ロドス島の薔薇

Hic Rhodus, hic saltus.

Hier ist die Rose, hier tanze. 

ふたたび「自由と民主政治の概念」について

2024年06月03日 | ニュース・現実評論

 

ふたたび「自由と民主政治の概念」について

 

私のブログ「作雨作晴」の今日の「このブログの人気記事?」の中に、「自由と民主政治の概念」という昔に書いた論考が上がっていた。あらためて見ると、2006年1月30日に書いた論考である。改めてその内容を確認しておきたいと思った。

その記事の論考で主張したことは、まず

1、日本国民のすべてが、日本国の国家理念として「自由にして民主的な独立した立憲君主国家としての日本」を自覚し、追求すべきこと、

2、「自由党」と「民主党」の二つの基本的な政党が、それぞれが国民政党として、「自由にして民主的な独立した立憲君主国家」としての日本国の実現を目指していくべきこと、

この二点である。

当時の政治的な状況は、与党においては、自民党が小泉純一郎氏を党首として、首相の地位にあって、「郵政の民営化」を実行しようとし、その一方では、小沢一郎氏や鳩山由紀夫氏たちが結党した民主党にあって、前原誠司氏や岡田克也氏らがこの野党の政党幹部として、与党の政策に対決していた。

先に掲げた日本国の国家理念からも、日本の政党政治を健全なものとしていくためには、独立した立憲君主国家を追求する国民政党が日本の政治を担ってゆく必要があり、そのためには、まず民主党の内部から社会主義者や共産主義者たちの「全体主義」を清算して、当時の民主党を国民政党として生まれ変わらせる必要があることを訴えたものである。

民主党は、その党内に横路孝弘氏や赤松広隆氏など旧社会党出身者たちを多く抱えており、その一方では西村慎吾氏と松原仁氏らも同じ党内に所属していた。

この論考をブログに上げてから、すでに20年近くの歳月が過ぎようとしている。かって社会主義者や共産主義者の隠れ蓑となっていた「民主党」はすでになく、今はその系譜が「立憲民主党」という名前で生きながらえている。

私がこの論考で主張したことは、かっての民主党の国会議員の誰一人の耳にも届かなかったようだ。多少は期待した前原誠司氏などは、今は国民民主党も追い出されて政界をさすらっている。

その一方で、安倍晋三元首相が暗殺されていなくなった自民党はすっかりリベラル化して、保守党としての性格を失ってしまった。

日本国の国家理念が「自由にして民主的な独立した立憲君主国家」にしかありえないことは、今ももちろん変わりがない。そして、日本国の政党政治が、いずれもが国民政党である「保守自由党」と「民主国民党」によって担われるべきであるという主張にも変わりがない。この二つの政党によって、「自由にして民主的な独立した立憲君主国家としての日本」を追求していくのである。

 

 

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レゾナック社長 髙橋秀仁が目指す日本型合理主義経営

2023年12月10日 | ニュース・現実評論

 

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日本防衛問題資料集 第1巻a

2023年07月20日 | 憲法論資料

戦後日本防衛問題資料集 第1巻

三一書房/1991.11

当館請求記号:AZ-652-E31


目次


  • 第一巻 非軍事化から再軍備へ—目次
  • 凡例
    10
  • I 新憲法制定
    11
  • 〔解説〕
    12
    • 1 日本政府と民間の憲法改正案
      17
      • 1・1 大日本帝国憲法(明治二二・二・一一)
      • 1・2 近衛草案(一九四五・一一・二二)
      • 1・3 松本烝治「日本国憲法の草案について」
      • 1・4 「松本委員会(憲法問題調査委員会)名簿」
      • 1・5 松本委員会「第一回総会の審議(入江メモ)」(一九四五・一〇・二七)
      • 1・6 松本委員会「第三回総会の審議(入江メモ)」(一九四五・一一・一四)
      • 1・7 松本委員会「憲法改正要綱(甲案)」
      • 1・8 松本委員会「憲法改正案(乙案)」
      • 1・9 松本委員会「第一五回調査会の審議(入江メモ)」(一九四六・一・二六)
      • 1・10 閣議「松本案の審議(入江メモ)」(一九四六・一・三〇)
      • 1・11 松本委員会「第七回総会の審議」(一九四六・二・二)(佐藤達夫)
      • 1・12 「政府起草ノ憲法改正ニ対スル一般的説明」(甲案付属)(一九四六・二・八)
      • 1・13 憲法研究会(高野岩三郎等)「憲法草案要綱」(一九四五・一二・二七)
      • 1・14 日本自由党「憲法改正要綱」(一九四六・一・二一)
      • 1・15 日本進歩党「憲法改正問題」(一九四六・二・一四)
      • 1・16 日本社会党「新憲法要綱」(一九四六・二・二三)
      • 1・17 日本共産党「日本人民共和国憲法草案」(一九四六・六・二九)
    • 2 占領軍による改正案
      59
      • 2・1 SWNCC「日本の統治体制の改革」(一九四六・一・七)
      • 2・2 マッカーサー「憲法改正」(『回想録』)
      • 2・3 大平駒槌「戦争放棄条項と天皇制維持との関連について」
      • 2・4 「マッカーサー・ノート三原則」(一九四六・二・四)
      • 2・5 GS「前文及び戦争放棄についての案」(一九四六・二・一〇)
      • 2・6 「総司令部草案(マッカーサー草案)」(一九四六・二・一二)
      • 2・7 GS(ケーディス、ラウエル、ハッシー)「憲法草案手交の際の会談記録」(一九四六・二・一三)
      • 2・8 芦田均『日記』(一九四六・二・二二)
      • 2・9 入江法制局次長「閣議メモ」(一九四六・二・二二)
      • 2・10 「ホイットニー・松本会談の記録」(一九四六・二・二二)
      • 2・11 松本烝治『手記(ホイットニー等との会見録)』(一九四六・二・二二)
      • 2・12 幣原内閣「憲法改正草案要綱」(一九四六・三・六)
      • 2・13 マッカーサー「対日理事会における演説」(一九四六・四・五)
      • 2・14 憲法調査会・憲法の制定に関する小委員会「第一七回議事録」(一九五九・二・一二)
      • 2・15 マッカーサー「憲法改正案発表に際しての声明」(一九四六・三・六)
      • 2・16 「勅語」(同右)
      • 2・17 幣原首相「談話」(同右)
      • 2・18 石橋湛山「憲法改正草案を評す」(『東洋経済新報』一九四六・三・一六)
    • 3 憲法改正案審議
      105
      • 3・1 「枢密院における幣原総理大臣の憲法草案に関する説明要旨(入江メモ)」(一九四六・三・二〇)
      • 3・2 「枢密院における審査(入江メモ)」(一九四六・五・六)
      • 3・3 「枢密院における審査(入江メモ)」(一九四六・五・二九)
      • 3・4 「憲法改正小委員会名簿」
      • 3・5 「憲法改正小委員会秘密議事録」
      • 3・6 芦田小委員会修正案(一九四六・八・二一)
      • 3・7 枢密院「衆議院による修正案の諮詢第九条について(入江メモ)」
      • 3・8 「文民規定について(入江メモ)」
      • 3・9 「文民について(座談会)」
      • 3・10 吉田茂他「第二章(第九条)提案理由」
      • 3・11 「野坂・吉田論争(衆議院委員会)」(一九四六・六・二八)
      • 3・12 芦田均「国会における説明」
      • 3・13 国会答弁(衆議院委員会)「戦力」
      • 3・14 国会答弁(貴族院委員会)「自衛戦争の禁止」
      • 3・15 「衆議院の改正案修正箇所」
      • 3・16 芦田均「第二章戦争の放棄」
  • II 米国における対日政策の転換
    155
  • 〔解説〕
    156
    • 1 冷戦の開始と経済復興政策への転換
      163
      • 1・1 ポーレー大使「中間賠償計画に関する声明」(一九四五・一二・六)
      • 1・2 米陸軍省「日本の産業武装解除に関する勧告案」(一九四六・六・一二)
      • 1・3 ケナン「モスクワからの電報」(一九四六・二・二二)
      • 1・4 「クリフォード報告」(一九四六・九・二四)
      • 1・5 「トルーマン・ドクトリン」(一九四七・三・一二)
      • 1・6 「米ソ交換声明」(一九四八・五・四ー九)
      • 1・7 「ドレーパー報告」(一九四八・五・一八)
      • 1・8 「ロイヤル陸軍長官演説」(一九四八・一・六)
      • 1・9 マッコイ米代表「賠償取立て中止声明」(一九四九・五・一二)
    • 2 安全保障構想の変化と警察力増強
      201
      • 2・1 GHQ「警察の増強についての日本政府案拒否に関する覚書」(一九四五・一〇・一一)
      • 2・2 GHQ「警備隊廃止に関する覚書」(一九四六・一・一六)
      • 2・3 「日本国の武装解除及び非軍事化に関する四ヶ国条約案」(一九四六・六・二一)
      • 2・4 マッカーサー・記者会見「早期対日講和」(一九四七・三・一七)
      • 2・5 マッカーサー「対日早期講和」(一九四七・五・一四)
      • 2・6 マッカーサー「警察制度の改革および法務庁設置に関する片山首相あて書簡」(一九四七・九・一六)
      • 2・7 デーヴィス「ケナンあてメモランダム」(一九四七・八・一一)
      • 2・8 ケナン「マッカーサーとの会談覚書」(一九四八・三・一)
      • 2・9 スカイラー「国防長官あてメモランダム」(一九四八・四・三)
      • 2・10 「マッカーサー、ドレーパー、ケナンの会談メモ」(一九四八・三・二一)
      • 2・11 ケナン「米国の対日政策に関する報告」(PPS二八)(一九四八・三・二五)
      • 2・12 マッカーサー「ドレーパーあてメモランダム」(一九四八・六・一二)
      • 2・13 「NSC13/2」(一九四八・一〇・七)
      • 2・14 マッカーサー「NSC13/2への返電」(一九四八・一二・一八)
      • 2・15 シーボルト「国務長官あて報告(ロイヤル発言)」(一九四九・二・一二)
      • 2・16 ロイヤル陸軍長官「占領軍は減らさぬ」(一九四九・二・一一)
      • 2・17 ロイヤル陸軍長官「撤退の意図はなし」(『毎日』一九四九・二・二五)
      • 2・18 マッカーサー・インタビュー「日本は東洋のスイスたれ」(一九四九・三・三)
      • 2・19 「NSC13/3」(一九四九・五・六)
      • 2・20 バターワース「ウェッブあてメモランダム(抄)」(一九四九・五・一九)
      • 2・21 マッカーサー「年頭声明」(一九五〇・一・一)
      • 2・22 アチソン国務長官「ナショナル・プレスクラブにおける演説」(一九五〇・一・一二)
    • 3 陸軍省・占領軍の限定的再軍備構想
      246
      • 3・1 アイケルバーガー『日記』(一九四八・三)
      • 3・2 ロイヤル「国防長官へのメモランダム・日本の限定的再軍備」(一九四八・五・一八)
      • 3・3 アイケルバーガー「日本武装警察隊の新設」(一九四八・一二・一四)
      • 3・4 ミューラー「JCSへのメモランダム・日本の限定的再軍備」(一九四八・一二・二三)
      • 3・5 統合参謀本部による国防長官フォレスタル宛の覚書(一九四九・三・一)
      • 3・6 北東アジア課長(ビショップ)による極東問題局長バターワース宛ての覚書(一九四九・四・一)
      • 3・7 「アジアに関する米国の立場」「NSC四八/二」(一九四九・一二・三〇)
      • 3・8 井本熊男・インタビュー記録(一九八〇・八・二七)
  • III 講和に向けて
    275
  • 〔解説〕
    276
    • 1 講和と安全保障体制の模索
      283
      • 1・1 吉田茂「講和に対する日本側の準備」(『回想十年』)
      • 1・2 下田武三「外務省における講和準備」(『戦後日本外交の証言』)
      • 1・3 外務省「平和条約締結問題基本方針」(一九四六・一・三一)
      • 1・4 外務省政務局「連合国側ノ提案スベキ平和条約案ノ内容ノ想定ト我方ノ希望スベキ平和条約ノ内容トノ比較検討」(一九四六・一・二六)
      • 1・5 外務省政務局「課題、政治条項に関する諸問題四、軍事条項」(一九四六・一・三一)
      • 1・6 外務省平和条約問題研究幹事会「第一次研究報告」(一九四六・五)
      • 1・7 芦田均ー外務省「アチソンへの文書・アチソン大使に対する会議案」(一九四七・七・二四)
      • 1・8 芦田均「アチェソン及びホイットネー少将との会見、覚書返却の件」(一九四七・七・二八)
      • 1・9 西村熊雄「アイケルバーガー宛て書簡の背景」(『サンフランシスコ平和条約』)
      • 1・10 鈴木九万「アイケルバーガー司令官との会談」(一九四七・九・一五)
      • 1・11 芦田均「アイケルバーガー宛て書簡」(一九四七・九・一三)
      • 1・12 芦田均「ガスコンニュとの会談覚書」(一九四七・九・二四)
      • 1・13 芦田均「天皇への内奏」『芦田均日記』(一九四七・九・二四)
      • 1・14 芦田均(片山・西尾)「中華民国王外交部長会談覚書」(一九四七・一〇・二五)
      • 1・15 「ワールド・リポートによるリーク」(一九四七・一二・五)
      • 1・16 片山哲「マッカーサーの態度変化」『回顧と展望』
      • 1・17 片山哲「辞職の真相」(一九七六・三・四『朝日』投稿)
      • 1・18 西尾:反論 同三・一六
    • 2 海上保安庁の創設
      314
      • 2・1 「ミールス大佐への指示」(一九四六・三・九)
      • 2・2 運輸省海運総局海運局「水上保安制度確立に関する件(案)」(一九四六・五・一六)
      • 2・3 「日本の不法入国抑制に関する件」(一九四六・六・一二)
      • 2・4 「日本の不法入国抑制に関する件回答」(一九四六・六・二〇)
      • 2・5 ミールス・レポート「海上保安庁設置への提言」(一九四六・七・三)
      • 2・6 「海賊団、東京湾を荒らす」(『読売』一九四八・一・一五)
      • 2・7 「海上保安庁法」(一九四八・四・一五)
      • 2・8 朝海レポート「第五八回対日理事会臨時会議」(一九四八・四・二八)
      • 2・9 米国務長官「海軍復活のおそれなし」(『朝日』一九四八・五・六)
      • 2・10 「海のGメン(上)」(『東京』一九四八・六・一)
      • 2・11 「海のGメン(下)」(『東京』一九四八・六・二)
      • 2・12 「海上警備を増強」(『朝日』一九四九・九・八)
      • 2・13 大久保武雄「海上保安庁の発足」(『海鳴りの日々』)
    • 3 講和交渉の開始
      331
      • 3・1 吉田茂「ウォーナー記者とのインタビュー」(一九四七・五・七)
      • 3・2 吉田茂「第六国会の施政方針演説」(一九四九・一一・六)
      • 3・3 宮沢喜一「ワシントンへの密使」(『東京・ワシントンの密談』)
      • 3・4 吉田茂自由党両院議員総会での発言「曲学阿世」(『毎日』一九五〇・五・三)
      • 3・5 渡辺武「ダレス氏との秘密会見」(『円占領下の日本財政覚書き』)
      • 3・6 吉田茂「国会答弁・参議院外務委員会」(一九五〇・七・二九)
      • 3・7 外務省「朝鮮の動乱とわれらの立場」(一九五〇・八・一九)
      • 3・8 トルーマン「声明及び質疑応答」(一九五〇・九・一四)
      • 3・9 外務省「米国の対日平和条約案の構想に対するわが方要望方針(案)」(A作業案)(一九五〇・一〇・四)
    • 4 全面講和論知識人、社会党、平和運動
      355
      • 4・1 ユネスコの8人の社会科学者「平和のために社会科学者はかく訴える」(一九四八・七・一三)
      • 4・2 「戦争と平和に関する科学者の声明」(一九四九・一・一二)
      • 4・3 「平和擁護東京大会決議・平和綱領」(一九四九・四・二六)
      • 4・4 「講和問題についての平和問題談話会声明」(一九五〇・一・一五)
      • 4・5 「ストックホルム・アピール」(一九五〇・三・一九)
      • 4・6 「スターリンの『共存説』と日本」(『読売』社説一九五〇・三・一四)
      • 4・7 物理学者有志「平和に関する声明」(一九五〇・四・三)
      • 4・8 日本学術会議「声明」(一九五〇・四・二八)
      • 4・9 南原繁「吉田首相の『曲学阿世』発言への批判」(一九五〇・五・六)
      • 4・10 平和擁護世界委員会書記局「日本の『平和を守る会』への手紙」(一九五〇・六・二)
      • 4・11 「ストックホルム・アピールに署名した知名人リスト、署名数:各県別」
      • 4・12 日本社会党「ダレスあて正式文書」(一九五〇・六・二四)
      • 4・13 婦人団体「非武装、日本女性の平和への希望条項」(一九五〇・六・二五)
    • 5 日本共産党と国内冷戦の開始
      370
      • 5・1 イールズ「新潟大学での演説(大要)」(一九四七・七・一九)
      • 5・2 オブザーバー(スターリン)「日本の情勢について」(一九五〇・一・一三)
      • 5・3 徳田書記長「新しい情勢とこれに対する我が党の政策」
      • 5・4 志賀義雄「拡大中央委員会書記量一般報告草案に対する意見」
      • 5・5 北京人民日報「日本人民解放の道」(一九五〇・一・一七)
      • 5・6 野坂参三「私の自己批判」(一九五〇・二・六)
      • 5・7 「共産党と社会民主主義」(『朝日』社説一九五〇・二・八)
      • 5・8 殖田法務総裁答弁・衆議院本会議「共産党活動について」(一九五〇・二・一一)
      • 5・9 「左右七団体を摘発」(『毎日』一九五〇・二・一四)
      • 5・10 「共産党と合法性(『毎日』社説一九五〇・二・一四)
      • 5・11 「中ソ友好同盟相互援助条約」(一九五〇・二・一四)
      • 5・12 マッカーサー「一九五〇年五月二日憲法記念日にむけた声明」(一九五〇・五・三)
      • 5・13 「イールス博士の講演妨害・東北大共産党細胞」(『毎日』一九五〇・五・三)
      • 5・14 「五月三〇日のメーデー報道」(『朝日』一九五〇・五・三一、『毎日』一九五〇・五・三一)
      • 5・15 マッカーサー「共産党中央委員追放指令の書簡」(一九五〇・六・六)
      • 5・16 「共産党非合成法化について」(『毎日』社説一九五〇・六・七、『読売』社説一九五〇・六・七)

 

 

 

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戦後日本防衛問題資料集 第1巻b

2023年07月19日 | 憲法論資料

戦後日本防衛問題資料集 第1巻

三一書房/1991.11

当館請求記号:AZ-652-E31


目次


  • 第一巻 非軍事化から再軍備へ—目次
  • 凡例
    10
  •  

 

  • IV 朝鮮戦争と警察予備隊
    413
  • 〔解説〕
    414
    • 1 マッカーサー書簡と日本側対応
      421
      • 1・1 トルーマン「参戦声明」(一九五〇・六・二七)
      • 1・2 マッカーサー「敗戦の丘」(『回想録(下)』)
      • 1・3 「マッカーサー書簡・警察予備隊設置」(一九五〇・七・八)
      • 1・4 ダレス「ニッツ(国務省政策企画局長)へのメモランダム」(一九五一・七・二〇)
      • 1・5 国務省政策企画局スタッフ「メモランダム」(一九五〇・七・二六)
      • 1・6 マッカーサー「マグナソン米上院議員あて返電日本義勇兵は疑問」(一九五〇・八・八)
      • 1・7 マッカーサー「ラッセルあて返書日本再武装=現在では非現実的」(一九五〇・八・一一)
      • 1・8 GHQ「警察予備隊の創設及び拡張計画書」(一九五〇・七・一二)
      • 1・9 吉田茂・内閣記者団との会見(一九五〇・七・一一)
      • 1・10 吉田茂「施政方針演説」(一九五〇・七・一四)
      • 1・11 吉田茂「国会答弁・参議院本会議」(一九五〇・七・一七)
      • 1・12 吉田茂「国会答弁・衆議院本会議」(一九五〇・七・二九)
      • 1・13 GHQ「警察予備隊の『大綱』」(一九五〇・七・一七)
      • 1・14 「警察予備隊設置に関するポツダム政令」(政府原案)(一九五〇・七・二九)
      • 1・15 「政府原案に対するGHQの修正要求」(一九五〇・八・二)
      • 1・16 「警察予備隊令政令二六〇号」(一九五〇・八・一〇)
      • 1・17 「警察予備隊令施行令」(一九五〇・八・二四)
      • 1・18 大橋武夫・インタビュー記録(一九八〇・九・一七)
      • 1・19 加藤陽三『日記』(一九五〇)
    • 2 警察予備隊隊員募集から訓練開始まで
      469
      • 2・1 「部隊の編成及び組織に関する規程」(一九五〇・一二・二九)
      • 2・2 「警察予備隊本部及び総隊総監部の相互事務調整に関する規程」(一九五一・一・六)
      • 2・3 「警察予備隊創設後における国警の事務範囲に関する内閣総理大臣通達」(一九五〇・八・一〇)
      • 2・4 「警察予備隊の部隊組織」
      • 2・5 「警察予備隊の警察官の階級」
      • 2・6 「初日で三万名超ゆ」(『毎日』一九五〇・八・一四)
      • 2・7 「生まれる予備隊に“赤の魔手”」(『毎日』一九五〇・八・一六)
      • 2・8 「予備隊まず札幌に」(『読売』一九五〇・八・一九)
      • 2・9 「警察予備隊創設に伴う募集業務」(『募集十年史(上)』)
      • 2・10 林敬三「総監就任に際しての訓話」(一九五〇・一〇)
      • 2・11 湯元勇三・インタビュー(一九八〇・九・一八)
      • 2・12 坂本力「自衛隊ゼロ歳滑稽譚」(『文芸春秋』一九六八・六月号)
      • 2・13 田浦至「警察予備隊の内幕」(『改造』一九五二・三月号)
      • 2・14 「予備隊訓練一カ月」(『朝日』一九五〇・九・二六)
      • 2・15 辰巳栄一・インタビュー記録(一九八〇・七・三〇)
      • 2・16 吉田茂「辰巳栄一あて書簡」及び辰巳による解説(一九八〇・九・一一)
    • 3 海上保安庁の増強
      518
      • 3・1 「領海八千カイリの警備」(『朝日』一九五〇・七・九)
      • 3・2 「船舶はすべて新造」(『産業経済』一九五〇・七・一一)
      • 3・3 レッチュー海軍課長(公安局)「大久保長官あて書簡」(一九五〇・七・一三)
      • 3・4 「海上保安機構も拡充」(『読売』一九五〇・七・一九)
      • 3・5 「まず一二〇〇名採用」『東京』一九五〇・七・二七)
      • 3・6 「一九日から募集」(『朝日』一九五〇・八・一七)
      • 3・7 「海上保安官募集(ビラ)」
      • 3・8 「てんやわんや、海上保安庁増員志願」(『産業経済』一九五〇・八・一七)
      • 3・9 「海上保安大学や鉄船の建造など・海上保安庁を強化」(『日経』一九五〇・八・二七)
      • 3・10 「定員の三四倍強海上保安官公募締切り」(『読売』一九五〇・九・三)
      • 3・11 「海上保安庁法改正・政令」(一九五〇・一〇・二三)
      • 3・12 ジョイ司令官「大久保長官あて書簡」(一九五〇・一二・七)
      • 3・13 「拡充される海上警備」(『産業経済』一九五一・二・二)
      • 3・14 大久保武雄「海上保安庁掃海隊の朝鮮海域への出動」(「海鳴りの日々」)
    • 4 朝鮮戦争、予備隊創設、講和問題に対する反応1:マス・メディア、社会党、総評
      529
      • 4・1 「警察力強化の実現し(『朝日』社説一九五〇・七・九)
      • 4・2 「警察予備隊の性格と任務」(『毎日』社説一九五〇・七・二〇)
      • 4・3 「警察力と戦力」(『毎日』社説一九五〇・八・九)
      • 4・4 「考えねばならぬ再軍備問題」(『毎日』社説一九五〇・八・二九)
      • 4・5 日本社会党・第二回中央委員会決定「朝鮮の事態に対する党の態度」(一九五〇・七・八)
      • 4・6 曽禰益『私のメモアール』
      • 4・7 日本社会党婦人対策部「平和決議」(一九五〇・七・一六)
      • 4・8 日本社会党・平和運動促進に関する特別委員会「警察予備隊に対する方針」(一九五〇・七・一八)
      • 4・9 勝間田「外務省パンフレット批判」(一九五〇・八・一九)
      • 4・10 日本社会党書記長・浅沼稲次郎指令第一号「平和運動と国連支持の関係について」(一九五〇・九・七)
      • 4・11 日本社会党「第三回中央委員会報告書」(抄)(一九五〇・一一・二〇)
      • 4・12 「平和三原則を堅持ー社会党外交委で決定」(『朝日』一九五〇・一二・二六)
      • 4・13 日本社会党「一九五一年度大会決議ー講和問題に関する決議」(一九五一・一・二一)
      • 4・14 日本社会党右派「外交方針テーゼー大会決議修正案」(抄)(一九五一・一)
      • 4・15 日本社会党「再軍備反対決議」(一九五一・一・二一)
      • 4・16 鈴木茂三郎「委員長就任のあいさつー青年よ再び銃をとるな」(一九五一・一・二一)
      • 4・17 島上総評結成準備会事務局長「一般経過報告」(一九五〇・七・一一)
      • 4・18 総評第回緊急評議会(一九五〇・七・二五)
      • 4・19 島上総評事務局長「全労連解散についての談話」(一九五〇・八・三〇)
    • 5 朝鮮戦争、予備隊創設、講和問題に対する反応2:平和運動、共産党、世論
      556
      • 5・1 平和擁護世界委員会「朝鮮戦争に関する声明」(一九五〇・六)
      • 5・2 平和運動全国代表者会議「決議」(一九五〇・七・一)
      • 5・3 日本共産党「平和を愛する婦人の皆さんに訴える」(一九五〇・七・一七)
      • 5・4 広島市平和擁護委員会「ストックホルム・アピールへ署名を」(一九五〇・八)
      • 5・5 平和擁護日本委員会「第二回平和擁護世界大会へ送るメッセージ」(一九五〇・一一・六)
      • 5・6 平和問題談話会「三たび平和について」(一九五〇・九)
      • 5・7 「ソ連の平和攻勢」(『毎日』社説一九五〇・一一・一)
      • 5・8 プラウダ「米による日本再武装」(一九五〇・一一・二六)
      • 5・9 日教組「『教え子を再び戦場に送るな』決議」(一九五一・一・二四)
      • 5・10 朝日新聞世論調査「講和と日本再武装」(一九五〇・一一・一五)
    • 6 国内冷戦の激化
      587
      • 6・1 「マッカーサー書簡・アカハタ発刊停止」(一九五〇・六・二六)
      • 6・2 「追放旋風後の日本共産党」(『読売』一九五〇・七・一五)
      • 6・3 「徳田氏ら九名に逮捕状」(『朝日』一九五〇・七・一六)
      • 6・4 「停刊既に一千余」(『朝日』一九五〇・八・二夕刊)
      • 6・5 「ニュージェントGHQ民間情報局長声明(マスコミ・パージについて)」(一九五〇・八・三)
      • 6・6 「共産党泥試合の実相」(『読売』一九五〇・八・一五)
      • 6・7 「捜査第二段階へ」(『読売』一九五〇・八・二二)
      • 6・8 「日共全面的に分裂」(『読売』一九五〇・九・二〇)
      • 6・9 「日共抗争を各地にみる」(『毎日』一九五〇・九・二〇)
      • 6・10 日経連「赤色分子排除処理要綱」(一九五〇・一〇・二)
      • 6・11 GHQ「プレス・コード」(一九五〇・九)
      • 6・12 「暴力闘争へ焦る共産党」(『毎日』一九五〇・一一・二)
      • 6・13 「日共非合法準備を指令(極秘パンフの内容)」(『毎日』一九五〇・一二・一九)


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ヘーゲル『哲学入門』第三章 宗教論 第七十九節[恵みと和解]

2023年03月02日 | 宗教

ヘーゲル『哲学入門』第三章 宗教論 第七十九節[恵みと和解]

§79

Aber die Freiheit des einzelnen Wesens ist zugleich (※1)an sich (※2)eine Gleichheit des Wesens mit sich selbst, oder sie ist an sich gött­licher Natur. Diese Erkenntnis, dass die menschliche Natur der göttlichen Natur nicht wahrhaft ein Fremdes ist, vergewissert den Menschen der göttlichen Gnade  (※3)und lässt ihn dieselbe er­greifen, wodurch die Versöhnung  Gottes(※4) mit der Welt oder das Entschwinden ihrer Entfremdung von Gott zu Stande kommt.(※5)

 

第七十九節

しかし、同時に個人の存在の自由は、本来は自己自身と存在との同一性にあり、あるいは、個人の存在の自由は本来は神的な性質のものである。人間の本性と神の本性は本当は疎遠なものではないのだというこうした認識は、人間に神の 恵み を保証するものであり、そうして人間に恵みを捉えさせることによって、世界と神との和解  が実現し、あるいは、人間の神からの離反が解消するに至る。

 


※1
前節§78で人間が自己を普遍から分離させる自由をもつこと、神から離反する自由をもつ点において、人間の本来性が悪であることが説明されたが、本節の§79においては、同時に人間の個別が本来的に普遍と同質であることが説明される。「人間は神の子である」とも言われるのはこのことである。しかし悟性は、人間の個別と普遍を両立しえぬものとしてしか理解しない。

§ 280b[概念から存在への移行] - 夕暮れのフクロウ https://is.gd/j9SLmx

※2
an sich    
潜在的に、本来的に、即自

※3
Gnade
慈悲、哀れみ、 慈心、 仁恵、恩寵、 恩恵、 祝福、 恵み、至福、仕合わせ

※4
Versöhnung
和解、仲直り、和睦、宥和、償い、慰め

※5
恵みを確信させるのは人間性と神性が無縁なものではないという認識である。この神の恵みを捉えることにおいて、人間と神との和解、宥和が実現する。ここにキリスト教の核心が説明されている。ヘーゲル哲学は神学でもある。

 

ヘーゲル『哲学入門』第三章 宗教論 第七十九節[恵みと和解] - 夕暮れのフクロウ https://is.gd/KqFH65

 

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神戸児童連続殺傷事件 当時14歳少年の全事件記録 家裁が廃棄

2022年10月20日 | ニュース・現実評論

>>  <<

神戸児童連続殺傷事件 当時14歳少年の全事件記録 家裁が廃棄 | NHK | 事件 https://is.gd/8tfqTt

神戸児童連続殺傷事件 当時14歳少年の全事件記録 家裁が廃棄

2022年10月20日 17時27分


平成9年に起きた神戸の児童連続殺傷事件で、逮捕された当時14歳の少年に関するすべての事件記録を神戸家庭裁判所が廃棄していたことが分かりました。最高裁判所の内規では歴史的な資料として価値が高いと判断した記録は永久的に保存するよう指示していて、神戸家庭裁判所は「当時の記録保存の運用は適切ではなかったと思われる」としています。


廃棄されていたのは25年前の平成9年、神戸市須磨区で起きた児童連続殺傷事件で逮捕され、その後、医療少年院に収容された当時14歳だった少年に関するすべての事件記録です。

一般的な少年事件の捜査書類や審判記録は少年が26歳になるまでの保存が定められていますが、最高裁判所の内規は歴史的な資料などと判断した記録について、「保管期間満了後も保存しなければならない」と定め、「特別保存」として永久的に保存するよう指示しています。

この内規の具体的な運用を定めた通達では、その対象として
▽全国的に社会の耳目を集めた事件、
▽少年非行などに関する調査研究の重要な参考資料になる事件などを挙げています。

事件記録が廃棄された時期や経緯などは不明だということで、神戸家庭裁判所は「廃棄する際に実際にどのような検討がなされたのかは不明だが、現在の特別保存の運用からすると当時の対応は適切でなかったと思う」とコメントしています。


土師淳くんの父親 守さん「廃棄には憤りを感じる」

神戸児童連続殺傷事件の記録が廃棄されていたことについて、事件で殺害された土師淳くんの父親の守さん(66)が取材に応じ、「廃棄は考えてもいなかったので、驚いたとともにあきれました。加害者がなぜ事件を起こしたのかを推測できるような資料は今でも見たいと思っています。資料が保存されていても今の制度では閲覧できない事実は変わりませんが、廃棄には憤りを感じます」と話しました。

そのうえで、「資料をもとに専門家が検証することができなくなってしまったのは、社会的にも問題だと思います。司法は経緯をもう一度見直して、対応を改善してほしいです」と訴えました。

専門家「保管期間過ぎた事件記録を機械的に廃棄していたのでは」

裁判記録の取り扱いに詳しい、龍谷大学の福島至名誉教授は「これまでの少年事件の中で重大なものの1つであり、少年法の厳罰化や教育現場など社会に大きな影響を与えた事件でもあっただけに、重要な意義を持つ事件記録が失われてしまったことはとても残念だ。裁判所はおそらく保管期間が過ぎた事件記録について、機械的に廃棄していたのではないか」と指摘しています。

そのうえで、「25年前のような不幸な事件を二度と繰り返さないためにも、事件から何を教訓として学ぶかが、今の時代を生きる私たちにとって重要なことだ。そのためにも、記録は原則、保存するべきで、現在の管理や閲覧の在り方そのものを改めて議論していく必要がある」と話していました。

江川紹子さん「廃棄してしまう感覚に驚く」

神戸児童連続殺傷事件の記録が廃棄されていたことについて、裁判記録の取り扱いに詳しいジャーナリストの江川紹子さんは「この事件は少年法が厳罰化されるきっかけにもなった歴史的にも重要な事件であり、全国的に大きく報道されて、まさに社会の耳目を集めたものだ。その記録を廃棄してしまうという裁判所の感覚に驚く」と話します。

そして、「少年事件の記録なので今の制度上は利用や閲覧が難しいとしても、長い時間を経て司法の歴史や少年犯罪の研究などで活用されることも考えられる。さらに制度というものは変わる可能性があり、もし被害者のご遺族などが閲覧を望んでいたとしたら、その可能性を奪ったことになる」と指摘しました。

そのうえで、「司法文書は公文書で国民共有の財産だという意識が司法に携わる人たちに欠けているのではないか。最高裁判所や国会は経緯や原因をきちんと調査し、改善に向けて何が必要か検証するべきだ」と話しています。


裁判や審判の記録 保存は

裁判などの記録の保存について、最高裁判所は昭和39年に規程を設け、一般的に少年審判の記録は少年が26歳に達するまで保存するとしています。

保存期間が終了した記録は廃棄することになっていますが、「史料または参考資料となるべきものは保存期間満了のあとも保存しなければならない」と定めています。

そして、平成4年に全国の裁判所に出した通達で、
▽世相を反映した事件で史料的価値の高いもの、
▽社会の耳目を集めた事件、
▽少年の非行に関する調査や研究の重要な参考資料になる事件などについては、
必要と判断した場合は原則、永久保存するよう指示しています。

このほか、家庭裁判所の調査官が少年について調査した記録に関する保存規程もあり、審判の記録と同様に永久保存が可能としています。

永久保存するかどうかは記録を保存している裁判所が判断するということで、最高裁判所は「この事件が対象にされなかった理由や当時の状況は不明であり、対応が適切だったか見解を述べることはできない」としています。

また、経緯などを調査する予定は現時点ではないとしたうえで、「仮に当時の職員を聴取してもあくまで個人の見解や記憶の範囲にとどまると考えている」としています。

 

松野官房長官「裁判所の定めるルールに従ってなされるべきもの」

松野官房長官は、午後の記者会見で「裁判所における文書管理については裁判所の定めるルールに従ってなされるべきものと承知している。裁判所における少年事件記録の取り扱いに関する事柄であり、政府として答える立場にない」と述べました。

 

>> 引用先 <<

神戸児童連続殺傷事件 当時14歳少年の全事件記録 家裁が廃棄 | NHK | 事件 https://is.gd/8tfqTt

 

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『哲学入門』第二章 義務と道徳 第五十六節[愛国心について]

2022年08月09日 | 国家論

ヘーゲル『哲学入門』第二章 義務と道徳 第五十六節[愛国心について]

2022年07月25日 | ヘーゲル『哲学入門』

§56

Bloß nach der rechtlichen Seite betrachtet, insofern der Staat die Privatrechte der Einzelnen schützt, und der Einzelne zunächst lauf das Seine sieht, ist gegen den Staat wohl eine Aufopferung eines Teils des Eigentums möglich, um das Übrige zu erhal­ten. Der Patriotismus aber gründet sich nicht auf diese Berech­nung, sondern auf das Bewusstsein der Absolutheit des Staats. (※1)

第五十六節[愛国心について]

たんに法的な側面のみからみれば、国家が個人の私権を保護するものであり、また、個人が第一に自己の権利を追い求めるものであるかぎり、確かに個人は残りの財産を確保するために、自分の財産の一部を国家のために犠牲にすることもできる。しかし、愛国心 はこうした打算にではなく、国家の絶対性 についての自覚に基づいている。

Diese Gesinnung, Eigentum und Leben für das Ganze auf­zuopfern, ist um so größer in einem Volke, je mehr die Einzel­nen  für das Ganze mit eigenem Willen und Selbsttätigkeit handeln können und je größeres Zutrauen sie zu demselben haben. (Schöner Patriotismus der Griechen.) (Unterschied von Bürger als Bourgeois und Citoyen.).(※2)

財産と生命を全体のために犠牲にするこの心情が、民族のうちに大きければ大きいだけ、よりいっそう個人自己の意志と 独立心とをもって全体のために行為することができ、各個人はさらに大きな信頼を全体に対してもつ。(ギリシャ人の美しい愛国心。)(ブルジョワとしての市民(私人)と公民との区別。)

 

 ※1
das Bewusstsein der Absolutheit des Staats.
「国家の絶対性についての自覚」が、
Diese Gesinnung, Eigentum und Leben für das Ganze
「財産と生命を全体のために犠牲にするこの心情」の根拠である。
つまり「愛国心」は「国家の絶対性の意識」から生じる。

「Gesinnung」心情、志操、心的態度、心根、精神。

※2

ここにまた「若き日本人特攻隊兵士の美しい愛国心」も追記されるべきかもしれない。

Unterschied von Bürger als Bourgeois und Citoyen.(ブルジョワとしての市民(私人)と公民との区別)については、このヘーゲルの問題意識を受けてマルクスは次のように説明している。

「いわゆる人権、つまり公民の権利から区別された人間(ブルジョワとしての市民(私人))の権利は市民社会の成員の権利、つまり利己的人間の権利、人間および共同体から切り離された人間の権利にほかならないということである。」
(マルクス『ユダヤ人問題によせて』城塚登訳、岩波文庫版41頁)

ただ、ここで指摘しておくべきは、市民社会においては、利己的人間も、他者の欲求を充足させることなくしてはその利己主義をも満たし得ないこと、をマルクスは見落としていることである。

いずれにしても、ヘーゲルの国家論の詳細については『法の哲学』§257以下を見なければならず、その過程で改めて、マルクスの「ブルジョワとしての市民(私人)と公民との相違」についての見解も批判的に検証することになるはずである。

 

 

 

 

 

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護憲派の研究(護憲派の論理)2

2022年05月03日 | 憲法論資料

護憲派の研究(護憲派の論理)2

憲法空語論

内田樹

2022-05-03 mardi

『週刊金曜日』の憲法特集に少し長いものを寄稿した。憲法記念日なので、それを再録。

 今号は憲法特集ということなので、憲法についての私見を述べる。同じことをあちこちで書いているので「もうわかったよ」という人もいると思うけれど、私と同じようなことを言う人はあまりいないようなので、しつこく同じ話をする。
 憲法についての私の個人的な定義は「憲法は空語だ」というものである。「空語であるのが当然」であり、少し喧嘩腰で言えば「空語で何が悪い」ということである。
 あらゆるタイプの「宣言」と同じく、憲法も空語である。ただし、それは「満たすべき空隙を可視化するための空語」、「指南力のある空語」、「現実を創出するための空語」である。
 憲法と目の前の現実の間には必ず齟齬がある。それが憲法の常態なのである。憲法というのは「そこに書かれていることが実現するように現実を変成してゆく」ための手引きであって、目の前にある現実をそのまま転写したものではない。
 だから、「現実に合わせて憲法を変えるべきだ」というのは、いわば「俺は何度試験を受けても60点しかとれないから、これからは60点を満点ということにしよう」という劣等生の言い分と変わらない。たしかにもう学習努力が不要になるのだから、ご本人はたいへん気楽ではあろうが、間違いなく、彼の学力は以後1ミリも向上しない。そのことは日本の改憲論者たちの知的パフォーマンスが彼らが「憲法を現実に合わせろ」ということを言い出してからどれほど向上したかを計測すれば誰にでもわかることである。
 改憲派は「憲法九条と現実の軍事的脅威の間には齟齬がある。だから、軍事的脅威がつねにある世界を標準にして憲法を書き換えよう」と主張している。「軍事的脅威のない世界など実現するはずがないので、そんなものを目指すのは無駄だ」というのは、たしかに一つの見識ではある。「平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去」する努力なんか誰もしてない世界で、一人だけいい子ぶってどうするんだと鼻で笑う人を見て「ちょっとかっこいい」と勘違いする人だっているかも知れない。
 しかし、「人間は邪悪で愚鈍な度し難い生き物であって、これからも改善の見込みはない」というような言明は居酒屋のカウンターで酔余の勢いで口走るのは構わないが、公文書に書くべきことではない。というのは、いったんそのような人間観を公認してしまったら、これからあと、その社会の成員たちは「より善良で、より賢明な人間になる」という自己陶冶の動機を深く傷つけられるからである。
 本音ではどれほど人間に絶望していても、建前上は全成員が善良で賢明で正直であるような社会を「目標」として制度設計はなされなければならない。これだけは集団として生きる上で譲るわけにはゆかない基本である。
 全成員が邪悪で愚鈍で嘘つきであるような社会でも「生きていける」ように制度設計することはたしかに現実的であるかも知れないけれど、その制度がよくできていればいるほど、その社会の成員たちが「善良で賢明で正直」になる可能性は減じる。
 成員全員が邪悪で愚鈍で嘘つきであっても機能する社会があるとしたら、それは原理的には一つしかない。「神がすべてを統御する社会」である。神が万象を俯瞰し、成員の行動も内心もすみずみまでをも見通す社会なら、全員が邪悪で愚鈍で嘘つきであっても、社会は機能するだろう。でも人間は神ではない。
 だとしたら、次善の策としては「神の代行者」を任じる権力者が全成員を「潜在的な罪人」とみなして、その一挙手一投足を監視する社会を創る他ない。自民党の改憲草案を読むと、彼らがまさにそう推論していることが分かる。
「人間はすべて邪悪で愚鈍で嘘つきであるから、全権を持つ権力者が全員を監視しなければならない」という彼らの国家観と「憲法と現実に齟齬がある時は現実に合わせて書き換えるべきだ」という憲法観はまったく同型的な思考の産物なのである。
 しかし、私は人間の悪さや弱さを「改善不能」とみなすことに立脚する制度設計には反対である。どういう人間を「標準的なもの」と見なすかという観点の選択によって、それ以後に出現する社会のかたちは変わるからである。「宣言」はまさにそのためのものである。「そうなったらいいな」という社会のかたちを可視化するのが宣言の手柄である。「そうなったらいいな」というのは「現実はそうではない」からである。当たり前だ。
 フランスの人権宣言もアメリカの独立宣言も、シュールレアリスム宣言もダダ宣言も未来派宣言も、どれにもその時代においてはまったく現実的ではないことが書かれている。でも、そこには起草者の「そうなったらいいな」という強い願いが込められている。その「強い願い」がいくぶんなりとも不定形な未来に輪郭を与えるのである。
 例えば、アメリカの独立宣言には「万人は生まれながらにして平等である」と書かれている。だが、そう「宣言」されてからも奴隷制度は86年続き、「公民権法」が施行されるまで188年を要し、BLM運動はこの宣言が「空語」であることを証明した。しかし、だからと言って「万人は生まれながらにして平等ではない」という独立時点での「現実」をそのまま受け入れてそう宣言に書き込んでいたら、アメリカ合衆国は今のような国にはなっていなかっただろう。アメリカ合衆国を少しずつでも差別のない国に作り替えていったのはこの「宣言」の力である。「空語には指南力がある」ということをアメリカ建国の父たちはよくわかっていたということである。
 日本国九条二項と自衛隊の存在の齟齬について、わが改憲派はよく「こんな非現実的な条文を持つ憲法は日本国憲法だけだ」と言うけれど、これは端的に嘘である。アメリカ合衆国憲法もまた条文と現実の間に致命的な乖離を抱えているからである。
 連邦議会の権限を定めた合衆国憲法8条12項には「陸軍を召集し、維持すること。但し、この目的のための歳出の承認は2 年を超える期間にわたってはならない」とある。世界最大の軍事大国である合衆国憲法は今も「常備軍を持ってはならない」と定めているのである。
 この条項は建国時の「連邦派」と「州権派」の間での妥協の産物である。連邦派は常備軍を連邦政府の管轄下に置こうとし、州は連邦政府が軍事力を独占することに抵抗した。軍人は容易に時の政府の私兵となって、市民に銃口を向けるということをアメリカ市民は独立戦争で思い知らされたからである。だから、独立時点で多くの州は「常備軍を持ってはならない」という州憲法を採択した。戦争を遂行するのは職業軍人ではなく、武装した市民(militia)でなければならない。市民は戦う必要があれば応召して銃を執って戦う。戦いが終われば市民生活に戻る。
 もちろん、そんなのは建国者の理想であって、21世紀の現実とは隔たること遠い。それでも、「現実と乖離しているから改憲しよう」というアメリカ市民がいることを私は知らない。それは憲法を読む度に、独立時点で建国の父たちがどのような理想的な国を未来に思い描いていたのか、その原点に戻って「めざすべき国のかたち」を知ることができるからである。この憲法を維持することによって、アメリカは今もまだ「常備軍を持たない国」を(それがいつ実現するかはわからないが)目指すことを意思表示しているのである。憲法とはそういうものである。

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護憲派の研究(護憲派の論理)1

2022年04月01日 | 憲法論資料
護憲派の研究(護憲派の論理)1
 
塾長雑感
2022.04.01

第321回 桜とひまわり

伊藤 真

 

 

伊藤塾渋谷校前の桜が満開です。いつ見ても見事で、少し心が癒されます。ウクライナでは大変な状況が続いているにも関わらず、日本の春は穏やかです。コロナも決して油断できませんが、蔓延防止措置が解除された東京の人出は相当なものです。

 

 

 

桜は日本の国花ですが、ウクライナの国花は、何だろうかと調べたら、ひまわりでした。実は伊藤塾のシンボルにしている塾花も弁護士バッジと同じひまわりなのです。映画「ひまわり」も再ブームのようですが、明るいイメージの花だけに映画も今のウクライナの状況も悲しさが際立ちます。ウクライナには、チェルノブイリ(チョルノービリ)原発があるだけでなく、ヨーロッパの穀物倉庫としても重要な国であることは知っていましたが、詳しい歴史や地理だけでなく本当に何も知らないのだなと少し恥ずかしくなりました。そういえば、首都キエフはロシア語発音ではなくウクライナ語に近いキーフと呼ばれるようになりました。正しい発音はクィエィヴという日本語にはない発音で難しいようですが、少なくともロシア語発音でないだけでも意味があります。ウクライナの隣のジョージアもかつてはグルジアと呼ばれていました。当初、ジョージアと聞いてアメリカの州や缶コーヒーを想起してしまった私もえらそうなことを言えません。

 

ジョージアは、黒海とカスピ海の間、トルコの北東に位置する国ですが、北はロシアに接しています。欧米に近づこうとしていたところ2008年にロシアから攻め込まれて、北部の地域を占領されてしまいました。現在でもロシアは軍隊を駐留させて不法占領し続けています。ウクライナと同じようなことが起っていたのですが、当時は今ほど大きなニュースにはなりませんでした。その後2014年のクリミア併合に続きます。

 

ロシア、ウクライナのことのみならず、東欧のことは本当に何も知らないし、今まで関心を持てなかったことを反省しています。世界各地で起こっている紛争に世界中の人々が関心を持ち、必要に応じて批判することはとても重要なことだと思っています。今回のウクライナ戦争に関して、第2次世界大戦後における最大の人道危機という評価があります。そうでしょうか。

 

凄惨を極めたアフガニスタン戦争(2001~2021年)は米国史上最長の戦争でした。米国の嘘で始まったイラク戦争でも数十万人の犠牲者が出ています。シリアからも多くの難民がポーランド、ドイツに押し寄せてきました。これらについては日本でも今のウクライナ戦争ほど関心がなかったように思います。避難民の姿にしても白人だから感情移入しているのではないか、欧州で起こった戦争だから悲劇的状況にこれほどショックを受けるのではないか。無意識の差別意識があるのではないかと自分の中に潜むダブルスタンダードに気づいて怖くなります。また、毎日目にするウクライナの映像を見ても銃を持った戦闘員は男性で、子どもの手を引いて逃げるのは女性ばかりです。たとえ18歳から60歳までの男性はウクライナ国外脱出を禁止される法律があったとしても、その存在を含めてジェンダーステレオタイプを無意識のうちに植え付けられている気がしてここでも怖くなります。

 

それでも日本国内で戦争反対の声を上げ、即時停戦を求めていくことには意味があると考えています。「日本でデモなんかしても、相手国の元首にそんな声など届くはずがない、そんなことで戦争や人権侵害が止まるはずない」という声も聞きます。自分の国のことで精一杯で余裕がないということであれば理解できますが、そうではないようです。「選挙に行っても無駄」という発想と似たところがあるように思います。選挙に行っても何も変わらないと思っている人は、行かなくても変わらないと思い込んでいるようです。しかし、主権者が選挙に行かずに放置しておけば政治はどんどん悪くなります。選挙とは為政者に緊張感を持たせるためにも重要な手段だからです。それと同じように戦争や人権侵害に対し国際社会が批判し声を上げ続けることには重要な意味があります。

 

憲法はその前文で「自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであつて」と規定して国際協調主義を掲げます。平和や人権という普遍的価値のために、SNSで声を上げたり、デモに参加したり、寄付したりする政治活動は憲法21条1項で保障された重要な権利です。こうした権利を行使できる国で生活することができているだけでも幸せなことなのですから、こうした権利を行使することは恵まれた環境にいる人間の責務だと思います。

 

政治的意見として多様な意見がSNSなどの言論空間に登場して、考える素材を提供してもらえることは、とてもよいことです。仮にその意見の内容が自分の考えと異なっていたとしても、自分の頭で考える訓練のよい材料になります。

 

今回のウクライナ戦争において、民間人も含めて最後まで戦うべきだという意見もありますが、逆に早急に逃げるか白旗を上げて民間人の被害を最小限に食い止めるべきだという意見もあります。感覚的には「ウクライナ頑張れ、負けるな」という声の方が圧倒的のようです。ゼレンスキー大統領を英雄視する声も聞かれます。

 

元大阪府知事の橋下徹弁護士は、テレビで「交渉のためにはプーチンの考えは何なのかっていうことを的確に把握しなければない」「これはあくまでNATOとロシアのプーチンのつばぜり合いの話だっていうことを把握しないと」と発言したそうです。伝聞で申し訳ないのですが、的確な指摘と考えます。橋下氏とは意見が違う点もいくつかあるのですが、立憲主義を堅持する立場を明確にしていて賛同することも多く、私もいろいろ学ばせてもらっている論客です。

 

彼はツイッターでも「いざ戦争になった場合に、戦う一択の戦争指導がいかに危険かということを今回痛感した。停戦協議の中身を見ればこの戦争は政治で回避できた。」と述べています。この戦争が外交の失敗の結果であり、本来はこうした戦争状態に引き込まないことが政治家の職責であることを、府民を守るために私などは想像もつかない政治の修羅場をくぐってきた橋下氏は理解しているのだと思います。

 

私は、何もウクライナ国民に逃げろと強要したり説教しようとしているわけではありません。あくまでも政治家は多様な選択肢の中から最善のものを選ぶことが仕事ですし、その選択肢の中に国民の犠牲を最小限にすることを第1に考えた選択肢もあっていいのではないかと指摘しているだけです。

 

なお、念のために言っておくと、第2次世界大戦後のジュネーブ条約等によって戦闘員と非戦闘員は区別され、戦争においても非戦闘員である民間人は保護されなければなりません。しかし、民間人でも武器を持って戦うと戦闘員と見なされ、相手国兵士はこれを殺傷しても国際法違反にはなりません。ですから為政者は民間人に戦えと命じては絶対にいけないのです。

 

いざ、戦争が始まってしまうと、「市民は武器をとるな、生きるために逃げろ」という呼びかけは本当に難しくなるのだとつくづく思います。第2次世界大戦中に日本の戦争指導者は、国民にお国のために竹やりをもって最後まで戦い抜けと強要しました。桜のように美しく散るとして特攻攻撃を美化しました。当時国民がこれに従ったのは、てっきり皇民化教育のせいだとばかり思っていましたが、違うようです。現在の日本人でも「市民は死ぬな」ではなく「武器を取って戦え」と応援し、そうした国の大統領を英雄視する人が少なからずいるのです。

 

「降伏したらもっとひどい結果が待っているぞ」という言説も戦時中の日本では当たり前のように叫ばれました。沖縄戦ではそうした軍部からの脅しを信じたことで、自決を迫られた住民の悲惨な集団死が起ったことも歴史の現実です。戦争になると本当に同じような光景が繰り返されるのだなと痛感します。最後まで戦い抜くという決意は勇ましくていいのですが、その結果、民間人を含めた多くの人々の命が奪われ、大切な街が破壊され瓦礫の山になってしまいます。侵略者から大切な人を守ると本気で考えるのであれば、闘い続けることがさらに被害を拡大することになる現実にも向き合わなければなりません。私も高校生のころまでは勇ましいことが好きな愛国少年でしたから、今の私を理想主義の夢想家と批判したことでしょう。戦争のリアルを知らずにヒロイズムに憧れる無知な若者でした。なぜ現在のような考えになったかは、またの機会に書いてみます。

 

日本はかつて日中戦争から手を引くことができずに太平洋戦争に突入していきました。戦争は始まってしまうと、多くの兵力を投入して人的損害も経済的損害も生じたのだから、いまさら後に引けないという思いが募り、メンツもあって停戦することがとても難しくなります。ですが、そこをいかに相手との妥協点を見つけて戦争を終わらせるかが政治家の仕事です。

 

このようなことを言うと当事者じゃない外野が他国のことに口を出すなと言われるかもしれません。ですが、当事者ではないからこそ第三者的な立場で冷静に他の選択肢もあると考えてみることは無意味ではないと思っています。当事者には届かない声ですが、それでも私たちそれぞれが自分の頭で考える意味はあります。

 

もちろん国家の主権(最高独立性)は重要であるに決まっています。ですが、国民が死んでしまったら国家そのものが成り立たなくなります。歴史的な経緯は別にして、法学的にはそもそも国家は国民の自然権を護るために創り出したものと考えることができます(ロックの自然権思想)。その国家が国民の命を最大限に尊重しないとすれば本末転倒ではないでしょうか。そして大国に従属するのではなく、中立的な緩衝国の立場を確立し、独立国家としての主権を維持していくことはできるはずです。

 

ウクライナにはNATOの基地もロシアの基地も作らないで中立の立場を選択し、緩衝国として生きていくという選択肢もあるのです。今回のウクライナ戦争の原因の一つがNATOの東方拡大にあるという評価は、けっしてロシア擁護という一方的な見方ではないことは、時間がたてば理解されることでしょう。また、日本の安全保障のあり方としても、勇ましい軍事国家や核共有を目指すのではなく、憲法の理念に従って、周辺国に脅威ではなく「安心を供与」する緩衝国として軍縮や核廃絶を目指すことも選択肢として捨ててはいけません。

 

何もできない自分ですが、日本にやってくるウクライナ避難民の方には何らかの支援をしたいと考えています。そして一刻も早い停戦を願い、ウクライナ国民のことをいつも気にかけていきたいと思っています。ひまわりの花言葉の1つに、「いつもあなたを見ています」というものがあります。塾生、受験生の皆さんのことを最後まで見守っていたいという思いを込めて塾花にしました。

 

今、日本で自分の夢に向かって勉強できることは決して当たり前のことではないと改めて気づき、感謝の気持ちで毎日を過ごしている塾生の皆さんもいることと思います。何か人のためになることをしたいという利他の気持ちは法律家・行政官のエネルギーの源泉です。合格後の活躍をしっかり見据えながら、試験当日まで絶対に諦めないで最後まで頑張って下さい。期待しています。

 

※出典

第321回 桜とひまわり | 塾長雑感 | 塾長雑感 https://is.gd/TBu7Xx

 

 

 

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尖閣諸島問題とは

2021年03月09日 | 歴史資料

5分でわかる尖閣諸島問題!日本・中国・台湾の主張、歴史をわかりやすく解説

更新:2019.7.15 作成:2019.7.15
 

日本が抱える領土問題のひとつである「尖閣諸島問題」。周囲に石油や天然ガスなどの天然資源が埋蔵されている可能性もあり、領有権をめぐって台湾、中国と対立が続いています。この記事では、各国の主張や、これまでの歴史をわかりやすく解説していきます。おすすめの関連本も紹介するので、ぜひご覧ください。

 

尖閣諸島とは。場所や住民など概要を解説

東シナ海に位置する5つの島と、3つの岩礁などで構成される尖閣諸島。1900年に沖縄師範学校に勤める黒岩恒が命名しました。行政上は、沖縄県石垣市に属しています。

もっとも大きいのは魚釣島(うおつりじま)。第二次世界大戦前には最大で250人ほどが住んでいて、アホウドリの羽毛採取などが営まれていました。しかし1940年以降はすべての島が無人島です。

尖閣諸島の周囲は良好な漁場となっているだけでなく、付近の海底には膨大な量の海底資源が埋蔵されているといわれています。そのため、1950年代からは付近の漁場をめぐって日本と台湾が対立。さらに1970年代頃からは、領有権をめぐり日本、台湾、中国が争っています。これを「尖閣諸島問題」といいます。

 

尖閣諸島問題とは。日本、中国、台湾の主張をそれぞれ解説

 

領有権をめぐり日本、台湾、中国が争っている尖閣諸島問題。

もともと「主権国家の領域として国境を画定する」という行為は、西欧社会が築いた「国際法」にもとづいて実行されています。「国際法」が定められる以前の東アジアには、そもそも「領土」という概念が存在していませんでした。そのため明治時代より前に、「尖閣諸島は誰のものか」という問題が生じることもなかったのです。

ただし、島の存在そのものは認知されています。尖閣諸島は、琉球王国と、中国の明や清が貿易をする際の目印として利用されていました。当時の魚釣島は、琉球王国では「よ(ゆ)こん」、中国では「釣魚台」や「釣魚嶼」と呼ばれていたようです。

その後明治維新が起こり、尖閣諸島は日本が領土に編入することになります。領有に先立ち、日本政府は調査を実施。国際法上では誰のものでもない「無主地」に該当することを確認していました。そのため日本政府は、尖閣諸島の領有は、国際法の手続きに沿った正当なものであると主張しています。

一方で台湾と中国も、尖閣諸島を自分たちの「固有の領土」であると主張しています。その根拠として提示されているのが、「下関条約」と「サンフランシスコ平和条約」の内容です。

「下関条約」は、1895年に結ばれた「日清戦争」の講和条約です。この条約によって清は、台湾や澎湖諸島などを譲渡することになりました。しかし台湾と中国は、この条約は不平等条約で、台湾と同時に尖閣諸島が不当に奪われたと主張しています。

また「サンフランシスコ平和条約」は、1951年に調印された「第二次世界大戦」の講和条約です。この条約で日本は、朝鮮や台湾といった植民地に対する権原(権利の発生する原因)を放棄することと、尖閣諸島を含む南西諸島が、日本が主権を持ったうえでアメリカの施政権下に置かれることを認めています。

これに対して台湾は、この時に放棄された台湾の権原に尖閣諸島も含まれているので、台湾に返還されるべきだと主張しているのです。

中国の主張はやや異なり、「サンフランシスコ平和条約」は無効な条約で、「固有の領土」である尖閣諸島の施政権をアメリカがもち、後に日本に返還したことは不当な行為であると唱えています。

なお、これ以外にも中国は明代の地図に尖閣諸島が記されていることから、明治時代以前に尖閣諸島は中国の領土として認知されていたとも主張しています。

これらに対し、日本政府は、次のような見解を示しています。

まず「下関条約」関連では、

  • 下関条約の交渉が開始されたのは1895年3月であるのに対し、尖閣諸島の領有宣言は1895年1月におこなわれており、そもそも台湾の語句に尖閣諸島は含まれていない
  • 下関条約の交渉過程で、清側はすでにおこなわれていた尖閣諸島の領有に一切抗議していない。つまり清側も、日本の尖閣諸島領有を不当な行為とは認識していなかった

次に「サンフランシスコ平和条約」関連では、

  • この条約によって尖閣諸島がアメリカの施政権下に置かれたことに、主要な連合国は一切抗議していない。これは、尖閣諸島が日本の主権下にあることが「当然の前提」であったためである

ほかにも日本政府は、中国が主張する明代の地図について、地図に記載があるだけでは、国際法の見地から領有権を裏付けしているとは言い難いと反論しています。

このように、台湾と中国の主張に対して、日本政府は根拠を挙げつつ反駁しています。しかし2019年現在も尖閣諸島問題は解消せず、対立が続いている状態です。

尖閣諸島の歴史。所有者がいる私有地から、国有化まで

では第二次世界大戦後の尖閣諸島にまつわる歴史をまとめていきます。

日本が敗戦した後、尖閣諸島はアメリカの管理下になりました。上述したとおり、1951年に調印された「サンフランシスコ平和条約」によって、尖閣諸島を含む南西諸島はアメリカの施政権下に置かれることになったのです。

その後、1972年に発効された「沖縄返還協定」によって、尖閣諸島への施政権はアメリカから日本に返還されました。ところがこの前後から、台湾と中国は先に挙げたように領有権を主張するようになってきたのです。

その要因となったのが、1968年に実施された海底調査です。尖閣諸島周辺の海底に膨大な量の石油が埋蔵されている可能性が指摘されました。

このような状況で、実は尖閣諸島のうち魚釣島・北小島・南小島の三島は、1970年代から埼玉県に在住する個人が所有する私有地となっていました。しかし2012年9月11日に、日本政府が20億5000万円で三島を購入し、尖閣諸島は国有化されます。

国有化のきっかけは、2010年の、領海侵犯した中国漁船が海上保安庁の巡視船に衝突した事件です。日本国内で尖閣諸島問題への関心が高まるなか、2012年に当時東京都知事だった石原慎太郎が島を購入する計画を発表します。

これが中国政府を刺激し、中国は外交部を通じて反発を強めました。すると中国の反発に対処するため、当時の野田佳彦内閣が尖閣諸島を国有化する方針を発表したのです。

こうして尖閣諸島は国有化されましたが、その後中国は圧力を強化。尖閣諸島周辺における領海・領空侵犯は国有化以前よりも飛躍的に増加しています。さらに、侵犯する船舶のなかには武装したものも含まれていて、尖閣諸島をめぐる対立は、緊張の度合いを高めながら継続しているのです。

尖閣諸島は資源の宝庫!石油が埋まってる?

1968年、「国連アジア極東経済委員会(ECAFE)」は、尖閣諸島周辺で海底調査を実施。その結果をまとめた「東シナ・黄海の地質構造等に関する報告書」には、この地域に石油が埋蔵されている可能性に言及して「台湾と日本との間の浅海底は、世界的な産油地域となるであろうと期待される」とまとめられています。

この調査では、尖閣諸島周辺に存在する石油の埋蔵量が約1000億バレルと試算されました。しかしその後、より詳細な調査が実施された結果、1994年の試算では埋蔵量は約33億バレルと下方修正されており、その埋蔵量は当初の予測よりも少なく見積もられています。

とはいえ、33億バレルという石油は、日本の年間消費量を上回る値です。また近年では、周辺海域でレアメタルの鉱床が発見されていて、尖閣諸島周辺にもレアメタルが埋蔵されている可能性が指摘されています。

日本、台湾、中国が対立している影響で、本格的な調査は実施されていません。そのため正確な埋蔵量は明らかになっていませんが、石油をはじめ、さまざまな海底資源が眠っているのはほぼ間違いないといえるでしょう。

※出典

5分でわかる尖閣諸島問題!日本・中国・台湾の主張、歴史をわかりやすく解説 | ホンシェルジュ https://is.gd/rp5kRB

 

 

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