marcoの手帖

永遠の命への脱出と前進〔与えられた人生の宿題〕

世界のベストセラーを読む(850回) 『人の創造』:「思考の階層」を考えてみる。

2021-05-02 18:41:40 | 日記

◆人の意見でもよく言われる。一般に知られていることは、こうなのだ・・・ニュースなどでは、と。しかし、そ真相はこうである・・・という言い方。これは、真の原因は・・・とでもいえるものだろうか。これは、詳細分析。原因から結果が生ずる、聴く者に媒介となる伝達方法を解除して、自分で納得させる意味付けと言える。さらにこういう言い方もできるであろう。◆思考の階層である。先のようなおおざっぱなものではなく、同じことがらのもっと詳細な厳密なとらえ方の深堀といってもいいとらえ方である。それは同じことがらの表層、深層という垂直にとらえる見方である。例えば、見るというそのことにおいてもマクロからミクロへ、というとらえ方と言えるかもしれない。しかし、これもかなりおおざっぱな言い方である。それは内言語の中の垂直次元のとらえ方であるともいえる。◆実はこれを突き詰めていくと、究極的な光のような一点に集約されてくる一瞬をとらえることができる。「音を見、空間を聴く」というような澄んだ次元である。繰り返すがかなり明確な一点に集約されて来る。それは、この空化に鋭利に見える。脳の中のどこで起こるのだろう。脳の中のどこが機能しているかは、通常の思考は意識下で行われるから、どこが働いているかは理解できないが、瞑想などでは、先の一点の集約され働いている脳内のありかが分かるようになりそれは、前頭葉(大脳皮質)と間脳(松果体)のちょうど間で行われているようだ。その個所は、自分で理解できる。そこが瞑想時に働く、偏桃体というところらしいことが、あとで分かった。◆とすれば、人の脳内で神の言葉の受像機はそこにある、と言えるのかもしれない。僕が探してきた<G>の礎となる部分である。



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