母は心の中で生きてる

母が難病(原発性アミロイドーシス)と診断を受け、母の性格を考え告知せず、母の生との別れの後の家族の生活

8月31日

2006年08月31日 20時35分49秒 | Weblog
早朝 まだ5時半なのに、一階からおおきな くしゃみが 何回も聞こえてくる。
6時20分・今日から学校が始まる
一階に下りると、両親の布団は既に畳んであり、部屋で座っている。
結構不気味な場面である

朝食を済ませ、子供達を送り出しながら、可燃ゴミを捨てに行く。
子供達の集合場所までは、直線100Mって所。
母に朝の散歩には往復丁度良いかと思って、言い出してみたが、却下された。
子供達を送りながら、なので、切っ掛けになるかと思ったんだけどねぇ~

私は 半日仕事をして帰宅。
母は やっぱり横になっている。
昼は、コッペパン半分・ナポリタン を食べた。

午後は、そのまま相変わらずのゴロゴロ。

夕食後、母は茶碗を洗い始めたが、途中で『手が変だから』と言い出した。
それからグダグダと 手の感覚を私に訴える。
それが結構私には辛い。

母が入浴中に、母が気になっていた、クリーニングを出しに行った。

身体を起こしている時間が少なくなってきている。
座っているのも辛いのかなぁ~。

何を伝えても、動こうとしない。
『身体がシャンとしない』と言うし。
母が好きなようにして欲しい って事は、今の状態では 放置 と同じだ。

幸い、明日から 私も午後までの出勤になる。
朝のお茶碗洗い、洗濯物を取り込む事、畳むこと、
それくらいは、動かないと どんどん体力も、気力も衰えてしまう。
最低限の家事だ。
まぁ、私が居なければ、居ないなりに1日を過ごすと思いたい。

それにしても、今年の夏は 涼しかった
気候にはとても恵まれている。 暑い地域だが、去年ほど暑くない。
母の体力もそんなに消耗しなかったんじゃないかなぁ~。
もし、猛暑だったら、downしていたと思うし。

明日、妹が来る。
それも母にとっては 楽しみなのだ。
明日は、私も3時迄仕事、子供達も3時下校なので、ゆっくり母と過ごして貰いたい。
毎日一緒に住んでいると、ゆっくり話すことって出来ない@体力的にも精神的にも。
外食に誘ってみて欲しい。
ちょこちょこ買い物とか 外食に誘っているのだが、最近は全く拒否なのだ

8月30日

2006年08月30日 20時28分05秒 | Weblog
朝、ラジオ体操に行き、家に着くが、まだ母が起きてくる気配は無い。
7時半 父と母は起きてきた。
既に、子供も私も朝食は済んだので、片づけていると、
母は 『やるから良いよ』
と言う。
なので、そのままにし、仕事の支度をして、出発した。

帰宅すると、なぜか、台所は 私が洗ったままだった
だったら、 やるから なんて言わない方が良いのになぁ~。

子供達を連れて、母は留守番(一緒に出掛けよう と誘ったが行かない と言うのだ)
帰宅後 そのまま台所へ。

昼食は ちくわの天丼・モスチキン1本。
   モスチキンの様な 物が食べたい と母が言ったからだ。
   だが、母は食欲不振。
    なかなか 部屋から出てこない。
   子供達も何度も呼んでいるのに、『いらない・さっき食べたから』
と平然と言うのだ。
食べた形跡なんて どこにも無いのに。
強行突破で、最後には『捨てるから良い』と私は(-。-) ボソッ と言った。
やっと モスチキン1本を食べただけだった。

夕食は 鉄火丼。
これも 全く手を付けない。
  じゃがバター もホイルで作ったのだが、それも食べない。
  大根のみそ汁の具だけしか食べてない。

アイロン3マイ・ゆずの木を植えたらしい。
その他は 何もしなく、ただ横になっているだけ。
夕食後、入浴を済ませ、また横になってしまう。

放っておくことが一番だ。
私も 冷たいようだが、母にあれこれ言いたくない。
もぅいっぱい言ったし。

明日から 二学期制なので学校が始まる。
明日は 給食無しの下校だから、私も半日勤務にしたが、これからは、母の状態が今と変わりなければ、子供の下校と同じ勤務時間に戻す事にした。

悪い例えだが、母に万一の事が現時点であった時、何が困る って、全く母達の経済状況が分からないのだ。
いくらの支払がどの通帳 みたいなこと・・・。
気持ち的には、ショックはあるけど、悔いは残らないんだと思う。
スーパーに行っても、誰よりも母の食べ物を考え、作り、毎月赤字覚悟で外食誘ったり、
24時間 とまでは言わないが、ずっと見ていて、たべなきゃならないのに、食べて貰えない、
たくさん充実感を味合わせたいのに、動かない。
そんなもどかしさが 私には辛いんだと思う。 ただの現実逃避だな。って思う。

少し、働く時間が増えれば、また私の情緒不安定も治るかなぁ~。
パートを終え、家に帰りたいけど、帰りたくない 気持ちが毎日続いているし。

8月29日

2006年08月29日 22時40分38秒 | Weblog
8月25日 祖父が92歳で他界した。
     4年前に肺ガンと発覚、告知無しの生活を送っていた。
     パパに知らせ、出張先から帰宅したのは、夜中11時半だ。
     
8月26日 納棺が 午前11時。
     祖父の家に集合だ。
     子供達は 自宅にて留守番させた。
     92歳と言う年齢だからなのかもしれないが、パパも有る程度覚悟は出来てた様子。
     12時半 祖父の家を出た。
     パパは私の気を遣い、『たまには二人で食事しよう』と言う。
     近くの 回転寿司(がってん寿司)に行き、皿の色を気にせず、パパは2皿ずつ頼むのだ
     ドキドキしてた会計は パパが支払った
     その夜、子供達は、24時間TVに夢中だった。
     以前からTVで24時間TVの宣伝が有るたびに、『募金行きたい』と騒いでいた。
     夜、9時半 いつも通り 私の家事終了すると、パパが『行くぞ』と言い出す。
     『w(^_^)ンー?ナニナニ。』と私は驚き、明日以降の話をすると、
     『子供達がこれだけ騒いでいるんだ、興味が有るときに行かなきゃ意味がない』
     と言うのだ。
     そりゃ~そぅだが・・・明日はお通夜だぞ。。。
     でも、はっきり言ったら、私の方の祖父では無い。
     パパの母(私にとっては義母)の父である。
     パパがYES なら 良いだろぅから・・・。 と出発、
     残念だが、ホールには入れず、募金とシャツを二人に買い帰宅した。
     募金は 綿棒200本入り程度の瓶に1円~10円が入っている物が2つだ。
     だが・・・家からのガソリン代・高速代・コインパーキング代・タクシー代。
     完全に24時間TVに募金よりも、東京都に募金している方が多いのだ
     自宅に到着したのは、夜中の3時。

8月27日  母は 朝から横になっている。
     今日と明日は一日中 家を出てしまうので、梨をむき、ミスタードーナツを買って、コ
     ンビニで、カップ麺を調達してきた。
     とても、台所に立つ体力は無いのだ。
     夕方 4時 自宅を出発し お通夜に向かう。
     父がお通夜に参列してくれた。

8月28日  今日は幸いな事に、父が休みだ。
      これで一安心。
     母は美容室に行きたい と予約を10時にした。
     ちょうど、玄関の電気が切れてしまったので、ホームセンターまで父の車でパパが出掛    
     けてしまったので、美容室までは私が送っていった。
     その後 早々に着替え、私達は、会場へと向かった。
     父と母の予定は、母の美容院農協で花等買うらしい昼食らしい。
     夜6時 私達は帰宅した。
     予定通り 農協に行った。 と母が言っていた。
     ゆずの木を買ってきたそうだ。
     パパは出張先に戻ると言って、夜中2時半に出掛けた。

8月29日  朝 一階の降りると 布団がしまってある。
     相当早起きしたらしい
     しまってある と言っても そんなに遅い時間でも無い。
     いつも通りの 6時半だ。
     天気も良さそうだし、折角父がたたんだ布団だが、また取り出し、シーツを洗った。
     昼頃 妹が来た。
     妹が 15時半に帰ってしまうと そのままソファーに横になってしまった。
     今日は 朝からずっと横になっていた。
     昼食のカレーは 残さず食べた。
     夜は若干 残したが、今までよりは食べている。
     食後すぐに横になってしまう。
     どぅにも身体がかったるい らしい。
     近所では、足を引きずりながらも 朝散歩している人もいるんだけどね~。
     色々 母に言った。
     『24時間TVとか見て やろぅ 』って自然に動かない?
     と 聞いてみた。
     暫く間が空き、『だって身体がだるいから』と 母は言う。
     あれこれ 話たが、結局は私が出来るのは アドバイスするだけだ。
     『毎日一階の1部屋でも掃除機するとか・・・ワイシャツアイロンするとか』
     でも、母の返事は鈍い。
     母にムチをするように 『まぁ最終的には廻りの意見はあくまでも参考だし、自分でしたくなければそれなりの人生だし、ジッとしてても疲れてしまうなら、例え昼まででも動くとか、考えた方が気が楽かもよ。廻りが何て言おうが、ジッとしていたいなら、それは仕方ない事だからね。筋力が衰えてしまっても、自己責任だよ』
      と伝えた。
     すごく、厳しい事を伝えたと思う。
     告知さえしてしまえば、そんな事を言わずとも 母も自分で行動するかも知れない。
     全て話は オブラートに包むように 話をしなくてはならない歯がゆさ・・・・。
     時々 いらだちを感じる。
     母へアドバイス:毎日入浴も体力いるから、それもリハビリだよ。シャンプーも毎日すると更に良いだろぅし・・・。
     最近 母は一緒に買い物に行きたがらない。
     外に出ると、痩せたんじゃない? とか言われる恐怖があるからだ。
     いかに、室内で・・・と結構これがやることって無いんだ。
     夕飯の1品 ってのも、『疲れるのよね』と言うし、
     毎日1部屋の掃除機 ってのも『掃除って意外に疲れるから』
     と拒否だ。
     もぅ勝手にしろ! と言いたくなる。

明日は 夏休み最終日だ。
     夏休みが終えると、私も午後まで仕事だ。
     お米研ぎ・洗濯を室内に入れる 事は 母も出来るんじゃないかなぁ?
     パンチ(洗濯干し)は 手が不自由なので、1つずつとる事は出来ないと思うから、
     家の中に入れる事は出来ると思うし。
     
  群大を退院してから 既に半年が経過し、母は一日中うつむいたり、横になっている時間ばかりだ。 色々アドバイスしているのに、どぅして動いてくれないんだろ・・・。
『もぅ長くないから?』って数回聞かれたが、話ははぐらかせた。
確認とらないでよ・・・って思ってしまう。
自己処理して、自分で自分スタイルを作ってくれる事が一番なのだが・・・、あの母にはムリ。
と断言出来る。
母であろぅが、生と死では無くても、判断力・決断力ってのはやっぱり必要。

今夜は ムニエルを作った。

あ・・・あと、パパが気軽に水が沢山飲めるように って整水機を買った。
ヤマダ電機で値切って・・・52800円だった。
アルカリイオン(5段階)・弱酸性・浄水が使えるのだ。

買い物 1つでも 母の食べ物を買ったり、作ったりしているのに、母は横になってしまうのだ
 何か無いかなぁ~。って常に思ってしまう。

今夜は 母に色々伝えたから、暫く黙って様子を見る事にする。
極端だが、横になっててあと半年生きられるなら、動いて充実したりする5ヶ月とかの方が良い気がするのだ。 

8月25日

2006年08月25日 21時05分14秒 | Weblog
朝 母はどぅみても気落ちしている。
何やら昨日病院に行って、不安を抱えてきた様だ。
『もしかしたら 診察が終わったあと 誰か呼ばれて病状の説明があったんじゃないか?』
等・・・すごい妄想になっていた。

今日は幸い 私のパート勤務も お昼からなので 父が出社してから1時間くらい話をした。

その後 掃除をし、買い物に出た。
早お昼を食べ、子供達を連れて仕事に出掛ける。
その途中、携帯が鳴った。
『祖父が亡くなった』
取りあえず、仕事先に向かい、周囲に話を概算だが通す。
一旦家に帰り(赤のシャツ来てたし)、ちょっと用事を済ませ、
祖父の家に行く。
日程を決め終わり、孫(主人)・曾孫等で缶詰や灯籠を出すので 話し合い。

三時半頃帰宅し、夕飯の支度をする。

母はいつもよりも 夕飯が食べられた。
お茶碗によそった御飯を残す事無く、串カツ1本・うどん4箸・を食べたのだ。
食事にはムラがある・・・。

明日は 納棺がある。
子供達は 出来ればお留守番させたい。
明日の母の様子で決めよう。

朝食:カステラ
昼食:長い稲荷寿司&コロッケ
夕食:串カツ・うどん・御飯

夕食後、入浴、そしていつもならすぐに布団に横になるが、ソファーに座って話が出来た。

日曜はお通夜があるが、そこはやはり親族なので、早く行かなくてはならない。
そこで問題だ・・・母のお昼と夕飯だ。
出前を頼んで と言ったが 調子よく返事が無いのだ。
母は『ママが午前中に買い物行ってくれれば・・・』と平然と言う。
ちょっとカチンと来た・・・だって、こぅ言う時なんだから午前中も何もないだろぅに それに、午前中に父の夕食まで買って この暑さで夜に食べられるわけ無い。
結局 母は適当にする と言う結論だ。

月曜は 多分父が休みだと思うので心配ない。

パパは 今夜 福島を出発している。
現在 那須パーキングらしい。

落ち着くまで 日記の更新は不可能に近い
母の事も 月曜迄は 気に掛ける程度になってしまう。
日程表を貰ったが、朝から晩まで家に帰ってこられない日程だったから。


8月24日

2006年08月24日 21時31分10秒 | Weblog
今日は 母の定期検診だ。
父は 休みを取り、母に付きそう。
この暑さだし、人の流れもある、とても私一人で 送迎も 駐車場から病院受付まで はムリだからだ。
医師とは 群大から紹介され、母が受診前に 私は面談している。
父はまだ無かったのだ、十二指腸潰瘍で入院した時は、担当医が違うし。

取りあえず、朝 朝食を済ませた。
が・・・母は タンパク(尿検査&血液検査)があるので、気になって、寒天ゼリーとグレープフルーツを食べた。
私は 一旦 仕事に向かった、 指示だけは伝えなくてはならないからだ。
指示を伝え帰宅、まだ病院まで時間があるので、気になっていた 柿の木の虫退治 を始めた。
父も母も出てきて ゴミ袋4袋の枝と葉を入れた。

病院予約は 11時半。
11時に自宅出発、父と母を病院正面入り口で 下ろし、私と子供達は 家に帰る。
雲行きが妖しかったので、洗濯物が気になったのだ。
以前 担当医が『待たせないようにはしますが』と言ったし、ちょっと前に 手のしびれで電話しているので、有る程度の状況は分かってると思い、
【今日はそんなに待たない】
と賭に出た

13時 病院に到着すると、ちょうど診察が終わったところだった

自宅近くのドラッグストアで調剤してもらい、夕食は カッパ寿司に行った。

朝食:寒天&グレープフルーツ
昼食:マクドナルド(エビバーガー??・マックシェイク)・・・完食
夕食:カッパ寿司 5皿

貧血レベルは正常に戻り 13.2。
多分私より正常だ
十二指腸の薬は無くなったけど、肝機能低下しているので、TOTALすると薬は増えてしまった。

思考能力は低下している。
細い水筒に氷水を毎日入れて 寝室に持って行っているのだが、
コップが行方不明だったから、母はそのまま水筒の押す部分を押し 飲もうとして こぼした
私だって その飲み方では飲めないのに・・・。

先々月や先月は薬を1つ1つ切り分け、小袋に毎食ずつにしていた。
多分 今の母の手ではハサミが使えない と思い、声を掛け 小袋に入れた。
銀の梱包されているのも 取り出す事が困難である。
もぅ 私が小さい頃の母では無い と再認識する。

母の手となり と思い、今日は午前に時間が作れたので、虫退治・家の廻りの草むしりをした。

明日は 私の仕事の機械入れ替えが間に合わなかったらしく、昼前後から仕事に出掛ける。
妹も来てくれる日なので 子供は連れて出掛ける。
私は一緒に住んでいるから 母との時間はたっぷりある。
子供だって今は夏休みだから 子供達は家にいるが・・・
妹は 月に一度・2度位しか来られないから 二人で過ごす時間が少ないのだ。
母も 私の愚痴はあるだろぅし。 どんな事をして欲しいか・これがイヤだ とか こういうのが良い とかも きっと母は直接言えないと思うから、妹に話をするかも知れない。
少しでも 妹との時間・母が望む様な事をしてあげたいからね~。

夜は 8時半には 両親の部屋の電気は消えていた。
寝ているのかは 分からないが・・・。
多分、病院に行く事で 母は眠れなかったかも知れないし。

入院の件だが、診察室で 入院の必要なし と言う事を言われたらしい。
告知をしてないから はっきりとは医師も言えないだろぅけど・・・
結局は 治療方法が無い訳だし、全く食事を摂取出来ない訳じゃないからかなぁ~。

カッパ寿司に行ったけど、座っている事が苦痛に見えた。
座っているのが苦痛なのか、 食べ物を見ることが苦痛なのかは分からない。

8月23日

2006年08月23日 20時56分09秒 | Weblog
朝、6時半に 一階に下りると 父の姿が無い。
ゴミ捨てに行くと 父の車も無い。
でも、何故か洗濯物はある。
何やら 父は 6時に仕事に出掛けたらしい。
昨夜は12時に帰宅して、どぅしても気になる事が頭から離れず6時に仕事に行ったらしい。
母も睡眠不足だと言ってた。

朝食:文明堂のカステラ 1切れ
昼食:天丼(少量)
夕食:アジの塩焼き

父に頼んで、アジは骨を取って貰うことにした。
細かい物は 母にはムリだからだ。
けど、ははは殆ど食べない。

モモを剥いてみた 半分食べた。

食後 具合悪かったのか・・・父が 部屋を移動しようとしたら
『ちょっとまって』
と言う。
かなりふらついているのだ。
目が回っているのかなぁ??

入浴を済ませた母、今日は 10日ぶりに洗髪をしたらしい。
お風呂&湯船には かなりの抜け毛があった。
大学病院に入院する前にも 抜け毛は気になった。

明日は 久々の定期検診だ。
何の検査をするのか 分からないが・・・
父が付き添う事になっている。

母は 1日 ゴロゴロしている。
明日 病院だから 多分今夜は眠れないんだろぅなぁ~。

8月22日

2006年08月22日 21時36分41秒 | Weblog
朝 6:30 一階に下りる。
なんとなく 父が起きている気配(タバコの匂いがする)

朝食をいつも通りに済ませ、仕事に向かう。
相変わらず 母の食は細い

昼食は 昨夜父が作ってくれた カレーライスを食べた。

段々母が弱っている、障害者年金は1年半の経過観察が必要らしく、受給は困難だ。
確か、会社勤めしている時に、年金基金に加入していたのを思い出した。
母に『この一年 60歳定年の人が多いから、倒産しないうちに 一時金でも良いから貰っちゃおうよ』
と切り出した。
母は、躊躇する。

母は どぅしても 天丼が食べたいらしい。
なので、出前をとって 夕飯とした。
お米は殆ど食べない・天ぷらのみ食べた。
食べ終わった後、母は
『これだけしか食べられない』と呟いた。
食べられたんだから 良いじゃん   としか言ってあげられない自分が悲しかった

入浴後 母は 布団に横になる。

明日は どんな体調なんだろぅ。
今日は 食べられてたから 調子が良いと良いな。

気になるのは、ここ数日 ガムを噛んでいる姿が多い。
母は言わないけど、もしかしたら、口の味が強く出ているのかも知れない。

パパが土曜の夜に帰ってくる。
パパ方の祖父(パパは孫)が近くの慈恵に入院しているのだ。
歳は91歳・肺ガンの末期と聞いている。
直系じゃないから 私だけで病院に行くにも勇気が要る。
生命維持はするものの、これと言って治療はしない と聞いた。
義姉は 看護婦さんだけあって、有る程度の目安は分かっているらしく、
【もって彼岸頃】
と言う。
でも、年齢も年齢なので、いつどぅなってもおかしくない状態である。
日曜に 病院に行く予定だ。

母も同様、受け入れがたい事が続いている。
祖父と同じく、母にも延命治療はしないと 医師には告げた。
心停止した場合、電気ショックやら何やら・・・つけて維持するような事はしたくない。
維持装置で 心臓を動かしたら、取り外す 勇気は私には無い。
病気で辛い上に、動けない何も出来ないのに、見て貰う と言う事は
母自身も望んでないと思うからだ。

8月21日

2006年08月21日 21時21分06秒 | Weblog
朝 6時半 起床
子供は夏休みだが・・・私は仕事に行くので、子供達を7時に起こした。

父は7時に居間に起きてきたが、母は起きてこない。

父が休みで家に居るので、そのまま通常通り仕事に出掛ける。

昼12:30 帰宅すると 父がカレーを作ってた。 お昼の焼きうどんも作ってた。
母は、寝転がり、細長いタオルを足に引っかけ 持ち上げる 体操をしている。

午後から 次女のスイミングスクール。
少し早めに家を出て、子供をスイミングスクールに届け、泳いでいる間 仕事に行く。
どぅしても気に掛かる システム の解決方法が見つかったのだ。
結局 その解決方法も ダメだったのだが

昨日 あれほど手の力が無かったし、食事も殆ど取らなかったのだが、今日は
食べていた。 と言っても昨日より と言う程度だが。

夕飯終了後、入浴し、横になった。

もぅ母には 好きなようにさせよう。
ムリに食事をする様にも言うつもりもない。
ムリに運動(動く)事も言うつもりもない。
今までずっと 私は母に言ってきたのだから、母は分かってるはずだし。
動けない・食べられない のに そんな事を言っても・・・ と思う。
食べなければどぅになるかは分かってるはずだしね。
選ぶのは母自身。 選ぶも選ばないも 病気がそうさせているのでどぅにもならないが。

相変わらず 体調に 波がある。
でも その波は かなり激しい物がある。
『家で見られる限度を超えた』
と思う時も有れば、
『まだ大丈夫だ』
と思う時もある。
前から、日によって体調の波はあったけど、ここまで激しくはない。

1日でも長く家に居させてあげたい と思うが、この暑さでバテないかなぁ・・・。

明日は どんな調子なんだろう。。。。
今日は 父が居たから 気が張っていたのだろぅか??

朝食:ミスド(エンゼルエッグのふんわりイチゴ&ホイップ)
昼食:鶏五目御飯・焼きうどん
夕食:カレーライス

大人普通量を食べられれば カロリー取れるのだが、量は無い
でも、食べないよりも 全然良いのだ
明日も この調子だと良いなぁ~

8月20日

2006年08月20日 21時54分16秒 | Weblog
今日は日曜日 だからと言って、主婦に休日は無いらしい
洗濯をサボれば、家族6人分の洗濯は翌日 倍になるのだ ならば毎日コンスタントにした方が楽だ

朝 7時起床
居間に行くと 母が座っている
正直 怖い・・・ 何しろ その反動が夕方にあるんじゃないか と思ってしまうからだ。

ともかく、私は洗濯をし、朝食をとり、急いで長女の学校行事に参加しなくてはならない。
8時20分 自宅出発し、体育館に入る。
見慣れた顔ぶればかりだ。 他町だが、古い人は私のことを覚えていてくれたらしい。
でも、古い人なんだなぁ・・・私も古いんだなぁ~と実感してしまった@古株

昼12時10分 やっと行事が終わり、急いで自宅に帰ると 母は母の部屋で寝ていた。
お昼は お茶漬け が食べたいと言う。
お茶碗一杯程度 をよそり 食べさせた。

母に 『二階に居るから用が有ったら呼んでね』と言って二階に上がった。
私が一階に居ると、母も私を頼り、台所に立たなくなるし。

夕方4時半 一階に下りると、【ナスとピーマン炒め】が出来上がっていた。
子供を褒めるのと同じく、母を褒めた
『ママが居なくても出来るじゃん

夕飯6時 今日は鶏五目御飯にしてみた。
これなら自然に少しだが野菜も鶏も入るからだ。
だが、母の手は動かない、箸が全く持てない。
コップさえも持てない状態だった。
先割れスプーンを母に渡し、どぅにかお茶碗半膳食べられた・肉もタバコ程度の大きさのを2枚。
それが限界らしい。

いつでも食べられるように、梨とグレープフルーツを剥き冷蔵庫に入れておいた。
ブドウも洗って入れた。

御飯を食べると 睡魔が襲ってくるらしい。
食べると言っても、ホントちょこっとだ。

母に私は入院を勧める。 母は入院を拒む
だったら、食べてくれるかなぁ~ と思って勧めるのだ。
自分でも 母に入院を勧めるのは辛い と思う反面、病院ならば空調も食事も母が安心出来る と思うし・・・、私自身どっちが良いのか分からない。

夕飯を終え、お風呂を勧めたが、母は入らないと言う。
布団を敷き、そのまま母は横になる。
目はつぶっている。寝ているのか 起きているのかは分からない。
でも、そこで声を掛けて、寝ていたとしたら、折角寝ているのに妨害してしまうことになる。

サッサと子供達と入浴を済ませた。
洗濯は明日朝やろぅ!

手の力はますます酷くなっている、浮腫も相当酷い。
昨日は調子よかったんだけどねぇ~。

告知なんてする必要性は無い と思う瞬間がある。
母にそんなゆとりは全く無い。
母に聞くと、『身体がシャンとなりたい』と言う。
それはムリだよ って何度も母に言っているのだが・・・・。
遠回しの告知に近いと思う。
毎日どぅにか充実感を味合わせてあげたい。
その為には 病院に居るよりも自宅が一番だ。
でも、自宅にいるには食べなくてはならない。
かなり 難しい選択だ。

明日は 父が休み。
私は仕事に行く。 仕事を辞める訳にはいかない。
経済的な事もあるが、私の身の置き場(心の逃げ道)が無くなってしまうからだ。
半日でも家から離れ、仕事していると気持ちが楽なのだ。
通常ならば、子供が学校に行き、その30分後に私が出社・父は9時半頃出社する。半日私が仕事しても、家で母が一人の時間は3時間程度だ。 それくらいならどぅにかなるし。
万一、母から電話あっても、会社からなら15分あれば家に帰ってこられる。

次女のスイミングも15時半からだし。
父が居れば 安心。

やっぱり 介護の箸?? スプーンみたな物は必要みたいだ。
母は見た目を気にしていたが、食べないことには何も始まらない。と強く母に言った。

夜になると 私はもの凄く 罪悪感に陥る時がある。
母が辛いのに、食べろ と言う。 動けと言う。
残された日々を ジッとしていたら 母はきっと悔いが残るだろぅ。
悔いを少しでも無くしたい、だから食べて欲しいし(食べることが好きだったし)、自分でやりたいことをやりたいように動いて欲しいし。

今日の夕飯の時の 母の手の動きには ホントに驚いた。

母が望んでいる事を 私は分からない。
聞いても、『身体がシャンとなりたい』としか言わないのだ。
多分、母は私の負担を考えてしまっているからだとおもう。

難病指定になっているが、申請は何が必要なんだろぅ・・。
ガン保険は適用になるのかなぁ?
一緒に住んでいると、電話で問い合わせする事も出来ない。
介護用のスプーンみたいな物があるなら それも頼みたいが、時間のゆとりが無いし。
夜になると、自分の気持ちがいっぱいいっぱいになっているみたいで、どぅにもならないのだ。

楽天的な性格なのか、寝て忘れてしまえ~ と思うので、朝になると気分が変わって、母と接する事が出来る。
母に『おはよう』の後に、『今日はどぅ?』と普通に聞ける。

明日も 気持ちよく おはよう と言える様に 寝ます

8月19日

2006年08月19日 21時35分12秒 | Weblog
今朝は 私も朝寝坊
2度寝をしたらしい

両親は 5時から起きていたらしい

昨日の朝とは全く違い、母は朝食後 庭に出た。
私は 一階を 大掃除・6人分の布団を干し、スプレーし、部屋中を叩き、掃除機、拭き掃除。
9時にスタートして、終了したのが12時である

それでも、母は 1つ1つの動きが辛いと言う。
ソファーから立つ、横の物を取る、それだけでも辛いらしい。
どっちがいいのかなぁ・・・身体を大事にする か 有る程度ムリしても動くか。

告知していたら、多分 大事にする 方法を選択しただろぅ。
だけど、告知しないのだから、有る程度ムリして動く 方法を選択するしかない、理屈があわなくなるのだ。

夕飯は すき焼きの リクエストが出た。
ちょっと赤字
お肉も量を買わないと 母の口に入らない。
母が子供達に食べさせて と言うからだ

19時 母入浴
5分・・・いや3分程度ストレッチをし、布団で寝ている。
しかも 電気付けっぱなしだ
節電 ってのもあるが、母は毎日 父のTV付けっぱなしを眠れない理由にしているのだ

少し 母に手を掛けすぎたのかも知れない。
夕飯の自分たち(父&母)の好きな1品程度は、作るように伝えた。

子供と言うのは 残酷な事を 分からないから平然と言う。
母が入浴後 次女は『ママ~ばぁちゃん赤ちゃん生まれそうだよ、お腹大きいもん』
と言う

母は 本を読むと 直ぐに寝られる と言う。
なんでそんなの早く言わないんだ だったら薬なんて飲む必要性も無かったのに

今日は 布団位置は 昨日のまま、枕だけを反対に(窓方向)にした。
枕の所に 電気スタンドと本を置いた、万一夜中に目が覚めたときに読むようにだ。
既に就寝してるから、きっと夜中起きるんだろうなぁ~

明日は 学校で長女の行事があるので 朝から参加しなくてはならない
夏休みも後半・林間学校は9/4からだし。

木曜が母の病院だが、父に頼んだ。父は了解済みだ。

子供達の事を明日はやろぅと思う。
母は 私が何を言っても、結局は母が決めて動くのだ。
そんな難しい事を母に言っている訳じゃない。
座って手を上下する・横にひねる・とか、お米よりおかずだし、お肉食べて体力付けよう って事だし・・・。
私の頭の中に 母 にしてあげたい・しなきゃ と思うと 子供のことがおろそかになってしまう。
明日は 子供の事・自分の事に使おう。

もしかしたら、定期検診に行って、入院になるかも知れない。それ程までに体力無いし。
暑さだけでもバテるのに・・・入院すれば 適度な室温・食べても良い食事が出される。
安心できる施設ではあるんだけど、自由は無いし・・・。
母は入院を拒んでる。