marcoの手帖

永遠の命への脱出と前進〔与えられた人生の宿題〕

世界のベストセラーを読む(561回) <その①>(キリスト)イエスを信ずるという、信仰とはなにか

2019-06-08 06:36:06 | 日記
世界のベストセラーを読む(514回目) 神を用い自分の言動を正当化するのはキリストの神ではありません

 「だから、すべて人を裁く者よ、弁解の余地はない。あなたは、他人を裁きながら、実は自分自身を罪に定めている。  あなたも人を裁いて、同じことをしているからです。  神はこ......
◆「求めよさらば与えられん、尋ねよさらば見いださん、門を叩けさらば開かれん。すべて求める者は与えられ、尋ねる者は見いだし、門を叩く者は開かれるであろう。」という  
ことばがあります。そもそも学問の発端とは、神を見いだそうとし始めたこと、その作られた人側の世界にその理想の世界をリアリティーを持って実現させようとの深層の意識があったものと思わされてきます。(無論、この過程でも悪魔は介入してます)
 こちら側(人側)に意思として、意識として求める心のある方が、そのものを実はあなたの生きている意味(求めたいもの)はこうなのだということを神は早く与えてくださるかも知れないということになります。では、そうでない者はどういうことになるかと言えば、さまざまな試練を与えられ、神を求める心を与えられることがあるかも知れない。試練や困難の中で、ということになる。人生に捨てばちに、投げやりにならずに答えを求めようとする者には、必ず答えを与えてくださるということになります。
 
◆福音書の記事の時代背景、その時代に置かれた記者の述べた境遇などすべてそぎ落として、イエスの言葉のみに聞こうとします。しかし、彼を知る時代の先理解、つまり旧約の記事などの先理解がない僕ら異邦人には当初は何のことやらでさっぱり分かりません。人類の歴史の中で自然発生的に生じてきた宗教の一つかなと初めは思ってしまう。
 
◆しかし、その中でも多くのこのベストセラーについての考察は、現代でも書き続けられています。それは、自分とは何か、人とは何か、世界とは何か、人間社会のすべてに関わる事柄を神は活き、動き、働いているというその神との絶え間ない会話の中でその声を聞こうとする祈りに近いものであるかもしれません。
 
◆その第一の課題は、誰彼でなく「私の人生は私のものである」(実はここにも多くの謎があるのです。こう言い切れる人は多くはないのではないでしょうか)、いつかは地上の生涯を過ごし、次の世界に行くことが必ず訪れるということです。 
 
◆「イエスを信ずる信仰とは何か」ということについて 新訳聖書には数行の短い話が記載されています。・・・ 続く 

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