丸顔おばさんのブログ

すべての問題は「心」に通ず。
リンドウの花言葉は「悲しんでいるあなたを愛する」「正義」「誠実」

人は結局、自分の信じたいものを信じて選択するの。だから自分も他人も責めなくていいの♡後悔も不要よ。

2021-07-18 14:34:54 | 心の解放シリーズ
毎日ワクチンについてのいろんな情報が出てくる。

わたしもせっせとブログに書いている。

なかには実績ある専門家のエビデンスにもとづいた発表もある。


イスラエルの失敗-医師が明らかに深刻なコロナ症例の80%がワクチン接種


英国公衆衛生サービスワクチン接種を受けた人は、デルタ株で死亡する可能性が3倍高くなります


接種が進んでいる国がこう発表していて、

日本の厚労省の副反応疑い報告もある。

で、いろいろ総合すると、ワクチン、危ないなぁ、もはやメリットが感じられず、
リスクが高すぎる、まるでロシアンルーレットや、という結論に、私自身は至るけれど、
そんなことは、ひとりひとりが自分で決めることなんだよなとつくづく思う。

「エビデンスがある!」なんていって水戸黄門の印籠のようにふりかざして、いろんな人が好き勝手いってるけれど(私もその一人か?w)、
結局、専門家のみなさんですらも、自分が信じたいことを信じている。

だからエビデンスなんていったってあんまり意味ないなって最近は思う。
科学の世界は、でたらめエビデンスが多いのは知ってたけど、もはや正確なエビデンスであったとしても意味をなさない状況だ。
みんなが信じたいものを信じ、選択するわけだから。

人の脳とはなんてあやふやで恣意的に動いているんだろう。
(ここにカルトがつけ込むんだな~)

ということで、自分の信念が決めるの。結局は。
科学的根拠じゃないんだ。
「ワクチンは、メリットとリスクをはかりにかけて決めましょう」というけれど、
人の、なにかを選択するときの心理というのはそういうふうにはできていない。
医者や研究者ですらこんな感じだから、一般人はなおさらだ。

というわけで、人によっては、危険と分かっていても「打ちたい」なら打つ。

ある人は「政府が打ってくださいと言うんなら、打つ」と自動的に思う。
私の書いているようなネットからの情報は、厚労省の発表だろうが、科学者の発表だろうがピンと来ないし、自分の中で不採用、スルーという感じ。
実感がわかないんだろうな。
いっぽうで、テレビのいうことは、納得できるようだ。

ある人は、自分の所属しているスポーツのサークルで仲間外れにされたくないという。
ワクチン打って、心置きなくスポーツを楽しみたいという。

でもおばさんは知っている。
このサークルの方は、お仲間に気に入られたい、認められたい、愛に飢えた方なんだ。べつにそれがいけないといいたいわけではない。そういう心の状態だということだ。

この方は、母親に虐待されて育っている。
親からもらえなかった愛を、別の人から得ようと行動する。
自分より年上の人を親と重ねて。愛を渇望しているのね。
だからものすごく依存的に人と関わる。
支配されてもうれしいという感覚なの。
(こういう感じだと詐欺にもあいやすい。でも無意識のところで騙されることにも合意している。騙されてるとしても関わりたいわけだ。さびしいわけだ。愛がほしくて)

人は、ほしかった愛が得られなかったら、どこかで取り返そうとしちゃうの。無意識のうちに。

それが老後のサークルの年上の人だったり、結婚相手だったり。

で、話聞いてると、その方のサークルのみなさん、ものすごい支配的なじじいとばばあなのw 
おばさんなんかは話聞いてるだけでめまいがするんだけど、
それでもその人にとっては、そこで認められることが生き甲斐というか、命なのね。
ここで仲間外れにされることは、もう死にたいくらい悲しいことなのね。

だから、こういう状態になっていると、もうコロナワクチンは科学的に危険だと判明しているよ、なんて教えてあげても困っちゃうし、最終的にはそれでも打ちたいと結論を出す。

人と依存関係、支配関係にある人ほど、冷静な分析や判断はムリなんだ。
(科学者にもこういう人いるだろう。それもエビデンスが信用できない理由の一つだ)

そして、この状態の人は、自分の意思がないんだ。

だって他人に認められることがすべてだから、他人の目や他人からの評価を中心に生きている。
人に従って、それで愛されるなら、自分を犠牲にしてでも従うんだ。

他人:自分

心の中のこの割合で「他人」の割合が高いほど「自分」の分量は少なくなる。そして、苦しい人生となる。
他人の目や評価中心で生きるとは、つまり人と支配関係、依存関係になるから。
で、思考ばっかしてると「他人」の割合が多くなるの。
思考をちょっとやめて、
自分の感情を感じていると「自分」の心が中心になっていく。すると、「こうしよう!」って自分の意思が自然に勝手に出てくるの。これが意思の正体さ!

だから、「他人」や「思考」に囚われていると気づいたら、いったんとっぱらって、「自分の感情を感じる」ことシフトすることが必要なんだけど、

そうはいっても、こういう状態になっている人は無理にやせ我慢して、心の中の「他者」を断ち切ることは難しい。
なぜなら、過去に傷ついた感情がいっぱいたまっているからだ。
これが全ての言動の原因というか、それがその人の「信念」となっている。
そこからみんな思考して、選択したり行動したりしているんだ。

だからこの感情を見てあげる、感じてあげることなんだ。感じてあげると、涙が出たりして、ほどけて、浄化、循環していく。
やり方:

参考:

誰でも、いい人と思われたいとか、期待に応えたいとか、思うものだけど、まずはそういう気持ちになってるんだねって気づいてあげることだ。
で、その気持ちをそのまま否定しないで感じてあげることだ。
これらはつまり、愛がほしかったわけだから。
「愛がほしかったんだね」って。そうか。そうか。って。

感じてあげることが、自分を愛することなの。

で、愛は他人からもらうものじゃないの。ここが勘違いなの。

愛がほしいなら、自分が自分を愛するってことなの。
これをやらないと、人が愛をくれても満たされないの。

自分の感情を感じて。すると、人とも心が通う関係が築けるの。すると人からも愛されるの。

愛をくれー!と要求なんかしなくても、自分の感情を感じていると、人とも愛が循環して満たされるのね。
要求だけしてもムダなのよ~w 相手束縛してもムダなのよ~w
そのうえ、戦っちゃうともうダメなのね~w
このあたりがおばさんが夫婦や恋人関係の在り方に疑問を感じる理由だ。

だから、他人から愛を得ようとして、人に依存・支配していたわけだけど、こんなふうに自分で自分の心を感じて愛することを覚えると、だいぶそんな他者依存的な愛をくれー!と渇望する気持ちが落ち着くの。なくなっていくの。そういうことではなかったのねって。

そこでやっと、少し、冷静に、世の中でなにが起きてるのか調べてみようかなぁという気になるのかな。人によっては。すると、じっくり自分の感覚を感じて、判断したり、意思が持てるようになっていく。


また、政府や大企業や、力あるものに従っているのが安心という方も、たくさんいらっしゃる。
落ち着くみたいね。心理的に強い力に守られて安心って感覚なのね。
これも自分の意思よりも、権力という他者が中心だから、最初から自分を他者に明け渡している感覚ともいえる。支配を望む心理だ。べつに悪いといいたいわけではない。そういう状態だ。

ただ、その力ある者によって、先祖は戦争に行かされた。
自分自身もバブル崩壊からの不景気でずいぶん財産を搾取された。

それでこのたびのワクチンを自らの意思で接種し、接種後、いろんなことが起こる可能性はある。

専門家が警鐘をならしているとおりに自然免疫が破壊されてしまうならば、将来カンタンな病気で致命的なことになる可能性もある。
数年後、何が起こるか、不明だ。

でもそうすることで本人は心が落ち着くわけだから、接種を選択する。

こういう方に、厚労省のデータとテレビの報道がちがいまっせと教えてあげて、

あんまりコロナ、心配いらないと思いますよと言ってあげても、スルーしちゃう。
それがその人が大好きで従いたい、政府発表の公式データであったとしてもだ。
先に「打ちたい」という思いがあって、そう選択するので、それに反する情報ははじいちゃう。

こういう心のメカニズムがあります。

で、おばさんは、たぶんこの人は言ってあげても接種すると言うだろうな~と、話す前からだいたいわかるの。
でも一応、情報として言うことにしている↓

決めるのはあなたで、自由だけど、こういうことになってるみたいですよ~と。

それで上記、サークル仲間に認められたい方は、案の定、接種すると言っていた。
そして、その方、脳の血管にちょっとトラブルがあるので、このワクチンは血栓や出血で亡くなっている方が多いので、その方はリスクが高いと思われるんだけど、
それでも打ちたいということだった。

分かっていて、仮に死んだとしても、それでも打ちたいというお気持ちだった。

おばさんは、この方がそう言うだろうことは分かっていた。
ただ、言わないで、何かが起こると、自分があのとき言ってあげれば結果は違ったかもと後悔するので自分のために言う。それだけだ。
言ってあげたけど彼女の選択だったんだと、あとで自分を納得させるために言う。相手の自由を認めながら。

だから、結局、本人が自分の信念や心や感覚にもとづいてすでに決めているから、言ってあげても言わなくても結果は同じであることもたくさんあるってことなの。
エビデンスがあろうとなかろうと。
だから「自分がもっと言ってあげてりゃ、あいつは命を落とさなかった~」と後悔したり、自分責めたりする必要はないよといいたいんだ。
また「バカヤロー、なんで危ないワクチンなのに打つんだ」と相手を責めてもムダということだ。

もちろん、情報を教えてあげることで、本人の選択がよりよく変わる場合もあるから、それはそれでよりよい選択に繋がったなら喜ばしいので、一応、教えてあげるけどね、わたしは。
その場合は相手のほうも聞きたがったりして、こっちもすんなり言えるんだ。
相手が拒否してると、ものすごい言いにくいの。なんか、オーラ出してるんだね。
こんなふうに人と人は言葉以外で交信している部分があるんだ。
だから言えずに亡くなったりした場合は、その方が言わせなかったのかもしれないんだ。

相手の自由を認めながらねというのはこういう心の仕組みがあるからだ。


そのサークルの方は、お子さんがひきこもりだ。

接種の予定日をすでに決めていて、予定を変更すると子どもがあばれるそうだ。

人はだいたいどこでも、誰とでも、同じパターンの人間関係を築く。

サークル仲間とも支配関係。夫婦関係も支配関係。当然、こどもとも支配関係。
ならばお子さんがひきこもりになるのも、当然の流れなんだ。

夫婦、嫁姑のトラブルでの不機嫌を全部こどもに当たり散らしてきた。
こうして子どもを精神的に虐待した。その方もまた親にそのように虐待されて育っている。

自分が何十年もかけてつくりあげた現在の状況だ。その結果を今、受け入れている。
ワクチン打つかどうかも、サークルの関係、子どもとの関係、夫との関係、そういうので決めている。その方にとっては、そこにエビデンスなど入り込む余地はないんだな。
(同調圧力で打たざるを得ないという方は、そういう心理や職場の支配関係の強弱が関係しているんだよね)

私はどうすれば状況が楽になるか、ちょっとわかったので、彼女を救うことを何度か試みたけどダメだった。本人が拒否しているのがわかった。
ひきこもりについて:

だから、軌道修正できたとしても絶対したくない心理というのがあるんだ。
とうていムリで、本人が苦しみを最後まで経験したいという場合もあるんだ。
軌道修正は支配から抜けることだから、そこに恐怖や抵抗が強ければ、よかれと思って手を差し伸べても、逆にものすごい勢いで攻撃されるんだ。
この状態だと、もうそっとしといてあげることだ。破滅すると分かっていても。
命がかかっていてもしかたないんだ。
相手の選択を認めることだから。最後まで経験させてあげることだ。それが愛なんだ。

誰でも自分のしてきたことの結果を経験し、味わうことになるんだ。
これが「自分が選択したことは、自分が責任を取ることになる」ということなんだ。
これを邪魔することは、だれにもできないのね。身内であっても。命がかかっていても。
経験して納得するってことをやりたいのね。心の深い部分で。

魂的に、どうしても、苦しいパターンを最後まで経験したいって場合もあるのね。

みんな忘れているだけで、今回の人生だけにとどまらない、壮大な魂の歴史や流れというものが、誰にでもある。
私にあるので、みなさんにもあるはずだ。

だから、これからいろんなことが起きて、

「あのとき、私がもっと言ってあげていれば」とか「力づくでも止めていれば」と後悔の念に苦しむ方が出てくると思われる。

でもそれは言ってあげたとしてもたぶん、本人がそう選択していた可能性が高いということだ。
自分の信念に基づいて、みんな選択しているから。

それはその人がこれまで長年にわたって経験してきた感情の実感なの。

ここから思考したり選択したりして、みんな自分の人生を作っているの。


でも、これをさらによくしたいなら、よくする方法もわかったね!
要は、自分の感情を感じてあげることだ↑。それが愛だからさ。


あ、苦しみ抜いている方もね、いつかかならず抜けるチャンスを自分でつくるんだ。
それは今回の人生ではない場合もあるんだ。
そういう力がだれにでもあるの。
だから死んじゃったとしても、ながーい目で見てあげることが大事なの。

だから自分いじめて死んじゃってバカだ、って思わなくていいんだ。その後があるからさ。
私自身がバカみたいに死んだことがあって、今元気に生きてるからさw


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