marcoの手帖

永遠の命への脱出と前進〔与えられた人生の宿題〕

快晴に恵まれ日本の北の京都 角館へ(その2)新潮社記念文学館

2019-06-20 11:27:31 | 日記
     
◆僕のこのブログでもかつて掲載した、川端康成の「雪国」の一節が記念館の壁にレリーフとして飾られていました。町の図書館も兼ねた展示館になっています。
 新潮社から寄贈図書は現在も続けられていますと書かれてました。

     
◆秋田方面から田沢湖にくる途中、西木村を通るのですが、そこが作家西木正明の出たところ、(すごい田舎)そこの西明寺という名前からペンネームがとられたそうです。
 若き頃、平凡パンチという雑誌の編集長も経験されたとか。

     
◆そういえば昔の週間新潮の表紙のほのぼの挿絵は谷内六郎さんでしたね。

         

      

     
◆名誉館長だった作家高井有一さんの書斎が寄贈され展示されていました。

 今回の展示は、塩野米松の聞き書き 『中国の職人』展でした。
 じっくり見て聞くと僕の追求する(と自分では思っているだけなのですが)、
 いずこの国とは関係なく人の生き様の通奏低音に触れる物語があるものだと
 改めて思わされました。 ・・・    

快晴に恵まれ日本の北の京都 秋田角館へ(その1)

2019-06-19 21:27:40 | 日記
 京都には落ち着いたとても風情があるところは沢山ありますが、こちらは北の京都と呼ばれる秋田県の角館です。 
 お休みの日ではなかったためか人もそれほど多くなく、ゆっくり武家屋敷の通りを巡りました。武家屋敷は大きいとおりが二カ所です。
         

◆今回の目的は二つ。一つは武家屋敷を巡ること。かつての(といっても昔は通りすがりだったのですが)それより今は観光地でもありだいぶ垢抜けしていい感じ。二つ目は知られている新潮社という出版社の創立者の記念館があるのでそれを見たいと思ったことです。
◆こう言う静かなとても風情のあるところは、言葉は入りませんね。青い空にきらきら輝いた緑の木々が静かな町並みを引き立てていました。昔の人々の思いにタイムスリップ。
           

         

◆西宮家というところで昼ご飯をいただきました。とても広いお屋敷で見学でき、レストランは奥まった蔵の一部となっていました。 
         

           
 
           ・・・ 続く 

快晴に恵まれサイクリング秋田県田沢湖一周

2019-06-19 19:49:57 | 日記
            
◆6月、とても良い天候が続き田沢湖を一周しました。 長年のロードサイクルのハンドルをフレンチハンドルというのに付け替えて・・・(このチャリはレンタでなく僕の)
                                         
◆湖の周辺にはレンタサイクルもあります。県民の森やキャンプ場もあります。  
                                         
                                         
   秋田側の105号線から入りました。 湖畔で冷やしジャージャー麵をいただきました。 
                                         
 ◆クニマス未来館から上りが始まりますが左廻り(反時計)を推奨します。下り坂が多いように思いましたので。 
  サイクリングのパンフレットはどこにも置かれていました。
 
  とても気持ちが良かったですよ。 水深が400m以上。水も表面と底が循環していると聞いていました。水がとてもきれいでした。お魚も沢山(クニマス?)
           

◆それにしても、やはりこの国には、どこに行っても神社や祠があるなぁ。 
              
                                                   
◆宗教オタクの僕としてはパンフにある金色大観音というのを見たいと思いました。35mもある鋳物であるそうで遠くから見ると少しキモイです。
入り口には門があり両側に東大門にある仁王像、門の上にはハクション大魔王(漫画)のような大きな顔が彫られてました。 
                                      
                                                  
そばにあるホテルの受付に訊くとうちの持ち物だそうで、バブルのころにホテルと一緒に建てたのだろうと思ったら、やはりそうらしい。
暦の法要などもきちんとやられているのかはどうもあやしい。こういうのはきちんとしないと・・・。
そう言えば湖の畔に"幸福の科学"の立派な建物があって(人は見えず)中には明かりがついていたな。これはこれで、なぜか怖い思いがした。 

 この後は角館へ向かいました。 ・・・つづく 


世界のベストセラーを読む(562回) <その②>(キリスト)イエスを信ずる、信仰とは何か

2019-06-10 07:20:02 | 日記
 
世界のベストセラーを読む(515回目) 人を評価すること、されること、傷つきされること

 「わたしは自分のしていることが分かりません。自分が望むことは実行せず、かえって憎んでいることをするからです。もし、    望まないことを行っているとすれば、律法を善いものと......
 


◆<その①>の続きです・・・ ************* ルカのよる福音書23章39~43節

 十字架に掛けられていた犯罪人の一人が、イエスを罵った。「おまえはメシアではないか。自分自身と我々を救って見ろ。」すると、もう一人の方がたしなめた。「おまえは神をも恐れないのか。同じ刑罰を受けているのに、我々は、自分のやったことの報いを受けているのだから、当然だ。しかし、この方は何も悪いことをしていない。」そして、「イエスよ、あなたの御国においでになるときには、私を思い出してください」と言った。するとイエスは、「はっきり言っておくが、あなたは今日わたしと一緒に楽園にいる」と言われた。

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◆イエスが十字架上で今生での死の苦しみを受ける、それは三次元的肉体が消滅し次の世界に入ろうとするパッション(受難)、その瞬間=同時に十字架に掛けられた二人の男の会話、この男たちの人生はどういうものだったのだろう、特にイエスに今日楽園でともにいるアーメン(はっきり言っておく)と保証されたこのひとりの男の言葉。ここにイエスをキリストと信ずる信仰の頂点があるのではないだろうか。

◆男は、イエスの奇跡を直接、見たのだろうか、イエスの言葉を直接、聞いたのだろうか、小さな時にはユダヤの人たちの伝統に従い子供たちには、我々の為に救い主が生まれるとは両親から聞いたことがあっただろう。しかし、彼は、イエスのこの地上での3年程の神の業に触れることはなかっただろう。なぜなら、牢獄に入って居たのだから。殆どイエスについては何をも知らなかったのだ。

今生に活きて生存している人類である僕ら人間は、今この瞬間にも命が取られるかもしれない。(今も、命が失われる悲しい事件が多く起こっている)命の消滅、それが確実となっているこの男。イエスをキリスト(救い主)と信ずる信仰とは何か。キリスト・イエスに今日、楽園にともにいると保証されたこの男の言葉にイエスを信ずる信仰とは何か、の意味のすべての要が表されていると僕は思うのだ。 ・・・ Ω 


世界のベストセラーを読む(561回) <その①>(キリスト)イエスを信ずるという、信仰とはなにか

2019-06-08 06:36:06 | 日記
世界のベストセラーを読む(514回目) 神を用い自分の言動を正当化するのはキリストの神ではありません

 「だから、すべて人を裁く者よ、弁解の余地はない。あなたは、他人を裁きながら、実は自分自身を罪に定めている。  あなたも人を裁いて、同じことをしているからです。  神はこ......
◆「求めよさらば与えられん、尋ねよさらば見いださん、門を叩けさらば開かれん。すべて求める者は与えられ、尋ねる者は見いだし、門を叩く者は開かれるであろう。」という  
ことばがあります。そもそも学問の発端とは、神を見いだそうとし始めたこと、その作られた人側の世界にその理想の世界をリアリティーを持って実現させようとの深層の意識があったものと思わされてきます。(無論、この過程でも悪魔は介入してます)
 こちら側(人側)に意思として、意識として求める心のある方が、そのものを実はあなたの生きている意味(求めたいもの)はこうなのだということを神は早く与えてくださるかも知れないということになります。では、そうでない者はどういうことになるかと言えば、さまざまな試練を与えられ、神を求める心を与えられることがあるかも知れない。試練や困難の中で、ということになる。人生に捨てばちに、投げやりにならずに答えを求めようとする者には、必ず答えを与えてくださるということになります。
 
◆福音書の記事の時代背景、その時代に置かれた記者の述べた境遇などすべてそぎ落として、イエスの言葉のみに聞こうとします。しかし、彼を知る時代の先理解、つまり旧約の記事などの先理解がない僕ら異邦人には当初は何のことやらでさっぱり分かりません。人類の歴史の中で自然発生的に生じてきた宗教の一つかなと初めは思ってしまう。
 
◆しかし、その中でも多くのこのベストセラーについての考察は、現代でも書き続けられています。それは、自分とは何か、人とは何か、世界とは何か、人間社会のすべてに関わる事柄を神は活き、動き、働いているというその神との絶え間ない会話の中でその声を聞こうとする祈りに近いものであるかもしれません。
 
◆その第一の課題は、誰彼でなく「私の人生は私のものである」(実はここにも多くの謎があるのです。こう言い切れる人は多くはないのではないでしょうか)、いつかは地上の生涯を過ごし、次の世界に行くことが必ず訪れるということです。 
 
◆「イエスを信ずる信仰とは何か」ということについて 新訳聖書には数行の短い話が記載されています。・・・ 続く