marcoの手帖

永遠の命への脱出と前進〔与えられた人生の宿題〕

世界のベストセラーを読む(79回目)

2016-08-04 02:51:32 | 日記
◆世界のベストセラー聖書を読む◆
☆注意したいのは、西欧哲学にあるベースとなっているものに必ずといいほどキリスト教があるが、彼らが著作の中で「キリスト教」と著しているものは、その時代に反映され一般流布された聖書の教えの大衆に固定化された概念に対してそう言っているのだということだね。ですから、先のキェルケゴールが著作の中で、あるいは、ニーチェがその著作の中でその他沢山の方々、その時代、時代に知られていた概念についての言葉による格闘や戦いなのであって、イエスそのものの言(ことば)についてではないということなのです。無論、来年2017年宗教改革500年、カトリックの方はどのような反応をされるか分かりませんが、当時のM.Lutherさんも、著名な「キリスト者の自由」においてこう述べておられるのは、その時代においてなのです。当時は今で言うカトリックだけの時代。
◇第5 「キリストの来臨したもうたのは神の言を説教するという使命のために他ならないし、またすべての使徒たち、司教、司祭と霊的階級(聖職者)の全体とが、ただ神の言のために召されまた立てられているのであるが、残念ながら今や事態は違ってしまった。」
◆僕が自分の言葉で読む・・・と語るのは、当然、2016年の今の自分の言葉で読むということ。ある人はそれが基督のからだであるという人がいるかもしれないし、多くはそうだろうが、組織体やその維持のための○○信条とかが、個人のイエスの言葉に聴くということに先行するものでは決してない、別にそれは必須条件ではありませんよと言うことなのである。しかし、それは不要というものでは決して無く、世に於ける(世界に於ける)キリストの体を形成するための概念、目には見えないが有機的つながり、群れを統括し組織だって個々がイメージし易いような総括概念を作ることはとてもイエスの言(ことば)の道を備えるにはあってしかるべきものなのではある。それは、また不完全な人間の言葉での固定化、悪弊ともなるものであるが(歴史上ときには、カトリックが行った処刑にまでなってね)。その不完全な人間の悪弊を常に壊し続けないと新しい水は流れないということだ。カルヴァンさんは、プロテスタントにおいてルターさんのあと、この組織化のために絶大な働きをなし「キリスト教綱要」を著す。・・・予定説まで往ってしまいますが・・・この考えは不人気です。
◇「わたしにはまた、この囲いにいない他の羊がある。わたしは彼らをも導かねばならない。彼らもわたしの声に聞き従うであろう。そして、ついに一つの群れ、ひとりの羊飼となるであろう」。(ヨハネ伝10章16節)このイエスの言葉は、すでに異邦人への伝道、世界への宣教が述べられている箇所であります。・・・Ω

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