〇昭和は、62年と2週間である。
〇8月15日は、ポツダム宣言受諾で、
終戦記念日だが、無条件降伏の、
調印は、9月2日である。
〇ある特攻隊員の、特攻前夜の遺書がある。
彼は、泣き言や、恨み言では無くて、
全体主義は、自由主義と言う、より、
人間らしい制度の国に、必ず負ける。
そう書いていた。
全体主義とは、日本であり、自由主義とは、
アメリカの事である。
ここまで、解っていて、特攻に出た。
頭脳明晰な、優秀な青年の名は、上原さん。
僕は、感涙が止まら無い。
〇昭和の初めと終では、天皇の地位は、
全く異なった。神から人間になり、
しかも、象徴になった。
しかし、僕は、平成の世で、3・11後、
毎週、被災地を訪れる、天皇皇后両陛下に、
象徴以上の、有り難いものを、感じる。
〇史実を、正しく理解する事は、
僕らの義務である。
それは、自分の両親や、祖父母の人生を知る、
事でもあるのだから。
〇昭和の強大な指導者と言えば、是非は問わず、
東条英機、吉田茂、田中角栄の、3氏だろう。
この3名に、共通しているのは、拘置所に入った
事であり、しかも、アメリカ絡みである事だ。
〇マッカーサーが、昭和天皇に会った時の事、
命乞いに来ると思っていた、マッカーサーは、
度肝を抜かれる。
昭和天皇は、開口一番、言った。
私の命はどうでも好いから、国民の生活の、
復興を、第一としてください。
マッカーサーは、後日、出版した書物で、
こう、回想している。
天皇を、抹殺したならば、日本と言う国は、
最後の一人になるまで、反抗を続けるだろう。
天皇制を維持しないと、占領の維持の為に、
あと、100万人の兵隊が必要だろう。
占領軍の司令官も、天皇陛下に、尊敬の
念を抱いたのである。
〇僕が好きな、田中角栄の逸話。
彼は、貧しかったので、上京してから、
ガラス製品の商店に、住み込みで、働いて
居た事がある。
ある日、自転車で、商品を運んでいて、
転倒し、高額なガラス製品を壊した。
彼は、給料から、少しづつ弁償しようと、
帰って、社長夫婦に謝った。
すると、社長夫婦は、角栄の怪我を労り、
弁償は不要といった。
ひとつも、怒られなかった。
田中角栄は感激し、それ以来、過失の
過ちには、怒る事をしなくなったと言う。
残念なのは、この精神が、娘の真紀子さんまで、
遺伝しなかった事だろう。
真紀子さんが、この精神まで、受け継いでいたら、
必ず、首相になっていたはずである。
残念ながら、彼女は、ヒステリックに、秘書や、
お手伝いさんを、叱り倒すそうである。
《教科書に、載らない知識から、学べる事は
意外と多いと思っている。
だからこそ、色々伝えてゆきたい。
メールマガジンを、よろしくお願いします。
お申し込みは、コメントやメッセージからも。》
〇8月15日は、ポツダム宣言受諾で、
終戦記念日だが、無条件降伏の、
調印は、9月2日である。
〇ある特攻隊員の、特攻前夜の遺書がある。
彼は、泣き言や、恨み言では無くて、
全体主義は、自由主義と言う、より、
人間らしい制度の国に、必ず負ける。
そう書いていた。
全体主義とは、日本であり、自由主義とは、
アメリカの事である。
ここまで、解っていて、特攻に出た。
頭脳明晰な、優秀な青年の名は、上原さん。
僕は、感涙が止まら無い。
〇昭和の初めと終では、天皇の地位は、
全く異なった。神から人間になり、
しかも、象徴になった。
しかし、僕は、平成の世で、3・11後、
毎週、被災地を訪れる、天皇皇后両陛下に、
象徴以上の、有り難いものを、感じる。
〇史実を、正しく理解する事は、
僕らの義務である。
それは、自分の両親や、祖父母の人生を知る、
事でもあるのだから。
〇昭和の強大な指導者と言えば、是非は問わず、
東条英機、吉田茂、田中角栄の、3氏だろう。
この3名に、共通しているのは、拘置所に入った
事であり、しかも、アメリカ絡みである事だ。
〇マッカーサーが、昭和天皇に会った時の事、
命乞いに来ると思っていた、マッカーサーは、
度肝を抜かれる。
昭和天皇は、開口一番、言った。
私の命はどうでも好いから、国民の生活の、
復興を、第一としてください。
マッカーサーは、後日、出版した書物で、
こう、回想している。
天皇を、抹殺したならば、日本と言う国は、
最後の一人になるまで、反抗を続けるだろう。
天皇制を維持しないと、占領の維持の為に、
あと、100万人の兵隊が必要だろう。
占領軍の司令官も、天皇陛下に、尊敬の
念を抱いたのである。
〇僕が好きな、田中角栄の逸話。
彼は、貧しかったので、上京してから、
ガラス製品の商店に、住み込みで、働いて
居た事がある。
ある日、自転車で、商品を運んでいて、
転倒し、高額なガラス製品を壊した。
彼は、給料から、少しづつ弁償しようと、
帰って、社長夫婦に謝った。
すると、社長夫婦は、角栄の怪我を労り、
弁償は不要といった。
ひとつも、怒られなかった。
田中角栄は感激し、それ以来、過失の
過ちには、怒る事をしなくなったと言う。
残念なのは、この精神が、娘の真紀子さんまで、
遺伝しなかった事だろう。
真紀子さんが、この精神まで、受け継いでいたら、
必ず、首相になっていたはずである。
残念ながら、彼女は、ヒステリックに、秘書や、
お手伝いさんを、叱り倒すそうである。
《教科書に、載らない知識から、学べる事は
意外と多いと思っている。
だからこそ、色々伝えてゆきたい。
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