デモクラティックスクールまんじぇ まんじぇの仲間ブログ

何気ない日々の家庭から見えてくる(?)まんじぇ♪
保護者・生徒・ボランティアなど、まんじぇに関わる者たちで書いています

さまざまな出あい

2016-04-26 15:18:21 | のば

春は行事も多くて忙しいですね。

今年は町内の子ども会の会長も当たっていて、
年度末からバタバタと時間が過ぎていきました。

子ども会の話はおいおい書くとして…

「完全不登校」記事を書いてからだいぶ経ってしまいましたが
今日はその後の続きを。

 

こうきが家で過ごすようになり、初めは”平静を装う”毎日でした。

 本当は学校へ行ってほしい。

 学校にさえ行ってくれればこんな思いはしなくて済んだのに。

 この先どうなるんだろう?

 私の何がいけなかったんだろう?

 なんで私がこんな目に遇わなきゃいけないんだろう?

 家でこんなに元気なのになんで学校に行けないんだろう?

ただただ不安でした。そして、私のこれまでの子育てを否定し
悔みました。

でもそんなところはこうきには見せられません。

夫にも「私が頑張るから」と言った手前、文句も言えません。

”私は平気、なんとかなるわー”な私を演じることしかできませんでした。


そんな中、学校から市の教育総合研究所というところを紹介され行きました。

多分不登校になった子はだいたい行かされるのでしょう。

藁をもすがる思いで行き、心理士の先生とかいう方とお話もしました。

でも話をしたからと言って、私の気持ちが楽になるわけでも
解決の糸口が見つかるわけでもありませんでした。

むしろ、こうきもそういう場所に行きたがらないし、
私たちの気持ちは置き去りにされたまま、”不登校支援”されているようで
違和感や不快感を感じました。


そんなふうに、私はこうきの気持ちを考えることなく、
3年生は過ぎて行ったように思います。

ただ、この頃に山崎房一さんの
『お母さんのガミガミが子どもをダメにする (PHP研究所)』という、
どストレートなタイトルの本に出合い、少しずつ自分を変えることに
チャレンジしていきました。

 

迎えた4年生。この時は担任に恵まれたなと思います。

この時の先生は「小学生のうちは楽しくすごせばいい」という考えで
宿題もあまり出すことはしませんでした。
(のちに、保護者からのクレームで宿題の量を増やすことになったのですが)

ご自身も小学生の頃は全く勉強をしなかったと言っていたくらい
先生らしくない先生でした。

そして、ご自身の先生としてのご経験から、子どもとではなく保護者と対話することが
大切だという考えも持っていました。

なので、この先生には私の話をたっぷり聞いてもらいました。

もちろん夫にも私の思いはちゃんと聞いてもらっていましたが、
夫も、不安な気持ちは私と同じなので、二人で話しても
ポジティブになれないというか、前進しないというか…

第三者に聞いてもらうことが、この時の私には必要だったんだと思います。

この頃、こうきは少しずつ学校に行き始めました。

そうなると、私は「学校に行ってくれる」と期待をするようになりました。

学校に行く行かないでいちいち一喜一憂していました。

きっとこんな私の姿はこうきを苦しめただろうと思います、
行けないことに一番悩んでいたのは当の本人だから。

素敵な先生とは出会えたものの
そのことにまだ私は気付いていませんでした…


この頃だったと思います、
平行して、いろんな情報が私に入ってきたのは。

たまたまカーラジオを付けた時、どこの国か忘れましたが、
そこの国では冬休みもひと月くらいあるとか。

へー、雪が多い国なら夏休みより冬休みの方が多いだろうなぁ。

聞いていると、夏休みはもっと多い!

春休みも日本より全然多かったと思います。

この時に、「えっ、日本って通学日数多いんだ…」と初めて知りました。


ある時は、たまたまテレビを付けたらNHKの語学番組がやっていて
何気に観てたら、ドイツ語の先生(もちろんドイツの方)が
『ドイツでは、小学生の時から留年は当たり前』と言ってるんです。

『例えば、この子はまだ算数のここのあたりができていないから
 もう一年、この学年をやりますって親が決めるんです。』
みたいなことを言ってるんです。

「へー、この年だからこれだけのことを覚えなきゃ、じゃないんだ。」


他にもフランスのどこかの市(?)では学校が水曜も休みだったり。


…日本の学校ってなんて窮屈なんだろう…

こんな情報と出合って、自分が狭い世界にいたことを知ったのでした。

 

まだまだ素晴らしい出会いがあるのですが、
つづきはまた次回に書きたいと思います。

 

のば