全国のファンのみなさまに支えられ
パワーアップしての『復活の日』です
『普通』にしか本来できないので
バカは踏んづけて、どんどんぶっちぎって行きます
がんばろう!! 大橋理容室でございます
だんだんと
良い季節になってまいりましたね
すっかり衣替えを済ませ
今年は
幾分、早めの『夏服』が街を彩りそうです
さて、この度
『人を磨くスタイルマガジン hitoiki(ひといき)』さん
JUN.2011 VOL.51
特集【男の髭美学】号に
『ヒゲ倶楽部』メンバーらと共に、掲載されております。
(編集部さん、ご送付いただき
ありがとうございます)
『全国理容生活衛生同業組合連合会』さん(長っ)発行の
組合員のための回覧配布物
いわゆる、【業界誌】な訳ですが
数年前にイメージ・チェンジし
プロデューサーに、あの『石川次郎』氏(トゥナイト2)を迎え
『これならお店に置けるかな…』
…といった雑誌に生まれ変わりました()
昔から、いかにも的な『ヘアスタイル』の
つまんねぇポスターとか貼るの大嫌いでしたので
ちなみに
70'『MEN'S CLUB』ファッションモデルの第一人者、『北上 純』氏もご登場
ダンディーな雰囲気で
センスよく、ページを飾って戴いております
あまり、もうごちゃごちゃ書きたくないので
だいたいで割愛いたしますが。
ボクが床屋さんになったのは
ボクが継がなきゃ
いろんな意味で、お店は終わりますので
『大変』なのは覚悟の上で、床屋さんになりました。
育った環境
時代背景
性格が『真逆』な親子(2vs1)が
田舎街で一緒に商売をすること
度々書いておりますが
想像をはるかに超えた葛藤が、数十年と続きました。
もともと、理容学校の試験の日に
わざと不合格になるように仕掛けたくらいでしたから。
進みたい道もありましたし
男として生まれた以上
情熱を傾けられる職業を選択し
本当に
自分の感性だけで勝負できる、そんな職業に就きたかった想いは
正直あります。
自分が商売をやる上で
『理想』に掲げた場所に変えてゆくために
ハサミ以外に
握るものも多かったのも事実。
いろいろありましたけど
実は、その数年前に
お店を閉めて『異業界』へ進む話しも
家庭の中では出ておりました。
『あの時、こうしていたら…』
そんな風に振り返ることは多々ありますが
『積み上げたもの』を取り戻すことは
決して、容易ではありません。
自分が『理想』とした場所を、完全に手に入れるには
それ相当な年月が必要となり
真の意味で『取り返しがつかなくなる』その前に
一旦、仕切り直し『リセット』して
自分が『今』踏ん張ってでも
その『環境』を取り戻したく、やってゆくことを選択した訳です。
理容の仕事を
どうしても、好きになれない理由はちゃんとあり
嫌な場所を変えてゆきたい『責任感』だけが
ずっと支えてきたものです。
本当に嫌ならば
とっくに、いるはずがありませんから。
業界のことも
あまり、実はよく知らなくて…
いろんな団体やら、肩書きやら
派閥や力関係とかまったく興味がなく
しかしながら、世界クラスの仲間や
メジャーな先生には何故か学生時代から可愛がられ(笑)
それでも
ボクは業界では、全くの無名であり
『床屋さんの仕事は、食べてゆくため』
それだけのもので十分でした。
むしろ
『こんなことで、お客様に対して申し訳ない』と
中途半端な自分が嫌で
自己嫌悪に陥り
本当に、悩んで行き詰まった経験もあります。
ここには書けない人生の終演を
自ら選ぼうとしたことも、実はあります。
ボクには
どうしても叶えなければならない想いと
絶対に、取り戻さなければならないプライドがあります。
『父親』として
『男』としてのプライド。
『ヒゲ倶楽部』のメンバーと出会い
実は、どこかで自分から避けていた業界の人達や
業界特有のしがらみ
保守な片田舎で『よそ者』の
その二代目にしか解らない責任と重圧
それでも気がつけば全国に
業界や、それ以外の『仲間達』がいつしか沢山増えていて
雑誌の中の自分が真ん中で
今回、自分でも驚くほどの良い笑顔をしております。
人生、いろんなことがあり
その度に
幾重にも分かれた『道』が突如として
目の前に現れます。
どの道を選択しても
なかなか、自分の想いとは裏腹に
スムーズには歩かせてはくれません。
その道を、どう広げてゆくのか
道が無いならば
自力で切り拓いてゆけるか
『回り道』
『遠回り』をしたとしても
必ず
『そこ』に辿り着いてみせます。
絶対、辿り着かなきゃいけない『責任』がボクにはあるんです。
だからボクは
自分だけの、オンリー・ワンのスタイルを貫き通したかった訳で
ボクになれるのは、ボクだけであり
ボクを超えられるのは
ボクらの、3人の息子たちだけ。
ボクが『理容師』として
本当にやりたかったことが
この秋
いよいよ、現実のものへとなりそうです。
また、お知らせできるときが来たら-
文末に一言だけいいですか…?
『日本の父親は負けねぇんだよっ なめんじゃねぇっ』
あーー、スッキリ。
がんばろう I am a father
☆町の情報ジャンクション・大橋理容室☆
パワーアップしての『復活の日』です
『普通』にしか本来できないので
バカは踏んづけて、どんどんぶっちぎって行きます
がんばろう!! 大橋理容室でございます
だんだんと
良い季節になってまいりましたね
すっかり衣替えを済ませ
今年は
幾分、早めの『夏服』が街を彩りそうです
さて、この度
『人を磨くスタイルマガジン hitoiki(ひといき)』さん
JUN.2011 VOL.51
特集【男の髭美学】号に
『ヒゲ倶楽部』メンバーらと共に、掲載されております。
(編集部さん、ご送付いただき
ありがとうございます)
『全国理容生活衛生同業組合連合会』さん(長っ)発行の
組合員のための回覧配布物
いわゆる、【業界誌】な訳ですが
数年前にイメージ・チェンジし
プロデューサーに、あの『石川次郎』氏(トゥナイト2)を迎え
『これならお店に置けるかな…』
…といった雑誌に生まれ変わりました()
昔から、いかにも的な『ヘアスタイル』の
つまんねぇポスターとか貼るの大嫌いでしたので
ちなみに
70'『MEN'S CLUB』ファッションモデルの第一人者、『北上 純』氏もご登場
ダンディーな雰囲気で
センスよく、ページを飾って戴いております
あまり、もうごちゃごちゃ書きたくないので
だいたいで割愛いたしますが。
ボクが床屋さんになったのは
ボクが継がなきゃ
いろんな意味で、お店は終わりますので
『大変』なのは覚悟の上で、床屋さんになりました。
育った環境
時代背景
性格が『真逆』な親子(2vs1)が
田舎街で一緒に商売をすること
度々書いておりますが
想像をはるかに超えた葛藤が、数十年と続きました。
もともと、理容学校の試験の日に
わざと不合格になるように仕掛けたくらいでしたから。
進みたい道もありましたし
男として生まれた以上
情熱を傾けられる職業を選択し
本当に
自分の感性だけで勝負できる、そんな職業に就きたかった想いは
正直あります。
自分が商売をやる上で
『理想』に掲げた場所に変えてゆくために
ハサミ以外に
握るものも多かったのも事実。
いろいろありましたけど
実は、その数年前に
お店を閉めて『異業界』へ進む話しも
家庭の中では出ておりました。
『あの時、こうしていたら…』
そんな風に振り返ることは多々ありますが
『積み上げたもの』を取り戻すことは
決して、容易ではありません。
自分が『理想』とした場所を、完全に手に入れるには
それ相当な年月が必要となり
真の意味で『取り返しがつかなくなる』その前に
一旦、仕切り直し『リセット』して
自分が『今』踏ん張ってでも
その『環境』を取り戻したく、やってゆくことを選択した訳です。
理容の仕事を
どうしても、好きになれない理由はちゃんとあり
嫌な場所を変えてゆきたい『責任感』だけが
ずっと支えてきたものです。
本当に嫌ならば
とっくに、いるはずがありませんから。
業界のことも
あまり、実はよく知らなくて…
いろんな団体やら、肩書きやら
派閥や力関係とかまったく興味がなく
しかしながら、世界クラスの仲間や
メジャーな先生には何故か学生時代から可愛がられ(笑)
それでも
ボクは業界では、全くの無名であり
『床屋さんの仕事は、食べてゆくため』
それだけのもので十分でした。
むしろ
『こんなことで、お客様に対して申し訳ない』と
中途半端な自分が嫌で
自己嫌悪に陥り
本当に、悩んで行き詰まった経験もあります。
ここには書けない人生の終演を
自ら選ぼうとしたことも、実はあります。
ボクには
どうしても叶えなければならない想いと
絶対に、取り戻さなければならないプライドがあります。
『父親』として
『男』としてのプライド。
『ヒゲ倶楽部』のメンバーと出会い
実は、どこかで自分から避けていた業界の人達や
業界特有のしがらみ
保守な片田舎で『よそ者』の
その二代目にしか解らない責任と重圧
それでも気がつけば全国に
業界や、それ以外の『仲間達』がいつしか沢山増えていて
雑誌の中の自分が真ん中で
今回、自分でも驚くほどの良い笑顔をしております。
人生、いろんなことがあり
その度に
幾重にも分かれた『道』が突如として
目の前に現れます。
どの道を選択しても
なかなか、自分の想いとは裏腹に
スムーズには歩かせてはくれません。
その道を、どう広げてゆくのか
道が無いならば
自力で切り拓いてゆけるか
『回り道』
『遠回り』をしたとしても
必ず
『そこ』に辿り着いてみせます。
絶対、辿り着かなきゃいけない『責任』がボクにはあるんです。
だからボクは
自分だけの、オンリー・ワンのスタイルを貫き通したかった訳で
ボクになれるのは、ボクだけであり
ボクを超えられるのは
ボクらの、3人の息子たちだけ。
ボクが『理容師』として
本当にやりたかったことが
この秋
いよいよ、現実のものへとなりそうです。
また、お知らせできるときが来たら-
文末に一言だけいいですか…?
『日本の父親は負けねぇんだよっ なめんじゃねぇっ』
あーー、スッキリ。
がんばろう I am a father
☆町の情報ジャンクション・大橋理容室☆