marcoの手帖

永遠の命への脱出と前進〔与えられた人生の宿題〕

世界のベストセラーを読む(414回目)脱線:日常の事 汝の父、母を敬えと言うが・・・〔旧約聖書 十戒から〕

2017-08-14 15:40:25 | 日記
 このブログのカテゴリーは、「日記」なので 本来、日常の淡々した生活の綴りがふさわしいように思います。でも、開いてくれる人がカテゴリー「日記」では多そうだ。いきなり、小難しいオタクのような内容で面食らう人がいるかもですが・・・。今日は、休息も込め日常のことを少し書きます。
◆高齢のため、からだが思うように動かせなくなった父からそろそろ庭の草むしりをしてくれと依頼された。土いじりや草木の世話は、親父の趣味だったので、ほとんど僕は手を出さない。自分の事は、どこまでできるかな、そろそろ出来なくなりつつあるかなぁと日々の観察のように両親の事を見てきました。今年は全然、体が動かないようで庭の雑草(何をもってそう言うかは不明だが)たいそう無闇に生えてきて、このまま行けば庭木の自然淘汰が見られそうにもなった。で、庭の草木の名前も僕はほとんど知らないのだが、少なくとも歩くところににょきにょき生えた草を抜いてきれいにすることに。庭と言っても30畳もあるかないかの小さな庭だが。
◆共に生活すると突然の要求や、予定外の事がありと気が休まりませんが、とにかく食べることと排泄は人の生にとっての基本ですので、このことへの注意と、とにかく基礎代謝どうのこうのは既に遠い過去に過ぎさった方々でありますから、あとは、自分の事の自覚がどこまで理解し限界が来たかの自覚をどのように現されるかです。時折、かなり心配な兆候をしましますが、問えば本人達は、至っていつまでもこの生活が続くかのようです。
◆さて、世界のベスト・セラー聖書を読んで、日常生活とは関係ない、宗教趣味のオタクに近い人たちが、こういうブログなりに投稿するのかな・・・と思われる人がいるかもしれない。弁護する訳ではないが、少なくともキリスト者はそれは違うと返答しないといけない。
というのは、文字に現れない日常の時間にそれこそ、おおおく彼(つまりイエス)に教えられていることがあるからです。・・・と、僕は一応答えることにいたします。これは護教でもなんでもない・・・そうでなく恣意的に、ブログのためのブログ作成であれば、彼から教えられることは受け取る側の限界を知るはずであると思うので・・・つまり続かない。
◆本筋に戻り、創世記第三章の人が「罪」を犯した話から、時代はたいそう下り集団でのありかたとしての戒めモーセの「十戒」の中に「あなたの父、母を敬え。そうすればあなたはあなたの神、主が与えられる土地に長く生きることができる。」(出エジプト20:12)とあります。ところが、新約聖書にイエスが、どういう意味かと考えさせる文言があるのを、実は多くの人が恐れを持って知っているかと思います。それは、「脱出」と「前進」などといかめしい言い方で書いてきましたが先のブログ(412回)には「自分からの脱出」それが、親族関係者(血縁者、家族)までもからの離脱を勧めていると思われるイエスの言葉です。(ルカ18:29-30)
◆脱線と言って又、小難しいことに頭を突っ込むが 僕らの心理的なありように挑戦をするようなイエスの言葉は、当然、日本語だけではなく世界中の言語に訳されている訳だから、おいおい待ってくれよという、イエスの言葉に出会ったときはその真意を知りたくなってくるのである。こういう言葉にであった時は、他の福音ではどうなっているか、他の聖書の訳ではどうなっているかを調べることです。そして何より、言葉の意味を確認することです。
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(ルカ18:28-30)「すると、ペトロが「このとおり、わたしたちは自分の物を捨ててあなたに従って参りました」と言った。イエスは言われた「はっきり言っておく。神の国のために、家、妻、兄弟、両親、子供を捨てた者はだれでも、この世ではその何倍もの報いを受け、後の世では永遠の命を受ける。」(これは現在、一番読まれている”新共同訳”です)
   *******************************************************・・・ 続く