ロドス島の薔薇

Hic Rhodus, hic saltus.

Hier ist die Rose, hier tanze. 

参議院選挙の投票基準

2007年07月31日 | 政治・経済

領収書添付、全団体1円以上=政治資金規正法を再改正-自民方針 (時事通信) - goo ニュース

参議院選挙の投票基準

ある新聞社の掲示板で、参議院選挙の投票基準について、ある読者が次のような意見で投稿していました。それに対し私の投票基準は少し異なっていたので、以下のような意見を投稿しました。

引用>

あなたは投稿№00120.で 国政選挙について


社会保険庁の問題や「政治とカネ」の問題で、選んではならないと思う。権力闘争のためのスキャンダルで選んではならないと思います。
日本の将来の安全保障と繁栄をどう進めるのか、日本が毅然とした国になるためにはどうすべきか、という視点で選ぶべきだと思います。

と述べられていますが、私の考えは少し違います。『政治とカネ』で、さらには『酒と女』できちんとできない政治家は、『日本の将来の安全保障と繁栄』を確立することも『日本を毅然とした国』にすることもできないと思います。『政治とカネ』は、そこに政治家の人格と品格が現れる根本です。ですから私は『政治とカネ』の問題で政治家を選びました。そして、この『政治とカネ』で倫理を確立することが、憲法問題以上に、日本を戦後レジームから、さらには封建日本レジームから脱却させることであると考えています。ですから、私は今回は『政治とカネ』で投票しました。

>終わり

この問題は、どのような人間観を持つかにもよると思います。人間の能力と倫理の関係です。高い倫理には高い能力が伴うと原則的にはいえると思いますが、しかし、両者の間には必然的な関係がないというのが人間たるゆえんかも知れません。

極めつきのやり手で高度の手腕、力量があっても、平然と賄賂のやり取りをしながら、泰然としている人格もあります。また「英雄、色を好む」という言葉もあり、武家社会の人格を色濃く残した明治の政治家、伊藤博文などは「酔うては枕す窈窕たる美人の膝、醒めては握る堂々たる天下の権」と詠じているようです。同じ「長州」の後輩である安倍晋三首相も祖父の岸信介氏と同じく、清濁併せ呑む「大きな器量」の持ち主であることをめざしているのかも知れません。

また、真実のほどは分かりませんが、乃木希典将軍はその高潔な人格ほどには、軍事的指導力においては卓越していなかったともいわれています。

ところで、今日の日本の根本問題の一つに公務員制度の制度疲労の問題があり、いわゆる官僚の早期退職制度や「天下り」などによる弊害が国家の中枢を蝕みはじめています。とくにキャリア制度が破綻をきたしているのだと思います。いわゆる「高級」公務員のモラルも、地に落ちはじめているのではないでしょうか。公務員全体のモラルと士気を向上させるためにも、公務員制度の根本的な改革が必要であると思います。

とくに戦前の全体主義的な「愛国心」の反動か、公益よりも私利私益を優先する戦後の風潮が国民、政治家、公務員などに顕著であるとすれば、そうした状況下にあっては、「政治とカネ」を選挙の投票基準とすることも悪くはないと思います。事実、今回の選挙では多くの国民がそうしたのではないでしょうか。そして今回の選挙結果によって、国民の意思が少しは自民党指導部にも通じたようです。

安倍晋三首相は選挙の敗北を受けて、政治資金規正法案の再提出も考慮に入れているようですが、姑息だと思います。安倍首相の「美しい国」の「概念」には、「武士は食わねど高楊枝」とうい武士道の片鱗すら含まれていなかったようです。

 

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せいろん談話室への投稿

2007年07月27日 | 教育・文化

せいろん談話室に、記事№0071、№0072を投稿したところ、記事№0093で花うさぎさんから、ご意見をいただきました。それに対する私の返事を、この日記ブログにも記録しておきます。

花うさぎさんへ

№00093花うさぎさん、ご意見ありがとうございました。


それとも貴方は「政治と金」は野党は関係ない、政権与党にだけ追求されるべき問題だとお考えですか?。

もちろん、政権与党のみが「政治とカネ」の問題で批判されるべきであるとは思いません。
日本人の政治文化については、投稿記事№0092にもKOOLKATさんが次のように述べられています。


かつて、ジョイントベンチャーの経営をしておりました頃、色々な人々が近ずいてきました。その頃、或る国政選挙運動が行われる中で、意見を言ってくる中の一人が、”誰それ候補の所は一級酒じゃが、誰それ候補は二級酒を出しよった”、と、低級な事を言ったときの事を、奇妙に今でも想い出す事です。

これが日本の政治の現実ではありませんか。こんな国民がいるから、政治に黒いお金がかかり、政治家が「お金に苦労」するのです。与野党ともに日本の政治家たちを「政治とカネ」の問題から解放してやるためには、日本国民の政治文化から変えてゆかなければなりません。

そして、現在のわが国の政党政治が、利権政治に堕していること、利権をめぐる談合政治に堕してしまっていることこそが問題なのです。土木建設業者や官僚たちが自分たちの利権を確保するために談合するのと同じです。それと同じことが政治の場面で行われているに過ぎません。そこに利権はあっても確固とした理念や哲学はありません。

この現状を打破するためには、権力のうまみを吸っている政治家たちを一度野に下して断ち切り、禁断症状を起こさせて、日本の政党政治を理念追求型に変革してゆく必要があります。

そのためには、現在の自由民主党を破壊して、結党以前の自由党と民主党(この民主党は現在の小沢民主党とはまったく関係がありません)とに分割分離させて、それぞれ理念として自由主義を重点に追求する政治家は自由党へ、民主主義を重点に追及する政治家は民主党に結集させて、それぞれの立場から、国民のために理念実現を競わせ、また、両者の間で政権交代を逐次行わせるのです。現在の与野党ともどもの「金権政治」を「理念追求型政党政治」に変革して行かなければなりません。そのための安倍政権批判であって、小沢民主党を支持するがゆえのものではありません。

安倍内閣や小沢民主党についての私の意見は次に書いてあります。

『日本国の洗濯と人を見る眼』
http://blog.goo.ne.jp/maryrose3/d/20070703
『政治家と国民の茶番劇』
http://blog.goo.ne.jp/maryrose3/d/20070613
『マスコミの堕落と退廃』
http://blog.goo.ne.jp/maryrose3/d/20070608
『醜い日本人』
http://blog.goo.ne.jp/maryrose3/d/20070507

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国民住宅(フォルクスハウス)――日本の科学と公共の意思

2007年07月19日 | 政治・経済

                          

        

国民住宅(フォルクスハウス)――日本の科学と公共の意思

新潟でまた地震があった。日本はそもそも地震列島とも呼ばれ、大陸プレートと海洋プレートがひしめきせめぎ合う地殻の上に国土がある。その上に生活する国民の運命の悲哀というべきか。いや決してそんなことはない。科学の発達した今日、地震による死亡事故などの大半は、国家と国民の危機管理能力の欠陥による人災である。

地震列島はその一方で、豊かな天然地下温泉を湧き出し、変化に富んだ美しい自然景観を造りだす。その天然の恵みは決して小さくはない。地下マグマの自然エネルギーを善用活用して国民の幸福に役立てるか、それとも、その前に、無力に手をこまねいて地震災害被害に泣くかは、国家と国民の危機管理能力しだいであるといえる。

日本などのような地震国では、そして、これほど深刻な環境問題を抱え込んだ現代においては、原子力発電以上に、国家プロジェクトとして強力に地熱発電の研究・開発に取り組まれるべきものである。地熱エネルギーの最大限の有効利用に取り組むべきである。そうしたことができないのは、科学技術などのハードの未発達に原因があるいうよりも、国家の組織機構に、政治や教育といったソフトに、国家の頭脳、その指導性に欠陥があるためである。経済産業省や国土交通省などの各省庁を横断して、欠陥の多い原子力発電に代わるものとして、地熱発電や太陽光発電、風力・海洋エネルギー発電などに強力に取り組まれていてよいはずである。

十余年前の阪神淡路大震災で、当時の村山富市首相の対応の遅れによる震災被害の拡大の教訓がいまだ十分に生かされていないように思われる。地震が起きてからの事後危機管理も充実させる必要のあることはいうまでもないが、不備を感じるのはとくに「事前の」危機管理である。

それにしても、ひとたび地殻が変動し、大地が揺らぐたびに家屋は倒壊し、そのために多くの犠牲者が出るというのはあまりにも惨めである。先の阪神淡路大震災でも、多くの家屋が全壊半壊し、その倒壊によって多くの人々が圧死した。そして、それに引き続く火災によっても多くの人が犠牲になった。今回の新潟沖地震ではそれほど多大な人的被害は出てはいないが、阪神淡路のような地震が来れば、日本のどこであれ、またふたたび家屋倒壊などに起因する大災害になりかねない。現代のような科学技術の発達した時代において、そうした人的被害を防ぎ得ないというのは、天災ではなく行政の不備による人災と考えるべきであろう。その根本的で重要な対策の一つに、住宅、工場、公共施設のさらなる耐震構造化を進めてゆく必要があると思う。

二十一世紀に入ろうという現代において、住宅家屋の倒壊による圧死というような後進的な災害が現代において繰り返されてよいのかという率直な印象を受ける。地震による被害が深刻なものになるのは、根本的には旧来の日本家屋の耐震構造があまりにも脆弱で、かつそれが放置されたままであるためである。それは素人目にもあきらかだろう。商店街を歩いてた婦人が商店の倒壊により下敷きなったり、また、お寺の屋敷が倒壊して老人が下敷きになって死亡するなどというのは決して天災などではない。商店や寺屋敷の建築物が耐震構造になってさえいれば防ぎえた人災である。

自然の威力を前に右往左往させらるのが人間の尊厳であるとは思わない。地震であれ台風であれそうした自然の威力に対抗し克服してゆくところに人間の尊厳があると思う。人間は神の子であり、「空の鳥と地の獣は海の魚とともにすべて人の手に委ねられている」(創世記9:2)。人間は自然の奴隷ではない。

国家の危機管理の問題である。危機管理には、事前危機管理と事後危機管理がある。以前と比較すれば改善されてきているとはいえ、とくに地震やテロ、戦争などの対策において、首相を頂点とした統一性のある事前・事後の危機管理対策が十分に構築されているとは思えない。とくにあまりにも貧弱なのが、「事前の」危機管理対策である。国家の頭脳としての意思決定と、その全国津々浦々への迅速な伝達を担う神経組織が十分に効率よく組織立てられているとは思えない。
 
これだけ国内に地震災害が多発することがわかっているのにもかかわらず、いまだ住宅や工場、原子力発電所などの公共施設の耐震化が十分に進んではいないようである。日本には地震に弱い老朽木造住宅がまだ1,000万戸あるともいわれている。建築基準法は改正されてきているとはいえ、こうした現状が放置されているのも、国家の危機管理能力の低さの現われではないだろうか。。

こうした事前の危機管理対策が不十分であるとしても、それは日本の科学技術が未発達であるためではない。それよりも、縦割り行政や、公務員制度、旧弊の都道府県制度といった、危機管理を支える国家組織や体制機構など、政治や行政の劣悪さに起因する部分がはるかに多いのではないだろうか。国家を一個の有機体として、どれだけ美しく完全で効率的な国家体系にしてゆくかは国民自身の課題である。

その中でも、とくに緊急性のあるのは、震災による死亡事故の原因の大半を占める、旧来の木造日本家屋の老朽化した脆弱な住宅の耐震対策である。この弱点を克服しえていれば、地震後の火災発生件数も含めて、震災による圧死や焼死などの死亡者数もはるかに少なくなると思われる。

伝統的な木造家屋の耐震構造の弱点や欠陥を克服するために、国土交通省や産業経済省などが結集して、国家的な規模で「国民的家屋」のモデルを開発すべきではないだろうか。それによって、震度8ぐらいの地震にも十分に耐える耐震構造を持ち、生活上の利便性、効率性も極めつくし、なおかつ伝統的な日本建築の美しさも生かした、日本の風土、自然景観とも調和したモデル住宅建築を、国民住宅(フォルクスハウス)として、二十か三十程度も提示できないものだろうか。それを国家プロジェクトとして、安藤忠雄氏などの建築家をはじめ、美術家、耐震工学者、宮大工など国家の頭脳を総結集して設計できないはずはないと思う。必要なのは強力なリーダーシップである。

かって、ヒトラーのナチス・ドイツの下で、国民車(フォルクスワーゲン)とアウトバーンが整備されたという。ナチスドイツの国家犯罪は真っ平ごめんであるとしても、日本においても、国民住宅(フォルクスハウス)が構想されてもよいのではないかと思う。それが普及すれば、少々の地震にもびくともしない国民性が培われるとともに、何よりも、この上なく醜くなった現代日本の自然景観、都市景観の改善が見られるようになるはずである。

そうして現代日本人の殺伐とした精神構造を反映するかのような、むき出しの電柱と電線と雑然とした雑居住宅の醜悪さそのものも改善され、癒されてゆくのではないだろうか。それとも願わくは、地中海の美しい海に照り映えるギリシャの町並みと同じ美しさを、この日本に再現することを夢見るのは、かなわぬ一夜の夢物語に過ぎないか。

柏崎刈羽原発の防火体制 05年に不備と指摘 IAEA(朝日新聞) - goo ニュース

「補強する金なく」高齢者の家に犠牲集中…中越沖地震(読売新聞) - goo ニュース 

 

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安倍晋三氏の「美しい国」

2007年07月12日 | ニュース・現実評論

参院選が公示、立候補受け付け始まる(読売新聞) - goo ニュース

首相は偽善者か?――安倍晋三氏の「美しい国」

今日、参議院選挙が告示された。7月29日に投票が行われ国民の審判が下される。安倍内閣が発足して10ヶ月、中間試験が行われることになる。私たちはこの内閣をはじめ、この国の政治をどのように評価するか、また、この国の進路をどのように定めるか、この国の舵取りをどうして行くか、国民の判断が問われるところとなる。

安倍内閣が発足して以来、私たちもこの内閣の行方を見守ってきた。「美しい国」という耳ざわりのよいスローガンを掲げ、インド、オーストラリア、ニュージーランドなどを繋いで「自由と民主の弧」の構築を掲げて、日本の歴代の首相の中でも若い安倍晋三氏は颯爽として登場してきた。もちろん、こうしたスローガン自体には誰も反対はしないだろう。北朝鮮すら自分たちこそが本当の「自由と民主主義の国」であると主張している。

この若い首相の主張する「美しい国」とはどのようなものだろうか。私たち国民も期待をしてそれを見つめていた。内閣にせよ女性にせよ、その本当の姿は、付き合いの時間の経過の中で明らかになって来る。物事の本質は多くの現象の累積の中に、時間と歴史の進展のうちにその本質を、その本当の姿を明らかにしてゆく。

そして、安倍内閣が発足してほぼ十ヶ月、とくに安倍内閣の中で気がかりなのは、そして、その「美しい国」というスローガンにもっとも離反していると思ったのは、松岡利勝前農水相の政治資金収支報告の問題処理に当たっての安部首相の対応の仕方である。少なからず安倍首相の「美しい国」に期待を寄せていた私にとっても、失望したのは、その際の安倍首相の姿勢であった。そして、その後任に選出された赤城徳彦新農水相においても同じように持ち挙がった政治資金の管理と報告についての安倍首相の対応であった。

政治家や政党の政治資金に関して、松岡前農水相のときも、このたびの赤城新農水相の場合も、安倍首相はまったく同じ姿勢で対応した。私がもっとも失望したのは、先の松岡農水相の自殺を受けて衆議院に上程され新しく政治資金規正法が「改正」された際に、安倍首相は指導力をほとんど発揮することなく、自民党をはじめとする政治家たちと国民の遅れた政治文化の改革に強力に取り組もうとしなかったことである。

日本国の現状でもっとも醜い側面は、この政治家と国民の金にまつわる問題である。そこには、安倍首相は自民党の古く醜い政治家の慣行には、ほとんどメスを入れることなく、大勢に追随して、「領収証の添付は五万円以上」に、そして、規制の対象はすべての政治団体ではなく「政治資金管理団体のみ」というまったくのザル法を通過させて、国民の目を欺き、日本国のもっとも「醜い政治文化」の改革にも取り組もうとしなかった。安部首相のこの姿勢が明らかになることによって、安倍晋三氏の「美しい国」の「概念」はようやくその姿を明らかにし始めたのである。

新しい「改正政治資金規正法」のようなザル法に満足している国が、政治家や国民の現状が美しいとは思えない。安倍晋三氏の「美的感覚」を疑わざるを得ない。少なくとも、氏の美的判断能力を疑わざるを得ない。それとも安倍氏は、自分自身の実際の判断と異なる主張をする偽善者なのだろうか。

政治風土、政治文化の改革を中心的なテーマとして自覚し追求しなければならない。それが結果として、前松岡利勝農水相のような「政治と金」をめぐる悲劇を防ぐことになる。今回の赤城徳彦氏に同じ運命を繰り返させたいのだろうか。そんな些事のために有為な人材を歪め失うことほど、国家と国民にとっての損失はない。

安倍首相の美的判断能力が国民一般のそれと食い違うことになっているのは、赤城徳彦新農水相の場合と同じく、彼らが政治家の家系の二世三世議員として、旧来の日本の政治文化の環境の中にどっぷりと漬かって生まれ育ってきたためである。「政治と金」をめぐる日本の政治家たちの旧来の慣行が彼らにとっては生まれながらの環境になっている。必ずしも二世三世議員を完全に否定し去るつもりはないが、そのもっとも悪しき一面が出ていることは明らかである。

来る参議院選挙では、現在の自民党と公明党による安倍首相の連立内閣与党を、過半数割れにして野に下し、そして、それをきっかけに、自民党を結党以前の自由党と民主党へと分割して、政界を再編成してゆくことによって日本の政治はダイナミックに再生できる。若い安倍首相には、再び国民の付託に応えるときがくれば、再登場する機会もあるだろう。そして自由主義と民主主義の理念の実現を、自由党と民主党がそれぞれ担うことによって、日本国内の自由と民主主義をさらに充実してゆきながら、ユーラシア大陸にまたがる「自由と民主主義の弧」の建設に取り組んでゆきたいものだ。

 

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日本国の洗濯と人を見る眼

2007年07月03日 | 政治・経済

後任防衛相は小池百合子氏 参院選前、首相に痛手(朝日新聞) - goo ニュース

日本国の洗濯と人を見る眼

指導者の資質として、まず第一に挙げるべきは、「人を見る眼」ではないだろうか。国家や企業などの組織の指導者は、自ら個別具体的な業務に直接従事するわけではない。指導者の仕事は、業務の分業に応じて、いわゆる人材として、それぞれにふさわしい能力を持った人間を見つけ選び出し、時には人材を育成して、適材適所に配備する。そうして、彼らをいわば道具として手段として用いて、国家なり組織なりの理念、目的を追求し、実現してゆくことになる。そのときに、指導者は瞬時にその人間の資質と能力を的確に判断する能力がなければならない。この能力がなければ、人材の適材適所への配置もできず、したがって、国家や組織の所期の目的も遂行することができない。指導者に必要な能力は、何よりも「人を見抜く能力」「人を見る眼」ではないかと思う。


安部晋三内閣が発足して、九ヶ月を経た現在、先に松岡利勝農水相が「緑資源機構」にからむ汚職疑惑で自殺し、そして、今度は久間章生防衛相が「原爆投下しようがない」発言の責任をとって辞任した。そして、その後任に、小池百合子首相補佐官(54)を充てることを決めた。4日の午後にも皇居で認証式が行われ、正式に就任するそうである。


このたびのこの安部首相の泥縄式の人事を見ても、安部首相の指導者としての「人を見る眼」に深刻な懸念を抱かざるを得ない。少なくとも、前の小泉首相のときは、幹事長に武部勤氏を据え、金融相、あるいは財務相には慶応大学の教授だった竹中平蔵氏を内閣に組み入れて、かねてからの持論であった「郵政改革」断行しようとした。また、作家の猪瀬直樹氏を道路民営化諮問会議の議員に採用するなどしてそれなりに事態の打開を図ろうとした。それらはいずれもきわめて中途半端な成果に終わったとはいえ、そこには小泉純一郎氏の「人を見る眼」というか直覚的な政治的な勘が、小泉氏なりの見識が働いていたと思う。


「英雄のみが英雄を知る」とか「燕雀いずくんぞ鴻鵠の志を知らんや」とか「下僕に英雄はいない」ということわざがあるが、それらは要するに、人は誰でも自分の器量に応じてしか他人を判断できないということである。同等以上の人物については、判断能力は及ばない。これは類は友を呼ぶということでもある。ある人間を判断するのに、その人の奥さんや友達を見ればその人となりがわかるように、安部晋三氏の人としての資質は、安部内閣を構成する政治家たちを見れば大体わかる。そして、今回の新人事で、小池百合子新防衛相を通して安部首相を資質を見てみると、安部内閣の成立以降もこの九ヶ月ウォッチングを続けてきて、残念ながらもうこれ以上に、安倍晋三氏に期待はできないという思いが強い。


しかし、自民党に彼に代わる人材はいない。政界にもいるようには思えない。それほどに日本の政界には、いや政界だけではなく、ちょうど香川県の早明浦ダムのように、日本国全体に真の英雄が、すぐれた人材が枯渇し始めているのかも知れない。これこそ、日本国の真の危機というべきだろうか。


少なくとも一国の国防の軍事指導者は並みの人物で務まるポストではない。高度の見識、経験、能力を必要とする。国民から尊敬され憧憬される軍隊を持たない国家に品位と安定はない。その人事を誤れば、潜在敵国からは侮られ、同盟国からは不信を買い、部下の軍人武官からは軽侮を買って、その文民統治の原則にもひびを入れかねない。安部政権については「論功行賞のお友達内閣」とうわさされてもいるようだけれど、安倍首相の頭の中にある選択肢に、志方俊之氏や森本敏氏などの名前が浮かぶことはなかったのだろうか。人事に同じ失敗は許されない。

「日本国の洗濯」は他の誰かを指導者に選ぶことによって、また、もう少し遠い先の課題として、期待すべきかも知れない。さしあたっては、現在の自民党と公明党による連立内閣与党を、まず野に下して壊し、それを契機に、自民党を結党以前の自由党と民主党に分割分離して、自由主義と民主主義の理念の実現を、それぞれ自由党と民主党に担わせる。それによって、日本においてもまともな政党政治を実現させてゆくことだと思う。来る参議院選挙を日本の政治の再編成の始まりにしたいものだ。日本の政治家たちにも、茶番劇のお笑いはこの程度にしてもらい、子供の政治から大人の政治へと、品位と落ち着きと本当のユーモアの余裕の政治を早く見せてほしい。

 

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