次男が学習もどきを始め、私は初めて
『知的障害のない』子供に、
親として何かを教えるという経験をしています。
実の弟、長男がともにハンディキャップがあったために、
私自身は『すぐにわからない』ことに、
むしろ慣れていました。
理解が遅い長男にかなり厳しい旦那と、
教え方をめぐり喧嘩になることもあります。
そんな私には、ハンディキャップのない次男は、
むしろ驚きの存在。
これまでも比べて、あまりにもなんでもわかるので、
「この子、天才なんじゃない!!!」
と言う私に
旦那は、
「いや・・普通だから」(^^;
(ああ、恥ずかしいという顔で冷静に言われてしまった)
そんな、次男を教えながら、
いつか彼が勉強で長男を追い越す日が来ることを
あらためて覚悟しました。
そしてその時、「勉強の力」だけでなく、
「思いやり」や「人間性」が、
次男に備わっていなければと強く思いました。
現在、次男は、部分的に長男を超え、
言語にいたっては勝負にならないくらい上手く喋れます。
しかし、彼らの関係は変わりませんでした。
長男は次男を思いやり、小さいから、弟だからと
いつも心配して愛している。
次男は長男を代弁し庇う。
一度も教えていないのに、
次男は、決して長男のハンディキャップを馬鹿にしないし、
言ってはいけないことは言わない。
雄弁家で毒舌の3歳は、
私たちには毒舌を放ちながらも、
兄に対しては、両親である私たち夫婦ですら
つい、無神経にしてしまうような失言すらしません。
次男という立場、性格、
家族全員から愛情を一身にうけて育ったことなど
いろんな要因はあるでしょうが、
本当に人が傷つくことはしないし言わない。
あらためて、次男のこの資質を、
神様と次男に感謝しています。
あなたたちは、いずれ別々の道をいく。
しかし、どんなに頑張っても、
私たち両親は長男より長生きはできません。
だから長男が自立できるよう、私たちは頑張らなければ。
ハンディキャップを超えた絆が育っていくよう、
祈らずにはいられません。
『知的障害のない』子供に、
親として何かを教えるという経験をしています。
実の弟、長男がともにハンディキャップがあったために、
私自身は『すぐにわからない』ことに、
むしろ慣れていました。
理解が遅い長男にかなり厳しい旦那と、
教え方をめぐり喧嘩になることもあります。
そんな私には、ハンディキャップのない次男は、
むしろ驚きの存在。
これまでも比べて、あまりにもなんでもわかるので、
「この子、天才なんじゃない!!!」
と言う私に
旦那は、
「いや・・普通だから」(^^;
(ああ、恥ずかしいという顔で冷静に言われてしまった)
そんな、次男を教えながら、
いつか彼が勉強で長男を追い越す日が来ることを
あらためて覚悟しました。
そしてその時、「勉強の力」だけでなく、
「思いやり」や「人間性」が、
次男に備わっていなければと強く思いました。
現在、次男は、部分的に長男を超え、
言語にいたっては勝負にならないくらい上手く喋れます。
しかし、彼らの関係は変わりませんでした。
長男は次男を思いやり、小さいから、弟だからと
いつも心配して愛している。
次男は長男を代弁し庇う。
一度も教えていないのに、
次男は、決して長男のハンディキャップを馬鹿にしないし、
言ってはいけないことは言わない。
雄弁家で毒舌の3歳は、
私たちには毒舌を放ちながらも、
兄に対しては、両親である私たち夫婦ですら
つい、無神経にしてしまうような失言すらしません。
次男という立場、性格、
家族全員から愛情を一身にうけて育ったことなど
いろんな要因はあるでしょうが、
本当に人が傷つくことはしないし言わない。
あらためて、次男のこの資質を、
神様と次男に感謝しています。
あなたたちは、いずれ別々の道をいく。
しかし、どんなに頑張っても、
私たち両親は長男より長生きはできません。
だから長男が自立できるよう、私たちは頑張らなければ。
ハンディキャップを超えた絆が育っていくよう、
祈らずにはいられません。