ロドス島の薔薇

Hic Rhodus, hic saltus.

Hier ist die Rose, hier tanze. 

フリードリヒ・ハイエク 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

2012年05月05日 | 政治・経済

フリードリヒ・ハイエク 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

目次

1 略歴
2 業績
2.1 景気循環理論
2.2 投資と資本
2.3 経済計算論争と市場メカニズムの特性
3 思想
3.1 古典的自由主義
3.2 「理性主義」批判
4 邦訳著作
4.1 単著
4.2 共著
4.3 編著
4.4 全集
5 脚注
6 参考文献
7 関連項目
8 外部リンク

1 略歴

1899年 オーストリア・ハンガリー帝国の首都ウィーンの学者家庭に生まれる。
第1次世界大戦の兵役を済ます。
ウィーン大学に入学。
1921年 法学部の学位を取る。
1923年 経済学で二つ目の博士号を取得する。
1923年 渡米し、ニューヨーク大学で研究助手として働く。
1924年 ウィーンに戻り、ハーバラー、マハループ、モルゲンシュテルンらと共に私的なセミナーを開く。ルートヴィヒ・フォン・ミーゼスに見守られ研究サークルを作る。
1927年 オーストリア景気循環研究所の所長となる。
1929年 ウィーン大学の講師となる。
その後、ライオネル・ロビンズにロンドン・スクール・オブ・エコノミクス(LSE)での講演に呼ばれ、これ以降、LSEの教授職になる(以後18年間)。
1938年 英国の市民権を取得。
1944年 発表した「隷属への道」(The Road to Serfdom)は社会主義、共産主義、ファシズム、ナチズムが同根の集産主義であると批判し当時のベストセラーとなる
1947年 リバタリアニズムに立脚する学者が集結した組織「モンペルラン・ソサイエティー」を組織し、その初代会長を務めたモンペルラン協会を設立。
1950年 シカゴ大学の社会科学ならびに道徳科学の教授となる。
1962年 西ドイツのブライズガウにあるフライブルク大学の経済政策教授となる。
1968年 フライブルク大学を退官。その後、9年間オーストリアのザルツブルク大学で教える。
1974年 ノーベル経済学賞受賞。田中清玄と親交を結び、ノーベル賞授賞式には唯一の日本人としてメーンテーブルに招待した。
1977年 ザルツブルク大学名誉教授。
1991年 ブッシュ大統領により、アメリカの民間人へ与えられる最高の栄誉賞である大統領自由勲章を受章。
1992年 逝去の報に際して、ブッシュ大統領は直ちに追悼声明を発表し、「現代の最も偉大な思想家の一人」と称している。

2 業績

2.1 景気循環理論
詳細は「:en:Austrian business cycle theory」を参照

ハイエクの初期の業績は景気循環に対する貨幣の影響を分析する貨幣的景気循環理論への貢献としてよく知られている。これはミーゼスなどのオーストリア学派の伝統を受け継ぐだけでなく、クヌート・ヴィクセルの累積過程のアイディアにも刺激を受けたものであった。生産財と消費財の価格比率の中から現れる財市場の均衡をもたらす水準としての自然利子率と、実際の利子率との関係により産出量と雇用量が決定されるというのがその理論の骨子である。具体的には利子率が自然利子率に比して低い場合に過剰な投資が生じバブルを発生させるが、やがて産出水準が投資と消費財への需要の双方に見合わなくなり生産財が不足してバブルが崩壊するというものである。1931年のPrices and Productionはこの方面での彼の代表作である。なお1930年にはジョン・メイナード・ケインズが同じ分野でTreatise of Money(『貨幣論』という邦訳で知られる)を刊行しており、この後両者は景気循環を巡る論争へと突入することになる。この論争はハイエクの当時所属していたLSEとケインズを擁するケンブリッジ大学とのより大規模な論争の一局面であった。

2.2 投資と資本

ハイエクは自身の貨幣的景気循環理論を深化させ、投資と資本蓄積のメカニズムについての分析も行った。Pure Theory of Capital(1941年)はPrice and Productionの延長線上に資本蓄積の理論を構想したものである。彼の資本理論は後にアバ・ラーナーやトリグヴェ・ホーヴェルモによって検討され、ジョン・ヒックスの晩年の業績にも影響を与えた。なおラーナーとヒックスはLSEにおいてハイエクに師事したものの、後にケインズの『一般理論』を巡ってハイエクと袂を分かつという経緯の持ち主である。

2.3 経済計算論争と市場メカニズムの特性

ハイエクは1920年代から40年代にかけて盛んになった経済計画論争、或いは経済計算論争と呼ばれる論争に積極的に関わった。この論争は社会主義経済の実行可能性を巡るものであり、生産手段の私有(私有財産)を認めない社会主義経済の下では生産財に価格をつけることが出来ず、価格の存在しないところでは効率的な資源配分は達成されえないとするミーゼスの主張[1]に端を発している。これに対してオスカー・ランゲやラーナーは、潜在的な交換の可能性があればシャドウ・プライスという形で擬似的、便宜的に価格をつけることが可能であると主張した[2]。

その上でランゲはワルラス流の一般均衡理論の枠組みに則って多財の需給の連立方程式の解を求めることで、効率的な価格付けと資源配分を達成することが出来ると考えた[3]。

一方ハイエクの立場はたとえそのような計算が技術的に可能であるとしても、この計算を実施する中央計画当局は計算に必要な需給に関する膨大な情報を収集せねばならず、そのような情報の収集は不可能であるというものであった。これはその情報量の膨大さもさることながら、計算に必要な情報は主として経済主体にとって自身しか知らない私的情報であり、現代流の言い方をすれば個々の経済主体が情報を正しく伝達するインセンティヴを持つとは限らないからである。ハイエクは必要な情報の収集に成功し効率的な価格付けと資源配分を行えるのは分権的なメカニズムとしての市場メカニズムだけであるという展望を示したのである[4]。

この経済計算論争や論争におけるハイエクの情報に着目するアプローチは後にレオニード・ハーヴィッツを刺激し、メカニズムデザインと呼ばれる分野の1つの源流となった。ハーヴィッツは1960年の論文[5]で任意の経済主体がその主体の情報のみを用いて意思決定を下すことが可能であり(情報分権性)、最小限度の情報の交換だけで済み、かつ資源配分の効率性を満たす性質を情報効率性と定義した。そして1972年の論文[6]で競争的市場メカニズムが情報効率性を満たすことを示した(情報効率性に関する厚生経済学の第一基本定理)。

さらにジェイムズ・ジョーダンが1982年[7]に情報効率性を満たす資源配分のメカニズムは競争的市場だけであることを証明した。(情報効率性に関する厚生経済学の第二基本定理)ハーヴィッツらのこの結果はある意味ではハイエクの主張を定式化し立証したものであると言える。

3 思想

3.1 古典的自由主義

ハイエクは現在はリバタリアニズムの思想家の一人とみなされているが、本人は古典的自由主義者(classical liberal)を自称し、エドマンド・バークに倣いOld whigと呼ばれることを好んでいた。 またハイエクの「自由」に対する考えは、単に経済学にとどまらないものがあった。ハイエクは集産主義と計画主義には市場のどの参加者よりも一部のエリートの方が賢明であるという前提があると考えた。だが実際においては市場の情報や知識をすべて知ることは不可能であり、部分的な情報を熟知する参加者達が参加する市場こそがもっとも効率のよい経済運営の担い手であると説いた。

さらにハイエクは特にフランスに見られるような、「理性」に至上の地位を与えるような合理主義には常に反対していた。人間は現存の秩序をすべて破壊し、そこにまったく新しい秩序を建設できるほど賢明ではないとし、既存の秩序、つまり「自然発生的秩序」の重要性を説いた。彼の自由主義は、あくまでイギリス・アメリカ的経験論に基づくものである。コモン・ローなどがその代表例としてあげられる。彼は理性の傲慢さのもたらす危険性を常に問題視していた。

3.2 「理性主義」批判

デカルト以来の「理性主義」を「設計主義的合理主義(constructivist rationalism)」と呼び、自由主義的な「進化論的[8]合理主義(evolutionary rationalism)」と峻別、自由主義を体系的に論じ「理性主義」を批判した。

そもそも、人間の理性は、文明社会そのものを創造する能力はもっていない。人間の行為は、一つは先天的で本能の欲求によるものであり、もう一つは人間社会が歴史的に経験を通して試行錯誤と取捨選択を積み重ねることにより発展してきた法(ルール)、伝統、規範に従ってのものである。文明社会は人間の営みの結果ではあるが、その本質的な構造は特定の意志により設計されたものではなく、社会の試行錯誤を経て意図せず生じたものであり、そのはたらきの機序を人は充分に認識しえない。

よってそこに人間の理性(知力)が入る余地はわずかである。その本質において能力の乏しい理性に基づき「社会の設計(設計主義)」や「革命的な進歩」を目指した場合、認識しえない構造を基礎としている文明そのものを破壊する。人間社会に期待されるのは、所与の方向付けがされていない漸進的な自律変化である。道徳規則の形成も、人間の社会における実践的な営みの経験の中で成長したものであり、人間の理性による意識的な発明ではない(この考えはヒュームの『人間本性論』に通じる)。同様に、社会秩序も「自生的秩序(a spontaneous order)」であり、自由社会と不可分の関係にある、「法の支配(rule of law)」と市場経済の二大原則の確立もこれにほかならない。

こうした考えから、計画経済と集産主義(collectivism)、それに基づく社会主義、共産主義、ファシズムに対して反対し、同時にファシズムも左翼に分類した。また、ケインジアンを批判する一方で、新古典派経済学やシカゴ学派の多くが前提とする合理的な個人像に対しても疑問を投じている。基数的な効用に対しても否定的である。

4 邦訳著作

4.1 単著

『貨幣と景気変動』(高陽書院, 1934年)
『資本の純粋理論』(実業之日本社, 1934年)
『価格と生産』(高陽書院, 1939年)
『景気と貨幣――貨幣理論と景気理論』(森山書店, 1941年)
『隷従への道――全体主義と自由』(東京創元社, 1954年、新装版1992年)
『新自由主義とは何か――あすを語る』(東京新聞出版局, 1976年)
『科学による反革命――理性の濫用』(木鐸社, 1979年、新装版2004年)
『市場・知識・自由――自由主義の経済思想』(ミネルヴァ書房, 1986年)
『貨幣発行自由化論』(東洋経済新報社, 1988年)
『ハイエク、ハイエクを語る』(名古屋大学出版会, 2000年)

4.2 共著

(今西錦司)『自然・人類・文明』(日本放送出版協会[NHKブックス], 1979年)

4.3 編著

『集産主義計画経済の理論――社会主義の可能性に関する批判的研究』(実業之日本社, 1950年)

4.4 全集

監修西山千明、古賀勝次郎、気賀健三、矢島鈞次(後者2名は第Ⅰ期のみ)
『ハイエク全集』(春秋社、1986-90年、新装版2007-08年)
1巻「貨幣理論と景気循環、価格と生産」
2巻「利潤、利子および投資」
3巻「個人主義と経済秩序」
4巻「感覚秩序」
5巻「自由の条件(1)自由の価値」
6巻「自由の条件(2)自由と法」
7巻「自由の条件(3)福祉国家における自由」
8巻「法と立法と自由(1)ルールと秩序」
9巻「法と立法と自由(2)社会正義の幻想」
10巻「法と立法と自由(3)自由人の政治的秩序」
別巻 「隷属への道」(1992年)
池田幸弘・古賀勝次郎・嶋津格・八木紀一郎(編集委員)

『ハイエク全集 第Ⅱ期』(全10巻・別巻1、2009年1月より刊行)
1巻「致命的な思いあがり」
2巻「貨幣論集」(未刊行)
3巻「科学による対抗革命」(未刊行)
4巻「哲学論集」
5巻「政治学論集」
6巻「経済学論集」  
7巻「思想史論集」
8巻「資本の純粋理論(1)」
9巻「資本の純粋理論(2)」(未刊行)
10巻「社会主義と戦争」
別巻「ケインズとケンブリッジ経済学への反駁」(未刊行)

5 脚注

^ Mises, L. (1920) ``Die Wirtschaftsrechnung im sozialistischen Gemmeinwesen," Archiv fur Sozialwissenschaften, 47
^ Lange, O. (1936) ``On the Economic Theory of Socialism: Part One," Review of Economic Studies, 4, pp. 53 - 71
Lange, O. (1937) ``On the Economic Theory of Socialism: Part Two," Review of Economic Studies, 4, pp. 123 - 142
およびLerner, A. P. (1944) The Economics of Control., New York: Mcmillan.
^ 晩年のランゲはコンピューターによる解の導出の可能性を信じていた。Lange(1936), Lange(1937)ではオークショニアが任意の価格からスタートし、経済主体の最適化行動の結果需給が均衡するまで価格の設定を繰り返すというワルラス流の模索過程を計算問題の解法として提案した。
^ Hayek, F. A. (1945) ``The Use of Knowledge in Society," American Economic Review, 35, pp. 519 - 530
^ Hurwicz, L. (1960) ``Optimality and Informational Efficiency in Resource Allocation Processes," in Mathematical Methods in the Social Sciences, ed. by K. J. Arrow., S. Karlin., and P. Suppes., pp. 27 - 46. Stanford: Stanford University Press
^ Hurwicz, L. (1972) ``On the Dimensional Requirements of Informationally Decentralized Pareto Satisfactory Processes," mimeo. Reprinted in K. Arrow and L. Hurwicz eds., Studies in Resource Allocation Processes Cambridge: Cambridge University Press, 1977.
^ Jordan, J. (1982) ``The Competitive Allocation Process is Informationally Efficient Uniquely," Journal of Economic Theory, 28, pp.1-18.
^ ここでいう進化は社会進化論の文脈による進化とは異なる。

6 参考文献

西部邁「自生的秩序への途 - フリードリッヒ・フォン・ハイエク」『思想の英雄たち』所収、文藝春秋、1996年、229-243頁、ISBN 9784163509006

7 関連項目

サッチャリズム

8 外部リンク

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○カテゴリー

リバタリアニズム

1 起源と歴史

古典的自由主義
アナキズム

2 理論と理想

カウンター経済
論争解決組織
経済的自由
平等主義
自由市場
自由社会 ・ 自由貿易
自由意志 ・ 結社の自由
自由契約
ホームステッドプリンシプル
個人主義
レッセフェール
解放 ・ 小さな政府
方法論的個人主義
自然権
夜警国家
不可侵原則
不干渉主義
非政治 ・ 非投票
参与型経済
多中心主義法 ・ 財産
私設防衛機関
自治 ・ 自己所有権
自生的秩序
非国家社会
主観的価値論 ・ 税抵抗
契約財産所有権移転理論
自主管理
組合
自発的社会

3 学派

アゴリズム ・ 無政府資本主義
無政府共産主義 ・ オーターチズム
キリスト教 ・ 帰結主義
保守主義 ・ 共和立憲制
クリプトアナーキズム ・ 義務的
自由市場 ・ ジオリバタリアニズム
緑 ・ 左翼 ・ マルクス主義
最小国家主義 ・ 相利共生
パレオリバタリアニズム ・ パナーキズム
プロパータリアニズム ・ 右翼
社会主義 ・ ボランタリズム

4 人物

デヴィッド・フリードマン ・ マレイ・ブクチン ・ リチャード・エプスタイン ・ ケビン・カーソン ・ ゲーリー・シャルティエ ・ フランク・コドロー ・ ノーム・チョムスキー ・ エド・クレーン ・ ジョセフ・デジャック ・ ブライアン・ドハティ ・ ミルトン・フリードマン ・ ヘンリー・ジョージ ・ ニック・ガレスピー ・ フリードリヒ・ハイエク ・ ヘンリー・ハズリット ・ スティーブン・ホロウィッツ ・ ステファン・キンセラ ・ ローズ・ワイルダー・レイン ・ ロデリック・ロング ・ カール・メンガー ・ ルートヴィヒ・フォン・ミーゼス ・ ジェフリー・ミロン ・ アルバート・ジェイ・ノック ・ ロバート・ノージック ・ イサベル・パターソン ・ ロン・ポール ・ アイン・ランド ・ レオナルド・リード ・ シェルドン・リッチマン ・ ミュレイ・ロスバード ・ ヨーゼフ・シュンペーター ・ ハンス・センホルツ ・ ヘンリー・デイヴィッド・ソロー ・ レフ・トルストイ

5 政党

リバタリアン党 (アメリカ)
ロシア・リバータリアン運動
保守党 (デンマーク)

6 関連項目

反国家 ・ 反戦
アナルコサンディカリスム
市民リバタリアニズム
市民ソシエタリアニズム
立憲主義
自由市場環境保全主義
連合主義
緑のリバタリアニズム
自由主義民主主義
自由主義共和主義
自由主義トランスヒューマニズム
市場自由主義
客観主義
小さな政府


出典
フリードリヒ・ハイエク 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%89%E3%83%AA%E3%83%92%E3%83%BB%E3%83%8F%E3%82%A4%E3%82%A8%E3%82%AF





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ミルトン・フリードマン 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

2012年05月05日 | 政治・経済
ミルトン・フリードマン 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

目次

1 人物概要
2 経歴
3 思想
4 財政政策批判
4.1 大恐慌
5 主張した具体的政策
6 邦訳著作
6.1 単著
6.2 共著
7 脚注
8 関連項目
9 外部リンク

1 人物概要

「巨匠」や「異端児」、「小さな巨人」など数々の通り名を持つ。20世紀後半における自由主義的経済学者の代表的存在。戦後、貨幣数量説を蘇らせマネタリストを旗揚げ、裁量的総需要管理政策に反対しルールに基づいた政策を主張した。 1970代までは先進国の各国政府は「スタグフレーション」で悩んでいたが、スタグフレーションのうちインフレーションの要素に対しての姿勢、政策を重視した[1]。

2 経歴

「マネタリズム」も参照

ハンガリー(現在はウクライナの一部となっている)からのユダヤ系移民の子としてニューヨークで生まれる。

奨学金を得て15歳で高校を卒業。ラトガーズ大学で学士を取得後に数学と経済どちらに進もうか悩んだ結果、世界恐慌の惨状を目にしシカゴ大学で経済を専攻し、修士を取得、コロンビア大学でサイモン・クズネッツ(1971年ノーベル経済学賞受賞)の指導を受け博士号を取得。コロンビア大学と連邦政府で働き、後にシカゴ大学の教授となる。またアーロン・ディレクターの妹であるローズ・ディレクターと結婚し、一男(デヴィッド・フリードマン)一女をもうけた。

後に反ケインズ的裁量政策の筆頭と目されるようになったが、大学卒業後の就職難の最中で得た連邦政府の職はニューディール政策が生み出したものであった(国家資源委員会における大規模な家計調査研究は、クズネッツの助手として全米経済研究所で行った研究と併せて、後の『消費の経済理論』と恒常所得仮説につながった[2])。後に振り返って、ニューディール政策が直接雇用創出を行ったことは緊急時の対応として評価するものの、物価と賃金を固定したことは適切ではなかったとし[2]、大恐慌の要因を中央銀行による金融引締に求める研究を残している。しかし、第二次世界大戦が終わり連邦政府の職を離れるまでの経済学上の立場は一貫してケインジアンであった。

1975年にチリを訪問、1980年から中国を訪問など世界各国で政策助言を行い、日本では1982~1986年まで日銀の顧問も務めていた。

シカゴ学派のリーダーとしてノーベル賞受賞者を含め多くの経済学者を育てた。マネタリストの代表者と見なされ、政府の裁量的な財政政策に反対する。政府の財政政策によってではなく貨幣供給量と利子率によって景気循環が決定されると考えた。また、1955年には、教育バウチャー(利用券)制度を提唱したことでも知られる。議論好きで討論に長けていたことで知られる。主著は『A Monetary History of the United States, 1867-1960』、『資本主義と自由』。

1951年ジョン・ベーツ・クラーク賞、1967年米経済学会会長、1976年にノーベル経済学賞を受賞。1988年にはアメリカ国家科学賞と大統領自由勲章を授与されている。

2006年11月16日 、心臓疾患のため自宅のあるサンフランシスコにて死去。

3 思想

フリードマンにとっての理想は、規制のない自由主義経済であり、従って詐欺や欺瞞に対する取り締まりを別にすれば、あらゆる市場への規制は排除されるべきと考えた(自由放任主義)。そのため、新左翼勢力は、フリードマンを新自由主義(Neo Liberalism)の代表的存在と位置づけた。「新」が付くのは、自由放任論からの脱却として現れた、国家管理・官僚統制型ニューリベラリズム(New Liberalism)に基づくケインズ経済学を、再び古典的な自由主義の側から批判する理論だからである。

フリードマンは大麻の合法化を唱えていたことで知られており、麻薬政策についてフリードマンは麻薬禁止法の非倫理性を説いている。1972年からアメリカで始まったドラッグ戦争(麻薬の取り締り)には「ドラッグ戦争の結果として腐臭政治、暴力、法の尊厳の喪失、他国との軋轢などが起こると指摘したのですが、懸念した通りになった」と語っている[3]。

4 財政政策批判

政府によって実施される財政政策は、財政支出による一時的な所得の増加と乗数効果によって景気を調整しようとするものであるが、フリードマンによって提唱された恒常所得仮説[4]が正しいとすると、一時的な変動所得が消費の増加に回らないため、ケインジアンの主張する乗数効果は、その有効性が大きく損なわれる。そのため恒常所得仮説は、中央銀行によって実施される金融政策の復権を求めたフリードマンらマネタリストの重要な論拠の一つになった。また、経済状況に対する政府中銀の認知ラグや政策が実際に行われるまでのラグ、および効果が実際に波及するまでのラグといったラグの存在のために、裁量的に政策を行っても適切なものと成り得ず、却って不要の景気変動を生み出してしまうことからも、裁量的な財政政策を批判した。

4.1 大恐慌

フリードマンは主著『A Monetary History of the United States, 1867-1960』の中で、大恐慌はこれまでの通説(市場の失敗)ではなく、不適切な金融引き締めという裁量的政策の失敗が原因だと主張した。

5 主張した具体的政策

ミルトン・フリードマンは著書『資本主義と自由』において、政府が行うべきではない政策、もし現在政府が行っているなら廃止すべき、下記の14の政策を主張した[5]。

1. 農産物の買い取り保障価格制度。
2. 輸入関税または輸出制限。
3. 商品やサービスの産出規制。
4. 物価や賃金に対する規制・統制。
5. 法定の最低賃金や上限価格の設定。
6. 産業や銀行に対する詳細な規制。
7. 通信や放送に関する規制。
8. 社会保障制度や福祉。
9. 事業・職業に対する免許制度。
10. 公営住宅および住宅建設の補助金制度。
11. 平時の徴兵制。
12. 国立公園。
13. 営利目的の郵便事業の禁止。
14. 国や自治体が保有・経営する有料道路。

6 邦訳著作

6.1 単著

『資本主義と自由』日経BP、2008年、ISBN 978-4-8222-4641-9
『消費の経済理論』(巌松堂, 1961年)
『貨幣の安定をめざして』(ダイヤモンド社, 1963年)
『インフレーションとドル危機』(日本経済新聞社, 1970年)
『価格理論』(好学社, 1972年)
『実証的経済学の方法と展開』(富士書房, 1977年)
『インフレーションと失業』(マグロウヒル好学社, 1978年)
『政府からの自由』(中央公論社, 1984年/中公文庫, 1991年)
『貨幣の悪戯』(三田出版会, 1993年)

6.2 共著

(W・W・ヘラー)『インフレなき繁栄――フリードマンとヘラーの対話』(日本経済新聞社, 1970年)
(N・カルドア, R・M・ソロー)『インフレーションと金融政策』(日本経済新聞社, 1972年)
(ローズ・フリードマン)『選択の自由――自立社会への挑戦』(日本経済新聞社, 1980年/講談社[講談社文庫], 1983年/日経ビジネス人文庫, 2002年)
(ポール・A・サミュエルソン)『フリードマンとサミュエルソンの英文経済コラムを読みとる』(グロビュー社, 1981年)
(ローズ・フリードマン)『奇跡の選択』(三笠書房, 1984年)
(ジェームズ・M・ブキャナン)『国際化時代の自由秩序――モンペルラン・ソサエティの提言』(春秋社, 1991年)
(アンナ・シュウォーツ)『米国金融史7章 大収縮1929~1933』 (日経BP, 2009年)

7 脚注

^ 経済に与える貨幣供給量の役割を重視し、それが短期の景気変動および長期のインフレーションに決定的な影響を与えるとした。特に、貨幣供給量の変動は、長期的には物価にだけ影響して実物経済には影響は与えないとする見方は、インフレーション抑制が求められる中で支持を得た。
^ a b The Boston Globe "Nobel laureate economist Milton Friedman dies at 94" 2006-11-16
^ Milton Friedman on the War on Drugs Thursday, July 31, 2008
^ 消費は、現在の所得の関数ではなく、将来に亘って恒常的に得られると期待される所得(恒常所得)の関数である、とする説。
^ 『資本主義と自由』第2章 自由社会における政府の役割 85~87ページ(日経BP社刊行)


8 関連項目

負の所得税
市場主義経済
レッセフェール(自由放任主義)
金融政策
貨幣数量説
マネタリスト
新自由主義
反共主義
グローバリゼーション
グローバル資本主義
アウグスト・ピノチェト
ジェームズ・トービン
フリードリヒ・ハイエク
フランク・ナイト
デヴィッド・フリードマン

9 外部リンク

ミルトン・フリードマン Milton Friedman
HOOVER INSTITUTION
PBS フリードマン
ミルトン・フリードマン

10カテゴリー

シカゴ学派

○活動

リバタリアニズム
ネオリベラリズム
ネオコンサバティズム
積極的不介入


○組織

ケイトー研究所
リーズン財団
ジョージ・メイソン大学
自由経済図書館


○信条

マネタリズム
新古典派経済学
帰結主義的リバタリアニズム

○人物

デヴィッド・フリードマン
ミルトン・フリードマン
ローズ・フリードマン
フランク・ナイト
ロナルド・コース
ロバート・フォーゲル
ダグラス・ノース
ゲーリー・ベッカー
ロバート・ルーカス
ジョージ・スティグラー
フリードリヒ・ハイエク (随伴)

○理論

比較優位
消費者物価指数
経済成長
経済的合理主義
効率的市場仮説
フリードマンルール
フリードマンKパーセントルール
ゲーム理論
国内総生産
経済人
国際経済学
国際金融
国際貿易
ラッファー曲線
金融経済学
公共選択論
貨幣数量説

合理的エージェント
合理的選択理論
合理的期待理論
対称インフレーション目標

○アイディア

中央銀行
民営化
規制緩和
経済的自由
経済統合
経済的相互依存
経済自由化
為替レート
公正取引
不換紙幣
自由市場
自由貿易
外貨準備
グローバリゼーション
調整インフレ
インフレターゲット
知的財産権
レッセフェール
市場化
負の所得税
公開市場操作
私的所有権
民営化
教育バウチャー
共同市場
減税
税制改革


○トピックス

反資本主義
アルテルモンディアリスム
反グローバリゼーション
資本主義の見解

出典
ミルトン・フリードマン 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9F%E3%83%AB%E3%83%88%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%95%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%89%E3%83%9E%E3%83%B3



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