母は心の中で生きてる

母が難病(原発性アミロイドーシス)と診断を受け、母の性格を考え告知せず、母の生との別れの後の家族の生活

3月26日~27日 日付変更

2010年03月27日 00時00分20秒 | Weblog
今日は、修了式です。
いやいや、、、成績表が到着する日。
胃痛が、、頭痛が、、、ですね

次女は まだ小学なので さほど気にならないけど、長女の成績はかなり重要。
ってか、、、2は無いものの、3ばかりが並び、時々4が見える程度。
まぁ そんなもんでしょ。。。我が娘ですから。

前期の体育では プールだったから、5だったが、プールが終る=陸に上がるので、当然不出来。
結局3だもんね。。。

スイミング習わせておいて良かった、、、と改めて思いました。

父は 血液検査に行きました。
そして、入院日程、受付をして来た様子。
入院は 4月7日 10時。
オペは時間まだ聞かされてない。
月曜にパート先に行って、7日、8日休暇届を出して来ます。
準備は 有る程度整いつつあります、タオルやパジャマ、下着、洗面器等。
月曜は近くの薬局が ポイント2倍の日なので そこでボディーソープを調達予定。
あとは、入歯一式買うかな。



3月22日(月)

2010年03月22日 22時51分04秒 | Weblog
万平町のお線香立てに行って来ました。
その前に、パパ側の墓地に、除草剤を撒きに行きました。
パパが土曜に行ってくれたのですが、夜勤明けで眠く、義母とはバトルしながら墓参りだったそうで、、、
(だから 私が午後行くって義母と約束してたのに、、、)

万平町で2時間くらい話しをしてましたが、
そこで 何と 曾おじいちゃんの話題。。。
曾おじいちゃんと言っても 私は見た事がありません
そりゃそうです、、、父自身も戦時中だったため、記憶は無く、成人してから一度逢っただけだそうです。
万平町の話しによると、NHKハイビジョン特集で取り上げて放送していたと言います。
いくら探してもその内容が分らないのですが、結構偉かった曾おじいちゃんですね。
検索したら《日中友好会会長》なんて書いてある!
ってか、その血筋、、どこで途切れたのかな
動画を探したけど、見つからず、、、。
何をしてくれたとか、そんなの個人的には無いけど、先祖が居なければ 当然今の私は存在しないから、
どんな事をしたのか、って文字だけでは無くて 動画で有れば 分りやすいよね。

とてもその時代では偉かったみたいだけど、、、、仕事的には凄く出来た人っぽいけど、決して家庭人では無く、、、
私にとって 祖母は 弥一郎の妻であり、万平町の叔父はまだ幼児、祖母は妊娠中(腹に父が居た)。
軍を率いて、食糧難だから、ミルクも無い、、、
祖母は《我が子にコップ一杯の牛乳で良いから貰えないか?》
と 言ったところ
祖父は《お前に渡す物は何も無い》と言ったそうだ。
確かに、物資だから 家族に別ける事は出来ないが、、、それも分らなくは無いが、ほんの少し、、いや言葉だけでも随分違ったのではないかな、、時代なのかなぁ~。
逢ってみたいとは思わない、だけど何をして、どんな時代背景だったのか、、、、きっと祖父も辛い決断を言放つしか方法が無かった、と言う確証が欲しいかな~。


2010年3月21日

2010年03月21日 23時05分47秒 | Weblog
随分、久々の更新になります

このままでいけば、娘達は進級できます。。。ハイ、、一応義務教育ですから
長女は 来春 中三生、全く焦る気配もなく、学年末テストを前日まで友達と遊び、、、惨敗です
親が親だけど、、、統一模試も惨敗ですから、、、、呆れて何も言えません
志望校は 公立看護高等学校、、、、これまた合格率は10%。
完全に諦めですね。何しろ80人募集、倍率が高過ぎ、、、。
週2の塾も 補習に呼ばれ、、、週4になる週もあり、、、月謝が恐ろしい事になってます。
でも、今時期 塾に行かないと、中学校では三者面談で進路決定するに困るのです。
我が中学校では 三者面談の時には 先生から《志望校は決定しましたか? 塾の面談はいつでしょうか?》と聞かれる。
塾で面談し、進路決定し、それを学校に伝えるだけの事です。。。
貧乏家庭はどうするんだ???って感じでしょ?

次女は 来春小5生 完全に長女の身長を超え、ジュニアバレーのエースに昇格しました。
っても、稀の左利きだから 選ばれた様なものですね。
次女も 水曜、土曜が塾です。。。
なんと 水曜は バレー練習があるのに、塾もダブり、、、。
塾→バレー、バレーは30分遅れで入ります。

パパは 相変わらず 一階洋間のジオラマ。
高崎線、あと、、、なんだろう、、私には分らん。。。肌色の特急? ブルートレイン??

私も 相変わらずです。。。
パートを終らせ、夕飯の仕度やら、塾の送迎やら。。。

変わったのは、ジィ様です。
2月の糖尿検診の尿検査で血尿(目には見えない)が出たらしく、紹介状を貰って、、、、それを私に内緒にしてました。
言えば/見つかれば 《行け!》と言われるからですね、、(まさに幼稚園児か??)
一ヶ月経っても行かず、私に糖尿検診行く様に度々催促され、それでも余っていた薬(それもそもそも有り得ないけど)を飲みきる寸前、糖尿検診に行けない理由を言われました。
3月5日 やっと重い腰をあげ、紹介状持参し 個人の泌尿器科を受診。
膀胱に腫瘍がある事が発覚。
3月17日 泌尿器科にて詳しい検査、幸い 膀胱の腫瘍は初期であり、糖尿になってて良かったのかもね。
じゃないと尿検なんてしないものね。
自宅近くの 病院で 手術可能となり 最終検査は 3月26日、これは手術する病院にて検査。
入院は 4月7日、オペは4月8日。
って、、、7日は春休みだから身動き取れるけど、、、、
8日って 身動き取れません。
午前中は 小学校入学式の為、次女登校は午後になり、
午後は  中学校入学式の為、長女登校は午前です。
腹腔鏡手術と言う事ですが、医師が言うには 2週間程度の入院になるそうです(経過観察)
もしかしたら、それって 血糖コントロールも兼ねてかな???
徐々に入院したくをしておかないと、春休みには 子供達の学用品仕度もあります。
当人は 手術よりも 食事が少ない/味が薄い/タバコは吸えない/等と、、、それが嫌みたいですね。
面倒なので、《良いんだよ~別に。治療したくなければしなくても、診断されただけで終わりにしてもね。》
と言ったら 結構凹んでた。
そんなに優しい娘ではありませんから
多分、それって 母には選択肢が無かったから、、かな。
酷い症状、酷い病いを先に 体験しているから、《選択肢があるだけ良い》って思いがあったのかも知れないですね。
当人は 全く自覚症状もなく、食欲旺盛、仕事も行けてます(駐車場誘導員) 
長女も次女も 動じる事がありません、やはりそれは接する時間が今迄少なかったからでしょうね(単身赴任が長過ぎた)
仕事と口実つけて 善き父でも無ければ、善き夫でも無かったらしく、善き息子でも無かったと聞いてます。。。
これから生きる年数で 善き祖父で有る様に、、、切に願ってます。
ってか、死にそうでは無い父ですね。。。憎まれっ子世にはばかる。

義母も元気、足は痛いものの、まぁ動けてます。
明日は 祝日、パパが パパ側墓地に行ったらしいけど、除草剤してないと、、、。
除草剤やらないと お盆に行くと凄い事になっているので 行ってきます。