ロドス島の薔薇

Hic Rhodus, hic saltus.

Hier ist die Rose, hier tanze. 

三浦容疑者逮捕 ロス市警会見――正義と国民性

2008年02月27日 | ニュース・現実評論

三浦容疑者逮捕 ロス市警会見 けむに巻く「新証拠」(産経新聞) - goo ニュース

米元捜査官「事件は解決していない」

「ロス疑惑」として騒がれてから、もう25年からになる。1881年にロサンゼルス市内で当時28歳だった妻の一美さんを銃で殺害するように誰かに委託した容疑とかで、ずいぶん社会を騒がせたことがあった。そして今回それと同じ容疑で、元雑貨輸入販売会社社長の三浦和義容疑者がサイパン島で再び逮捕されたという。(この島では多くの日本人軍民が命を失っている。)この三浦容疑者については少し前にどこかのコンビニで何かの万引きして逮捕されていたことがニュースにもなっていたが、すでに関心もなかった。最高裁で無罪判決を受けたことも記憶からほとんどなくなっていたくらいである。

殺人容疑者の本国で、しかも最高裁判所が無罪を言い渡しているのであるから、普通であれば、事件に幕が引かれても当然だった。しかし、ロサンゼルスの警察署には、殺人事件として立件できる可能性をあきらめなかった刑事がいたのだろう。こんなことにも、アメリカのもう一つの顔を見ることが出来る思う。少し持ち上げた言い方をすれば、国民として平均的に正義の観念が強いのだ。聖書国民はそれだけ善悪の悟性判断が強いのだと思う。アメリカでの聖書研究の隆盛を見るがいい。細木数子さんがもてはやされる国とはやはり違う。

日本などからよく銃規制の甘さなどで批判されることも多いアメリカではあるけれども、反面から見れば、それはアメリカ国民の自由と独立への指向の強さを証明していると言える。何事も一面だけを見ては正しい判断は下せない。たとえどんなに銃所有の弊害が大きくとも、そのことで海外からどんなに批判されようとも、自由と独立は銃で守られなければならないと信じているアメリカ国民は銃を捨てることはないだろう。

とくに我が国のように、安土桃山の時代から太閤秀吉によって、武器が武士以外の農民などの民衆からすべて召し上げられた国はアメリカとは対局にある。信長、秀吉の後の400年続いた封建時代の恐怖政治のもとで、民衆の間にはすっかり自由と独立の精神が失われて、事大主義の国民性に変質していったのとは対をなしている。朝鮮や中国など東洋諸国においては、絶対君主の強大な権力の前にして、民衆は自由と独立の精神を育てることが出来なかった。またそこに、国民のイデオロギーとしての宗教の差異もある。

それにしてもアメリカには殺人事件のような凶悪事件には時効がないらしい。あらためて法制のちがいに気づかされる。そして、それと同時に、日本においても、殺人事件などの凶悪犯罪については、時効をなくしたらどうかと思った。凶悪犯罪については、犯人を追及することの出来る条件があるかぎり、追求してゆくことである。日本国憲法を改正する際には当然に刑法の関連する条項も変えなければならないだろうから、そのときには、我が国も殺人犯などの凶悪犯罪については時効をなくすべきではないだろうか。

日本人の犯罪行為について、アメリカの司法当局の追求を受けているのは、何も殺人事件だけではない。日本は「人身売買」でもアメリカ政府から批判を受けている。(2007年人身売買報告書) 日本政府はこうした批判に正当にきちんと反論できるのか。日本の政治家や国会議員は、アメリカの批判が正しいのか誤っているのか、 きちんと検証して、問題があるのなら怠けず仕事をして、率先して国内の犯罪行為にも法の網をきちんとかけて取り締まるようにしてゆくべきだ。

 

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