信濃大町あなログる生活

大町に移住で「便利」より「アナログ」へ。薪切り出し、薪割り、薪ストーブ利用、圧力釜、地産地消を目指す生活の記録。

マーマレードケーキ

2015年02月26日 13時45分59秒 | 日記
午後は雨か雪と言うので、午前中にジムして、動き作りにノル歩き。
ぎゅっと詰め込んで、買い物をしたら、帰宅してそのまま籠ります。
チゲ豆腐、もつ鍋など、変わり鍋に成功したので、今日は美酒鍋。
豚肉、鶏肉、砂肝という、変わったラインアップ。
全てを炒めて、野菜を入れて、厚揚げを入れたら、日本酒を注いで煮る、これだけ。
味付けは塩と胡椒。
出汁も入れません。
味を見ながら、ちょこちょこ手を入れます。

お次は、パウンドケーキで、中身はマーマレード。
今度こそ、中央に切れ目が入るよう、やってみます。
オリーブオイル、キビ砂糖、卵、地粉、ベーキングパウダー。
七分焼いて、筋を入れ、40分にセット。
心配なので、15分でもう一度、筋を入れておきました。
すると、見事に真ん中が盛り上がってパカッと。
焼いている間にも、見ておかないと駄目なのだ。

待っている間、明治時代の和装から洋装への変化と、政府の努力を読書。
天皇東幸の際、従者の服装がバラバラだったり、岩倉具視使節団の米国旅行が、
服を巡る珍道中となったり、面白く読めました。
中でも、散髪廃刀の困難は、それまでの歴史を思えば、当然の事。

秀逸は、洋服制服になった兵士と警察官との、たびたびの諍い、というか、大立回り。
明治7年、日本橋で兵士と警察官が争った時、警察官は警棒のみしか持たず、
その後も、いざこざが絶えなかったため、明治16年には、帯剣が許される。
今の拳銃と同じく、身の危険のある場合のみ、抜刀してよいとされている。
しかし、その後大阪の松島遊郭では、兵士側からしかけた「喧嘩」が、
兵士1400人、警察官600人が、サーベルを手に大乱闘となっています。
面白い!
これを収めたのが、元陸軍中尉で現大阪府警部長の大浦兼武が、退役軍人に許された、
陸軍中尉の制服を着用し、馬で駆けつけて、両方の剣を下ろさせたと言います。
制服を着ていがみ合った兵士と警察官が、制服で制される、面白いです。

晴耕雨読、晴トレ雨料理&読、やね。
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どんより蓮華岳

2015年02月26日 07時04分18秒 | 日記
午後から雨だか雪だか、気温次第で何か降ります。
長野市が7度、軽井沢が2度、大町は3度以下なら雪。
微妙だなぁ。

長野県南部でも、緋寒桜の便りが聞こえてきました。
小諸、海野宿辺りからも、ひな祭りエベントのニュース。
勿論、雪など見当たりません。
松川以南には、もう雪なんかないんだなぁ。
だって、週末はもう3月ですから。

「東風吹かば、思い起こせよ、梅の花、主なしとて、春な忘れそ」
だったように思いますが、菅原道真公も、春に思いを巡らせました。
雪国では、殊更に春を待つ気持ちが強いのも、当然のことと思われます。
事実、庭に積もった雪を見ながら、次の南風を待っています。
我が家の庭には、まだ、何の木も植えていませんが、
春以降、山法師やジューンベリーなど、徐々に植える予定。
そこに、鳥が遊びに来てくれることを期待しております。
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安曇族、続編

2015年02月25日 16時26分43秒 | 日記
朝の内、アルプスはこんな感じで、真っ白。
午後に向け、晴れて来たけど、晴れ間は短く、3時以降は曇ったり晴れたり。
そんな中、図書館へ行って、更なる安曇族の本を借りました。
前の本では、今一つ判然としなかった部分が、ちょっと分かりました。

長江南域に国を構えていた呉の国が、越と闘って敗北し、海を渡って来たのが始まり。
九州の志賀島周辺に居を構えて、越への復讐を誓いながら、水軍として、
漁民の総代として、ポジションを築き上げて行きます。
で、例の「倭奴国王」に与えられた金印は、この安曇族だったということになっています。
その時点を中間点として、前後500年(BC500-AD500年)が、この地での隆盛期とされています。
信州安曇族は、AD100年に今の松本平へ来た記録があり、分派は早かったようです。

安曇族は、水田の技術、造船、航海など、進んだ技術を持ち、
弥生時代を作った人々ということらしいです。
元々海人だったのが、信州と滋賀県では、陸に上がったようで、
海にちなむ地名や「あずみ」が音で残っています。
居住を決めた安曇族は、大陸から技術者の移住を手助けして、
金属、陶工、養蚕などを、列島にもたらしました。

越がBC334年に、楚に滅ぼされてからは、今の商社のように、
輸入や人の移住に手を貸して、栄えて行ったようです。

今回の本の方が、一般人には分かりやすかったなぁ。
ここで「呉越同舟」の語源に出会うとはねぇ。
それまでに居た、縄文人と外観は違った人達だったようですが、
その後、混じり合って、今の日本人の原型となって行ったとありました。
日本は、歴史が長いわぁ。

明日の予報は、午後雨、しかも沢山降るって言ってます。
雪融けろ~!
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壊れる社会

2015年02月25日 11時01分25秒 | 日記
マークス寿子さんの『日本はなぜここまで壊れたのか』を読んで、そうだろうな、と納得。
著者は、ご自身が弱小と呼ぶS大学で、教授をしながら、
日々学生とその親の様子に、呆れながら過ごしておられる。
知る限り、以前の大学進学率は、日本は30%程度で、それでも高いと。
ところが、今では18歳年齢の60%が大学に進学。
子供は減っているのに、大学の数は増え続け、総数は全国に700近い。
そうなると、学生集めに各校が必死で、オープンキャンパスをしてお土産まで出す。

で、どうなるかと言えば、私立大学の三分の二が、偏差値50以下。
将来が見えない、学習意欲の低い、目的意識もない、そんな学生達。
勉強は嫌いだけど、大学で時間を稼いで、なんとかならないか、そう期待している。
親も、大学に居る間に、奇跡が起こらないかと願う。
子供のころから、勉強を「強制せず」、放置して育てておいて、
学校や大学に「躾しろ」と、半ば強制する親たち。

家庭では親が何もかも準備して、手伝いも自分の事すらしていない、
そんな学生を、英国留学させると、洗濯も出来ず、朝起きれず、授業にも出られない。
それを現地の日本人教師たちが、起こして学校へ送ると言います。
英語のレベル別で、一番下の学生は、中学一年で躓いて、
それ以降、教室のお荷物となって、それでも大学まで来てしまっている。

欧米の先生方は、遅れている子供の教育に、大変熱心な方が多いので、
こうした学生でも、懸命に教えてくれる、というのは大変よく理解できます。
だが、しかし、です。
朝起きるとか、家事を手伝うとか、親が養育を放棄していることは、見逃せない。

この次、どうなるかと言えば、大学卒業後、実家を出た息子から、
ある日、電話がかかって来て、まんまと詐欺に引っかかるのです。
キチンと子供と向き合わず、子離れをし損なって、
息子の声も、心映えも、分からなくなって、新幹線で東京まで、大金を届けに行く。
成人している息子であれば、「自分の事は自分でやりなさい」
それで終わりです。

20年以上前から、「家ではいう事を聞きませんから、先生が叱って下さい」はありました。
それが、とうとう大学生まで来た、という事です。
原因がどこにあるかは、明白です。
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朝焼けで、今日は曇り?

2015年02月25日 06時52分01秒 | 日記
天気予報は、今日一日曇り、で確かに、雲が広がっています。
下り坂と言いつつ、その速度はゆっくりだと、雲の動きで見ました。
洗濯しつつ、PCをオンにしたら、外部コンセント無効・・・・。
カメラもマウスも繋がりません。
再起動数回で、今度はワイファイと繋がらない。
再び再起動して、モタモタ。
漸くつながった瞬間に、洗濯終了。
何やねん、このタイミング。

温かくなって、ご親切に花粉情報とか言ってます。
黄砂も飛び始めて、長野はまだ大丈夫とのこと。
昨日の3Kは、黄砂、花粉、寒暖差、なんだと、昨日学習しました。
三寒四温でもあるし、実際、毎日日替わりで天気は変わります。
予報も、観天望気も、大事。

大町は、東京や大阪と違って、空が広いので、しっかり見られます。
アルプスは真っ白で、見えませんが、雪ではなく霧でしょう。
明日は雨の予報で、雪融けが更に進みますように。
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