おばさん毎日、いろんな方のブログ、動画、ツイートを見て情報を得ている。
そして、これは!と思ったものを引用させてもらってまとめて、自分の考えや気持ちを好き勝手、自分のブログに書かせてもらっているわけなんだけど、
最近、情報発信されている方たちの心がだいぶ揺れているなぁと感じてせつなくなるんだ。
今、いったい世界で何が起きているのか、たしかな情報がないだろう?
例えば、DSの重鎮の逮捕の話。逮捕されたっぽいという情報がちょっと出るけど、確認まではできないわけだ。
それであるユーチューバ―の方が、いまだ情報が出ないのでデマでしたと謝っておられるのを見た。
しかし、デマかどうかもまだはっきりわからないのではないか?とおばさん思った。
その方はその逮捕情報の動画を配信したら、だいぶ妨害コメントが来たようで、「嫌な方は見ないでください」ともおっしゃっていた。
だいぶストレスだっただろうと思った。
またある方は、トランプさんが新党を立ち上げるという話をいちはやく発信されていたが、最近、トランプさん側の顧問がこれを否定した。それを受けて、トランプさんを責めていた。トランプはよくウソをつくので信じられんと。
どうもトランプさんは弾劾を前に共和党員に圧力をかけるために、新党の情報をちょと出してカマかけた可能性が濃厚だ(これについてもあとでまた書こうと思う)
また、「新党はどっかの誰かが勝手に立ち上げたものだ」という右翼の人のツイートを取り上げて、自分はこんなのも真に受けないとおっしゃっていた。
私は真実とかウソとかよりも、その方が今、人を責めたり自分を責めたりしている心境にあって苦しいのではないかなと、勝手に感じた。
人を責めているとき、実は自分のことも責めている。
自分を責める人は、人の事も責めている。
人に対する態度と自分に対する態度は同じなんだ。
そういうふうにできているんだ。われわれの心は。
だから責めなくていいんだ。誤報が出たとしても。自分がそれを発信しちゃったとしても。似非右翼のプロパガンダやトランプの策略を見抜けなかった自分を責めるな。
今はこういう時なんだ。一般人に見抜かれるような策はトランプは繰り出さないだろうからな。
あなたが取り上げたそのツイッターの右翼工作員はなかなかのやり手だ。
今発信してる人のほとんどは工作員で、半分くらいはDSのプロパガンダなんだと認識しながら情報をいただくことだ。
今は、こういう状態だから安易に飛びつくと幻惑されて当たり前なんだなぁと、自分をいたわってあげてくれ。
責めるともうダメなんだ。反対だ。OKしてくれ。まずは自分自身を。
おばさん思うけど、「今はこんな状況だから確認がとれないんだけど、自分はこう思うんだ」って言ってから発信すれば何の問題もないと思うんだ。
「自分は真実を伝えます!」なんて宣言しちゃうと、誤報だとわかったとき、つらいだろ?自分としてはもちろんベストを尽くしていただけに。
自分の責任は自分で決めていいんだぞ?
「ベストは尽くして情報収集・分析してるけれど、今は情報が出なくて確認がとれないから、間違ってる可能性もあります」と言っておけばよい。
これならお互いに楽ではないか。聞き手もそのつもりで聞くし。自分も間違っていたとしても責められなくて済む。あれは憶測だと言ったうえでの発信でしたと。
聞き手のみなさんも憶測であっても助かるはずだ。
こんな可能性があるんだ!と知ることで絶望しなくてすむんだから。
トランプもな、あいつらと最前線で戦っているわけだ。
肩を持つわけではないが、今は100%まっすぐ真実と善だけでやるのはまだムリというものだ。
やつを責めても仕方ないとおばさんは思う。
はっきり言って、駆け引きの連続だ。
政治家は勝たなければ、なにもできないわけだ。
選挙はもちろんのこと、弾劾やら、ナントカ疑惑やらなにやらあいつらの仕掛けてくるいろんなワナをかわして勝たないと、DS退治もなにもできないわけだ。
そのためなら、前言撤回したり味方をも欺くウソをつくこともやるだろう。
ワクチンだって毒と分かっていても、DSがまだ力を持っているうえに、民衆がDSに騙されてワクチンを望んでいるなら撤回できないだろう。
コロナのことも真実を知っているとは思うけど、あいつらがコロナを利用して全体主義に持って行こうとすれば、阻止するために「コロナはたいしたことない」と言ったり、また、中国に対しては、ヤツラがばら撒いた犯人であるから、「よくもこんな危険なウイルスをばら撒いたな」と言うだろう。
これをコロナに関する発言が二転三転しているといえばそのとおりだ。
だから真面目な方から見れば、不誠実に見えるだろう。
(私はトランプを善人に導くのは民衆だと思ってるの。DSの闇に気づいてみんながこういうことやられていたと気づいて立ち上がるごとに、トランプもいい人になっていく。なってきた。トランプ自身身内にDSがたくさんいるなかでやっている。)
そんなトランプの発言を言葉のままに真に受けて、自分が情報として発信してしまったなら、またウソいいやがってと恨みたくもなるだろう。
今はそういうときだ。
本当の事が言えない。
こんなようなこと↑になっていそうだけど、そうだとしても発表できないわけだ。
ひょっとしたらこんなようなこと↓をしているかもしれないし。
だからそのまま「未確認だけど自分はこう思うんだ」と言えばいいと思うんだけど。
デマもなにも、自分の予想や意見として発信すればなんの問題もないだろう。
ワクワクして楽しいではないかwww
おばさんは真面目一本の発信よりこういうのが好きだ。妄想は自由だからな!
しかもその妄想が当たってるかもしれないなんて、楽しいではないかwww
個人が発信するおもしろさはこういうところにあるのではないだろうか?
プロのマスコミの人たちは事実を伝える責任があるだろうけど、(今はそうじゃなくなっちゃたけど😠 )、個人は自分の憶測や気持ち中心でもいいのではないか。そう前置きすれば。自由なんだから。
責任って、自分で選んでいいんだぞ?
できないことは選択しなくていいんだぞ?
責任って聞くと、なんか重いような、かったるいような気がする。
それはたぶん、責任を過剰に考えているからだな。
責任感のある子供に育てる:子供への最高のプレゼント動画説明欄より転載させていただきます。赤、おばさん追記。青、おばさんつぶやき。「あの人に任せておけば何とかしてくれる」そのように思われている人は、周りの人たちから信頼され、チームリーダーとして活躍します。その信頼の源となるのが責任感のある言行一致した行動です。
それとは逆に、「あの人はやること為すこといい加減で、後ではぐらすから信用できない」という無責任な人もいます。そのような人に対しては、安心して仕事を任せることはできません。
子供の成長過程で、親の教育の影響を最も受けるのが責任感です。子供の特性には、どんなに親が努力しても変えることのできない特性もあれば、親の努力次第で如何様にもなる特性もあります。その中で最も親の教育の影響を受ける特性が責任感であり、もしも子供が成長して大人になった時に、「責任のある行動ができる社会人」になっていたとしたら、「子育ては大成功した」そう言っても過言では無いと思います。
例えそのお子さんが、生まれつき欲望が強くしかも利己的な性格であったとしても、しっかりと教育して責任感を身に付けることができたとしたら、周りの人たちからは一目おかれ、社会の中で立派に生きていくことができると思います。
責任感のある人とそうでない人との行動の違いについて、深く考えてみましょう。
暴力を振るって逮捕された犯人が、傷の処置を受ける為に、病院の救急外来を受診することが度々あります。大抵の場合、目付きの悪い横柄な態度の犯人が、強面(こわおもて)のがっしりした刑事に連れて来られます。診察室に入って来た犯人と刑事の2人を見比べて、どちらが犯人でどちらが私服刑事なのかを顔付きや体型を見ただけでは区別することはできません。話す言葉がぞんざいなのが犯人で、敬語を使えるのが刑事であり、話す言葉を聴いて初めてどちらが犯人なのかを区別ができる、ということがよくあります。犯人も刑事も、同じような性格であり、同じような価値観を持っているということが、顔の表情から見て取ることができます。 それもそのはずであり、犯人の気持ちや行動パターンが理解できなければ、刑事は犯人を捕まえることはできません。刑事が、犯人と共通の価値観を持つことができるので、手口を推測したり、犯人と心の通う言葉のやり取りができるのです。
〈おばつぶやき〉
おばさんも毎日、あいつらの手口、策略を見抜こうとしている。やっぱりね、悪いヤツになりきると、ちょっと分かるときがあるの。
でもご存じのとおり、あいつらって、ふつうの人の理解を越えた、悪、変態、残虐、そういうのが当たり前のヤツラでしょ?
だからふつうのおばさんにはムリなところもあるんだよね。とくに変態のところね。
でもだんだん慣れてきちゃったのw
そしてあいつらが不正選挙やってくれたおかげで、だんだんDS当たり前の雰囲気に世の中がなってきちゃって、なんだか本当に滅びそうだからやめるにやめらんなくなっちゃってね、しょうがないねw
でも、あいつらになりきったら、素の自分に戻るように気を付けてるの。
じゃないと、自分もあいつらみたいになっちゃうからねw
生まれつき犯人と刑事と同じような価値観を持っていたとしても、責任感がある人が刑事になり、責任感が無い人が犯人になるように思えます。
同じことがハッカーにも言えます。ハッカーによるサイバー攻撃を防止する為に、ホワイトハッカーと呼ばれるセキュリティのエキスパートがいます。責任感がある人がホワイトハッカーになり、責任感がない人がハッカーになるのです。
〈おばつぶやき〉
あぁ。責任感かぁ。おばさん、責任感、あるかなぁ。
あいつらは責任感なんてないからね。
いかに自分らは責任をとらずに民衆にすべてを押し付け、搾取し支配するかに命かけてるからwその仕組みづくりこそがDSの歴史なわけだ。
そもそも前提が一般人と違うわけだ。
例え同じ性格の子供であったとしても、幼少期に強い責任感を植えつけるような育てられ方をされたのか?それとも責任感を植えつけられないように育てられたのか?将来の方向性がそれで決まってくるのだと思います。
刑事も犯人も本質的には同じような価値観を持っているということであれば、酒を飲んで警察官が不祥事を起こすのは、アルコールにより責任感の抑圧から開放されて、本能が露わになるためであり、警察官が飲酒してトラブルを起こすことが珍しくないのは仕方ないことなのかも知れません。
〈おばつぶやき〉
この刑事はさ、責任を重たく考えているよね。だから酒で開放されたときに不祥事を起こしちゃうわけだ。刑事に限らず、そういう人、多いだろう?
日ごろ、ムリして我慢して責任果たしているわけだ。責任を過剰に考えているんだ。
まず、相手がある場合には責任の範囲を見なきゃだめだ。
この人たぶん、仕事のときだけでなく、家庭でも他のところでも、自分の責任を過剰に考えていると思うぞ。
これだと人がとるべき責任にまで手出し口出ししちゃうんだ。
だから、酒を飲んで不祥事起こすんだ。そうやって一気に滞ったマイナスエネルギーを解消する機会を自分自身が無意識に作るんだ。
これだと犯人との関係も依存関係・支配関係になる。相手に入り込みすぎなんだ。凶悪犯と依存関係、これはきついぞ。
犯人のためにもならないしな。ヤクザと依存関係の刑事とか、よくドラマに出てくるよなwそういう激しい人生になる。
実は責任の話もこの話に繋がってくる↑
刑事であっても適切な責任の範囲が見えている人は、凶悪犯に対峙したとしても犯人に入り込みすぎないで自分を保ったまま、依存させないで、更生へ導くことができるだろう。
こいつらみたいに。あっさりしてるようだけど、こっちのほうが愛なんだ。
こいつらは仕事がないときには紅茶をのんだり、遊んだりしている。窓際で。
自分で責任を選択している。やりたくないときにはやらない。
やんなきゃなんないときはやる。
責任を自分で決められる時は、自分で決めていいんだ。やるか、やらないか、どのくらいやるか、半分やるか。少しやるか。
相手がいるときには相手と相談して決めればいいんだ。その話し合う時間こそが愛だ。
むりやり命令するのではなく。押し付けるでもなく。お互いにどこまでならできるか、話合って決める。
そうやって責任を決めれば、快適だ。だから紅茶飲んでリラックスしていられる。
自分の感情を感じていると、人の心も感じられるの。
だから推理も冴える。(刑事じゃないふつうの人もいっしょだよ♪)
犯人にも向き合うときは向き合うけど、過剰にくっついて依存させない。
本当はそれが愛なんだ。
現場が上手く回る為には、責任感のある人がリーダーとして切り盛りする必要があり、責任感が希薄な人たちを上手くまとめることで、スムーズに事が運びます。そして、無責任な人たちをしっかりと監視して、ミスや抜けが無いようにチェックをすることで、問題発生を事前に回避することができるのです。
〈おばつぶやき〉
いいリーダーとは、責任の割り振りが上手なリーダーだ。
ただ割り振るのではなく、どのくらいならできるのかを言わせたり、できなかった場合は早めに言うように、とか、できなかった場合どうするか、とか考えさせる。
そうやって自分の責任を果たせたら、本人はすごくうれしいはずだ。
そういうふうに育ててあげることができるはずだ。
ただ押し付けるではダメだ。
経験の少ない人にも、できる責任を果たさせてあげることで、育ててあげることができる。また責任の量や範囲を話し合う機会を作ってあげる。話し合うことを教えてあげる。
そうすれば経験が少なくても怖くないはずだ。周りの人も困らないはずだ。助け合ったり話合ったりする雰囲気の職場になるはずだ。
こういう視点がブラック企業にはないだろう。
無責任な人たちは、現場で責任ある行動をとることに窮屈さを感じるため、仕事をいい加減にやるだけでなく、できるだけ仕事を他の人たちに振ろうとします。仕事は手を抜いて適当にやり、上司に媚びへつらうことにエネルギーを使うことで、仕事ができないのにもかかわらず、出世街道をグングンと登りつめます。「上手く行ったら自分の手柄、上手く行かなきゃ部下のせい」それが彼らの生き方なのです。仕事を任せることができずに、管理職しか務まらないような役に立たない人材が、企業のトップを勤めているようなぬるま湯のような組織が、世の中には沢山あります。
〈おばつぶやき〉
こいつらがこうなっちゃったのは、責任を果たす気持ちよさを教えてもらってないからだと思うんだよな。
例えば、新人のころ、支配的な上司から自分のキャパを越えた仕事を押し付けられるだけであった、とか。責任の範囲や量を話し合うときの、心の通う感覚とかの経験がないはずだ。
自分がかつてやられたことを人にしているんだ。
おばさんにいわせれば、この世のほとんどの会社、職場はブラック企業だ。
そうなっているのは、家庭で子どもの頃に、責任について教えてもらえなかった人が大半であるからだ。親もそのまた親も、できてないってことだ。
まだ人類全体が責任についてもわかっていないってことだ。
われわれは幼稚園児みたいなレベルだ。
国会議員の先生方は人気投票で選ばれるわけであり、周りの人たちに媚びることで当選します。私の知る限りに於いては、議員の中には「適当にやって上手くはぐらかす」ということが唯一の特技であり、落選したら他に就ける仕事が無いような無能な人たちが大勢います。
そのような烏合の衆の中では、自分の人生をかけるだけの納得できる仕事はできないと考えてなのか、国会議員を辞めて知事などの首長として采配を振っている責任感溢れる人がいます。
〈おばつぶやき〉
とくに2世3世政治家のみなさんはそもそもDSの方が多いので、ご家庭が、さっき書いたように
「あいつらは責任感なんてないからね。
いかに自分らは責任をとらずに民衆にすべてを押し付け、搾取し支配するかに命かけてるからw」
こんな感じになっている。
まずこどものときからお手伝いさんや秘書がすべてをやってくれる。
すると、自分で自分の責任を果たす喜びや達成感を得られないで大人になる。
すると、どんどん堕落していく。
自信や自己肯定感などはまったく育たないだろう。
自信のなさ、否定、無力感、親の支配への仕返しの気持ちもあって、どんどん問題を起こしていく。
かわいそうだ。
お金持ちやエリート、政治家のこどもが堕落してしまうのはこういうことだ。
だから、責任を適切に果たすってことはとても大切なんだ。
問題は責任の範囲と量だ。
責任感があるということをひと言で言い換えますと、「自分の口から発した言葉をしっかりと記憶しており、その言葉に反しないような言行一致した生き方をしている」ということです。 無責任ということは、「自分の口から発した言葉には興味が無いため直ぐに忘れてしまい、その場その場で適当にはぐらかして生きている」ということです。
自分の口から出た言葉をしっかりと記憶しておいて、言行一致した生き方をすることは、とても窮屈なことだと思う人もいるかも知れませんが、隠し事する事なく胸を張って堂々と生きていける清々しい気持ちは、何物にも変えることはできません。
本日は、どのようにしたら、自分の子供を責任感のある大人に育てることができるのか?というお話しをしたいと思います。
こんにちは、Dr.Yです 正義感とは、不正を憎み、正義を尊ぶ気持ちのことであり、自分が正しいと思ったことを通そうとする気持ちのことです。正義感が強い人というのは自分なりの信念を持っているため、自分は良かれと思っている独りよがりの正義感を振りかざします。時には他人を傷つけてしまうこともあり、正義感は幸せな生き方とは言えません。コロナ禍に於ける自粛警察や誹謗中傷も、心ない正義感により引き起こされているのです。
それに対し、責任感とは、自分の言葉や行動に対して責任を持つような言行一致する生き方を指します。自分の口から出た言葉をしっかりと記憶し、それに矛盾しないような行動を取ろうとします。多くの人たちから信頼され、自分を含めたみんなの幸せの為に行動するため、多くの人たちから慕われる幸せな生き方と言えます。
親が子供に対してして差し上げることは沢山ありますが、子供が成人するまでに、良い考え方や習慣を身につけることができたとしたら、それは子供への最高のプレゼントとなります。 その中には、好奇心(面白がる心)、感謝の気持ち(ありがたいと思う気持ち)、責任感(自分の言葉に責任を持つ)などがありますが、この中で親の役割が最も重要なのが責任感なのです。
それではどのようにしたら、子供に責任感が育まれるように、導いて差し上げられるのでしょうか? 勿論、親が子供の目の前で責任感溢れる行動をとって見本を見せることも大切ですが、親の後ろ姿を一瞬見たとしてもそれが責任ある行動なのかどうかを理解することはできません。行動をストーリーとして眺めない限り、責任がある行動なのかどうか?ということは判断できないからです。
子供に責任感を育むベストな方法は、責任感とは何かという事を、常日頃から子供に話して聴かせることです。「自分の言葉に責任を持つようにしましょう。自分の口から出た言葉はしっかりと覚えておいて、それに矛盾しない行動をとることで、周りの人たちから信頼されます」
〈おばつぶやき〉
そうだね。まずは教えてあげることだね。
言ったことはやるんだよと。
この教訓を機会あるごとに話して聴かせるだけで良いのです。 人間という生き物は、以前に自分が取った行動と矛盾しないような行動を取る傾向かあり、心理学の世界では「合理化」と呼んでいます。 一度責任のある行動を取ると、その後は責任ある行動を取り続ける傾向があり、逆に一度無責任な行動を取ってしまうと、その後は無責任な行動を取り続ける傾向があるので、最初が肝心ということになります。
学校で皆んなが集まって役割分担を決めている状況を想定してみて下さい。「これを誰かにお願いしたいのですが、貴方にお願いできますか?」そう尋ねられたとしましょう。自分にはできる自信が無いけれど、立場上できないとはなかなか言いづらいような時に、貴方はどのように返答するでしょうか?
できそうもないことに対しては、「できません」と答える勇気があるのでしょうか?それとも、できない可能性が高いのに「できます」と適当に答えてしまうのでしょうか?できることは「できる」と答え、できないことは「できない」と正直に答えるのか?それとも、「はい、できます」と適当に答えておいて、後から上手くはぐらかす生き方をするのか?運命の分かれ道になります。
〈おばつぶやき〉
あぁ、これこれ。これが責任の量と範囲を話合うってことです。
小さいときから「できないときはできないというんだよ」と教えてあげればいいんだね。
なんかできないと言っちゃいけないような気になってる人もいるもんね。
ムリに引き受けなきゃいけないよな。
過重労働が問題になるけれど、こういうのもみんなの意識が作り出している部分もあると思うんだ。DS支配者の仕業もあるけれど。両者の綱引きでこういう社会問題もできてしまうからな。
幼少期に「どうしよう?」そう迷った時に、「自分の言葉に責任を持て」という親からの言葉が脳裏をよぎることで、勇気ある責任感のある第一歩を歩むことができるのです。
人生とは岐路の連続です。正直に責任ある返答をする人として生きるのか?適当に答えて上手くはぐらかす無責任な返答をする人として生きるのか?それでその人の人生が決まります。
責任感のある人は、周りの人たちを守らなければならないという精神的な重圧を感じつつ、強く逞しく生きていかなければなりません。それに対して無責任な人は、適当にやって上手く行かなければ適当にはぐらかすという、気楽な人生を送ることになります。
人生の目的が、様々な体験を通して、自らの人間性を高めるということであれば、責任感を持ち続けて、襟を正し胸を張って正々堂々と生きていくべきだと思います。 責任ある行動をする人は、努力することで実行可能なことに対しては「できます」と答え、努力しても実行不可能なことに対しては「できません」と答える勇気が必要です。
また、知ったかぶりをせずに、知らないことに対しては「知らない」と答える勇気も必要となります。 子供が成人するまでに、良い考え方や習慣を身につけることができたとしたら、それは子供への最高のプレゼントです。 本日は、どのようにしたら、自分の子供を責任感のある人に育てることができるのか?というお話しをしました。 また、皆さまのお役に立てるようなお話しをしたいと思います。 Dr.Yでした。
〈おばつぶやき〉
そういうことだ。言ったことはやるのは基本だけど、自分で決めていいんだ。
できないときはできないと言っていいんだ。
おばさんなんかは厚かましいから、ちょっとかったるいことは「できませーん」と言ってしまう。
冒頭の情報発信の話もおんなじだ。絶対真実を言わなければならないなんてスタンスでやることを選択しなきゃいいんだ。
支配層が隠している情報を知ることなんてムリなんだから。
あれこれ想像推測して遊んでまーす、こんなタレコミ見つけたよ、ほんとかどうか分かんないけど、って感じで楽しくやっているうちに、あいつらは滅びるとおばさん思ってるよ。
そしたらさ、今まで「責任」なんて言葉、辞書になかったあいつらが責任を問われるわけだ。
で、パージされるわけだ。
そしたら、我々が自由に自分の責任を決めるということが、ものすごくやりやすくなるはずだ。
未来には責任をはぐらかしてのらりくらり生きるヤツなんていなくなるかもな。
だって適切に責任を果たすことは気持ちいいからな。喜びだからな。
その前に、すこしずつ、自分が楽に責任の量と範囲を決めるということをみんなが学ぶことになるかもしれないな。
Dr.Yさーん、みんなに教えてあげてください♡
おばさんも微力ですがお手伝いしまーす♡
あいつらに関しましては、「あいつら(裏側から見る社会のシステム)」のブログ記事一覧-丸顔おばさんのブログ、古い順をクリックのうえ、初期の記事よりご覧ください。
新型コロナウイルスの院内感染防止に成功した漢方薬、荊芥連翹湯(けいがいれんぎょうとう)を広めております。先生の論文も出ております↓