ロドス島の薔薇

Hic Rhodus, hic saltus.

Hier ist die Rose, hier tanze. 

森元首相の戦後教育批判

2008年10月21日 | ニュース・現実評論

<森元首相>「戦後教育の過ち」日教組を批判

自民党の文教族で、総理大臣在任中は、もっとも無能な総理大臣と言われて支持率も最低だった森喜朗元首相が、日本の戦後教育を批判しているらしい。

だが果たして、この森喜朗氏に戦後の日本の教育について批判する資格があるのだろうか。

日教組の教育に対する批判は国民がよく知っている。むしろ、戦後の日本の教育にもっとも責任のあるのは、日教組以上に文部省、文部科学省の無能かつインモラルな官僚たちと自民党文教族政治家たちではないのか。

 森元首相は、世論の尻馬に乗ってすでに池に落ちたイヌ日教組批判をして自分たちの責任を棚上げにする前に、戦後教育のみじめな現実を前に跪いて、まず自民党の戦後の文教政策そのものを文部科学省の役人たちと一緒に反省してからの話ではないだろうか。しかしその反省をするにも能力がいる。

 
<森元首相>「戦後教育の過ち」日教組を批判(2008年10月20日 22時26分毎日新聞)
 自民党の森喜朗元首相は20日、名古屋市での講演で、日本教職員組合について「親や子供を殺すようなことが珍しくもない世の中になったのはなぜか。やはり戦後の日教組教育の大きな過ちだ。それが民主党の支持団体じゃないか」と批判した。同党では、中山成彬衆院議員が同様の日教組批判などで失言をし、先月末に国土交通相を辞任している。  森氏は、衆院解散・総選挙については「(年内選挙であれば)常識的には11月30日投開票になるが、国際金融問題で主要8カ国(G8)などの首脳会合をやろうと、ブッシュ米大統領が呼びかけている。麻生太郎首相も少し悩みが多いかと思う」と述べた。【近藤大介】
 
 
 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

オルフォーさんに

2008年10月20日 | Weblog

オルフォーさん、はじめまして。コメントありがとうございました。たぶん西尾幹二氏の「インターネット日録」のリンクから来られたのだと思います。

あなたは、西尾幹二氏を「興味深い人物」だとおっしゃられていますが、私にはなぜ戦後の日本には西尾幹二氏に類するような人材が少ないかという問題意識に連なります。

ただうかつにも、10月18日の日録を読むまで、西尾氏が大江健三郎氏と同学年であるとは知りませんでした。私の印象では、昭和の政治家の岸信介氏や民法学者の我妻栄氏のような、旧制高等学校の卒業生のように戦前の教育制度の下で成長されたというイメージを漠然と西尾氏に感じていたのです。

しかし、ご自身のブログのなかで西尾氏が「私は大江とは違う意味でだが、むしろ自分を「戦後型」だと考えている。社会科学的発想というものが身についている。階級意識がない。民主主義をとても大事に思っている。」と述べられて、西尾氏がご自分をいわゆる「戦前型」の保守主義者と一線を画されようとしている点にも共感しました。

私も「戦前型」保守主義を無批判に受容しようというのではありません。ただ、戦後が「たらいの水と一緒に赤子も流してしまう」ように、戦前の良き面をも否定してしまった。その結果として戦後は戦前にも劣ることになっているという認識があるからです。戦前の日本の良き伝統はむしろブラジルやアメリカの日系人や韓国や台湾の旧統治国に一部残されていると思います。

現在の日本の文化状況に対して――そのなかにはNHKなどのマスコミも含まれますが、かって三島由紀夫が批判したような愚劣な市民社会文化と衆愚民主主義を国家がどのように批判しアウフヘーベンしてゆくか、この点でも西尾幹二氏は実に貴重でかけがえのない働きをしておられます。いつの日か「ネット文化」の中からも徹底的なマスコミ批判の嵐が巻き起こることを、そして、それがまともな日本の文化文明の復興につながることを期待しています。

最近のアメリカの金融崩壊についても、かねてからグローバリズムとナショナリズム、あるいはパトリオチズムとの関係で、その矛盾が明らかになることは予測されたことでした。

その意味で今回のアメリカの金融崩壊は、アメリカのグローバリズムを無批判に受け入れようとしていた日本の政治に対する一つの警告にはなるのでしょう。ただ、グローバリズムのもつ意義を全面的に否定し去るのも正しくないのではないでしょうか。グローバリズムがこれまで全世界で一定の影響力をもってきたことにも、それなりの根拠や意義があったからだと思います。グローバリズムの意義とは何であったのか、それを限界とともに見極めることも大切ではないでしょうか。

アメリカの大統領共和制はむき出しの「市民社会国家」です。それは経済的には典型的な「資本主義社会国家」であり「市場原理主義国家」として現象してきます。その意味で日本やイギリスなどヨーロッパ諸国の「立憲君主制国家」はアメリカのようなむき出しの「市民社会国家」に対する批判としての存在価値をもちます。
『至高の国家型態』

アメリカの「市場原理主義」に対して日本は「立憲君主制国家」として主体的に批判的に対応してゆく必要があります。西尾幹二氏の小泉郵政改革に対する批判はそうした点に意義もつものではないかと思います。ただ『小泉郵政改革』の意義についての評価の点で私は西尾氏と若干意見を異にするのかも知れません。

民主党に対する失望
小泉首相は英雄か

最近の若者にどのように西尾幹二氏が受け入れられているのかは、うかつにもよく知りません。ただ、立憲君主制国家の保守という点で西尾幹二氏の思想家としての存在価値は極めて高く貴重でかけがえのないものです。

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする