母は心の中で生きてる

母が難病(原発性アミロイドーシス)と診断を受け、母の性格を考え告知せず、母の生との別れの後の家族の生活

9月8日

2006年09月08日 22時20分33秒 | Weblog
子供達を見送り、昨夜、いやちょっと前から気になっていた、玄関のサッシ・締まりが悪かったのだ。 それを直している最中、父は【じぃちゃんがやるよ】と言ってきた。
でも、出来ない。
ちょっとしょげて、居間に行ったので、父が出来そうな事を頼んだ。
それは、電気(照明)の傘を取り外す事だった。
父は、軽く 【よし!】と始めたのだが・・・
その途端、バギッ と何やら音がした。
天井の受け口の一部が破壊されたのだ
折角、しょげてしまった 父を と思った事が、更に追い打ちを掛けてしまう事になってしまった
しょげているので、取りあえず、電気はそのまま放置する事にした。

母は ここんところ、ずっと横になっている。
横になっているのが楽だというのだ。
だが、今日は私もパートが休みだし、掃除をする切っ掛けだと思い、母に
『午前中だけでも布団たたんでみない? きっと外に出たら気分も少し違うと思うし』
と言うと、母は
『そぅだね~布団があるとつい横になっちゃうからね』
と 言った。
母は着替える気配が有ったので、私は母の部屋を出た。
すると、『いたぁ~い』と甲高い声
父は『どこだ!』と言い、母の所に駆け寄る。
母は ズボンを立ったまま履こうとしたら倒れたらしい

これじゃ、両親揃って朝からショックな事ばかりだ

私は二階の3部屋と廊下や洗面所から・・・掃除を始め、一階は洋間・玄関 と始めた。
母はその間、庭に出て、陶器のイス? に座り、腕を上に上げたりしていた。
一瞬、私の気持ちの中で すごく晴れ晴れとした気がした。
自己解釈だが、母が外に出て気分転換している と感じたのだ。

夕方、父は近所のお通夜に参列するので、5時半帰宅した。
駐車場が狭い 所なので、私は送迎をする事になった。
夕飯7時・母は、みそ汁の具(玉葱&じゃがいも)・赤飯100グラム を食べられた。
今日はかなり食べたと思う。
疲れたらしく、入浴はせず、布団に横になった。
すると 母は、数日前から尿が濁っている と不安がる。
泡は多少出ていたらしいが、濁っていると言うのだ。
でも、病院に行っても・・・と思い、
数日前って横になってからだからね~、尿が出てない訳じゃないし、もぅ少し様子見たら?
と伝えた。

父は明日から夕飯は食べない と言う。
火曜あたりに、糖尿病の定期検診があるからだ。

パパは帰ってくるのかどぅだか連絡来ないし 他の連絡は毎日あるんだけど、全く予定が分からないらしい。
雪が降らないうちに、済ませないとならないし、きっと忙しいんだろうね。

幸い、子供達は元気だし、私の頭痛も昨日より楽。
薬疹は残ってしまったけど、時間が経過すれば消える って以前皮膚科で言われた。
ってか、バファリンで前回薬疹出たのに、飲んだ私がバカだったんだ
でも、どぅにも痛くて眠れなくて・・・。
今夜は 早く寝よう と思いつつ、既に10時過ぎ
あれこれやれば、11時過ぎるな
長女は 居間から二階に来ないで見てるし
次女は DSやってるし。
眠いのは 私だけだぁ~~~

明日は 長女の習い事の送迎・夕方は長女&次女の習い事の送迎。
出たり入ったりだが、何か気分転換を出来るように 頑張ります

9月7日

2006年09月07日 21時16分38秒 | Weblog
朝から 変な天気だ。
今にもが降りそうだ。
私は子供と一緒に 家を出て、朝の旗当番に出掛け、帰宅した。

父も母も起きて、居間に座っていたので、大丈夫だ と思い、いつも通り仕事に出掛けた。

昼間 父からメールが来た。
【昨夜も ばぁちゃんはもぅすぐ死ぬみたい な言葉ばかり、唇が黒ずんで見えるから心臓にもだいぶ負担が来て居るみたい、再入院をさせた方が良いみたい】
 とメールが来た。

私は、【入院はムリだよ、前回食事をわずかしか食べられない って言っても入院は出来なかったでしょ。もぅ家で出来るだけ過ごさせて下さい って意味だよ。】
と伝えた。

仕事を午後終え、帰宅すると、やはり玄関の鍵は掛かっている。
全く 外に出た気配は無いのだ。
せめて庭に出て、花や草を触る事くらいはして欲しいのだが・・・。
布団を一日中敷き、横になっているだけだ。

言いたくないが、母に 夕食とか別にする? 別にするなら自分がやらなきゃ って必要性が出てくるから少しは動く気力が出てくるかなぁ。 と思ったが
そんな話をしている合間も、母はずっと座っていたが下を向いていた。
頭を持ち上げる事も辛いのかなぁ? と思ってしまう程だ。

平均して 父が出掛けるのが9時半・私が午後まで仕事をやって帰宅するのは3時過ぎ。
だいたい5時間半母は一人である。
その間、夕食の1品くらいは出来るんじゃないか と思うのだが、
実際私は健康体なので理解しがたい。
でも、誰かが自分を必要としている と思えたら、生きる力に変わるんじゃないか って私は思っているのだ。

夕飯も小さいおにぎりを1つしか食べないし(おにぎりが食べたいと言うので、2つ作った)、早々に部屋に行ってしまった。
母には 父の夕飯をおぼんにのせて と伝えた。
それくらいは出来るだろぅ と思ったのだ。
だが、私達が入浴を終え、洗濯を終え、8時半には二階に上がろうと 母の部屋を見たとき、
母は【電気消して】と言った。
寝てしまうらしい
それでも、どぅしても 母に生きる力 に替えて欲しい一心で 私は
【じぃちゃんの御飯してないけど、ママやろぅか?】
と聞いたら
母は【御飯はやるから】 と言って寝てしまった。
父には さっきメールしておいた。@おぼんの事
御飯と言っても、おぼんに お茶碗と箸とおかずのお皿等を乗せるだけだ。
おかずも作ってあるし。

どぅしたら 生きる力に変わるんだろぅ。
どぅしたら 母の充実した毎日が送れるんだろぅ。
どぅしたら 母が悔いることが無い人生を送れるんだろぅ。
私は 母にムチを打っているだけなのかなぁ?

明日のパートは 機械の点検作業が終わらなくて、朝会社に電話してからの判断だ。
もしかしたら 休みかなぁ~

ともかく、母が何をしたい ってのが、無いのが困る。

9月6日

2006年09月06日 20時49分46秒 | Weblog
今朝は ちょっと涼しかった。
雨も降っていた。

母は 今まで 一番に起きていたが、入院してからは、ずっと一番最後の起床だ。
布団から出てこないだけだが・・・。

子供が学校に行ってから、母が起きてくる。
と 言う毎日だ。

今日も、長女は林間学校なので(本日帰宅)、次女だけ学校に行った。
その後、母が起きて、朝食となる。
トースト6マイ切り を1マイ。
その後は 私は仕事に出掛けてしまう。
焼きお握り(小さめ2つ)と カップ麺を 電子レンジ前に置き、母に伝え
仕事に出掛けた。

仕事を終え、学校に行き、子供達を乗せて帰宅した。
母は お昼寝をしていた様だ(玄関の鍵が閉まっていた)

母は、昼食に カップ麺と冷凍食品のお赤飯を食べたらしい。
秋篠宮様に男児誕生の報道で、TVの街頭インタビューで 今夜は赤飯だ
と言っていたのを聞き、赤飯にしたらしい

夕飯は 量は少ないが、食べることが出来た。
時々 まだ腹痛があるみたいだ。
やっぱり病気の症状の1つの可能性があるのでは・・・と思う。
症状の1つ には【長期にわったっての下痢や便秘】とある。
どちらかと言えば、母が腹痛を訴えた日、病気の症状が出てきた と言う気持ちの方が大きかった。
だが、食あたりで有って欲しい と言う気持ち・・・

夕飯を食べ、少し母は台所に立った。
父の夕食を おぼんに のせる と言う作業だ。
多分、今日は長女の荷物の洗濯に追われる私を助けるために やってくれたのだと思う。
とてもありがたい事だし、動けた事が一番嬉しく感じる。

入浴後 母は布団に横になっている。
昼間の昼寝も1時間半程度したらしい(みのもんた の人生相談は全然記憶が無いって)

寝る・食べる は少しだが出来るようになった。
出来るようになった と言うのは 変な言葉だが、今は出来る。
これが少しでも長く続いてくれれば・・・ と思う。

明日はて、長女の洗濯ばかり・・・
夜に洗濯を全て済ませてしまうが、今夜はこの天気で乾きそうも無い。
のんびり、母に洗濯物を取り込んで貰う事しよぅ。
明日も おはよぅ おやすみ が言える日になりますように・・・

TV

2006年09月05日 23時13分11秒 | Weblog
朝から TVの合間に出ていた ドラマを見た。
肝臓移植のドラマだ。

ドラマの中の郁恵ちゃんが入院中に着ていたパジャマは、母が入院していた時に着ていたパジャマと似ていた。
どちらかと言えば 私は視力が悪いし、寝室に置いてあるTVは、物持ちが良くパパが16歳の時にバイトの初給料で買ったテレビだから 質も今のTVと比較したら悪い。
だけど、色合いや柄がすごく良く似ていた。

移植・・・母の治療方法でも 聞いた言葉だ。
そのTVを見ても、移植をする・しない と迷う気持ちは全くない。
医師から言われたのは、治療ではなく、あくまでも延命 と言う事だ。
個人差はあるが、その延命(移植)には、半年から8ヶ月を要し、母の心臓の動きを視野に入れると成功確率は2割。 
成功しても2年の延命。
24ヶ月から8ヶ月を引いたら、医師から宣告された余命6ヶ月から1年
と言う事と 変わりが無いのだ。

母の姉は 40代後半で 白血病で亡くなっている。
無菌室から出ることが出来なく、肺炎を併発し亡くなったのだ。
その事は 母は重々知っている。

母の性格上、無菌室に入ったら、その事が頭から離れなくなるだろぅ。

何しろ、成功率が低すぎた。
完治するなら 確率が低くても 踏み込めた。
あまりにも・・・確率が低かった。

このTVを見たのは、TVの話題ってのもある、
家族がどぅやって 過ごせるのか、過ごさせてあげられるのか
何かヒントが無いのか。 と思ったからだ。
だが、あのパジャマをみてしまってから、ヒントなんて見つける事が出来なかった。

来週も火曜に 似たようなドラマがあるらしい。
見られるのか分からないが、何かヒントが有ったら見つけたい。

父は 私に、 【ママは充分すぎる程やっているよ】
と言うが、 まだ何か出来るんじゃないか・何かして欲しいんじゃないか・何かしたいんじゃないか と思ってしまう。
だけど、母は 未だ 何も見つからない 何もない と言う。


9月5日

2006年09月05日 21時14分30秒 | Weblog
昨夜 別室で寝た両親。
母は 今夜は父と一緒に寝るらしい。

母は 今朝ちょっと調子が良かった。
調子が良かった と言っても 動き回れる とかではなく、起きていられる 座っていられる と言う事だ。

午前中に 煮物を作ったらしいが、こがしてしまった と言っていた。

午後は 横になっていたが、午前中動けたし、秋桜に水をあげられた。

何処まで母がムリをしていて 起きているのかは 分からない。
だけど、多少無理をして動いて、極端だが 1日寿命が短くなってしまったとしても、私は母が動ける日々をとる。 そりゃ1日でも長く生きて欲しい、だけど、悔いが少しでも少ない方が良い。

明日は どんな体調だか 明日にならないと分からないが、明日も おはよう と言える
朝を迎えたい。

母の腹痛も治まり、夕飯の1品も焦がしてしまったが、台所に立つことは出来た。

心のうち

2006年09月04日 20時50分51秒 | Weblog
発症率が少なく、全国で数百人しか居ない と言われる 原発性アミロイドーシス
その御家族・ご本人でも良いです。
何をどぅすれば良いのか・・・生活の上でアドバイスがあったら 教えて下さい。


私なりに、母に前向きになれるように と日々アドバイスはしているのですが・・・・。
何でも良いんです。 小さな会話1つでも・・・。

9月4日

2006年09月04日 20時44分43秒 | Weblog
いよいよ 長女の林間学校だ。
早朝5時に起床し、静かに一階に下りた。

お弁当を作り終わり、7時になっても父が部屋から出てこない。
昨夜の話では、朝7時には家を出る と言っていたはず。
でも、そんな事は 私は気にしていられない。
次女をいつもと違う集合場所に連れて行き、今度は長女を学校迄送っていくのだ。

送り終え、ほっと一息した途端、父が【今日ママは何時まで仕事?】と聞く。
そぅ聞くときは 決まって、母が具合悪いのだ。

母は昨日の夜から 腹痛があるらしい。
食あたり??? カニを食べた後、氷水と氷をガリガリと食べていたらしい

困るのは、病院・・・・。
腎臓で掛かっている病院にするのか、近くの病院にするかだ。。。
あれこれ、考えたが、時々、母は今は何ともない。 と言う。
なので、少し様子を見る事にした。
昼食を食べ、その後、やはり若干腹痛があるので、子供達も受診しているいつもの病院に行くことにした。
父に連絡をし、午後からの4時の診察時間にした。

色々調べると、下痢と便秘の繰り返し と書いてあったりするが、これがそぅなのかは 分からない。

母は 目眩はここ数日酷いらしい。 
眠れない、TVが付けっぱなしだ とか 色々母は父を責め立てる。
几帳面な性格なだけに、気になるのだろぅ。
父は何も文句言わない、ただ、黙って聞いている。
今夜は 父は和室・母は洋間 で寝る事にした。

母は 何をやるにも やる気がおきない。
花を植えたいってのはあるけど、そこから先が進まない って言う。

毎日1つのプランターだけを触る様にしたら?
とアドバイスしてみたら、
手がしびれるから出来ない
と言う。

ちょっとカッとなった、

穏やかに、
でもね、手が不自由な人って ばぁちゃんだけじゃないでしょ? 足が不自由な人だって歩こうって思って歩いていたりするし、目が見えない人でも、開き直って目が見えないから出来ない! って言わないよ。 出来る限りでみんな努力してるんだよ。ここまではやった、そこから先はちょっと出来ないからおねがい ってのは手助けできるけど、何もしないとなると何も手助け出来ないよ。
と伝えた。

母は病気の事も私に聞いた。
以前タンパクの数値が悪くなっている ッてことを医師から母に、母から私に伝わった事・毎日の生活を見て の事を含め、
軽度か重度か と聞かれたら、重度に見える と 私は答えた。
その事を言うのにも、ほんの少しの会話の時間だが、頭の中の回転数がし、迷ったが、母が日々少しでも充実出来るよう、悔いが残らないよう と思い答えた。

母は もぅ死んじゃうんだなこれで。 と言ってた。
だから、、、もぅ死んじゃうって言ってないでしょ、と答えた。

整腸剤を飲んだし、今夜ゆっくり寝れば、明日は少し起きられるかなぁ~。
明日こそ、私は仕事に行かないと・・・

9月3日

2006年09月03日 21時29分33秒 | Weblog
朝 おはよう と言える毎日が 今までは 何とも思わなかった。

休日しか 布団を干すことが出来ないから、布団を干そうと思ったら
母は 【今日は1日寝る】
と言うのだ
仕方なく、父のシーツを洗い、布団を干した。

朝食は食べたくない と言う。
だが、朝食を食べないと薬が飲めない。
居間で食べることはせず、部屋まで バナナ1本をcutし、リンゴゼリー(1口サイズ)を2つお皿に入れ、持っていくと食べた。
お皿を下げようと 母の所に行くと、おにぎりが食べたい と言う。
小さい梅干しのおにぎりを2つ(おにぎり2つで1膳程度)と梨を4分の1
持っていくと 食べられた。

父が仕事に行くと、母は着替えだした。
着替えながら、【家のお荷物になっちゃってる・・・】とぼやく。
なので、私は【例え 午後から寝ちゃっても、午前中の1時間でも2時間でも ばぁちゃんが自分の好きに好きなことが出来て、午後から疲れても何とも思わないよ。家事のことだって何も御願いしてないでしょ】
と伝えた。

掃除と洗濯を終わらせ、長女の荷物の支度を終わらせ、買い物に行った。
母に、カニを買いに行こう!
と誘い出し、どぅにか行けた。
自衛隊近くのパンやさんでパンを沢山買い、家に帰ってきて昼食を食べ。
母はお昼寝Time。

夕飯はカニを茹でた。 ハナサキガニだ。
母はカニ味噌も食べ、足も4本食べた。満足だったみたい。

入浴し、今日は洗髪をしたらしい。
シーブリーズで洗ったらしいが、スースーしないって
毛穴が詰まりすぎているのかなぁ??
抜け毛は かなり多い。
湯船にも随分浮いていた。

今日は 割合と食べられた方だ。

美味しい 美味しい とカニを食べていた。
手が効かない ので切れ目を入れたりしたが、母は殻を取りながら食べていた。

明日は 朝5時起床して、お弁当作りだ。
父は 朝7時に出るらしいので、父にもチューリップウィンナー&カニのお弁当
大荷物なので、長女は学校までで送る。
その後 私は仕事に向かう予定だ。 仕事は午前中。

父は 私にメールで 
母が自分の病気を探している・とか・身辺整理している とか 
言うが、私には そぅ思えないのだ。
母にそんな余力があるのだろぅか・・・
見たところ、そんな気配は見あたらない。
最近の母は 自分の事で精一杯なのだ。
1つ1つの動作さえも 大変だ と言うのに、そんな事は出来ないと思う。
病気を疑っている ってのは多少分かる。


9月2日

2006年09月02日 21時43分43秒 | Weblog
いつもの様に 朝が来た。
一階に 降りていくと、両親は起きていたが、母の布団だけ敷いてあった。

父は台所で コーヒーを入れていた。
母は着替えようとして、十二指腸潰瘍をやった時位の頃に履いていたジーンスを履こうとしたら、
お腹周りが入らなかった。


朝食を済ませ、掃除を済ませ、長女の塾へ。
一旦帰宅したら、借りている駐車場の草が伸び放題延びていたので、
母に 10時になったら駐車場に来て。 と声を掛け、私は借りている駐車場の草刈り(借りている一部のスペースのみ)を済ませた。

ウェルシアで父のポリデントを買い(母は車内)、セキチューに行った。
セキチューでは、キッチンテーブル(電子レンジの)のビニールシート・秋桜を買った。
そのまま 長女を迎えに行き、昼食を外で食べようと誘ったが、
どぅしても家が良いらしく、マクドナルドを買い帰った。
母は、普通のハンバーガーとシェイク、ポテトS を食べた。
顔は疲れ切っていて、調子よくないらしい。
食べた後、布団に横になった。

母が横になっている間、台所のビニールシートを替え、床をワックス掛け、秋桜を植えた。
本来 秋桜は母に植えて欲しかったのだが、植えることはちょっと難しい体調だ。

夕方、父からメールがあった @早く帰る
父は 夏バテした と言うが、それは多分 母の体調が思わしくなかったのを父は見たのかも知れない。 父は朝からトースト2マイ・目玉焼きを食べているし。

夕食は 父がケンタッキーを買ってきた。
が、母は一切食べない。
ケンタッキーのチキンも 父がほぐしたが、それも食べない。
お風呂も入らず、夜7時には横になってしまった。

動くには、有る程度の食事や睡眠は必要なのだが、それが養えない。
1つがずれると崩れ始める。

母は 夜 横になる前、【いつもママにばかり負担掛けちゃってごめんね~。全部ママにかぶせちゃって】
と言う。
そんなの考えてると疲れるし、ママは好きに動いているだけだから大丈夫だよ
と伝えた。

明日、母を誘って食料品を買いに行こうかと思っているが、
母の体調を考えての 実行に なると思う。
さすがに、明日は 月曜日に 長女のお弁当を作るので、どぅしても食品は買わないとならない。
母が一緒に行ければ良いのだが・・・・。

夜、パジャマに着替えて居る母を見て、唖然とした。
上半身は細くなってしまい、腹部だけがポッコリしていた。
だけど、何も出来ない。
どぅにもならない状況。例え告知をしたとしても 症状は良くならないのだ。

また明日 おはよう が言える様に・・・

9月1日

2006年09月01日 22時36分30秒 | Weblog
私が単純な性格なのか・・・
パソコンをして、夜寝て、起きると、朝はニコニコ顔で一階に下りられる。
ストレス発散出来ている証拠だね

子供が学校に行った後、両親は居間に来た。
父は 県外の立て看板に、【病院でもムリだと言われた方】みたいな感じで書かれた看板の所に行ってみないか? と言う。
母は、【病院でレントゲンも撮ってないのに行くわけに行かない】と言う。

朝の散歩も近所の人は歩いている、当然母よりもっと年上、70歳の人も居るし、80歳の人も居る。
その話を、母は自分からしておきながら、散歩には行かないと言う。
母が自分から散歩の話をする訳だから、私達は 散歩行くのかなぁ? と自然に思い
【子供達の集合場所まで行ったら良いよ、人も通ってないし】
と伝えると
【みんな私の身体を分かってないんだから!】と言われてしまった
だったら、母も散歩の話をしなけりゃいいのに・・・。

夕方、母はお腹が空いてない と言う。
すいとん(小どんぶり一杯) と 葉生姜 を食べた。

入浴後、母は横になった。
疲れたらしく、いつもより早めの御飯・入浴後 部屋に入って横になった。

夜8時半を過ぎ、父とメールをしていた。
父に告知はしないのか? と聞いてみたのだ。

すると、父は
今度入院したら告知するつもりだ
と言う。

私の意見は、告知するのなら、今。
告知しないなら、母が入院しても、母が疑いを持っても告知はしないべきだ。

そんなメールの最中、携帯が鳴った。
見ると、一階の電話回線だ。
飛んでいくと、母は布団の上に座っていた。
何やら、玄関から物音がするらしく、二階の回線に電話しても繋がらないし。
と言うのだ。
多分、母の押しまちがいだと思う。 だって、私が押したら電話鳴ったし。
物音も、多分 猫。。。

母は 父に電話してくれ と言うので、電話をした。
父が帰ってきて、玄関周辺を見て、家に入った。

そんな事件・・・事件と言う程では無いが、母の神経過敏が更に増している。



父のメール
毎日留守の間に病名をさがしているよ。 自分の死期も予測して身辺の整理に余念がない位。以前と比べ物にならないくらい。毎日の周囲の環境。ダメ押しされたくないのが現状、次回いずれ入院になるときに告知するつもり。

とメールが来た。

なので、ママは
病院で身動きが取れないのに、告知するべきではない。告知しないなら疑われても隠す。告知するなら少しでも動ける今しかない。
とメールした。

パパの父(義父)はパパが15歳の夏に胃ガンで他界した、その時は告知してないそうだ。
姉が勤めていた病院に義父は入院していたが、疑われてもウソは突き通した、だけど、きっと本人は分かっていただろぅ。って言う。

それも1つの方法。
告知するのも1つの方法。
色々な意見は有ると思う。
母の人生だから、母の身体だから と思う反面、母の性格を考えると 告知に踏み込む事が出来ないのだ。

明日は、午前中に長女の塾・夕方から2人の習字がある。
掃除もしたいし・・・・。
トイレ掃除は今日夜終わらせたんだぁ~。何故か一階のトイレの中は磨いても黄ばみとクロすみ。
ゴム手袋をはめ、手で ピカ王 で磨いたら 綺麗になった。

日曜は買い物に行くから、母を誘ってみるつもりだ。
母も 今日 妹と買い物に行ったから、明日行っても買い物無いかもしれないし@食品
明日の母の体調にもよるし。
昨日眠れなかったらしいから、今日は眠れるかしら・・・。

月曜に 長女が林間学校に出発する。
土日のどっちかに 準備オッケー
にしておかないと。

弱音を吐こうと思えば、いっぱいある。
だけど、ここでへこたれる訳にいかないのだ!
私がちゃんとしないと、子供達もパパも みんなが崩れてしまう。
得られることって絶対有ると思う。

明日、掃除して、子供達の送迎、色々あるけど、明日も おはよう って言えるように