ロドス島の薔薇

Hic Rhodus, hic saltus.

Hier ist die Rose, hier tanze. 

西澤潤一氏の教育論(2)

2008年02月08日 | 教育・文化

すべての社会改革について言えることは、「破壊はたやすく創造は難しい」ということである。アナーキストやフェミニストたちは、家制度の破壊には成功したかもしれないが、それに代わる、より高い国民倫理の形成には失敗したと言える。そもそも、彼らにはそうした新しい創造への意欲はなく、破壊のみを欲したと言えなくもない。そうした破壊的改革論者の多くはその「改革」の結果に責任を感じない。

この論考で西澤氏が主張されるように、戦後から今日にいたる日本社会の混迷と分裂のその多くは、先の第二次世界大戦の日本の敗北に起因している。それほど先の戦争の敗北は、民族にとって大きな痛手となったということである。

歴史にイフは不可能であるとしても、もしあの戦争がなかったらと考えればどうか。それなりに落ち着いた「品位ある社会」であり続けたのではないだろうか。たしかに、もしあの戦争がなければ、果たしてこれだけ大きな国家的な変革は実現していただろうか。その意味でも、戦後の民主化は、日本国民の主体的な変革ではなく、「外圧」として上からの与えられた民主化だった。

その第一にして最大の問題は、その結果として国民から国家意識が失われるか、あるいは、それにゆがみをもたらしたということことだろう。それが戦前の反動であるかどうか否かその理由を問わないとしても、事実として国民の間から国家意識は失われてしまっている。

もちろんそれが戦後の日本において正しい国家意識の定着を避けることのいいわけにはならない。というのも国家とは何よりもそこにおいてはじめて国民の意志の概念が実現される場であるからである。国家は国民の特殊的な個人の権利などが普遍的な福祉によって調和させられる唯一の条件であるからである。

この要件を十分に充足しない現在の日本の現状が不完全なものであることはいうまでもなく、その結果としてさまざまな問題が生じているのである。この根本を是正することなくして、さまざまの改革は枝葉末節のそれにとどまるし、実現することはないだろう。

戦前の日本の国家形態が戦後のそれよりもすべて優越していたなどというつもりはない。たしかに、戦前には小作制度に起因する農村の貧困問題も存在したし、女性に参政権もなかった。実際戦争の敗北をきっかけとするのでなければ、それらの問題を日本国民が自力で解決できていたかどうかもわからない。

問題は西澤氏が述べられているように、その戦後の日本社会の改革が、太平洋戦争の敗北を契機としていたように、社会の内在的な発展の結果として行われるのではなく、性急でしかも主体的に行われなかったことである。

たしかに一部の官僚たちの間には、「進歩的な」労働法が準備されていたり―――先の南原繁氏などは内務官僚としてそれに少なからず関与していたのであろうが、また農地改革法の試案が作られたりしていたかもしれない。たとえそうであるとしても、戦後の改革が典型的な「外圧」によって行われたのも事実である。日本社会は外圧によらなければ何事も変わらないのである。明治維新も黒船の来航がきっかけだった。

たしかに明治時代にも自由民権運動はあったし、大正時代にも「大正デモクラシー」と呼ばれるような社会的な運動はあった。だから、戦前の日本社会にも、また伊藤博文たちが起草した戦前の大日本国帝国憲法にもそれなりに民主的な要素は含まれてはいたが、いずれにせよ、こうして戦後行われた戦後の「民主的改革」は日本国民によって自力で主体的に実現されたものではなかった。

戦後のGHQの改革の尻馬に乗ってというか、その機会に乗じてというか、戦後の「民主的」な改革に参画した一人に、西澤潤一氏が指摘されたように南原繁氏らがいた。南原氏が戦後の日本の教育改革にどのように寄与されたのかは、無知不明の私にはよくわからないが、南原繁氏らとともに並んで戦後60年の教育行政の基本となった「教育基本法」を中心になって制定したのは、田中耕太郎氏らであった。

この「教育基本法」は日本の教育問題の元凶のように一部の論者から憎まれたが、戦後60余年にわたって持続したのには、田中耕太郎らがこの教育基本法の制定をはじめとする戦後日本の教育の改革にかけた並々ならぬ執念の賜だった。主観的には彼らは、この教育基本法によって、戦前の日本の国家体制を精算しその弊害を是正しようと試みたのである。たしかにそれは一部実現されたと言える。その結果一部の復古主義者たちから批判を受けることとなった。しかし、たとえ戦後の日本の教育が荒廃しているとしても、それは、決してこの「教育基本法」が根本的な要因ではなかった。

南原繁も田中耕太郎もいずれもキリスト教徒であり、彼ら自身はしっかりとした倫理道徳の精神的な基盤をもっていたと言える。しかし、日本国民全体の観点から言えば、民主化とともに共産主義や社会主義思想が流行するとともに、従来の天皇制の権威は失墜し、学校教育の中からも教育勅語などが失われることになった。

とくに共産主義や社会主義の根底にある全人類的な抽象的な平和主義とマルクス主義の階級国家観の影響もあって、ブルジョア国家性悪説とともに日本国民から急速に国家意識が失われていった。その結果として、日本社会にとって従来の伝統的な倫理道徳教育の基盤がなくなっていったのである。そして、今日に至るまでそれに代わる全国民的な倫理道徳規準としての国家意識が形成されるにいたっていない。国家意識の形成なくしてまた倫理道徳の規準も確立されることはない。その意味では現在の日本社会の混乱と紛糾は理の必然として生じているといえる。

 

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