ロドス島の薔薇

Hic Rhodus, hic saltus.

Hier ist die Rose, hier tanze. 

『哲学入門』第二章 義務と道徳 第五十六節[愛国心について]

2022年08月09日 | 国家論

ヘーゲル『哲学入門』第二章 義務と道徳 第五十六節[愛国心について]

2022年07月25日 | ヘーゲル『哲学入門』

§56

Bloß nach der rechtlichen Seite betrachtet, insofern der Staat die Privatrechte der Einzelnen schützt, und der Einzelne zunächst lauf das Seine sieht, ist gegen den Staat wohl eine Aufopferung eines Teils des Eigentums möglich, um das Übrige zu erhal­ten. Der Patriotismus aber gründet sich nicht auf diese Berech­nung, sondern auf das Bewusstsein der Absolutheit des Staats. (※1)

第五十六節[愛国心について]

たんに法的な側面のみからみれば、国家が個人の私権を保護するものであり、また、個人が第一に自己の権利を追い求めるものであるかぎり、確かに個人は残りの財産を確保するために、自分の財産の一部を国家のために犠牲にすることもできる。しかし、愛国心 はこうした打算にではなく、国家の絶対性 についての自覚に基づいている。

Diese Gesinnung, Eigentum und Leben für das Ganze auf­zuopfern, ist um so größer in einem Volke, je mehr die Einzel­nen  für das Ganze mit eigenem Willen und Selbsttätigkeit handeln können und je größeres Zutrauen sie zu demselben haben. (Schöner Patriotismus der Griechen.) (Unterschied von Bürger als Bourgeois und Citoyen.).(※2)

財産と生命を全体のために犠牲にするこの心情が、民族のうちに大きければ大きいだけ、よりいっそう個人自己の意志と 独立心とをもって全体のために行為することができ、各個人はさらに大きな信頼を全体に対してもつ。(ギリシャ人の美しい愛国心。)(ブルジョワとしての市民(私人)と公民との区別。)

 

 ※1
das Bewusstsein der Absolutheit des Staats.
「国家の絶対性についての自覚」が、
Diese Gesinnung, Eigentum und Leben für das Ganze
「財産と生命を全体のために犠牲にするこの心情」の根拠である。
つまり「愛国心」は「国家の絶対性の意識」から生じる。

「Gesinnung」心情、志操、心的態度、心根、精神。

※2

ここにまた「若き日本人特攻隊兵士の美しい愛国心」も追記されるべきかもしれない。

Unterschied von Bürger als Bourgeois und Citoyen.(ブルジョワとしての市民(私人)と公民との区別)については、このヘーゲルの問題意識を受けてマルクスは次のように説明している。

「いわゆる人権、つまり公民の権利から区別された人間(ブルジョワとしての市民(私人))の権利は市民社会の成員の権利、つまり利己的人間の権利、人間および共同体から切り離された人間の権利にほかならないということである。」
(マルクス『ユダヤ人問題によせて』城塚登訳、岩波文庫版41頁)

ただ、ここで指摘しておくべきは、市民社会においては、利己的人間も、他者の欲求を充足させることなくしてはその利己主義をも満たし得ないこと、をマルクスは見落としていることである。

いずれにしても、ヘーゲルの国家論の詳細については『法の哲学』§257以下を見なければならず、その過程で改めて、マルクスの「ブルジョワとしての市民(私人)と公民との相違」についての見解も批判的に検証することになるはずである。

 

 

 

 

 

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若い世代と明治国家の回復

2012年09月19日 | 国家論


若い世代と明治国家の回復

中国の次期指導者として習近平氏が予想されている。太子党の一人とも言われ、江沢民、李鵬らのもっとも強硬で憎悪と復讐心に満ちた対日歴史観を受け継いでいることも考えられる。氏がどのような対日観をもっているかが問題である。習近平が、尖閣諸島の日本の国有化を「茶番」と評していることからもわかるように、現在の胡錦濤主席以上に対日強硬策に出てくることは予想される。

いずれにしても、今日の人類の平和が「軍事力の均衡」によってかろうじて維持、確保されている現状においては、民主党政権によって揺らぎはじめた日米安保条約の再構築と日本の自主防衛能力のいっそうの向上によって、領土領海の確保と保全を図るしかない。

左翼の偽善的な防衛能力の放棄や、現在の野田内閣の尖閣列島国有化による現状固定化策は、時間の経過にともなう中国の国力、軍事力の増大にともなう軍事的均衡の崩壊によって、戦争の誘発を招くことになるだけである。とくに、いずれ来るべき中国経済の崩壊による国家体制の危機に際して、中国国内矛盾の対外転化として、尖閣列島の領土問題が中国共産党によって利用される可能性はきわめて大きい。

次期政権は自民党が担うことになる可能性は大きいが、いずれにせよ、野田内閣とその後継内閣は、日本の防衛能力の強化充実をはからなければならない。困難な財政状況と、信念のない大衆迎合主義によって、中国との間の軍事的均衡を破るような政策をくれぐれも採らないことである。現実を直視し、戦争を誘発するような状況を自ら招くようなことがあってはならない。

懸念されることは、原子力発電政策にも見られるように、現在の民主党の野田内閣のような、大衆迎合の子供内閣では、いつ何時ふたたび大衆の声に推されて、軍事的均衡の破壊政策にまで踏み出さないとも限らないことである。

それでは何のための議会制民主主義か、何のための選良としての国会議員であるか、彼らの存在理由が問われることになるだろう。民主党の政治家はとくに大衆の衆愚的政策におもねる危険につねに晒されている。今回の中国の反日暴動に見るように、大衆のもつ破壊的で狂信的な悟性的本質を見落としてはならない。中国共産党すら、マッチポンプ式に大衆に「理性的」行動を呼びかけているではないか。

選挙目当ての大衆迎合主義にとらわれず、国会議員としての使命と自覚を持って、専門的な知識と経験に基づいて、国家の永久的な繁栄のために尽くす覚悟をもった政治家は、とくに子供政党である民主党にはほとんど皆無だ。その外交政策、政権運営は傍目にも危うくて見ていられない。彼らは日本国を潰しかねない。

むしろ、民主党内の隠れ共産主義者、隠れ社会主義者たちは、「日本」を意図的に潰して、中国や北朝鮮、韓国に合流させようという意図すら持っている。自覚ある日本国民は、こうした隠れ左翼が実質的に牛耳っている民主党を警戒すべきであろう。とくに、現在民主党の代表選に立候補している旧社会党出身の赤松義隆などは、本質的な社会主義者であり、在日中国朝鮮人の迎合論者であり、反日解体論者である。

最近になって竹島や尖閣列島などの領土問題、さらには、いわゆる「従軍慰安婦」や「南京大虐殺事件」などを反日政策に利用する中国朝鮮の共産主義者たちや国内の反日左翼日本人らの実体に触れて、若い世代、青年たちがようやくにしてまともな日本国民としての自覚を回復しつつある。そうした傾向を保守化とか右傾化とか呼んで白眼視する者もいるが、そうではなくて、敗戦後に背負わされ植え付けられた不当なハンディキャップやコンプレックスを克服しはじめたに過ぎない。国際的にも普通の国家国民として新しい世代が自覚し成長し始めているだけである。

その生い立ちからして戦後のGHQ政策の真っ只中に教育され、マッカーサーの反日の日本劣化解体政策を植え込まれた団塊の世代が消えてゆき、その痕跡を矯正する健全な国民的自覚が新しい世代の間に生まれはじめた。日清日露の戦争を戦った明治期の当たり前の日本国家を回復しようという使命に若い世代も気づきはじめ、その困難な道程をようやくにして歩み始めたばかりである。

 

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【尖閣国有化】中国の反撃加速へ 領海侵犯、経済制裁、日米分断        

2012.9.20 00:13   産経新聞  http://goo.gl/L0VzE

 【北京=山本勲、矢板明夫】中国の習近平国家副主席が19日、 パネッタ米国防長官に対し、沖縄県・尖閣諸島(中国名・釣魚島)問題への不介入を要求した。柳条湖事件を記念する18日を過ぎ、日本政府による同諸島国有 化に抗議する反日デモは1つのヤマを越したかに見えるが、習氏の強硬姿勢が示すように、日米分断を軸とした日本の孤立化促進など、共産党政権の反撃が始 まっている。

 中国の各都市に拡大した反日デモに日本側が振り回されている間に、中国は尖閣奪取に向けた動きを着々と強めている。

 13日には中国外務省が尖閣周辺海域を「領海」と主張する海図を国連に提出、16日には、東シナ海での中国の領海基線から200カイリを超えて広がる大陸棚の延伸を求める案を、国連大陸棚限界委員会に提出すると発表した。

 監視船による領海侵犯の規模と頻度を急拡大して「自国の領海」との既成事実を積み上げており、北京の西側外交筋は「国有化を機にかねて準備していた対日作戦を一気に繰り出してきた」と指摘する。

 党大会を控える当局は予定通り、“ガス抜き”に利用した反日デモを19日に収束させた。しかし、日本政府が「これで一息ついた」と受け止めるのは大間違いだ。中国国内は内部事情で沈静化させても、対日攻勢や米国など国際社会への外交・宣伝攻勢は、今後一段と活発化する。

  中国商務省の姜増偉次官は13日、「中国の消費者が理性的な形で自らの立場を表明しても理解すべきだ」と日本製品ボイコットを容認する発言をした。共産党 機関紙、人民日報(海外版)は17日付のコラムで「日本に大きな殺傷力を及ぼすため標的の中心を狙い攻撃すべし。製造業、金融業、戦略物資の輸入などが対 象だ」と経済制裁を支持。一昨年9月、レアアースの対日輸出を一時停止したような措置を想定しているとみられる。

 一方、習氏と歩調を合わせるように、保守派の周永康中央政法委員会書記が19日、ネパールのシュレスタ副首相兼外相との会談で担当分野外の尖閣問題に言及し、「今日の日中関係の困難はすべて日本側が作り出したものだ」と語り、ネパールの懐柔を図った。

 最重要課題は日米同盟の分断だ。人民日報傘下の国際情報紙、環球時報は19日付の社説で「米国を中日両国の中間に寄らせるべきだ」と主張。「釣魚島は中国領」との国際宣伝を一段と強化する構えを示している。

(c) 2012 The Sankei Shimbun & Sankei Digital

 

 



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国家主権の問題について

2010年07月17日 | 国家論

 

国家主権の問題について

太平洋戦争の敗北を契機に大日本帝国憲法から日本国憲法に改訂されたが、今日にいたるまで取りざたされ問題にされるのは、いわゆる国家主権の問題である。つまり、大日本帝国憲法においては――以下は明治憲法と呼ぶ――主権は天皇あったとされるのに対して、日本国憲法においては――以下は昭和憲法と呼ぶ――主権は国民にあるとされる点である。それがために憲法学者の故宮沢俊義氏などは、八月革命説などに立つなど、明治憲法から昭和憲法への変遷の課程において、国家主権の変換があったことについて、どのように説明するのかをめぐって諸説がある。しかし、この現行憲法の制定主体の交替の問題と、それが憲法の概念を十分に現実化しているかどうかという批判とは別である。

国民主権の問題と君主主権の問題はすでに決着しているかのように思われているかもしれないが、私は必ずしもそうは言えないと思っている。

この憲法の変遷をめぐっては、ウィキペディアは次のように説明されている。

>>

法理論としては明治憲法の天皇主権から、日本国憲法の国民主権に移行するさいに、明治憲法の73条に従った改正であったと見なした場合(憲法改正説)、君主主権の憲法が国民主権の憲法を生み出すことができるかとの視点から、できる(憲法改正無限界説)・できない(憲法改正限界説・無効説)との論が立つ。主権という究極を憲法法規が自立的に否定することはできない(限界説・無効説)との論は理論的にはばかにできないもので、八月革命説などがこれを回避するために提案された。一方憲法改正無限界説にたてば、明治憲法73条の規定に即した改正であったかどうかが論点となり、ここで押し付け憲法論が争点となる。

この考え方から、日本国憲法のような「押し付け」憲法ではなく、日本国民が自ら憲法を決めるべきという自主憲法論が形成された。

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国家と憲法の関係を考えるとき、国家の存在は必ずしも憲法の存在を前提とはしない。このことは、まだ近代的な意味での憲法を持たなかった江戸時代においても、黒船の来航を契機に、江戸幕府が国家機構としての機能を事実上発揮したことからもわかる。古くは、聖徳太子の時代や天智天皇の時代にも、共同体として「国家」は存在したのであり、その共同体は一定の倫理や規範を持っていたことは言うまでもない。もちろん、それらは近代憲法のように、個人の自由や権利を具体的に規定したものではなかった。そもそも民族や国家の共同体において、個人の自由や権利規定の母胎である倫理や道徳は必然的な本質規定でもあって、それらを有しない共同体はない。

権力の所在にしてもそうである。権威や権力の存在しない共同体もない。我が国のような共同体においても、天皇のような君主や、また天皇が名目的な地位と単に権威に留まってからは、豊臣秀吉や徳川家康など、源頼朝以来の朝廷の実質的な権力執行機関として、征夷大将軍が民族共同体の権力の中枢を担ってきた。が、その存在について何らかの具体的で明確な明文規定があったわけではない。いわば伝統的で慣習的な規範に則って、もちろん、慣習法だから曖昧にというわけではなく、不文法として厳格に世襲されてきた。

しかし、明治維新による開国以来、欧米列強諸国と対抗してゆくためにも、必然的に近代国家としての体裁を整える必要に迫られた。その過程で、当時のヨーロッパ諸国の立憲君主制に範をとりながら、それに日本独自の歴史的な特殊性に対応させた大日本帝国憲法を制定して、ようやく近代国家としての体制を確立していったのである。また、従来の慣習法的な皇室における規範が、あらためて国家の形態を確立してゆく過程で、そのことの善し悪しはとにかく、『皇室典範』として明文化されていった。

いずれにせよ、日本やイギリスのような伝統のある民族共同体の成立は必ずしも人為的ではなく、地縁、血縁の関係から自然発生的に形成されていったといえる。だから、その共同体の倫理や規範も長い時間と伝統のなかで歴史的に形成されて来たもので、現行の日本国憲法を例外として、必ずしも、人為的に外圧的に強権的に制定されてきたものではない。明治憲法の制定でさえ、十分な時間と研究の準備を経て制定された。

とくに我が国のように、海に閉ざされた島国としての地理的な特殊性から、長い歴史的時間において他民族による強権的な支配の経験もなかった民族や国家においては、規範や倫理や社会的な、政治的な体制も、民族の内部から、いわば自然発生的に構築されて来たものである。もちろん、遣唐使などを通じて、文化的な先進国のあった大陸から、今日で言う司法や行政のあり方を学び影響は受けながらも、それらを伝統的な国風に変化させ改造しながら形成してきたということができる。

いずれにしても、太平洋戦争の敗北を契機に、明治憲法から昭和憲法に変わって、そこに権力の主体が、天皇から国民に移行したということはよく言われることである。天皇主権から国民主権に憲法の制定主体や権力の実体が移行したというのである。八月革命説が唱えられるゆえんである。確かに、この移行の過程で、GHQが昭和憲法の制定の強権的な主体として存在したことは紛れもない事実である。また、それゆえにこそ、現行日本国憲法無効論も有力な根拠持って主張される。

しかし、いずれにせよ、忘れては成らないのは、憲法制定の目的は国民の自由を最大限に実現することにあるのであって、主権の所在が天皇にあるか国民にあるか人民にあるか、それともGHQにあるかは、かならずしも本質的なことではない。

歴史的にも、国民や人民の自由を最大限に保証されることの予想されたはずの人民主権の国家、人民民主主義共和国、すなわち共産主義国家が、必ずしも、立憲君主制国家や大領制国家より以上に、国民の自由を保障するものにはならなかったことからもわかる。

君主主権、あるいは天皇主権の国家が、国民主権の国家より以上に、実質的に国民の自由を保証することも当然にあり得る。このことは民主的な手続きで選ばれたはずのヒトラーやスターリンが、この上なき独裁者として、国家と国民を支配したという歴史的な事実からも言えることである。

したがって、国民の自由を最大限に保証する国家体制として、また、日本の歴史と伝統の中から成立した自然国家としての特殊性を考えるとき、国家の主権の由来の問題や憲法の概念があらためて問い直される必要があると考えられる。

現行の昭和憲法の規定は、社会情勢、国際情勢の変化に応じきれずに、多くの面で矛盾を深めているように思われる。とくに、日本国民の自由への欲求の増大と、現行の日本国憲法の軍備の放棄の条項との間に矛盾が深刻になっている。

また、現行の昭和憲法の問題点として、この憲法の制定主体としてGHQがその過程に強権的に実質的に介在したことも、また、戦後日本文化の否定的な側面の現象などからも、事実として昭和憲法が民族的な特殊性をじゅうぶんに現実化していないという批判の強力な根拠となっている。現行憲法の「象徴天皇制」は果たして、字義通りの意味で「国民主権」の憲法なのか、あるいは天皇を「元首」とする君主制国家なのか、この点についても曖昧である。もちろん立憲君主制というのは、両者をアウフヘーベンする国家体制なのであるけれども、天皇は「象徴」ではなく、「元首」として位置づけられるべきものである。

さしあたっては、天皇を国家元首とする立憲君主国家体制が、我が国の国家概念の現実的な形態としてもっともふさわしいと考えられるが、その論証については別の機会に譲る。

 

 

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‘Only democracy can defeat Pakistan’s extremists’

2007年09月26日 | 国家論

「自爆テロ犯の脅しに屈するために生きてきたのではない」
ブット元首相寄稿――フィナンシャル・タイムズ
2007年12月29日(土)21:35
 
ブット元首相暗殺
 
・パキスタン、瀬戸際に ひび割れた国はどう揺れる

 
 
(フィナンシャル・タイムズ 2007年10月21日初出 翻訳gooニュース) ベナジル・ブット

(訳注・本稿は12月27日に自爆テロで殺害されたパキスタンのベナジル・ブット元首相が10月、フィナンシャル・タイムズに寄稿したものです。寄稿の2日前には、帰国直後のブット氏をねらった自爆テロが南部カラチであり、多数の死傷者が出たばかりでした)

パキスタンの過激主義者を倒すには、民主主義しかない。

私は自爆テロ犯の脅しに屈するために、これまで長いこと生きてきたのではない。パキスタンでは今、次の世代の国民の感じ方や考え方を誰がどう決めるかをめぐって、熾烈な戦いが繰り広げられている。この戦いは、民主国家としてのパキスタンの未来を決する戦いだ。

次世代のパキスタン人は、穏健主義か過激主義のいずれかを選ぶことになる。教育を選ぶか、文盲を選ぶか。独裁か、民主主義か。寛容か、差別主義か。そしてパキスタンは、平和か、あるいは戦争を選ぶのだ。私は今週、民主主義のための戦いの先頭に立つ目的で、パキスタンに戻った。そして今、多くの支援者たちの血が道を染め、私たちの服を染めている。その中で私は改めて、民主主義の価値観に忠誠を誓う。

過激派が私を敵視して恐れているのは承知している。1980年代にパキスタンを支配した過激主義の独裁者、ジア・ウル・ハック将軍はかつて言った。彼の人生最大の過ちは、機会がある内に私を殺さなかったことだと。

パキスタン国民の未来を決める戦いは、あらゆる町村、あらゆる街角で激しく繰り広げられている。カラチ空港に集まった群衆は、恫喝や危険にもかかわらず、距離をものともせずにあちこちからやってきてくれた。彼らこそ、真のパキスタンの顔なのだ。穏健中道なパキスタンの顔だ。

パキスタンがこれからどの方向に進むのか。それは年末に予定されている、公平で自由な選挙で決めるべきだ。過激派は、あらゆる血なまぐさい手段や道具を駆使して民主主義の道を攻撃し、妨害しようとするだろう。過激派は、人々の集会や表現の自由を妨害するために暴力を使い、私たちのこの国が民主主義へ移行する過程から人々をはじき出そうとするだろう。

私に対する攻撃は、単に私個人に向けられた攻撃ではない。それは、パキスタンに民主主義を望む全ての政治勢力に向けられた攻撃だった。パキスタンそのものを攻撃したのだ。全市民の人権と政治的権利を攻撃し、政治プロセスそのものを攻撃したのだ。

私をねらった自爆テロは、私たちの社会の全ての政党を威圧し、脅迫することを意図したものだ。市民社会に参加する全員への警告だった。

過激主義は、独裁の下でこそ栄える。穏健主義とか民主主義の下では、過激主義は力を失ってしまうと、彼らは分かっているのだ。なので連中は何としてでも、穏健主義と民主主義をつぶしにかかってくる。

カラチで先週、140人を殺害した人殺したちは、イスラムの教えの根幹にあるものを犯した。イスラムの法律は、非武装の民間人や無辜の人々をいわれなく攻撃すること、財産を破壊することは、ともに明確に禁じている。彼らのしたことは、「ヒラバ(社会に対する戦い)」に相当する。過激派は、飛行機をハイジャックすることはできるかもしれない。しかしイスラムの教えをのっとることはできないのだ。

民主主義は、軍閥たちが唱える過激主義の政治からパキスタンを救うことができる。過激派はそれが分かっている。だから、政治プロセスを攻撃し、司法当局に挑戦することで、パキスタンという国家をのっとろうとしているのだ。

しかし連中は、民主主義とよりよい未来を夢見る貧しいパキスタン国民の夢や希望を殺りくすることはできない。国際社会は、カラチで10月18日に起きたテロ攻撃を非難し、犠牲者の遺族と共に悲しみ、負傷者の早期回復を共に祈った。

私たちの思いと祈り、そして悼みは、命を投げ出した人たち、負傷した人たち、そして彼らの家族と共にある。彼らは民主主義と基本的人権のために究極の犠牲を払ったのだ。神が、永遠の平安の内に彼らの魂を憩わせて下さいますように。

犠牲になった勇敢なる市民たちのために築くべき最大の慰霊碑とは、確固として強く生命力にあふれ、中庸で民主的なパキスタンの成立なのだ。


<筆者は、パキスタン人民党の党首。1988年~1990年と1993年~1996年にかけてパキスタン首相を務めた。10月18日に帰国した直後、筆者を狙った自爆テロ攻撃があり、支援者130人以上が死亡、500人以上が負傷した>
 
‘Only democracy can defeat Pakistan’s extremists’

Benazir Bhutto

 I did not come this far in life to be intimidated by suicide bombers. There is a battle raging in Pakistan for the hearts and minds of a new generation. It is a battle for the future of Pakistan as a democratic nation.

The new generation will choose moderation or extremism; it will choose education or illiteracy; it will choose dictatorship or democracy; it will choose tolerance or bigotry; and it will choose peace or war. I returned to Pakistan this week to lead the fight for democracy. With the blood of my supporters on the streets and on our clothes, I reaffirm my commitment to these values.

I know that the militant forces fear me as their enemy. General Zia-ul-Haq, the extremist dictator of Pakistan in the 1980s, once said that the greatest mistake in his life was not killing me when he had the chance.

The battle for the future of the people of Pakistan rages in every village and on every city street corner. The crowds that gathered at Karachi airport came from far and wide, despite the threats, despite the risk it carried. They are the real face of Pakistan, the moderate middle.

The future direction of Pakistan should be settled through fair and free elections, scheduled for later this year. The extremists will use everything in their bloody arsenal to strike and obstruct the cause of democracy. They use violence to block the people’s freedom of association and expression, to turn them away from our nation’s transition to democracy.

The attack on me was more than an attack on an individual. It was meant as an attack on all the political forces in Pakistan that want democracy. The attack was on Pakistan itself. It was an attack on the human and political rights of every citizen and on the political process.

It was intended to intimidate and blackmail all the political parties in our society. It was a warning to members of civil society.

The extremists thrive under dictatorship; they know that moderation and democracy is their undoing. They will stop at nothing to undo both.

The murderers who killed 140 people in Karachi last week violated the very heart of the Islamic message. Muslim law makes it absolutely clear that unprovoked attacks on unarmed civilians and innocent people and the destruction of property is prohibited under Islam. Their actions are hiraba (war against society). They may hijack aircraft but they cannot hijack the message of Islam.

The militants know that democracy can save Pakistan from the politics of extremism preached by warlords. They are trying to take over the state of Pakistan by attacking its political process and challenging its law enforcement.

They cannot murder the dreams and hopes of the poor people of Pakistan of democracy for a better future. The international community has condemned the terrorist attacks of October 18 in Karachi, grieved with the families of the dead, prayed for the early recovery of the injured.

All our thoughts, prayers and sympathies are with those who laid down their lives, or were wounded, and their families. They made the ultimate sacrifice for the cause of democracy and the fundamental rights of the people. May God rest their souls in eternal peace.

The greatest memorial to these brave citizens will be a strong, viable and moderate democratic Pakistan.

Published: October 21 2007 18:53

 

The writer is leader of the Pakistan ­People’s party. She was prime minister of Pakistan from 1988 to 1990 and again from 1993 to 1996. On her return to the country last week, she survived a suicide-bomb attack that killed more than 130 of her supporters and injured more than 500

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