marcoの手帖

永遠の命への脱出と前進〔与えられた人生の宿題〕

<Ⅶ>黒子たちは神を恐れ「天になるごとく地にもなさせ給え」と動いていたかもしれない!?:親愛なるSへ(その23)

2022-03-23 17:47:14 | #日記#手紙#小説#文学#歴史#思想・哲学#宗教

 親愛なるS:これだけは言いたかった。私的な事だが、姉の旦那から電話があった。かけ放題だから気にするな、と2時間以上も話し込んだ。お話がとても好きな方なので、古館一郎のような感じの方。で、その顛末はこう・・・

J:「てっきり、俺はイエスを裏切ったのはユダという名前だったから、そこからユダヤ人というのかと思っていたのだ。」

G:「いやいや、イエスもユダヤ人ですよ。(と、話はじめるとこちらも止まらない。)話せば長い話と、世界のベストセラーの天地創造からの長い話をつらつらと、話しきれないので、アブラハム、イサク、ヤコブ。。。そのヤコブから12部族はでてきて、最終、その中のユダ族はそのレビが強かったのだろうそこから出たBC1000年頃に統一したダビデ王。その子ソロモン王の時、一番栄えてのだが神の言葉を取り次ぐレビの言葉も。神の戒めを守れずやがて、北イスラエル、南ユダに分裂。北イスラエルの国が先に消滅、世界に離散。南ユダが頑張るが結局バビロン捕囚は知られているが・・・。しかし、そこで後に起こされたペルシャによって帰還することができたユダヤ人達であったが、・・・ここで、優秀だったからその国に政治にまで関与したであろうレビが、その国の中枢において画策し、神の戒めを律法化して二度とこんなことになりませんように誓いますと、律法遵守の新たなるガチガチの民族として帰還する。そこで初めて公になったユダヤ人となったらしいのですね。肉体と精神に悲惨を経験し、痛い目に遭って、後のバビロンを破った宗教に寛容であったペルシャからこう言う我らの戒律を守りますからと公にして、帰還を許されて苦労の末、神殿を建て直す。我らの先祖の神の預言通りではないかと・・・けれど、そうなったから結果から事後預言ではないかと思われるところもあるが、詰まり、結果から遡って昔、預言者はこうなると、そのとおりになったと、あとから聖書を編集したと。(古代飛来した宇宙人にまで遡るような存在の黒子は既に失楽園になった時から人間の世界に存在していたらしいのだが・・・この話はややこしくなるのでそのうち。)いずれ、信ずる先祖から伝えられてきた神は生きておられ、我々の世界をプロデュースされているのであると、そのお方の戒律に従わないと悲惨な目にあうと心身に焼き印された。一般に昔から分かりやすくするためと一概にユダヤ人と言っているけれど、詰まり頑迷な・・・。ですから人種というより、男は割礼をし律法を守るというその生き様をなす人々がユダヤ人であると言えるでしょう。・・・日本人でもこう言ういみでのユダヤ人になった方はおられますよ。で、僕が何を言いたいのかというと、そのような歴史の事実は結果として書かれたものですが、それを演出し動かしておられる神が、『それ行っているのは私だ』とのたもうておられる方がいる。それを信ずるか否かということになります。

 今も生きて働いておられると・・・現実、地震も又、あったばかり戦火で人命が損なわれてこの21世紀でと驚くようなロシアの発生も聖書に書かれているのですから。・・・古代からこの日本においてもでね、僕が書いてきたのは・・・。古代流れ着いたユダヤ人が個々にその部族はレビ(神主のような)がいて、しかも彼らは専門職で、もともと割り当ての地がなかった。山にこもってひたすら神のご神託を聞き、当時の政の行く末を祈祷して実現させ、あるときは僧兵となって(これも神道でけでなく、仏教でも、所謂、宗教ごときにはすべてにな何らかのこのご神託を祈祷する所作でもって、当時の武将を支えた。)天になるごとくこの地にもなさせたまえ、とあるときは時代のヒーローをしたてあげ、世相を操作し、日々、修行と祈祷に励んだという不思議な国がこの日本という国であろうと思われる訳です。それが東国にいた彼らが天皇の指令によって蝦夷制覇などの依頼後、この国にあからさまに起こったのが鎌倉時代からだと僕は思うわけです。古代その中で、日本に来た後発の最も強靱な黒子集団が、神武東征を導く”八咫烏”らしいのですねぇ。今までの日本の国の武士発生の切った貼ったの争いが、実はこの背後で、各、黒子が生き延びようと画策していたらしいのですねぇ。」

◆ともかく彼らは、預言者であって、天地創造の神を信ずるDNAを持った血の流れの元にあったわけ。そこで暗躍した大きな集団であったのが、先に書いた山形県の出羽三山にいた大きな集団だった訳です。調べられると実に多くの歴史上の武将がここに関わっているのです。この衆徒は、平将門の場合は朝敵に組し、義家の場合は国権の側に従ったことになり、羽黒山には立場の一貫性がないようなんだけど、実は時代の人気の側に立っていることは同じだった。将門も義家も庶民を魅了する英雄名将なのだ。羽黒山はいつも社会一般の与論を身に帯していて、民衆の願望を表現していたのだな。先に書いた岩手平泉の藤原氏もここを崇敬した。しかし、彼のご先祖は古代から歴史を自前に画策してきたからな。秀衡は黒子を操作し時代のヒーロー牛若丸義経をつくり、鞍馬山で6歳から16歳まで天狗によって修行したといわれ(鼻が高いのはそもそも渡来人<ユダヤ人>だったろう。)壇ノ浦の戦いの後、頼朝に負われる義経が自ら行者に姿を変え奥羽に入ったのはの修験者の庇護のもと、勧進帳で山伏姿で一行が安宅関を通ったという歌舞伎は誰にでも知られているでしょう。ストリーテラーだった三代目藤原秀衡の大いなる庇護のもとにあった義経。修験者?あの弁慶ですよ。

◆黒子集団も時代の行く末を占い、聞くのは御神託であった訳、これは彼らの古来からのDNAだった。だから、時代を誤った流れを作ろとする画策者は信託によりこれも排除しなくてはいけないと動いたのだね。彼らは知っていたんだよ。旧約時代からの彼ら神の選民族としての血が騒いだのだ。遠い先祖が長い長い歴史をとおして、時には国を作り、戦禍を交え、部族間の争いもしながら、この国のさらに東はもう海であり、ここで理想の国を実現しなければ後はないとね。”つわものどもが夢のあと”、芭蕉がよんだ平泉での争い。奥州に仏教による争いのない国を作ろうと見込んだ四代目泰衡を源頼朝が成敗したのは何故なのか。深層に流れるその黒子たちの昔からの思いがあったのだと思うよ。

◆仏教の守護神聖徳太子が亡くなったのが622年でなかったか。今年没後1400年。聖霊会は行われるのだろうけれど。日本書記(不比等<鎌足の子、関与>)においては、入鹿に聖徳太子一族は殺害されたと書かれ太子を持ち上げているが、実のところ首謀者とされる蘇我入鹿と軽皇子の利害を結び合わせたのは中臣の鎌足(後の藤原鎌足)大化改新の陰の演出者があったのではないかと言われている。中臣(藤原)の祖はあの古代渡来していた太陽の昇る方角、茨木の鹿島(神社)なのだ。渡来し帰化した神祈職(所謂、レビ)だった。

◆旧約聖書の創世記のヨセフ物語の最後に大臣まで上り詰めたヨセフは、エジプト宗教を執り行いつつも自身も親父のヤコブをもミイラとなって、故郷へ帰還し葬られた。それはまさに神の摂理に従った人生でだったのだが、ことこうして天皇に近い存在まで上り詰めた藤原は、恣意的に画策し天皇の地位に入り込んだのである。そして仏教を信じて藤原三代は平泉にミイラとなって眠っている。しかし彼は、仏教を今生の大衆迎合の操作として自らの安寧のみに利用しただけではなかったのか。今生で利用すべきは仏まで、と。ヤコブと同等の実利哲学である。我らが行く末は天地創造の天の故郷である、と思っていたかどうかは・・・。



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