人間というのは精神的な意味での崖っぷちの近くを
歩いている存在だと私は思います。
私の場合は崖っぷちキワキワにきているなと思うと、
VEフランクルの
「夜と霧」「それでも人生にイエスと言う」
を読むのが、一番のレスキューです。
「それでも人生にイエスと言う」より
----------------------------------------------------
私たちが「生きる意味があるか」と問うのは、
はじめから誤っているのです。
つまり、私たちは、生きる意味を問うてはならないのです。
人生こそが問いを出し私たちに問いを提起しているからです。
私たちは間われている存在なのです。
私たちは、人生がたえずそのときそのときに出す問い、
「人生の問い」に答えなければならない、
答を出さなければならない存在なのです。
生きること自体、問われていることにほかなりません。
私たちが生きていくことは答えることにほかなりません。
そしてそれは、生きていることに責任を担うことです。
こう考えるとまた、おそれるものはもうなにもありません。
どのような未来もこわくはありません。
未来がないように思われても、こわくはありません。
もう、現左がすべてであり、その現在は、
人生が私たちに出すいつまでも新しい問いを含んでいるからです。
すべてはもう、そのつど私たちに
どんなことが期待されているかにかかっているのです。
その際、どんな末来が私たちを待ちうけているかは、
知るよしもありませんし、また知る必要もないのです。
-----------------------------------
VEフランクルは収容所の中でも、
精神的な高み、愛情、ユーモアを
忘れなかった。
絶望するしてあきらめるより、
人生が出す問いに応えられるよう、
希望を持ち、勇気を出して前に進もう。
何があろうが、私たちの人生は
「イエス」なんです。
それではおやすみなさい。
いい夢を!
歩いている存在だと私は思います。
私の場合は崖っぷちキワキワにきているなと思うと、
VEフランクルの
「夜と霧」「それでも人生にイエスと言う」
を読むのが、一番のレスキューです。
「それでも人生にイエスと言う」より
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私たちが「生きる意味があるか」と問うのは、
はじめから誤っているのです。
つまり、私たちは、生きる意味を問うてはならないのです。
人生こそが問いを出し私たちに問いを提起しているからです。
私たちは間われている存在なのです。
私たちは、人生がたえずそのときそのときに出す問い、
「人生の問い」に答えなければならない、
答を出さなければならない存在なのです。
生きること自体、問われていることにほかなりません。
私たちが生きていくことは答えることにほかなりません。
そしてそれは、生きていることに責任を担うことです。
こう考えるとまた、おそれるものはもうなにもありません。
どのような未来もこわくはありません。
未来がないように思われても、こわくはありません。
もう、現左がすべてであり、その現在は、
人生が私たちに出すいつまでも新しい問いを含んでいるからです。
すべてはもう、そのつど私たちに
どんなことが期待されているかにかかっているのです。
その際、どんな末来が私たちを待ちうけているかは、
知るよしもありませんし、また知る必要もないのです。
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VEフランクルは収容所の中でも、
精神的な高み、愛情、ユーモアを
忘れなかった。
絶望するしてあきらめるより、
人生が出す問いに応えられるよう、
希望を持ち、勇気を出して前に進もう。
何があろうが、私たちの人生は
「イエス」なんです。
それではおやすみなさい。
いい夢を!
それでも人生にイエスと言うV.E. フランクル春秋社このアイテムの詳細を見る |