marcoの手帖

永遠の命への脱出と前進〔与えられた人生の宿題〕

世界のベストセラーを読む(31回目)

2016-06-21 20:15:54 | 日記
◆世界のベストセラー聖書を読む◆ 前回、八木誠一先生の本の紹介をしてしまいましたので、ここで一言。出来るだけ解説書は出さないようにと思ってましたが、やはり、そのうち解説書だらけになりそうです。初めに、聖書の事を哲学的にといえばいいか、理屈で理解しようとすればと言えばいいいか、僕は八木誠一の一連の著作が好きですね。「<はたらく神>の神学」(岩波書店)最新のが出てますので、後ろに今までの研究の内容の目録のようなのが掲載されてますので、良ければ立ち読みされてください。     
このブログでは初回から「自分」とか「言葉」とか書いてきましたが、八木さんの「宗教と言語、宗教の言語」(1995年4月12日初版発行)をすぐ購入して読み、えらく開眼してしまった思い出がある。暫くぶりで開くと色々な箇所に線が引いてあるが(と言うわけで古本屋には売れないね)今の僕と変わらない考えに目がとまった。(p86)「欧米神学追従を脱却して、みずから創造し育てる労苦と責任を負わなければ、我々はいままでなかったよいものを作り出して世界に貢献することができず、もっぱら他人の開拓的創造的な努力の実をあれこれと摘み取ってその「博識」ぶりを同胞にひけらかすだけの安易な人間に留まり、世に何の創造的奉仕もできないからである。・・・」何も学生運動下火の時期とは言え、素直でなく聞こえるのは、また、カール・バルトの基で学んだ滝沢克己(学生運動家には理解された)とのやりとりをやられていた神学者だからと言うわけではないのですが、他の著作も本当に、すべてのしらがみから解放されて永遠の命を与える神の言葉をひとりひとりのものにするため、闘ってきた学者であると僕は感じるです。その闘いは続けなければ行けないと思う。本来、伝道、伝道といいつつ、自らその壁を作り出してその中で権威つけと自己満足をしているのを、教会の門の前に立ち止まっている人々は感じているのだ、それに気づきもしないのではないか。中に入りこんでしまえば、一応それなりの尊重もしなければねぇと言うわけで、それ以上の自らの理性での納得は今に分かると言うことにされ内に秘めてしまう人は多くいるのではないかと思う。それなら教会に入らない、若松英輔の「イエス伝」になる訳である(この写真も先にありますので捜されてください)。次回は、聖霊という言葉にもどり、イエスの言(ことば)について考えたいと思います。そこで困難なことが生じたら、やはり八木誠一の言葉について書かれたその著作に戻らないと行けないかと思う。・・・Ω ※今日の写真は「<はたらく神>の神学」。

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