母は心の中で生きてる

母が難病(原発性アミロイドーシス)と診断を受け、母の性格を考え告知せず、母の生との別れの後の家族の生活

9月4日

2006年09月04日 20時44分43秒 | Weblog
いよいよ 長女の林間学校だ。
早朝5時に起床し、静かに一階に下りた。

お弁当を作り終わり、7時になっても父が部屋から出てこない。
昨夜の話では、朝7時には家を出る と言っていたはず。
でも、そんな事は 私は気にしていられない。
次女をいつもと違う集合場所に連れて行き、今度は長女を学校迄送っていくのだ。

送り終え、ほっと一息した途端、父が【今日ママは何時まで仕事?】と聞く。
そぅ聞くときは 決まって、母が具合悪いのだ。

母は昨日の夜から 腹痛があるらしい。
食あたり??? カニを食べた後、氷水と氷をガリガリと食べていたらしい

困るのは、病院・・・・。
腎臓で掛かっている病院にするのか、近くの病院にするかだ。。。
あれこれ、考えたが、時々、母は今は何ともない。 と言う。
なので、少し様子を見る事にした。
昼食を食べ、その後、やはり若干腹痛があるので、子供達も受診しているいつもの病院に行くことにした。
父に連絡をし、午後からの4時の診察時間にした。

色々調べると、下痢と便秘の繰り返し と書いてあったりするが、これがそぅなのかは 分からない。

母は 目眩はここ数日酷いらしい。 
眠れない、TVが付けっぱなしだ とか 色々母は父を責め立てる。
几帳面な性格なだけに、気になるのだろぅ。
父は何も文句言わない、ただ、黙って聞いている。
今夜は 父は和室・母は洋間 で寝る事にした。

母は 何をやるにも やる気がおきない。
花を植えたいってのはあるけど、そこから先が進まない って言う。

毎日1つのプランターだけを触る様にしたら?
とアドバイスしてみたら、
手がしびれるから出来ない
と言う。

ちょっとカッとなった、

穏やかに、
でもね、手が不自由な人って ばぁちゃんだけじゃないでしょ? 足が不自由な人だって歩こうって思って歩いていたりするし、目が見えない人でも、開き直って目が見えないから出来ない! って言わないよ。 出来る限りでみんな努力してるんだよ。ここまではやった、そこから先はちょっと出来ないからおねがい ってのは手助けできるけど、何もしないとなると何も手助け出来ないよ。
と伝えた。

母は病気の事も私に聞いた。
以前タンパクの数値が悪くなっている ッてことを医師から母に、母から私に伝わった事・毎日の生活を見て の事を含め、
軽度か重度か と聞かれたら、重度に見える と 私は答えた。
その事を言うのにも、ほんの少しの会話の時間だが、頭の中の回転数がし、迷ったが、母が日々少しでも充実出来るよう、悔いが残らないよう と思い答えた。

母は もぅ死んじゃうんだなこれで。 と言ってた。
だから、、、もぅ死んじゃうって言ってないでしょ、と答えた。

整腸剤を飲んだし、今夜ゆっくり寝れば、明日は少し起きられるかなぁ~。
明日こそ、私は仕事に行かないと・・・

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