WIND BENEATH MY WINGS

震災後、私たちの暮らしの「あるべき姿」を考え中。持続可能で幸せな暮らしを一緒に考えていきませんか?

「守・破・離」

2012-10-14 13:42:56 | 嬉しい!楽しい!面白い!ワクワク!
先週から今週にかけて心に残ったふたつの言葉を御紹介。

ひとつめは、話題のiPS細胞の山中教授の言葉で、
「研究や人生もマラソンと同じ。勝てなくても最後まで走り抜かなければ」「自分の実力以上のペースで走ってしまうと、完走できない」。(と言いながら、山中教授自身は周囲や奥さまをハラハラさせる努力家だったようですが・笑)
結果を出した人の言葉だけに「ペース配分」=「続けること」の大切さがよくわかります。日々の過ごし方で、疲れを抜きながら、自分をベストな状態に保ち、自分に余裕を持つこと、それにより、周囲にも安心感や明るい雰囲気を与えることができるようになりたいと思いました。

ふたつめは、空手部長の昔の記事(「月刊・空手道」2010年4月号に「革命者の宿命~というタイトルで、「空手界の流れを変えた男」として巻頭18ページ特集が組まれていました。凄いっ)にあった、「守・破・離」です。
この言葉は、空手部長の座右の銘ということでした。(御存じの通りご本人は自慢とは無縁。記事は部下が勝手に回し読みして騒いでいます・よって、この「提灯記事」は、私だけの考えではありません・笑)少し調べてみたところ・・・。
「守」とは、師や各流派の教えを忠実に守り、それからはずれることのないように精進して身につけよ、という意味。
「破」とは、今まで学んで身につけた教えから一歩進めること心がけ、師から教えられたものにこだわらず、さらに心と技を発展させよ、という意味。
「離」とは、破からさらに修行して、守にとらわれず破も意識せず、新しい世界を拓き、独自のものを生みだせ、という意味のようです。

「守破離」は単に武道の世界だけの教えではない。学問も経営も技術も、すべてにあてはまるようです。

私は今の自分はセクションでは、まだ「守」の段階なので、焦らずに、この十数年で出版界がどう変わったのかを見極め、実務でお手本になる人たちをよくみて、話を聴いて、時には自分で調べて、やってみて、基本をしっかりと身につけようと思いました。一方で、守の時期が終わったら、自分で考えて前に進まなければならない&進歩するためには不断の努力が必要と思いました。

周囲の人も同じ意見なのですが、凄く近くで空手部長をみていると「人間の強さ」について勉強させられます。ニコニコ笑顔で部下を気遣い、守りながら、穏やかなたたずまいは、何が起きても、決して崩れません。
非営利を8年やって、久しぶりに商売をする場所に戻り、ギスギスした雰囲気を覚悟していたのですが、驚くほどの明るい雰囲気(多少何かあっても前向きな議論)に驚きました。そして、2日目くらいに、空手部長はじめ、みんなが「静かに闘っている」ことに気付きました。ひとりひとりが努力して闘い、みんなで力を合わせて勝とうという心がある限り、これはいけるぞと、勝手に確信。私は、完走できる心と身体を整えながら、先人の教えや基本を身につけたいと思います。

みなさまからも色々と勉強させていただき、また、暖かく見守っていただき、心より感謝しています。

平安の祈り

2012-05-12 10:24:42 | 私らしく生きる。気づきと学び
何度かご紹介していますが、
西尾和美さんの本で知った、このお祈り、
なかなか良いのです。

今日1日のアファメーション―自分を愛する365日
西尾 和美
ヘルスワーク協会



*****以下引用*****

平安の祈り

自分のできることには責任をとる勇気を持ち

自分の限界を超えるできないことは天にまかせ

自分にできること、できないことの区別ができる

知恵がつきますように。






浜離宮恩賜庭園の春

2012-02-25 22:06:13 | このブログについて・お知らせ
2年前に浜離宮で撮影。

自分に言い訳しながら生きるのは嫌だ

2012-02-25 18:43:17 | 嬉しい!楽しい!面白い!ワクワク!
『ハゲタカ』の大好きな台詞。

『私は人生とっくに折り返しました。
それでも、残りの人生を言い訳しながら
生きて行くのは長すぎます』
という、言葉があります。

私自身、人生は折り返し地点。

言い訳しながら生きるのやだし、
公務員の爺ちゃんの教え
&単に面倒だから、
「嘘や隠しごと」
はしないように心がけています。

隠しごとは100%ばれます。

そして『自分に言い訳』どころか
『他人に詰問』されるはめになります。

『本当にことは、どんなに遠くに
捨てにいっても戻ってくる』




P/PCバランス 目先の仕事の山からいったん離れて、仕組みを見直す

2012-02-19 02:12:17 | 私らしく生きる。気づきと学び
「本物の急流筏下り」モードから、
せめて、時間は正確・安全な、
ビックサンダーマウンテンとかの
秩序感?にもどるべく試行錯誤。

その一環として、『7つの習慣』のP/PCバランス
を読み返しています。

本当にしつこいようですが、
P/PCバランスとは、目標達成(P)と、
目標達成能力または資源(PC)の
バランスのことです。

長期的に有益な結果をもたらす
効果性に関して、P/PCバランスは
非常に重要です。

長続きする効果性を得たければ
目標を達成すること
(結果を手に入れること)ばかりを
追い求めてはいけない。
それにより、資源を損なうことになるから。

ほとんどのビジネスパーソンにとって、
目標達成(P)に割く時間は、
無意識のうちに増えていき、
目標達成能力または資源(PC)に
割く時間が減りがちなのでは
ないでしょうか?

特に我々は、目先の目標
(番組やイベント)に向かって、
そこだけを考えて仕事をしがちで、
終了後、意識している私ですら、
「まだまだ仕事は残っているぞ」
と思いながら一瞬虚脱感に襲われます。

これっておそらく、仕事の山をさばくために
勉強やら、人との交流をおろそかに
していたからだと思うのです。
仕方ないんですけどね(^0^;)

ここで、モードをちょっと変えて、、
目先の仕事の山をただ片付けることに
時間を割くのではなく、
ビジョンをつくり定期的に振り返ること、
セミナーや異業種交流で学ぶこと、
必要だったり興味のある分野の勉強、
友人や家族との時間を持つ、
ボランティアなどの時間、
読書や映画、音楽鑑賞、
子どもたちと自然公園に行き、
よく歩き、自然と触れ合う、
心身共に健康であるための習慣を
おろそかにしないということだと思いました。

みなさんも、お忙しいとは思いますが、
目先のことだけではなく、
P/PCバランスを考えて、
持続可能で幸せな暮らしを
続けてくださいね~。



7つの習慣―個人、家庭、社会、人生のすべて 成功には原則があった!
スティーブン・R. コヴィー
キングベアー出版

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遺体

2011-12-09 10:46:27 | 嬉しい!楽しい!面白い!ワクワク!
facebookのお友達からのお薦めで読み始めています。
感想はのちほど。


遺体―震災、津波の果てに
クリエーター情報なし
新潮社

秋だ

2011-11-20 18:45:28 | 嬉しい!楽しい!面白い!ワクワク!
雨続きで、もやもや、うずうずしまくっていた我が家のうきゃうきゃボーイズを連れて、東京港野鳥公園にくりだしました。

いつものなんちゃっって里山。稲刈りも終わり、静かです。

春夏秋冬、いつでも、ここでおやつを食べると最高です。



ふたりとも、行く前から、やる気まんまん。
と言っても、悪巧みばかりです。
「鴨を生け捕りにするぞ」「エビをつかまえるぞ」(ザリガニのこと)と張り切る。



エビ(ザリガニ)はいませんでしたが、メダカはたくさんいたので、乗り出して観察。
鴨もいましたが、ここの鴨は素早くて、奴らに捕まるタマではありません。
そもそも、野鳥公園で野鳥を捕ったら、こっちが捕まります。



それにしても秋です。



秋です。



秋は美しいです。




ボランティアのおじさんが、小さな耕耘機で畑を耕していました。3人で「かっこいい~」と大声援。定年後、学歴役職さらりと捨てて、NPOとかでボランティアやっちゃうおじさんが大好きなワタシ。
捨てる学歴も役職もありませんが、こういうおじさんになりたい!と熱いまなざし。



ひろぴんが「雑木林」に興味を示してくれたようなので、仕事の里山保全活動(震災で中止となり、幻に終わる)で、緑サポート八王子さんから聴いた知識をそのまま、受け売りで、ひけらかしました。

しかし、うっかり「産業革命によって、生活が変わり」なんて言って、どつぼにはまった私。(^^ゞ 突っ込まれて、もごもごしちゃいました。あとで、また説明しないとな。
ヒロピンは、ひととおり、私を質問攻めにしたあと、なぜか、葉っぱあつめに没頭。





何をやっていたのかというと・・・・。



「これが保育園生の葉っぱ」「ひろぴんです」



「これが小学生」こうちゃん。(ちょっとでかいが)


中学、高校、大学ときて、パパとママだそうです。私が丸いのが気になりますが。(^^ゞ




「やっぱりお父さんはこれだな」
とひときわ大きな葉っぱを、保育園生の近くに置きました。
「お爺ちゃん」という、穴だらけのぼろぼろ葉っぱも並べて完成。

「葉っぱの家族だよ!」



秋ですね。

(*^_^*)

追伸

葉っぱの家族は、画用紙に貼っておこうと、現在乾燥中。



松滴庵 

2011-11-03 19:35:25 | 嬉しい!楽しい!面白い!ワクワク!
今日は、家族で品川区歴史館にいってきました。






品川歴史館では一年に一度、文化の日に「お茶を楽しむ会」が、品川区華道茶道文化協会の協力のもと催され、品川歴史館書院で抹茶を楽しむことができます。昨年、たまたま寄って知ったのですが、この催しは年に一度、文化の日だけです。
しかも、茶室「松滴庵」(昭和初期に建てられた由緒ある茶室)も、当日に限り、一般公開。中に入れるのは、年に一度だけなのです。

昨年から予定していて、気合いが入っている我が家とは裏腹に、知名度が低い(ごめんなさい)同館は静か、というか空いている。催しの素晴らしさの割には、いつもと全く変わらない静けさ。



ひとり50円ですから、うちの大蔵大臣も文句はありません。文句をいうどころか、ついてきちゃいました(^O^)





中では順番にきちんとお茶をたてていただきます。旦那もひろぴんは、私とこうちゃん(学校でお茶の時間がある)を真似して、おすましして頑張っていました。とはいえ、変な一行です。
ふだんはきちんとしたお茶会をやっているであろう品川区華道茶道文化協会の方々ですが、きちんと和服を着て、きちんとした作法で、我々素人相手に礼儀正しく優しく接してくださり、本当に有り難いです。子供たちへの教育という目的を持つ同館の目的から、子供も歓迎されます。

美味しくお茶とお菓子をいただき、うきゃうきゃ。

そして、本日限り公開の「松滴庵」へ。
茶室「松滴庵」は、昭和初期に安田財閥系の安田善助氏の屋敷として作られたもので、その後は財団法人吉田秀雄記念館(株式会社電通所有)として、茶事などに利用されてきました。現在の品川歴史館の茶室「松滴庵(しょうてきあん)」は当時の姿のままのものです。また書院は、できる限り材料を残し、同じ形で復元しています。



電通さんが所有していた時代、どんなVIPがこの茶室に訪れたのかしらと想像が膨らんでしまいます。日本の広告界を左右するような会談が行われたのかしらと妄想していると、ふだん手入れをしているおじさんと偶然にもお話することが出来ました。有り難くも、そのおじさんにいろんなことを教えていただきましたので、一部、そのおじさんの解説をそのまま引用。

「中にある台所は銅でできているわけよ。磨くのに、一時間。もう、くたくた。」



はは~。(_ _)

おじさーん、本当にピカピカです!



「湿気が入るとカビが生えるわけよ。だからカビがはえないように、空気を入れてさ」
「天井も全部ほこり落として」



はは~。。(_ _)

以下、おじさん話は略。


話変わりますが、茶道について。
信長も秀吉も、千利休&茶道をの魅力を巧みに政治に利用したなどと、書物には書かれています。詳しい人から聞くとネバーエンディングな「茶道」の世界。私はそれを詳しく語ることはできませんが、三畳のお茶室に入って、「ここでもてなされる」ということを想像しました。やはり特別なおもいをいだきます。何か空気が違います。







よく、交渉する時は場所を選べといいますが、それと同じで、大事な会談にはそれなりの場所があるのでしょう。目の前に秀吉がいて、私はたらしこまれた気分。(この妄想は、松滴庵とは無関係です)わかりもしないのに勝手なことをいうと、この距離感は、人の心に入り込む距離感です。また、ご存じの通り、お茶室は庭園とセットです。窓から見える景色まで、計算されている。その美しさに魅了されました。






私は木製のもの、古いものが本能的に好きです。
だからこういうのがたまらない。



古くて、味わいのある木製のモノをみるとすりすりしたくなってしまいます。



たまらん。




庭園とお茶室の融合を感じて、日本に生まれて良かったと思いました。




おじちゃん、大変だと思いますが、手入れよろしくお願いします。有り難うございました。


付録

「この鯉も、今年だけで9匹死んだんだよ~」(おじさん)

おじさーん(^0^;)






品川区歴史館ホームページ


おまけ


「坂の上の雲」のせつなさと希望と

2011-10-22 03:39:15 | 読書感想文
いよいよ、秋山兄弟の活躍場面となるNHKのドラマ放送を前に、再び坂の上の雲をひもといてみました。(地図があるから、予習によいのですよね~)

もう何回読んだかわからないけど、それでも読み返してしまう本のひとつが、「坂の上の雲」あらためてこの作品の普遍的な人気を感じました。

そういえば、ボランティアでご一緒した学生さんたちも、司馬遼太郎作品を読んで、大志を抱いていました。

男の子なら(女の子でも)一度は読みたい司馬遼太郎作品。「坂の上の雲」とは、小さく幼かった日本国家が、上り坂を下から眺めて、ここを登れば、雲=近代国家に手が届くんだ、と思っていたのを、坂の上にたなびく一筋の雲に例えた、本当に切なくなるような題名。

そして、そこを登り続けることで、日本という国は大きな負の遺産を負う事になっったのもまぎれもない事実です。それでも、登り始めたときの日本は、日本人は、カッコよかったと思います。

日露戦争のあと、日本が犯した過ち、その悲惨を知り、悲しみながらも、この作品を書いた司馬遼太郎さん。

太閤記でも、司馬さんは、秀吉の悲惨な晩年を書いてませんよね。

司馬遼太郎さんは、ぜんぶわかった上で、日本人を勇気づけ、カッコよく美しい日本人を描きつづけてきました。
そんなことを考えていたら、もし司馬さんがご存命だったら、今日の日本をどう描くのだろうかと思いました。

秋山兄弟のかっこいい活躍ぶりを楽しみながら、この小説、そしてドラマの根底に流れる奥深いメッセージを深く刻みつけたいです。


*************

坂の上の雲〈1〉 (文春文庫)
司馬 遼太郎
文藝春秋

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年を重ねる愉しみ

2011-10-22 03:32:55 | 嬉しい!楽しい!面白い!ワクワク!
女性に例えると、「秋の美しさは成熟した美しさ」「冬は思慮深い銀髪の女性の美しさ」・・・。というたとえを聴いて、素敵だと思いました。

DVD‐BOOK ベニシアの手づくり暮らし 猫のしっぽ カエルの手 秋冬編
ベニシア・スタンリー・スミス
世界文化社


若さにしがみつくよりも、好奇心や向学心はそのままに、気持ちよく年を重ねることの方が素敵だと思います。

秋の紅葉はアラフォーの美しさよ、なーんて言ったら怒られるかしら?






そして、年を重ねて、↓こんな表情が浮かべられるようになったら良いのだけど。






築100年の古民家で自然と寄り添うベニシアさんの暮らし

2011-10-22 03:25:16 | 嬉しい!楽しい!面白い!ワクワク!
昨年、NHKのアサイチでとりあげられて初めて知ったベニシア・スタンリー・スミスさん。

約30年前にイギリスの貴族社会を飛び出してきたベニシアさんは、京都・大原の豊かな自然の中にある築100年の古民家に暮らしています。
家のまわりには、幼い頃から憧れていたコテージガーデンを造り、200種類以上のハーブを育て、手作りライフを楽しんでいます。

自ら育てたハーブを使って作るのは、料理からスキンケア、石けん、防虫剤、風邪薬など、生活に必要なありとあらゆるもの。

そして、その著書では、ハーブのレシピや、大原での暮らしと四季折々の美しい風景写真を紹介し、田舎暮らしの楽しみや、イギリスの屋敷で暮らしていた日々の想い出をエッセイに綴っています。

コテージ・ガーデンを作りながら暮らす中で、少しずつ見えてきた、植物の力、環境問題や食の安全、これからの教育や職業の選択などについて語ります。

「地球というこの美しい星に今、こうやって自分が生きていることが奇跡」と語るベニシアさんの言葉の力に私は惹きつけられました。
ただ、素敵、お洒落ということ以上に、「幸せとは何か」「どう生きるか」を考えさせてくれます。




●ベニシアさんのブログ

http://www.venetia-international.com/m51_blog.php?p=11111

ベニシアの京都里山暮らし ―大原に安住の地を求めて Venetia's Kyoto Country Living
ベニシア・スタンリー・スミス Venetia Stanley-Smith
世界文化社

わたしたちが住んでいる世界のよろこびや神秘などをいっしょに再発見し、感動を分かち合うこと

2011-10-10 18:36:32 | 私らしく生きる。気づきと学び
今週も懲りずに東京港野鳥公園に行きました。



今日も、人間の1000倍くらいの鳥と遭遇

美味しそうな、鴨



美味しそうな、カワウ




こんな観察小屋が所々にあります。



小窓から観察(のぞき部屋みたいですね)



今日の、のぞき部屋は踊り子さんいませんでした。



でも綺麗。

秋ですね。



「トマトだ!」
大きさが違うだろーーっ!




「行けーーー!」



「あっ!」



「エビだ!」



ザリガニが怒っています。汗


何かしてやろう・・・。
(殴ろうとしているようにみえますが)



嬉しそう。棒もって・・(^0^;)



それにしても綺麗。

幻滅も倦怠もふっとびました。






一日、うきゃうきゃとおちゃらけながら、幻滅と倦怠から、レイチェル・カーソンのことをふと、思い出しました。

彼女の願いは、すべての子どもが生まれながらに持っている「センス・オブ・ワンダー」、つまり「神秘さや不思議さに目を見はる感性」を、いつまでも失わないでほしいというものでした。
そのために「わたしたちが住んでいる世界のよろこび、感激、神秘などを子どもといっしょに再発見し、感動を分かち合ってくれる大人が、すくなくともひとり、そばにいる」ことが必要だと言っています。

私は、そのひとりになれるかしら?

センス・オブ・ワンダー
レイチェル・L. カーソン
新潮社










「とらわれて役に立たぬことを考えず前に進め!」

2011-10-08 18:47:02 | 私らしく生きる。気づきと学び
1月2日に鶴見の潮田神社でひいたおみくじと3日に大井の鹿嶋神社でひいたおみくじが一字一句違わず驚いた2011年のはじめ。おそらく1%以下の確率で私のもとに、神様から届いたメッセージは、
「とらわれて役に立たぬことを考えず前に進め」
でした。
そして、3.11が起こり、日本が変わり、社会も変わり、想定外ばかりの一年間、そのメッセージを胸に「前に進んで」きたように思います。

まず、非常に頼りにしていた、しかも災害や福祉など支援専門の優秀な先輩が突然職場を去りました。とても残念だったし、責任を感じました。なぜだろうかと自問自答し、家ではずっと泣いていたり、眠れない日々が続きました。特に東日本大震災に関しては、専門外の私には無理だ、手におえない、できないと思いました。周囲には「なんとかなります」と言いながら、実は「できない」といちばん思っていたのは私だったと思います。

しかし、震災の緊急募金の管理、毎週の会議であがる様々な課題のクリア、各種調整、制作発表、その後はイベントと番組の裏方稼業に追われ、悲しんだり、できないなどと言っている閑など、ありませんでした。

春が過ぎ、7月被災地での打ち合わせにいきました。




震災から4ヶ月たってこの状況。見渡す限りの廃墟を石巻でみました。この光景をみて涙が止まらなくなりました。それまでも、休日に震災のニュースをみるとよく涙が出ていましたが、生でみて、生できいた衝撃は大きかったです。

このとき「前に進むしかない」と思いました。このあと、迷いは、消えました。その後、専門外だろうと、不十分だろうと、「前に進んできた」人たちに大勢出会い、勇気をいただきました。


怒涛のイベントや番組の準備、本番が過ぎ、集計をし・監査を終えた金曜日、上司や先輩とへろへろになりながら、

「奇跡になんとかなっているな、いまのところは・・」と笑いました。

(あくまでも「いまのところ」であり、あくまでも「自分たちでおそれていたよりは良い」の意味です・笑。それくらい危機でした。)

その後、ふりかえり、少し分析をしました。

1,言いたいことを言い合う関係

→ 本音と建て前を使い分けたり、
遠慮をしていると仕事に支障をきたすことに気づき、まず、現場レベルでタブーをなくしました。
とりあえず、現場から上がった声と自分の考えで「すぐ手を打たないと」ということは即上に上げました。上司と衝突したことは、数知れず。
その後、激論が「普通」になり今に至ります。

2.情報共有

→こちらも、打ち合わせしている閑がないから、スケジュール、進行状況、その他情報共有がいつのまにか徹底しました。

必要な情報を下におろさないと私が上司に厳しく苦情を言うので、後輩もその私をみて、私が必要な情報を伝えていないと苦情が(^0^;)。
でもこれは大切なことです。「ひとりしかわかっていない」をなくしたことも、チームとしてのしなやかさに繋がったと思います。

3.若手の裁量権を増やした

→これは、部長と副部長の英断。慣れた人がいなくなり、若い人たちに任せる決断を上がしてくれたことが本当に助かりました。
私自身は、とにかく後輩を「考える力のある一人前の人間」として扱いました。結果として、後輩たちは、私が考えていた以上に優秀だったのだけれど。

4.個人の手柄より全体のパフォーマンス主義

みんなが「個人の手柄」ではなく、常に「どうやったら全体がうまくいくか」を考えて動いてくれたし、上司や先輩もチームワークをとても大切にしてくれました。「抱え込まない」を合い言葉に、難しいこと、大変なことは、知恵を出し合い、分担しました。これもまた、危機だったからできたことかもしれません。

そして、最後に・・・。
5・「前に進む意思」を自分自身が持ち「前に進もう」と呼びかけてきたことが良かったのかもしれません。
前に進めない人を進ませるために、怒鳴ったこともあります。私より上ですから恨んでいるかもしれない。では、もう一度同じことが起きたらどうするか?ごめんなさい、私は同じことをするつもりです。

そんなわけで、我が零細セクションは「やるしかない」を合い言葉に夏を乗り越え、前に進んできました。「絶対できない」「私たちには無理だ」と思っていたことも、とりあえずは乗り越えました。しかも、当初の予想よりも順調に。これを自分の手柄とは絶対に思いません。では、何か良かったのか?おそらく「危機に直面した」ことにより上記ができたからなのではないかと思います。

私自身は7月に被災地をみてから、全く迷いはなかったし、今でも「前に進むこと」への迷い、ためらいはありません。部内でのタブーや激論はあたりまえになり、週が明けたらまた激論が待っているでしょう。激論して前に進む、これが我が零細セクションのパターンとして定着したように思います。

おそらく、想定外の連続が私たちを鍛えたのだと思います。まだまだ弱いけれど、零細セクションなりに本当に強くなったのだと思います。震災前にはなかった強さです。

いっしょに力強く前に進んでくれた上司、先輩、後輩たちに心からの感謝と敬意をこめて、今日はこのブログを書いています。

また、やめた先輩の活躍と健康と幸せと、これまで育ててくれたことへの御礼も忘れずに。

それでも、すべてはまだはじまったばかりなんですよね。
「とらわれて役に立たぬことを考えず前に進め」
はこれからも続きます。

本当に、まだ、はじまったばかりなのですよね。




あたりまえの幸せ

2011-10-03 22:36:45 | このブログについて・お知らせ


あまり詳しい事情は書けませんが、10年前の9月11日、妊娠9ヶ月で行き倒れた私は病院のベッドで目覚め、同時多発テロでWTCが崩壊する様子をひとりみつめていました。

私的事情で途方にくれ、祖母に電話して泣き出す。すると祖母は、「あんたマスコミの人間でしょ。しっかりしなさい。歴史的な悲劇が起こっているのよ。テレビを観なさい。新聞を読みなさい。そして考えなさい。」と一喝され、いきなりしゃきっと気合が入りました。これも祖母の優しさだと思いました。

そして産休までの残り一週間を病院から会社に通いました。私が毎日同じ服で出社していることには妊婦ゆえ、誰も気付かなかったようです。
9.11の情報が交錯し、あわただしい雰囲気の中、引継ぎを終え、誰もいないフロアから紙袋を5個持って、転院する病院に「チェックイン」しました。

そして、そこに入院中に、もうひとつの悲劇、育児中だった同期(仲のいい友達だった)の突然の死を知りました。素晴らしい女性でした。彼女が残したお子さんは、いまどこで何をしているのでしょうか。幸せであることを祈ります。

前年、予定日に第一子を喪った私は、妊娠6ヶ月頃から、お腹の中にいる子供が死ぬ夢を毎日のようにみていました。(おそらく、離婚した前の夫も同じように苦しんでいたと思います。)
喪った子供への責任を感じ、亡くなった友人の力になれなかったことを悔やみ、生まれてくる子供の父親がいなくなる現実を嘆き、毎日夢を見て発作を起こし、最後には喋れなくなりました。

それでも、9.11について新聞を読みつづけることだけはなぜか止めませんでした。新聞を三紙購読しながら2ヶ月入院していた、旦那さんのいない?妊婦はさぞかし不思議な存在だったことでしょう。自分の身に起こったことよりも、もっともっとおそろしい事が起こった。
それを知らなければならない、という気持ちが私に正気を保たせたのだと思います。

そして2ヶ月の入院ののち長男が誕生しました。長男が「生きて」産まれたときは神様に感謝しました。そして5年間ふたりで寄り添って生き、5年前に再婚し、今の夫との間に次男が生まれました。

今は毎日、ふたりの子供たちの寝顔が待っています。毎日感じることですが、彼らの顔をみるとき「あたりまえの幸せのありがたさ」をかみ締めます。



我が家は、四歳の次男を除き、「家族とはあたりまえにあるもの」という意識はありません。

長男は5年間、ときには22時まで保育園にいたし、忙しいときは区の施設で週末を過ごしました。私は当時も今と同じ仕事をしていましたので、今の私がたったひとりで乳児から幼児にかけての子供を育てて、私が働いている間、子供はずっと預けられているとイメージしていただければわかりやすいと思います。当時の状況では、生きていくにはそうするしかなかったのです。

ですから、私たち家族は、「家族が普通に一緒にいられることが、いかに幸せなことか」をよくわかっていると思います。

重ねて言いますが、あたりまえの、ありきたりな幸せが、いま本当に有難い。

9.11だけでなく、3.11以降もさまざまな理由で理不尽に破壊される無数の家族のことを思うと言葉もありません。そうした方たちへ心よりの追悼と、残された人にいつか心の平安が訪れることを願ってやみません。

暗示の効用

2011-10-02 17:08:31 | 嬉しい!楽しい!面白い!ワクワク!
10月1日は4歳の次男の運動会でした。

事前の情報によると、スタートに難があり、
いつもビリということ。

楽観的の前に「超」がつく次男。
「がはは~ビリじゃ~」
と笑い飛ばしていたものの、
彼女(がいるんですよ、保育園に)
の手前かっこわるいと思ったのか、
一週間前になって「ママやばいよ~」
と焦りはじめました。

その頃私は月末ぎりぎりになって
仕事が終わらず、アクシデントもあり、
かなりスリリングな月末を迎えることに。
おまけに風邪までひいてしまい、
かけっこについては完全に無策のまま、
9月30日を迎えました。

9月30日の夜やっとなんとかしなきゃと
思って、考え出したのが「イメトレ」。
「要はイメージの問題だ」。
保育園児のかけっこなんて、
30メートルくらいのもんだから、
スタートさえ成功すればなんとかなる、
ということで、そこに焦点を絞ることに。

10月1日当日の朝起きたときから、
「昨日、ひろぴんがかけっこでスタートが
スッゴクうまくいく夢をみた」
「夢の中で笛と同時に風のように走っていた」
「なんか勝てるような気がする」
「ママの予感はあたる」
「ひろぴんって、本番に強いしね」

と暗示をかけまくりました。

インチキ占い師のような母ちゃんだ。

「スタートする前に上手くいく姿を考えること」
(イメトレをしろということ)

しかし、ひろぴんは
インチキ占い師の言葉をちゃんと真面目に
実行したのです。

●イメトレ中
(ひろぴん、偉い!)




●スタート前の集中
笛を吹くセンセイを凝視
(ちゃんと集中できて偉い!)



いけーーーーーーー!





ママは、ムービーだったので、
予想より早い動きについていけず、
動画は見切れてしまいました。
スチール担当のパパの話では
1か2番ということ。

やったーーーーーーー!

インチキ占い師作戦、大成功。

とどめに
「ほーら、ひろぴんは本番に強いでしょ!」
と10回くらい言っておきました。


彼女(4歳)にぎゅーっと抱きしめられて、
(写真は非公開)
家族みんなに褒められて、
ひろぴんは再び、超楽観的オヤジにもどり、
「ガハハハ、ヒロピンはいちばんじゃ~」
と高笑い。

でも、夜寝る前に、小さな声で、
「実はホッとした」
と打ち明けてくれました。

良かったね、ヒロピン。!(^^)!