母は心の中で生きてる

母が難病(原発性アミロイドーシス)と診断を受け、母の性格を考え告知せず、母の生との別れの後の家族の生活

11月23日

2006年11月23日 22時08分24秒 | Weblog
現在は 一階の和室に母の祭壇を、父は一階の洋間に居住を置いている。
3日起き程度に 花の手入れをし、毎日お茶と御飯を供えている。
今日は 久々に餃子を作った。
全部で80個以上作った;^_^)

パパは銚子の現場が思うように捗らず 休日返上し仕事。
7本の風力発電を立てるのだが、未だ一本も立ってないのだ。

何だか 変な気持ちで毎日過ごしている。
実際 母の祭壇を毎日見て、手入れやお線香 御飯をしているのに、 何処かに母が行っているだけの気がする時がある。
これだけ情報網があるのに、母とメールだけでも繋がれば良いのに。って思う。

後から お香典を送ってきてくれた人に お返し物を送り、何だかんだって結構やることってあるんだよね~。
準確定申告もやらないとだし…>_<…

母が頼りにしていたのは 凄く実感してたから ちゃんとこなさなくては!

誰かが言ってた・・・亡くなった人は もぅ墓地にも家にも居ないんだって・上から見てるんだって・お願いだから泣かないで悲しまないで って思っているんだって。


11月11日

2006年11月11日 21時35分54秒 | Weblog
子供が習い事に行っている間の1時間程度、母の祭壇前に座り、母に言葉を掛けた。

*病気の事
*入院中の事
*これからの事

母に言えなかった病気の事も・・・
今更だけど、家族の選択に間違いは無かったと信じてる。

母の性格を 今までの母のドラマを振り返ると とても 告知は出来ないから。

少しずつだが、通常の生活を取り戻しつつ、色々な手続きがある って事。
結局 難病指定の受給者証を受け取らないままだったので、それは11/28以降に手続きがある。
仏具も買いそろえ、今自宅にある仏具は長男夫婦(父の兄)が11/17に引き取りに来るのだ。

まだまだ通常の生活には戻れない心境・状況ではあるが、
母がやってきた事・私達に口頭では教えなかったものの、やっていた背中を思い出しながら
諸手続に漏れが無い様に済ませないと。 きっと母は
【ママ~ちゃんと見てなかったの?】
と言われてしまいそう(*^^*ゞ

パパは 明日の朝 自宅に到着予定
それから 父も交えて、祖母の墓地(秩父)に行く予定だ。

難しい問題で、母は秩父の墓地や仏壇に入るのを どぅしても拒んでいた。
だけど、父にとっては母であり、先祖代々眠っているのだ。
私はと言うと・・・母がされていたこと・言われた事 を知ってるし見ていたから
母の意見を重視したかった。
幸い 話しもスムーズに進み、母の意見が尊重された。

さて、この頃 寒くなり 体調崩さないようにしないとね。

母とお別れ

2006年11月07日 22時20分53秒 | Weblog
11月3日 午前4時 父から電話があった。
泊まっていた妹夫婦・私の子供を起こし、状況確認をしてから子供を連れて行こうと思ったので、私と妹夫婦(子供は義母宅に急遽預けた)と 車2台で駆けつけた。
母は、呼吸が激しく、目は虚ろで空いたまま、何度私が閉じようとしても開いてしまう。
何度呼んでも 前日の様には 返事をしてくれない。
主人は 福島から千葉へのクレーン移動日で 時速30キロ程度で先導者付きで走行中で、間に合わない。
父・私・妹夫婦が揃い、30分もしない間に、心拍が見る見るうちに落ち、血圧も50を下回り、
父は母の手を握り、私は母の耳元で 大きな声で何度も何度も【ばぁちゃん・ばぁちゃん】と呼んだ。
心電図をナースセンター直結・ナースコールしているのに、医師は来ない。
一旦は 心拍0になり、私はモニターと母をチラチラ見ながら、【ばぁちゃん・ばぁちゃん】と大きな声で叫んだ、ホントの数分・いや数秒かも知れないが、心拍が戻ったのを確認した。
だが、ホントの一瞬にしか過ぎず、0になり、私は母の顔・髪を撫でた。

それからは、激動の時間を過ごす事になり、セレモニーに連絡・両親の部屋を片づけ、あちこち連絡を取った。

いつかこんな時が来る事は、分かっていたし、世の中の順番としたら、私より両親の方が早く他界するのも 分かっているのに、早すぎる としか思えず、だけど、母は私を頼って生活をしていたのは、家族全員承知していた事。
母のお叱りが飛ばないよう、無事に終わらせる事が 私の使命。
立派な葬儀にしなくても、手落ちが無い様に、ご会葬頂いた方にご不便を掛けないよう
母なら そぅ思うと思ったので、私自身今まで経験が無かったので、手探り状態だったのだが、
周囲のお力を借りながら、激動の2日間を終わらせる事が出来ました。
この場を借りて、家族全員の感謝の意を表します。

発症はいつだったのかは分かりません。
だた、診断から丁度半年目に今回の入院。
悪い方に考えればどんどん考えてしまうので、余り考えないようにしています。
医師から宣告されたのは、余命半年~1年。
当初私は、 半年と言ったら、家に居られるのは3ヶ月くらいだと思っていたので、
半年家に居られ、家族の声を常に聞けた事を 嬉しく思っています。
母が残してくれた財産(金銭とかじゃなくて)母が居なければ私は産まれてないし、当然長女も次女も。
色々な行事ごとのメモ等 大事にするつもりです。

同居して 7年目になり、ケンカした事もあるし、一緒にランチしたり、衣類を買いに行ったり と思い出は沢山あります。 あれもこれも母の財産であり、消えない財産。

母は腹水があったので、セレモニーのオプションで腹水を抜いて貰いました。
その時に、抜いて下さった人が
【この人は穏やかなお顔をしてますね、きっと御家族様が毎日病院に入らして手を触れたり、声を掛けたりなさってたでしょ。 病院のお薬は最後には効き目が無いですが、御家族様の証は薬より合って、ほら・眉間にシワが全く無いでしょ~それは苦しんで居ない証拠ですよ。薬よりも御家族様の愛情があって救われたんですよ】
と言ってくれた。
その言葉で 家族全員 どれだけ救われたか・・・・。

きっと母は 自分の余命を何処かで察知していたと思う。
あの呼ばれた日、ウトウトしていた私の夢の中で、自分が大量出血した夢を見た。
多分 母の知らせだったんだと思う。 
始めて下血した夜も 寝る前に腹痛が有り、夢の中でも大量出血があったし。
何度も夢の中で 母の危ない日を見て、【5日】と言っていたのだ。
だから、家のカレンダーを見て透析日が5日ってのが無いから 自分で【やっぱり夢は夢】って思ってたのに、告別式は11月5日。

ブログを書いて 従兄弟が呼んでくれる。誰かが呼んでくれる と言う支えで
母の看病も出来たんだと思う。 これが私の逃げ道だったのだ。
母の前で泣くことも出来ず、くじけず 母の思っている強い娘を演じ、 強いままで終わらなければならなかった。
病室に入る度に【おはよ~鬼が来たよ】って言うと 母は笑っていた。
母は【鬼は自分で鬼って言わないからね~】って言ってくれた。
強い娘と優しい娘を育てて間違いなかった と言ってた母。

これからもまだまだやることはある。
殆ど事務的な事なのだが、通常の生活に少しずつ戻しながら こなしていくつもり。
私も 忌引き休暇は今週末まで。
来週からは仕事に戻る。
父は土曜から出勤。
パパは 今日の夜から千葉に現場入りする・妹旦那も明日から仕事復帰だ。
グズグズしてると 母からお叱りが飛びそうだからね。

暇な時は また更新するつもりだけど・・・次は何の予定かなぁ~
49日かなぁ~。
初七日法要は 前倒しで行っているので、 父と妹と3人でお墓参りに行く予定です。
49日法要までは まだ話しをする状態では無いので、案が出次第 掲載します。

本当に 今まで 私の愚痴を聞いてくれてありがとうございました。

11月2日

2006年11月02日 23時04分33秒 | Weblog
何処まで書いたのかおぼえてません。
母の状態は、 ほぼ昏睡状態??
昏睡ってのが どぅ言うものか 理解してないけど・・・・。

大きな声でハッキリと 母の近くで【お・は・よ・う】とゆっくり言うと
3回目くらいで【おはよぅ】と凄く小さな声で言う。

その後 無言になり、一点をジーッと見ている状態。

手のばたつき はかなりある。

【昨日眠れた?】と聞く
【ねむれない】と返答ある。

が ろれつ は回ってない。

下血した(夜中)翌朝は 【昨日は大変だったんだよ】って母はしゃべれたのに。

医師は透析にGOサインを出さない。

母の腹水は 肺まで来てしまっている状態。
医師は このまま何も急変が無い場合 3週間~1ヶ月 だと言う。
私は 先生の言葉を信じたい。
そりゃ、もっと生きて欲しいのは当たり前だが、大学病院では半年から1年の余命宣告を受けているから。

どぅ言うのが昏睡なのか 全く無知なので分からない。
だが、目は開いている・かなり瞼が重い様に見受けられる。

横須賀の叔父に電話し、面会の解除をする事を決めた。
少しでも 返事が出来るうちに、みんなに会えたら。って思うのだ。
母が どぅ思うのか、どぅ感じるのかは、 それを考えてしまうと、どぅしても面会は遠慮して貰いたいのだが・・・・・。

父は 毎日毎晩泊まり込み。
日中は 私と妹で過ごすが、今日は参観日。
明日は 祝日で子供達は家に居る。

母は熱が36.9ある
感染症かな??
苦渋の選択ばかり・・・
面会が多いと感染症の確率は多くなるし、
透析をすれば命取りになるし、
透析をしなければ、尿毒症になってしまう。 
尿毒症になったら数時間しか生きていられないそうだ。

父に母は 下血前の夕方
【じぃちゃん助けて。】って言ったらしい。

毎晩 誰もが寝付けない。
それ以上に きっと母は病気のせいもあって 睡眠障害なんだろぅなぁ。

どぅしてこんな病気があるんだろ。
母になにもしてあげられない 
母の訴えも 言葉にならないから 聞いてあげられない。
母の側に居てあげたいけど、自分の気持ちがコントロール出来なくて 長く居られない。