例えば 『山崎屋』かんちゃんちなんか
売り上げには繋がり易い職種だょ確かに
でも、かんちゃんだってたまたま『山崎屋』なだけだもん笑
やつだってそんな気持ちはあるはずもない。
いろんな考え方や、想像でものを言ったり書いたり‥
世代によって、『今』大事なことが
自分が理解出来ないことによって無駄に見えたり。
大切なのは、遠方からいらしてくれたお客さんを持成す心。
仲間のところにお金が落ちて、寄居町で過ごしてくれること
そして、みなさんが『楽しかった。』と言ってくれることだけだ。
馬場さんのファンや、映画を見て寄居町を訪れてくれる人を
出来ることで楽しませてあげたい・楽しんでもらいたい。
そのための『ヨリイスタイル』であり『乙姫ちゃん・プロジェクト』
自分の金儲けなんて、とんでもない話
要は『ババ・プロ』も『YFC』も
そういった『お持て成しの心や、感性を磨く』そのためのソフト
商店街も、町も『運命共同体』
みんなが、それぞれの持ちやでしっかりと貢献し
お互いがお互いを支えあうべき
人が訪れるということは、それだけ『見られている』ということ
見られている『意識』があれば
もっともっと、いろんなことを吸収し
視野を広めることが重要になる。
この2日間で、全国から多くの馬場さんのファンが訪れてくれたこと
その中で、マサたちメンバーが教わったこと・気付かされたこと
そして
『俺たちは視ているところが違うんだょ。』
その言葉が間違いでなかったことを
また、再確認させてもらった。
ひとつが廻り始めると、いろんなものが廻り出し
それがやがて、大きなうねりとなる
商売もそう、全体で考えること
みんなが町を訪れてくれること・愛着を持ってくれること
それがもっともっと、町全体に広がるように
まだまだ走り続けないとね
誰かがやるんじゃない
自分たちに視えているなら、そこにブレずにやり抜くだけ。
『想い』が在る以上、帆を広げなきゃね〓
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