2005年9月から、2006年6月まで通ったParisの写真学校Speosの同級生と年末年始にかけて再会する事が出来た
Parisでは、留学する前に3年間フランス語は習ったんだけど、専門用語が理解出来ないだろうからと、英語のクラスに入った。
そう、国際写真学校だったからフランス語と英語の2カ国語で授業を受けることが出来たのだ。
授業は英語、友人との会話は英語とフランス語、日常会話は日本語がさらにミックス
きっと10代ならきちんと言語ごとに頭の切り替えが出来て、英語もフランス語も自由に話せるようになれただろうけど、36歳の私のアタマには、キツかった。常に英語とフランス語がミックスしてしまい、また時制は常に現在形のみ!!英語だけ、或いはフランス語だけ理解出来る人が聞いたら、ちんぷんかんぷんの会話を発し続けていた。
ただ、こんな私の言葉を理解してくれたのがソウルメイトだった
今でも変わらない
それが一番嬉しい
たとえ言葉に詰まっても、何故か私の欲することが解ってしまうの。
なんてしあわせなんだろう。
それに甘えて正しい文法を怠けているのも事実
Parisでの一年は、いつまでも学生でいられたらと思う毎日だった。
決して贅沢な暮らしではなかったけど、いつも友がいて、お互いの夢を語り合い、自由気ままで、誰でも、やりたいことはなんでも挑戦しようと能動的になる環境にあった。
今回IdaとAdelaideに再会し、あの当時と同じ未来へのパワーをもらった。今年一番最初の宝物
Parisでは、留学する前に3年間フランス語は習ったんだけど、専門用語が理解出来ないだろうからと、英語のクラスに入った。
そう、国際写真学校だったからフランス語と英語の2カ国語で授業を受けることが出来たのだ。
授業は英語、友人との会話は英語とフランス語、日常会話は日本語がさらにミックス
きっと10代ならきちんと言語ごとに頭の切り替えが出来て、英語もフランス語も自由に話せるようになれただろうけど、36歳の私のアタマには、キツかった。常に英語とフランス語がミックスしてしまい、また時制は常に現在形のみ!!英語だけ、或いはフランス語だけ理解出来る人が聞いたら、ちんぷんかんぷんの会話を発し続けていた。
ただ、こんな私の言葉を理解してくれたのがソウルメイトだった
今でも変わらない
それが一番嬉しい
たとえ言葉に詰まっても、何故か私の欲することが解ってしまうの。
なんてしあわせなんだろう。
それに甘えて正しい文法を怠けているのも事実
Parisでの一年は、いつまでも学生でいられたらと思う毎日だった。
決して贅沢な暮らしではなかったけど、いつも友がいて、お互いの夢を語り合い、自由気ままで、誰でも、やりたいことはなんでも挑戦しようと能動的になる環境にあった。
今回IdaとAdelaideに再会し、あの当時と同じ未来へのパワーをもらった。今年一番最初の宝物